東京散歩(小名木川を歩く)
2015年11月11日
東大島駅(都営新宿線)・・・中川大橋(旧中川)・中川船番所資料館・旧中川「川の駅」・・小名木川・・・番所橋・・・陶首神社・・・塩の道橋・・・仙台堀川公園分岐地点・・・大島稲荷神社・佐竹神社・・丸八橋・・・砂島橋・・・小名木川旧護岸・・・進開橋・・・小名木川橋梁(総武本線越中島支線)・・・小名木川クローバー橋(横十間川交差地点)・・・小名木川橋・・・猿江神社・・・豊川稲荷神社・・・小松橋・・・扇橋閘門・・・猿江船改番所跡・新扇橋・・大横川交差地点・・・猿江橋(大横川)・・・新高橋・・・大富橋・・・東深川橋・・・西深川橋・・・高橋・・・霊厳寺・・深川江戸資料館・・・清澄庭園・・・三穂道別稲荷神社・・・深川稲荷神社・・・深川神明宮・・・芭蕉記念館・・・芭蕉稲荷神社・・正木稲荷神社・・芭蕉庵史跡展望公園・・・萬年橋・・新小名木川水門・・・隅田川合流地点・・・清澄白河駅(都営大江戸線)
徳川家康が小名木四郎兵衛に命じて開削させた旧中川から隅田川を結ぶ運河で、行徳からの「塩の道」、江戸近郊からの農作物、東北地方からの米の道、銚子沖で獲れた鮮魚を運ぶ道だった。(魚の運搬ルートは、『木下街道』・『なま道(鮮魚街道)』に記載)
江戸市中からは成田山や、香取・鹿島・息栖(いきす)の三社詣の信仰・遊覧の道で、芭蕉の『鹿島紀行』の出発水路でもあった。
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少し下流で右(西)に小名木川が分岐する。その角に中川番所があった。
右は水陸両用バスの「スカイダック」(skyDuck)
旧中川「川の駅」・中川船番所資料館
寛文元年(1661)に、江戸を出入りする船を取り締まるために小名木川の隅田川口に置かれていた「深川口人改之御番所」が、(旧)中川・小名木川・船堀川(新川)の交差するこの地(江東区大島9-1)に移転し「中川番所」となった。
絵の下の客が乗る2艘の船の所が小名木川、その上の左右の川(左(北)方向は描かれていないが)が(旧)中川、左下隅が中川船番所、上方が船堀川(新川)。
小名木川沿いに入る。
この対岸に陶首神社がある。正面は番所橋
「とうしゅ」と読むのだろうか? ここはパラマウントベッドの敷地内だろう。
右方に境内社の佐竹神社がある。
芭蕉が深川から小名木川を下って門弟の桐奚宅を訪ねる途中で当社に参拝し、「秋に添て行はや末は小松川」の句を詠んだ。
左下に旧護岸が保存
左の数字が「かさ上げ」の歴史を物語る。
小名木川クローバー橋 《地図》
南北に横十間川が交差する。
横十間川の水門橋(すいもんきょう)の所 《地図》
この時は「現在の発電電力」の数字は表示されていなかった。発電出力が小さい時(300W程度)では表示されないようだ。
小名木川橋の北岸に『小名木川五本松』があったそうだ。
八幡太郎義家の家臣の「猿藤太」(さるのとうた)が、此の地の入江で力尽きてしまった。それが当地の地名、神社名の由来という。
豊川稲荷神社 《地図》
下町には小さな稲荷社が多い。「江戸名物、伊勢屋、稲荷に、犬の・・」か。地方では人口の減少で氏子が少なくなり、廃社や荒廃した神社が増えているそうだ。
小松橋側にもう一基(後扉)がある。見沼通船堀と同じ閘門式運河だ。『見沼代用水を歩く』
右から左が大横川、正面は新高橋で猿江橋(大横川)に迂回して対岸へ進む。
霊厳島から明暦の大火(明暦3年(1657))後に当地へ移転した。松平定信の墓がある。それでこのあたりの地名が白河となった。
江戸六地蔵の第五番
ここは紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と伝えられているそうだ。
三穂道別(みつほみちわけ)稲荷神社 《地図》
ここも路地の間の小さな社だ。
深川七福神の布袋尊
当地で発見された芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙(芭蕉記念館展示品)
「おできの神様」の幟が立っている。
隅田川合流地点(萬年橋から) 《地図》
正面は清洲橋
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