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2015年7月16日 (木)

二郷半領用水を歩く ②

2015年6月21日

新三郷駅(JR武蔵野線)→十四街区バス停・・・彦糸橋・・・彦糸下沼橋・・・彦音橋・・・彦富橋・・・北在家橋・・・前在家橋・・・彦成橋①・・・川端橋・・・野良島橋・・・(県道29号)・・・彦成橋②・・・上彦川戸橋・・・旭橋・・・二郷半領中川揚水機場・二郷半領中川樋管・・・勝橋・・・下川中橋・・・(東京外環道)・・・虚空蔵橋・・・彦倉橋・・・上口上橋・・・上口橋・・・上口下橋・・・上地橋・・・キタミソウ自生地・・番匠免橋・・・捨町橋・・・彦沢橋・・・新彦沢橋・(首都高6号三郷線)・・・彦沢下橋・・・彦江橋・・・彦江中橋・・・彦江下橋・・・上橋・・・下橋・・・佐久間橋・・・二郷半領用水中川取水口跡・・・谷口堰・・・馬洗場橋・・・中橋・・・谷口橋・・・三文橋・・・門二橋・・・(つくばエクスプレス)・・・酒井揚水機場・・二郷半橋(三郷放水路)・・・早乙女橋・・・稲荷橋・・・夕月橋・・・曙橋・・・地蔵橋・三九村の身代り地蔵・・・前川新橋・・・前川大橋・・・前川中之橋・・・平和橋・・・天王橋・・・梅田橋・・・第二大場川合流地点・・久兵衛用水分岐地点・・・白山橋(第二大場川)・・・昭和橋(第二大場川)・・・新鎌倉橋(第二大場川)・・・明王院・・・鎌倉大橋・・・甚平橋・・大師堂・・・木斉橋・・・寄巻(よまき)橋・・・吹上つつみ橋・・・吹上橋・・・戸ヶ崎二重橋・・・戸ヶ崎なかす公園・・・吹上ふれあい橋・・・二郷半領用水逃樋・・二郷半領不動堀樋・・・閘門橋(弐郷半領猿又閘門)・・・戸ヶ崎交差点・・・氷川神社・浅間神社・・・潮止橋(中川)・・・八潮駅(つくばエクスプレス)

  【ル-ト地図】(十四街区バス停(14.6km)→八潮駅(29.5km)) 

  写真をクリックすると拡大します。

Img_9238二郷半緑道を南下する。

Img_9253まだ9時前で蓮の花が開いていた。(彦糸蛭田橋と彦音橋の間)

Img_9247涼しげな花だ。

Img_9254二郷半領の水田が広がる。

Img_9255桜・ツツジ・アジサイそして蓮の花も楽しめる道だ。(北在家橋から下流方向)

魚も群れて泳いでいる時もある。

Img_9260除塵設備

右側に除去されたゴミ類が集められている。二郷半領用水は葛西用水路土地改良区が管理している。

Img_9276水路が左に分岐して行く。 《地図

Img_9279三郷団地入口交差点で県道29号をくぐって行く。

Img_9285右に平行して流れるのは排水路か?

Img_9290右から中川の二郷半領中川揚水機場から取水された水が流れ込む。 《地図

Img_9735県道67号を横切って中川揚水機場まで行く。

Img_9739二郷半領中川揚水機場(正面)

Img_9743中川土手から二郷半領中川揚水機場  《地図

かつての中川第二揚水機場。第一は下流の花和田にあった。(後記)

Img_9740二郷半領用水取水口(二郷半領中川樋管)

今は古利根川の二郷半領揚水機場(松伏町大川戸・前回記載)と、下流のここが主取水源。

二郷半領用水路に戻る。

Img_9299下川中橋から下流方向

東京外環をくぐって行く。

Img_9304外環道の下

流れが広くなっている。

Img_9309虚空蔵橋から下流方向

また新旧2つの流れとなる。西の中川沿いに虚空蔵尊がある。 『三郷七福神①』に記載 《地図

Img_9318キタミソウ自生地(番匠免橋のそば)

説明板と「キタミソウ記念樹」の標柱が立つが、キタミソウらしきものはよく分からず。
この石段は農作業などの洗い場だったのだろうか?

Img_9331首都高6号三郷線をくぐる。 《地図

Img_9337小祠(彦江中橋そば)

Img_9339祠内は不動明王?(文化7年(1810))

Img_9352ここがかつての中川第一揚水機場からの着水地点(二郷半領用水路説明板が立つ) 《地図

Img_9353説明板(昭和61年)

現在は中川からの取水口は先ほどの彦川戸に一本化され、上流は江戸川からではなく、古利根川の二郷半領揚水機場(松伏町大川戸)から取水・送水されている。

Img_9357かつての中川第一揚水機場からの送水路跡だろう。

この先は暗渠か埋め立てられているようだが未確認。

Img_9369つくばエクスプレスをくぐる。《地図

Img_9374酒井揚水機場 《地図

二郷半放水路をくぐる伏越ではなく、三郷放水路上を太いパイプ管で送水している。

Img_9376酒井揚水機場から二郷半領用水を送り出すパイプ管

Img_9379二郷半橋とともに三郷放水路を越す二郷半領用水

昔なら懸け樋・懸け渡井だろう。

Img_9381三郷放水路

三郷水門の先が中川

Img_9382江戸川方向

Img_9384パイプ管で送られた二郷半領用水はここへ落ちて再び流れとなる。

Img_9404庚申塔・六地蔵堂(地蔵橋のそば)

堂の左外に「三九村の身代り地蔵」が立ち並んでいる。

Img_9398三九村の身代り地蔵

年がら年中、蚊帳の外、それも慣れたか。「三十九村」は、この地に新田を開発した三九郎にちなむという。
明治22年の町村制施行で、戸ヶ崎村(戸ヶ崎一丁目付近)・境木村・三九村・酒井村・長沼村・寄巻村(鷹野五丁目付近)・前川村・鎌倉村(鷹野五丁目付近)・前谷村が戸ヶ崎村となる。『三郷市の歴史

Img_9396説明板

地蔵の数がややこしい? そうではなく手前の頭の回転が鈍いだけだろう。3回ほど読んでやっと納得した。

Img_9415気分のいい遊歩道だ。

このあたりの用水の流れは細い。

Img_9421あじさいの間のフラワーリバーだ。

Img_9422左から来る排水路の第二大場川との合流地点 《地図

Img_9445上流方向

右が第二大場川・左が二郷半領用水

第二大場川を昭和橋まで遡って見る。すぐに右に久兵衛用水が分岐している。《地図

Img_9433昭和橋から西に伸びる水路

合流地点に戻り、第二大場川を行く。

Img_9446新鎌倉橋

このあたりは北葛飾郡鎌倉村だった。今も鎌倉稲荷神社・鎌倉公民館にその名が残る。「鎌倉」の由来は何なのか?

Img_9463金峰神社碑・大師堂?・小社(右)

ここは民家の敷地内のようだ。

Img_9470旧家

Img_9471西に流れる第二大場川 《地図

南側に大場川・小合溜・水元公園

Img_9474吹上つつみ橋から下流方向

あちこちから茶色に濁った水が流入して来る。正面奥は吹上橋

Img_9476吹上橋から戸ヶ崎なかす公園

中洲で左右に流れが分かれる。 《地図

Img_9487二郷半領用水逃樋 《地図

明治45年に完成した二郷半領用水の増水時などの緊急時に放流するレンガ造りの樋管。

Img_9488説明板

Img_9493二郷半領不動堀樋(逃樋の南側)

不動堀(現第二大場川)に、逆流防止用として大正3年に建設されたレンガ造りの樋管。かつての不動堀は肥舟が行き交う重要な水路だった。

Img_9491説明板

Img_9497閘門橋(猿又閘門) 《地図

岩槻慈恩寺道でここまで歩いている。

Img_9501猿又閘門

荒れ狂う風雨と闘いながら、閘門に堰板を差し込む男のブロンズ像。

Img_9502説明板

ここは三郷市と葛飾区の境

バスで八潮駅に出ようとしたが、ちょうど発車してしまった所なので、中川を渡って駅まで歩くことにする。

Img_9504氷川神社(右)と浅間神社が仲良く並ぶ。 《地図

Img_9509潮止橋から中川下流方向

三郷市と八潮市の境

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