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2015年12月31日 (木)

常滑街道①

2015年12月19日

鳴海駅(名鉄名古屋本線)・・・東海道分岐地点(本町交差点)・常滑街道・・浅間橋(扇川)・・浅間神社・・(名鉄名古屋本線)・・・京田交差点・・・鳴海八幡宮・・・知多街道合流地点・良信地蔵・・道標・・・明忠院・・・鷲津砦跡・・・(大高駅)・・・八幡神社・・師崎街道分岐地点・・・大橋(大高川)・・・辻の秋葉社・・・大高城跡・城山八幡社・・・萬乗醸造・・・東昌寺・・・(名四国道)・・・玉根社・・・氷上姉子神社・・・元宮・・・神明社・・・寝覚里公園・・・大日大聖不動明王堂・・・(土留木川)・・・長光寺・・・妙法寺・・・庚申寺・・・(伊勢湾岸道)・・・聚楽園公園(ヤカン池・大仏)・・・観音寺・・・慈眼寺・・・松崎史跡公園・・・大宮神社・・・大宮橋(大田川)・・・龍雲院・・・太田川駅(名鉄常滑線)→名鉄名古屋駅

 東海道の鳴海宿で南に分かれ、知多半島の師崎港に至る常滑街道を、焼き物の町、常滑まで行く。

  【ル-ト地図】(太田川駅(16km)まで)

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Img_8021本町交差点 《地図

東海道鳴海宿の庚申坂下で、常滑街道はここを左折して行く。右に庚申坂を上れば鳴海城跡がある。

Img_8024浅間橋から扇川(上流方向)

右の木の所は浅間神社で祭神は木花開那姫命。元文2年(1737)、鳴海八幡宮の御旅所となり、通称 浅間堂という。秋葉社が合祀されている。毎月7月31日に、無病息災の輪くぐり神事があるそうだ。

Img_8039鳴海八幡宮 《地図

樹齢1200年ともいう神木の大楠。

Img_8042知多街道(左)合流地点 《地図

振り返って見ている。常滑まで行った後、知多街道→常滑街道→師崎(もろざき)街道を行き、知多半島先端の師崎港・羽豆岬を目指す。

Img_8045良信地蔵の祠

左の自動車の手前。名前の由来が分からず。
右が常滑街道

Img_8047良信地蔵

常滑街道から離れて鷲津砦跡に向かう。

Img_8048旧家

Img_8049道標 《地図

「←やごとかさでら道」・「→新四国いちばん大師道」と刻まれているそうだが読みにくくなっている。「八事・笠寺」方面と、知多半島新四国八十八箇所の一番の曹源寺への道標だろう。

Img_8054明忠院

四國直傳弘法大師尾張八十八ヶ所霊場」の4番。
愛知県での保育事業の始まりの地で、今も保育園がある。

Img_8066鷲津砦跡 《地図

今川義元の大高城と鳴海城の間を遮断するため、永禄2年(1559)織田信長が築いた砦。

Img_8061説明板

Img_8080師崎街道分岐地点 《地図

民家の先を左折するのが師崎街道、常滑街道は直進。右は八幡神社

Img_8082八幡神社

Img_8086由緒

Img_8093大橋から大高川上流方向

下流で扇川に注いでいる。

Img_8100辻の秋葉社 《地図

18世紀後半から19世紀初めの創建という火伏せの神社。「江明市場」が立ち、辻は高札場だったという。

Img_8098説明板

Img_8107大高城跡

Img_8119説明板

Img_8113城山八幡神社(大高城跡の一画)

武士だけの参拝社で、村人は先ほどの八幡神社に参詣した。

Img_8115説明板

Img_8121萬乗醸造 《地図

Img_8128愚痴聞地蔵

東昌寺(「四國直傳弘法大師尾張八十八ヶ所霊場」の5番)の門前。
名古屋駅近くの桂芳院にも「愚痴聞き地蔵」がある

名四国道を横切って氷上姉子神社に参る。

Img_8137氷上姉子神社 《地図

祭神は日本武尊の妃、宮簀媛命

Img_8138説明板

Img_8143元宮

右に「倭武王天皇皇妃 尾張国造之祖 宮簀媛命宅趾」碑が立つ。

Img_8153寝覚之里公園 《地図

日本武尊が東征の帰途、このあたりに泊まったが、すぐ近くの海の波音で寝つけなかったという伝承地。

Img_8156秋葉神社

Img_8169ヤカン池(聚楽園公園内) 《地図

Img_8172聚楽園大仏

Img_8175仁王もでかい。

Img_8176説明板

Img_8192観音寺 《地図

細井平洲が通った寺小屋があり、「草紙懸けの松」(跡)、「師弟椿」などゆかりの物が残る。

知多半島新四国八十八箇所」の86番

Img_8193大樟

石段下の白龍照玉大明神まで伸びている。

Img_8187説明板

Img_8198松崎史跡公園 《地図

古代の製塩遺跡

Img_8201説明板

Img_8216大田の大樟(大宮神社境内) 《地図

Img_8219説明板

Img_8229火の見櫓(東海市消防団)

Img_8231龍雲院 《地図

「乳地蔵」を探したが分からず。後日調べると小さな地蔵堂が新築されていた。

Img_8233太田川駅の「大田の大樟」壁画

Img_8235細井平洲、上杉鷹山対面の像(駅西口)

Img_8234説明板

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2015年12月26日 (土)

堀川(名古屋市)を歩く

2015年12月23日・24日

味鋺駅(名鉄小牧線)・・・水分橋(庄内川)・・庄内用水頭首工・・庄内用水元杁樋門・・堀川・・栄橋・・瀬古橋・・守西ポンプ場・・庄内用水矢田川伏越樋・・三階橋(矢田川)・・・三階橋ポンプ場・庄内用水(惣兵衛川)分岐・・黒川樋門・・夫婦橋(堀川)・・・瑠璃光橋・・御用水跡街園・・木津根橋・・・志賀橋・・・黒川橋・・・北清水橋・(名古屋高速1号楠線)・・・金城橋・・・城北橋・・・筋違橋・・・巾下橋・・・景雲橋・・・朝日橋・・・五条橋・・・桜橋・・(24日)・・・伝馬橋・・・錦橋・・・納屋橋・・・天王崎橋・・・洲崎神社・・・岩井橋・・・日置橋・・・松重橋・・松重閘門・・南北橋(中川運河)・・・山王橋・・・古渡橋・・・(東海道線・中央線・名鉄線)・・・尾頭橋・佐屋街道交差地点・・・住吉橋・・・瓶屋橋・・・念法寺・・・旗屋橋・・・熱田記念橋・・・御陵橋・・・白鳥橋・・・大瀬子橋・・・七里の渡し跡(東海道)・新堀川合流地点・・・大瀬子橋・・・(東海道新幹線)・・・紀左衛門橋・・・築地口交差点・・・稲荷橋(12号地門運河)・・・ガーデン埠頭・名古屋港合流地点・・・名古屋港駅(地下鉄名港線)

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Img_9300_2堀川流路図

庄内川の水分橋の庄内用水頭首工で取水し、矢田川を伏せ越して(くぐって)、庄内用水を右(西)に分け、名古屋城の北側から西側を南下し、七里の渡し跡を過ぎて名古屋港に注ぐ。黒川樋門から朝日橋までは黒川とも呼ばれ、橋の親柱の表記が「黒川」の所もある。

Img_9094水分橋から庄内川(上流方向) 《地図

左から八田川が合流する。

Img_9097水分橋下の庄内用水頭首工

堀川の取水口の堰門

Img_9107土手をくぐってここへ流れ出る。 《地図

Img_9110_2庄内用水元杁樋門

Img_9124瀬古橋・守西ポンプ場 

Img_9132庄内用水矢田川伏越樋 《地図

ここから矢田川の下を伏せ越して(くぐって)行く。

Img_9139三階橋から矢田川(上流方向)

Img_9155庄内用水分岐地点 《地図

Img_9151説明板

黒川は堀川のこと。

Img_9156庄内用水(下流方向)

Img_9164黒川樋門 《地図

Img_9170夫婦橋下の遊歩道を行く。

Img_9175昔の夫婦橋の写真

Img_9172御用水

この用水沿いに明治9年に黒川が開削され、堀川とつなげられた。

Img_9173説明板

Img_9187辻栄橋から下流方向

桜の頃に歩きたい。

Img_9209志賀橋下 《地図

川沿いの遊歩道に下りる。

Img_9216冷たい雨で人影はない。

Img_9246名古屋城

Img_9257西北隅櫓

清洲(清須)越」の際に、清洲城から移築したものという。

Img_9268朝日橋

堀川堀留跡の碑」が立っている。

Img_7882五条橋 《地図

「清洲(清須)越」で引越して来た橋。
伝馬橋~五条橋~西北隅櫓あたりまでは、『美濃路①』で歩いている。

ここから12月24日

Img_9292納屋橋

南側から柳街道が烏森の佐屋街道まで通じている。

Img_9310洲崎神社 《地図

Img_9309白龍龍寿大神社

リアルな蛇だ。

Img_9324松重橋から松重閘門 《地図

Img_9340松重閘門(南北橋から中川運河)

Img_9326仕組み図

見沼通船堀(見沼代用水)、扇橋閘門(小名木川)、荒川ロックゲート(旧中川)と同じ仕組み。

Img_9328説明板

Img_9329完成当時

Img_9355尾頭橋 《地図

『佐屋街道』の橋で、堀川七橋の一つ。『東海道(知立宿→宮宿→佐屋街道)』に記載

Img_9376熱田記念橋 《地図

Img_9379御陵橋

東側に白鳥御陵がある。

Img_9388白鳥橋をくぐる。

Img_9391旧護岸

熱田空襲の弾痕

Img_9392説明板

Img_9401七里の渡し跡 《地図

東海道(知立宿→宮宿→佐屋街道)』に記載

Img_9415紀左衛門橋 《地図

川沿いは歩けず大きく迂回する。

Img_9419稲荷橋(12号地門運河)から 《地図

正面で堀川と合流する。

Img_9425名古屋港

左から堀川が流れ込む。ここから先には入れない。

Img_9429名古屋港

Img_9432名古屋港ポートビル 《地図

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2015年12月19日 (土)

吉川道

2015年11月8日・12月15日

  吉川駅(JR武蔵野線)・・・清浄寺・・・蕎高神社①・・・蕎高神社②・・・密厳院・・・香取御嶽神社・・・宗眼寺・・・観音寺・・・(三郷市)・・安養院・・女体神社・・・稲荷社・・庚申塔道標・・・円明院・・・(東京外環道)・・玉蔵院・・・密蔵院・・・郷土資料館跡・・・延命院・虚空蔵堂・・・彦倉排水機場・・・善照寺・・・迎攝院・・・神明神社・・・本郷寺排水機場・・・円能寺・・・(首都高6号)・・・密乗院・・・庚申塔祠・・・西善院・・・・真福寺・・・稲荷神社・・・成就院(谷口不動尊)・・・(つくばエクスプレス)・・・香岩寺・・・(二郷半領用水)・・・(東京外環道)・・・(第二大場川)・・・三郷中央駅(つくばエクスプレス)

 中川左岸(東岸)の三郷市、吉川市を通る吉川道(岩槻慈恩寺道)沿いを、吉川駅から南下した。中川両岸新六阿弥陀(東岸・左岸)をたどる道筋でもある。

中川両岸新六阿弥陀(右岸)

  【ル-ト地図

Img_4934清浄寺 《地図

親鸞聖人が弟子の西念(親鸞二十四輩の一人)に命じて造立したと伝えられている。左に「親鸞聖人御旧跡二十四輩第七番西念坊開山 楠井山清浄寺」碑。道路の向い側の清浄寺史跡公園内に「親鸞聖人木像出現池」という「おむくの池」がある。

Img_4941蕎高(そばたか)神社① 《地図

Img_4946 蕎高神社② 《地図

Img_4953密厳院大イチョウ 地図

後三年の役の際には対岸の下妻街道(奥州古道)を八幡太郎義家に従って鎌倉権五郎景政は奥州へと向かったのだろう。境内に景政の子孫一族の墓がある。
寺の西側の道が吉川道。

Img_4968宗眼寺 《地図

中川両岸新六阿弥陀の左岸(東岸)の寺だが本尊は不動明王。

Img_4961新しい標石には「東岸 第一番札所」とあるが、右の古い標石は「六番」になっている。新旧の講参りの番号のようだ。

Img_4970観音寺

「中川両岸六阿弥陀霊場東側1番札所」とあるが、本尊は大日如来像で違うようだ。境内に六阿弥陀霊場を示す物はない。

吉川市から三郷市に入る。

Img_4975安養院 《地図

両岸新六阿弥陀(東岸)の旧講参りの第1番
ここの「厄除大銀杏」も見事だ。

Img_4983庚申塔道標(文政3年(1820))

右側面に「北 吉川道」、左側面に「南 江戸道 八條道)

この先の吉川道は『三郷七福神①』の道筋と重なって行き、さらに『岩槻慈恩寺道』につながる。慈恩寺とは逆方向に進んで行くが。

Img_4995円明院 《地図

新・旧講参りの第2番

Img_7940 玉蔵院 《地図

新・旧講参りの第3番

Img_7943 旧郷土資料館 《地図

もともとは彦成村立尋常高等小学校の講堂→郷土資料館→現在は三郷市立彦成小学校講堂記念館

Img_7964迎攝院(こうしょういん) 《地図

新・旧講参りの第4番

Img_7972円能寺 《地図

旧講参りの「木おさめ」寺・
新講参りの第5番

Img_7978 密乗院 《地図

旧講参りの第5番・
新講参りの第6番

Img_7979「第五番 両岸 新六阿弥陀」

Img_7989西善院 《地図

旧講参りの「木あまり」寺・新講参りの「木おさめ」寺。
古い説明板には、「明治41年より始まった阿弥陀仏を本尊とする中川ほとりの東・西各六か寺からなる「中川両岸新六阿弥陀霊場」の「東岸木おさめの霊場・・・」とあった。『三郷七福神①』に記載

Img_7988古い標石(昭和6年 花和田講の建立か?)
「両岸 木あまり 新六阿弥陀」か?

Img_8013香岩寺 《地図

新・旧講参りの西岸の第4番の寺
「八潮市史(民俗編)」によれば、この寺の僧が先達となって両岸六阿弥陀を巡ったそうだ。現在地は三郷市で東岸だが。
右に新しい標石(昭和59年建立)・左に古い標石

Img_8006「西岸」とある。

Img_8010古い標石(昭和9年3月両岸講の建立)

「両岸 第四番」

 

旧講 新講
第一番 安養院 宗眼寺
第二番 円明院 円明院
第三番 玉蔵院 玉蔵院
第四番 迎攝院  迎攝院 
第五番 密乗院 円能寺
第六番 宗眼寺 密乗院
木おさめ寺 円能寺 西善寺
木あまり寺 西善寺  ?

              中川両岸新六阿弥陀(東岸)
                              (m氏から頂いた資料による)

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2015年12月18日 (金)

境川(千葉県)を歩く

2015年12月5日

浦安駅(地下鉄東西線)・・・浦安橋(旧江戸川)・・・(地下鉄東西線)・・・境川西水門・・・境川歩道橋・・・西境橋・・・大松跡・新橋・浦安町役場跡・・清瀧神社・・久助稲荷・・大蓮寺・・宝城寺・・・旧宇田川家住宅・・旧大塚家住宅・・旧濱野医院・・新中橋・・・境橋・・東学寺・・・江川橋排水機場・江川橋・神明橋・・・しおかぜ歩道橋・しおかぜ緑道分岐(右岸)・・・あけぼの橋・・・境川東水門・境川排水機場・あけぼの歩道橋・・・境川橋・(首都高湾岸線)・・・今川橋・・・(JR京葉線)・・・入船橋・・・高洲橋・・・明海橋・・・日の出橋・・・東京湾・・・新浦安駅(JR武蔵野線)

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Img_7553浦安橋から旧江戸川下流方向

正面は地下鉄東西線

Img_7554境川西水門 《地図

Img_7555境川歩道橋から下流方向

Img_7571新橋(左)

右に大松・浦安町役場があった。

Img_7568付近図

Img_7564説明板

Img_7567説明板(大松)

Img_7569説明板(町役場)

Img_7574清瀧神社

Img_7575説明板

Img_7580久助稲荷神社

Img_7579説明板

Img_7581大蓮寺

Img_7584鐘楼

Img_7582説明板

Img_7586宝城院

Img_7594旧宇田川家住宅 《地図

Img_7598説明板

Img_7600旧大塚家住宅

Img_7599説明板

Img_7605旧大塚家住宅裏あたりの流れ

Img_7606旧濱野医院

Img_7630東学寺 《地図

Img_7631説明板

Img_7629境橋から下流方向

Img_7639説明板

Img_7644昭和39年の境橋付近

Img_7634もっと以前か

Img_7633漁師の小船がびっしり

Img_7654しおかぜ緑道 《地図

堀江幹線導水路(暗渠)上の緑道で、旧江戸川まで続いている。

Img_7661境川東水門 《地図

Img_7666あけぼの歩道橋から下流方向

Img_7673湾岸通りをくぐる。

Img_7684JR京葉線

Img_7718高州橋から下流方向 《地図

埋立地に境川も延長され、高層マンションが立ち並ぶ。

Img_7723上げ潮でテラスも水につかって、水鳥たちが来ている。

流れも逆流しているように見える。

Img_7712東京湾合流地点(日の出橋から) 《地図

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2015年12月17日 (木)

東京散歩(呑川を歩く②)

2015年12月7日

池上駅(東急池上線)・・・稲荷橋(呑川)・・・霊仙橋・常仙院・・・妙見橋・・・照栄院・・・養源寺橋・・・浄国橋・鎌倉街道下の道交差地点・・堤方橋(池上通り)・・・一本橋・・・上堰橋・・・日蓮橋・・・若宮橋・・・双流橋・・・大平橋・・・山野橋・・・馬引橋・・・(JR京浜東北線)・・・宮之橋・・・青らん寺・・・御成橋・・・菖蒲橋(多摩堤通り)・・・仲之橋・・・柳橋・・・弾正橋・・・(京浜急行本線)・・夫婦橋(第一京浜国道)・・夫婦橋親水公園・・・天神橋・北野神社・・・清水橋・・東蒲田中学校・(旧呑川流路跡)・・・宝来橋・・・北糀谷橋・・・八幡橋・子安八幡神社・・・呑川新橋(産業道路)・・・東橋・・・末広橋・・・藤兵衛橋・・・旭橋・・・海老取川合流地点・・・海老取川公園・・・北前堀水門・・北前堀緑地・・北前橋・・北前堀排水場跡・・・北前堀水門・・海老取川・・・南前堀水門・・・旭橋(南前堀)・(首都高1号羽田線)・・・穴守稲荷神社・・・天空橋(海老取川)・・駅前地蔵尊(移設)・・・弁天橋・・多摩川・五十間鼻無縁仏堂・・・白魚稲荷神社・・・弁天橋・・・天空橋駅(東京モノレール)

 呑川を海老取川との合流地点まで行き、海老取川を多摩川との分岐地点まで行った。

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Img_7726霊仙橋(右) 《地図

常仙院(左)

Img_7731照栄院

Img_7732説明板

Img_7737養源寺

浄国橋で鎌倉街道下の道と交差する。

Img_7758浮遊物等回収作業中

Img_7762作業関係の船?の上にちゃっかりとゴイサギ

Img_7774京浜東北線をくぐって行く。《地図

Img_7779宮之橋から振り返る。

Img_7782青巒寺

Img_7785御成橋から下流方向

Img_7792柳橋から下流方向

弾正橋は工事中

Img_7797右岸は夫婦橋親水公園

Img_7800北野神社 《地図

Img_7805清水橋から下流方向

旧呑川の流路はこのあたりから左(北東方向)に流れていた。今は緑道になっていて河口には呑川水門も残る。 《地図

Img_7815子安八幡神社の鳥居 《地図

Img_7814説明板

Img_7817子安八幡神社

Img_7837旭橋から河口(海老取川合流地点)方向 《地図

川沿いは歩けず、一般道も工場の敷地にぶつかって河口には近づけなかった。

海老取川公園で一休みし北前堀に向かう。

Img_7863北前堀・北前水門 《地図

水門の先は海老取川

Img_7844上流方向

水があるのはここまでで、その先は流路跡が細長い北前堀緑地になっている。

Img_7845北前堀緑地 《地図

Img_7846北前橋

Img_78485月~9月は水を流すようだ。

Img_7856北前堀排水場跡

この先の道路を渡ってすぐに緑道は終わる。

北前水門まで戻り、海老取川を多摩川まで行く。

Img_7870北前堀が海老取川に合流する。

Img_7889南前堀水門から南前堀が海老取川に合流する。《地図

正面は首都高1号羽田線

Img_7895旭橋から南前堀下流方向

Img_7897上流方向

この先で流れは途絶えて南前堀緑地になっている。《地図

Img_7900穴守稲荷神社 《地図

Img_7905天空橋から下流方向 《地図

Img_7906駅前地蔵尊(昭和63年移設)

穴守稲荷駅か?

Img_7912海老取川分岐地点・多摩川・穴守稲荷神社の旧社地にあった鳥居。

Img_7923多摩川下流方向

左下は五十間鼻無縁仏堂

Img_7920堂内

Img_7919説明板

Img_7925白魚稲荷神社

弁天橋を渡って天空橋駅に向かった。京急電車か東京モノレールか迷ってモノレールにしたら、ちょうどは発車した所で、通過電車が2本で随分と待たされた

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2015年12月16日 (水)

東京散歩(呑川を歩く①)

2015年12月4日

桜新町駅(東急田園都市線)・・・呑川(跡)・・・(国道246号)・(首都高3号)・・・稲荷橋・・・西山橋・・・御嶽橋・・・伊勢橋・・・三島橋・・・呑川橋・・・医王寺・深沢不動・・・宮前橋・・・大橋・・・深沢橋・・・中村橋・・・八幡橋・・・新橋・・・下山橋・・・中の橋・・・原橋・・・神明橋・・・桜橋・・・柳橋①・・・駒沢支流緑道・・・氷川坂・・八雲氷川神社・・・中根橋・・・(目黒通り)・・・柿の木坂支流緑道・・・(東急東横線)・・・桜森稲荷神社・・・鉄飛坂下・中根小学校・・・(東急大井町線)・・(東急目黒線)・・工大橋・九品仏川緑道合流地点・落合水再生センター処理水流入地点・・・境橋①・・・島畑橋・・・島本橋・・・柳橋②・・石橋供養塔・呑川清流の復活碑・石川橋(中原街道)・・・一ノ橋・・・(東急池上線)・・・二ノ橋・・・宮前橋・宮前坂下・・・山下橋・・・西の橋・・・雪の橋・・・居村橋・・・円長寺橋・・・鶴の橋・・・水神橋・・・鷹の橋・・・谷中橋・・・東橋・・・境橋②・・・(東海道新幹線)・・・芹ヶ谷橋・・・本村橋・・・道々橋・(平間道交差地点)・・・久根橋・・・八幡橋・・・中之橋・・・根方橋・・・長栄橋・・・北の橋・・・池上橋(第二京浜国道)・・・久崎橋・・・谷築橋・・・鶴林橋・・・稲荷橋・・・池上駅(東急池上線)

 桜新町駅付近を水源とし、世田谷区・目黒区・大田区を流れて羽田空港の西側で海老取川に注ぐ呑川を歩く。

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Img_7361呑川の流路跡の暗渠 《地図

Img_7369国道246号と交差する。

Img_7370呑川の流れが始まる。《地図

Img_7375稲荷橋

Img_7386呑川橋

流れはなく緑道となる。

Img_7392医王寺地図

同じ敷地の右隣が深沢不動(教会)

Img_7423駒沢支流跡の緑道が合流 《地図

Img_7430八雲氷川神社

Img_7436柿の木坂支流跡が合流

商店街を抜けて目黒通りを横切ると緑道になるようだ。

Img_7437東急東横線をくぐって行く。

Img_7439呑川緑道の桜並木

Img_7446桜森稲荷神社 《地図

Img_7452九品仏川緑道合流地点 《地図

工大橋の左からは落合水再生センターからの処理水が流れ出る。

Img_7459九品仏川緑道を目黒線の線路あたりまで進んでみる。

Img_7461水神塚

呑川に戻る。

Img_7468工大橋

Img_7453説明板

神田川沿いの落合水再生センターからの送水管のルート。けっこう距離はある。

Img_7471高い護岸の間の流れとなる。

Img_7482柳橋から下流方向 《地図

柳の下あたりに石橋供養塔と「清流の復活」碑が立つ。正面は中原街道の石川橋で、このあたりは品川道でも歩いている。

Img_7484石橋供養塔

Img_7483説明板

Img_7485清流の復活碑

Img_7487東急池上線の下を流れて行く。

東海道新幹線をくぐって行く。

Img_7517 平間道の道々橋(どどばし)を過ぎて行く。《地図

第二京浜国道を横切る。

Img_7545谷築橋 《地図

都営地下鉄浅草線のトンネル内で発生する湧き水を送水し、呑川に放流して水質の向上に役立てているそうだ。左下隅の小さな穴が放流口か。

稲荷橋までとし池上駅に向かった。

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2015年12月15日 (火)

東京散歩(神田川を歩く②)

2015年12月2日

中野新橋駅(地下鉄丸ノ内線)・・・中野新橋(神田川)・・・花見橋・・・八津御嶽神社・・・長者橋(山手通り)・・・たから第六天・・・宝橋・・・菖蒲橋・・はごろも児童遊園・幡ヶ谷支流合流地点跡・・・相生橋・・・淀橋(青梅街道)・・・伏見橋・・桃園川緑道・神田川歌碑・・末広橋・・・万亀橋・・・(JR中央線)・・・小滝橋・・・落合水再生センター・せせらぎの里・・せせらぎ橋・・・高田馬場分水路分岐地点・・・新堀橋・・・落合橋・・・清水川橋・・さかえ通り・・(JR山手線)・・(西武新宿線)・・・戸田平橋・・・源水橋・・・高田橋(新目白通り)・・高田馬場分水路合流地点・・高戸橋(明治通り)・・(都電荒川線)・・・曙橋・・・面影橋(鎌倉街道中の道)・・・三島橋・・・駒塚橋・胸突坂下・・・大滝橋・神田上水取水口大洗堰跡・・・一休橋・・江戸川公園・・江戸川橋・・・掃部橋・・・古川橋・・・新白鳥橋・・・水道橋分水路分岐地点・・白鳥橋・・・船河原橋・・市兵衛河岸跡・・水道橋分水路合流地点・・小石川橋・・日本橋川分岐地点・・三崎橋(日本橋川)・・・後楽橋(神田川)・・・水道橋・・・お茶の水分水路碑・・・神田上水懸樋跡碑・・・お茶の水橋・・・聖橋・・相生坂・湯島聖堂・・・(JR総武線)・・昌平橋・お茶の水分水路合流地点・・・万世橋・・柳原通り・・・(JR山手線)・・・柳森神社・・・和泉橋・・・美倉橋・・・左衛門橋・・・浅草橋・浅草見附跡碑・・・柳橋・・・隅田川合流地点・・・両国橋(隅田川)・・・両国駅(JR総武線) (橋は一部のみ記載)

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Img_7033花見橋から下流方向 《地図

正面は都庁舎

Img_7038八津御嶽神社

長者橋は『中野長者』に由来する橋

Img_7045たから第六天 (成願寺境外堂) 《地図

Img_7058幡ヶ谷支流跡合流地点

この支流の水源の一つが昭和38年に埋め立てられた「旗洗池」という。『甲州街道』に記載。

淀橋で青梅街道を横切って行く。

Img_7070♪神田川歌碑(桃園川緑道入口あたり) 《地図

Img_7077桃園川合流地点(右の暗渠)

正面は末広橋

Img_7082万亀橋から下流方向

JR中央線をくぐって行く。

Img_7093昔話(中野長者)碑(小滝橋の南側のスーパー「いなげや」前)

Img_7107せせらぎの里 《地図

落合水再生センターの敷地内。再生処理水を神田川に放流し、渋谷川(古川)、目黒川、呑川に送水している。

Img_7110高田馬場分水路分岐地点(正面)

高田馬場分水路は妙正寺川を合わせて、高田橋で神田川に合流する。

Img_7120落合橋から上流方向

もとの妙正寺川との合流点あたりらしい。

Img_7128清水川橋から下流方向 《地図

JR山手線と西武新宿線をくぐって流れる。

Img_7132戸田平橋

行列をなしている。若者が多い。ちょうど昼時で人気店でもあるのか。こっちは昼飯は何時もコンビニ、吉野家、松屋、すき家、立食いそば屋などで間に合わせている。電線に群れて止まっている鳥たちも眺めているか。

Img_7138源水橋南詰あたり 《地図

かつて学生向けの安アパートがひしめき合っていて、♪神田川の「三畳一間の小さな下宿」もこのあたりとか。

Img_7143高田馬場分水路合流地点(高戸橋から上流方向)

神田川(左)・高田馬場分水路(中)・妙正寺川(右)

Img_7148面影橋 《地図

橋を渡る道筋は「鎌倉街道中の道」で、「於戸姫(おとひめ)」の伝説、太田道灌の「山吹の里」伝承地だが、今はこのあたりにはそんな面影、風情もない。

「江戸名所図会」の「姿見橋」(於戸姫伝説)

Img_7158駒塚橋から胸突坂・水神社・芭蕉庵方向 《地図

Img_7162大滝橋から下流方向

神田上水の取水口の大洗堰跡あたり。

Img_7164説明板

Img_7171大洗堰由来碑の台座の碑文

Img_7170説明板

Img_7181江戸川橋分水路分岐地点(江戸川橋下)

「江戸川」は大滝橋付近から船河原橋までのかつての神田川の名称。

Img_7191掃部(かもん)橋 《地図

吉岡掃部という紺屋が住んでいたことからの橋名という。首都高5号が上を覆っている。

Img_7199うなぎの「はし本」(石切橋北詰)

天保6年(1835)創業という老舗

Img_7202中之橋

桜の名所だったという両岸にその面影はない。

Img_7204説明板

Img_7212水道橋分水路分岐地点?(前方は白鳥橋)

神田川はこの先で大きく南に曲がって行く。それで「大曲」の地名となった。
江戸時代の初期までは、このあたり一帯は大きな白鳥池だったそうだ。

Img_7216説明板

船河原橋で再び東に流れを変える。

Img_7237市兵衛河岸あたり

船河原橋から水道橋付近で、客船の船着場、荷物を岸に揚げる物揚場があった。

Img_7236説明板

Img_7240水道橋分水路合流地点?(上流方向)

Img_7243日本橋川分岐地点 《地図

日本橋水門で亀島川を分け、隅田川に注いでいる。

Img_7248後楽橋から下流方向

Img_7255水道橋から下流方向

護岸工事中のようだ。

Img_7252江戸名所図会』のレリーフ

お茶の水

Img_7263お茶の水分水路碑

この下に分水路が分岐しているのだろうか? ここからは見えない。

Img_7265神田上水懸樋跡碑

Img_7266説明板

Img_7267左下に懸樋

Img_7268お茶の水橋から御茶ノ水

このあたり神田川流域は、幕府の命により仙台藩主伊達政宗が改修普請にあたったため仙台堀とも呼ばれる。『伊達家と御茶ノ水・水道橋あたり

Img_7279聖橋をくぐり湯島聖堂沿いの相生坂を下って行く。

Img_7286お茶の水分水路合流地点(昌平橋)

Img_7291昌平橋から下流方向

正面は万世橋

Img_7288説明板

万世橋を過ぎ柳原通りに入り、JR線をくぐって行く。川沿いは歩けない。

Img_7304柳原土手跡(右)

右は柳森神社

Img_7314説明板

Img_7308福寿神「おたぬきさん」

柳森神社内の開運、勝運、出世運、金運の神だが、どれも縁無し、用無しだ。

Img_7307由来

Img_7326和泉橋から下流方向

Img_7321説明板

Img_7329美倉橋南詰の三つの蔵を模したトイレ

江戸時代には川沿いに神田相佐柄木町蔵地、本銀町会所屋敷蔵地、神田紺屋町二丁目横町蔵地の三つの蔵地があり「三倉地」と呼ばれていたのを、明治時代になってから「三」を「美」と変えて「神田美倉町」という町名にしたことがこの橋名の由来という。

Img_7339浅草橋から下流方向

北詰には「浅草見附跡碑」が立っている。

Img_7344柳橋から隅田川合流地点

Img_7347欄干の「かんざし」が、花街「柳橋」の柳橋芸者を偲ばせる。

Img_7348説明板

Img_7357両国橋から柳橋

Img_7352両国橋から隅田川上流方向

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2015年12月10日 (木)

東京散歩(神田川を歩く①)

2015年12月1日

吉祥寺駅(JR中央線)・・・井の頭池・・水門橋・神田川・・・(京王井の頭線)・・・夕やけ橋・・・神田上水橋・・・丸山橋・・・(井の頭線)・・・神田橋①・・・宮下橋・・・久我山駅・久我山橋(人見街道)・・・月見橋・富士見ヶ丘駅・・・高井戸橋(環八通り)・高井戸駅・・・乙女橋・・・塚山橋・塚山公園・・鎌倉橋・・・下高井戸浜田山八幡神社・・八幡橋・・・神田橋②(荒玉水道道路)・・・永福橋・・・(井の頭線)・・蔵下橋・・神泉橋(井ノ頭通り)・・・宮前橋・・龍光寺・・熊野神社・・・番屋橋・・・和泉橋・・・方南第一橋・・神田川取水施設・・方南橋(環七通り・神田川環状七号線地下調節池)・・・上水橋・・釜寺(東運寺)・・・神田橋③・・・栄橋(方南通り)・・・和田廣橋(善福寺川)・・善福寺川合流地点・・・和田見橋(鎌倉街道中の道)・・・富士見橋・・・中野富士見町駅・・・高砂橋・・・氷川橋・・・中野新橋駅(地下鉄丸の内線) (橋は一部のみ記載)

 井の頭池に源を発して東に流れ、善福寺川、妙正寺川などを合わせて隅田川へ注ぐ神田川を行く。

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Img_6816井の頭池 《地図

園内マップ

Img_6819お茶の水

この地を何度も訪れた徳川家康が茶を点てたという湧き水跡。神田川の源泉の一つだが水は出ておらず、柵がしてあり近づけない。

Img_6824御殿山(井の頭)遺跡碑

Img_6835説明板(弁財天の近くに設置)

Img_6828徳川三代将軍御切付旧跡碑

寛永6年(1629)、鷹狩でこの地を訪れた家光が、小刀でこぶしの木に「井の頭」と刻んだという。

Img_6829井の頭弁財天

名所雪月花・井の頭の池 弁財天の社雪の景」(歌川広重)

「銭洗い弁財天」もある。

Img_6830かいぼり27」の実施で水抜き中だ。

かいぼり27だより

Img_6854水門橋から神田川の流れが始まる。《地図

Img_6860飛び石づたいに大冒険だ。(夕やけ橋から上流方向)

昔の川らしい風情が残るのはここまでで、後は味気ない高いコンクリート護岸の川となる。

Img_6865神田上水橋

江戸時代には井の頭池から大洗堰(大滝橋・文京区関口)までを「神田上水」、船河原橋(飯田橋付近)までを「江戸川」、その下流を神田川と呼んでいた。

Img_6873里程標も所々に立っている。

水源まで2.0km・隅田川まで22.5km地点

久我山橋を渡る道は「人見街道」だ。富士見ヶ丘駅、高井戸駅・環八通りを過ぎて行く。

Img_6914塚山遺跡の縄文時代の復元 住居 《地図

Img_6910説明板

Img_6917鎌倉橋

鎌倉街道の道筋で、北に向かえば五日市街道と交差する所あたりの三年坂の坂上に「鎌倉街道」バス停がある。南に向かえば甲州街道の「鎌倉街道入口」交差点に通じている。

Img_6923下高井戸浜田山八幡神社地図

Img_6927説明板

神田橋②で荒玉水道道路と交差する。永福橋で南に永泉寺坂を上ると甲州街道の手前(北側)に江戸市中から移転してしてきた寺院が密集している。

Img_6951井の頭線をくぐって行く。

すぐ先は下橋で、南方の甲州街道沿いの明治大学和泉キャンパスと築地本願寺和田堀廟所の敷地には江戸時代、幕府の鉄砲弾薬等を貯蔵する塩硝があった。

龍光寺・熊野神社・番屋橋あたりは『杉並区の坂⑥』で歩いている。

Img_6979神田川取水施設 《地図

環七通りの地下には、神田川環状七号線地下調節池がある。

Img_6981説明板

Img_6986釜寺(東運寺)山門 《地図

浅野内匠頭が切腹した田村右京太夫江戸屋敷の脇門を移築。

Img_6989説明板

Img_6991本堂屋根上の釜

Img_6987説明板

Img_7010善福寺川合流地点 《地図

手前が善福寺川

Img_7013左が神田川(上流方向)

和田見橋で鎌倉街道中の道と交差する。中野富士見町駅を過ぎると川沿いを歩けない所が多くなる。

Img_7020高砂橋から下流方向

Img_7026前方の赤い欄干の中野新橋まで行き地下鉄の中野新橋駅に出た。 《地図

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2015年12月 8日 (火)

東京散歩(善福寺川を歩く)

2015年11月30日

上石神井駅・・・善福寺・・・善福寺池(上の池)・・渡戸橋・下の池・・美濃山橋・善福寺川・・・八幡西橋・・・原寺分橋・地蔵坂下・・社橋・・・城山橋・・・置田橋・・・(JR中央線)・・・本村橋①・・・荻窪橋(環八通り)・・・忍川橋・・・松渓橋・・・大谷戸橋・新堀用水跡分岐地点・・・善福寺川緑地公園・・・和田堀公園・和田堀池・・・大宮橋・・・郷土博物館・・・済美橋(荒玉水道道路)・・・武蔵野橋・済美公園・・・熊野橋・・・定塚橋・・善福寺川取水施設・・和田堀橋(環七通り・環境七号線地下調節池)・・・霊峰橋・・・和田ポンプ施設・・・駒ヶ坂橋・駒ヶ坂下・・・和田廣橋・・神田川合流地点・・・和田見橋・・・富士見橋・・・中野富士見町駅(地下鉄丸の内線) (橋は一部のみ記載)

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Img_6600善福寺 《地図

もとは無量山福寿院と称していたが、廃絶していた善福寺の名に昭和17年に改称したので、善福寺池の名の由来の寺ではない。

Img_6601説明板

Img_6604善福寺池(上の池)

善福寺公園マップ

Img_6607遅野井(遅の井)

源頼朝ゆかりの湧き水で、善福寺池の湧き水の一つ。

Img_6606説明板

Img_6613市杵嶋神社(善福寺池弁財天)

橋が無く近づけない。

Img_6611説明板

Img_6625下の池

Img_6627善福寺川が「下の池」から流れ出す。《地図》(美山でなく美山)

この美濃山橋が一級河川の管理起点。
井草八幡宮の西方に美濃山といわれる所があり、松平美濃守の陣地跡とされているそうだ。それに由来する橋名という。松平美濃守とは誰なのか?

高い護岸が続く川沿いは歩いていても面白味がない。地蔵坂下(原寺分橋)を過ぎ、JR中央線をくぐり、環八通り(荻窪橋)をくぐって南東に流れて行く。

Img_6674忍川(おしかわ)橋から下流方向 《地図

このあたりは伊賀忍者の服部半蔵の領地だったという。

Img_6675説明板

Img_6688魚巣ブロック(松渓橋の少し下流) 《地図

Img_6704説明板

Img_6694大谷戸橋 《地図》 

天保新堀用水分岐地点で、正面が新堀用水路線図(後掲)の天神橋公園。

天保新堀用水物語

Img_6705説明板

Img_6703新堀用水路図

Img_6714善福寺川緑地公園の中を大きく蛇行しながら流れて行く。《地図

尾崎橋で五日市街道と交差する。

Img_6738御供米(おくまい)橋(前方) 《地図

少し下流で流れ込む湧水を利用して、大宮八幡宮への御供米を洗ったいう。

Img_6741和田堀池

和田堀公園を抜けて北上し、大松橋で東に向きを変え、済美(せいび)橋で荒玉水道道路を横切って行く。

Img_6763済美公園(右岸・武蔵野橋から) 《地図》(公園名が違っている)

Img_6777善福寺川取水施設地図

環七通り下に調節池がある。

Img_6783和田堀橋を渡ると両岸には宗教団体の立派な建物が並ぶ。

Img_6799神田川(右)合流地点 《地図

神田川沿いを進み中野富士見町駅に向かった。

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2015年12月 6日 (日)

東京散歩(小松川境川親水公園・一之江境川親水公園)

2015年11月29日

小岩駅(JR総武線)・・・フラワーロード・・小岩箭弓稲荷神社・・下小岩親水緑道・・・小岩ポンプ所・新中川土手・・・小岩大橋・・・天祖神社①・元佐倉道(千葉街道)・・・(環七通り)・・・菅原橋交差点・小松川境川親水公園・・下野良橋・・東香取橋・・育生橋・・八蔵橋・・倉前稲荷大明神・・水神宮・・同潤橋・・境川橋(京葉道路)・・(今井街道)・・(首都高7号)・・椎橋・・青年橋・・天祖神社②・・中川合流地点・・・江戸川競艇場・・・渡し場水神宮・観音堂・・・船堀街道・・・船堀駅・・・宇喜田橋(新川)・・・忍者橋・・・新渡橋・・・一之江境川親水公園・・陣屋橋・・宮元橋・・・三島橋・・三島神社・・地蔵祠・・・水神宮・・・松江五中橋・・・志茂の水神宮・・・一之江境川親水公園記念碑・・・(今井街道)・・・馬場八幡宮・・・妙音寺・・・抹香屋橋・・一之江抹香邸・・・一之江ランプ交差点(環七通り・首都高7号)・・一之江分教場跡・・・新中川土手・・・新椿橋・・南椿橋・・・春江橋・・・涼風橋・・・明和橋・・・一之江駅(都営新宿線)

 小松川村を東西に分けて中川へ流れていた小松川境川跡の親水公園と、東西の一之江村の境を流れて新川に注いでいた一之江境川跡の親水公園を歩く。

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Img_6417小岩箭弓(やきゅう)稲荷神社 《地図

享保13年(1728)に東松山市の箭弓稲荷神社から分社。

Img_6416由緒

Img_6422下小岩親水緑道を新中川に向かう。《地図

農業用水の跡だろう。

Img_6435小岩大橋から新中川上流方向 《地図

この橋を渡る千葉街道は元佐倉道だ。新中川は昭和になって開削された川(放水路)。

Img_6439案内図

Img_6442天祖神社① 《地図

元佐倉道(千葉街道)を菅原橋交差点まで行く。

Img_6451小松川境川親水公園に入る。《地図

Img_6458親水公園内を進み、南下して元佐倉道の八蔵橋交差点を過ぎて行く。

小松川境川の水源は小合溜井(都立水元公園内)で、→上下之割用水(別名は大用水)→左に小岩用水を分水→少し南下した所で東用水(東井堀東井堀親水緑道)を分水→東井堀を南に下って上一色用水(西小岩親水緑道)を分水→その流れが小松川境川続いていたのか? 現在は新中川に分断されているが。
前掲の菅原橋からの流れは中井堀仲井堀親水緑道)からの分水か。2つの流れは本一色1-1で合流して南下して行く。
江戸川区の用水(1)』の「用水系統図」(小松川境川の記載はない)

Img_6472倉前稲荷神社 《地図

由緒など分からず。

Img_6474水神宮

Img_6478境川橋で京葉道路の下をくぐって行く。《地図

今井街道を横切り、首都高7号をくぐって行く。その先は『東京散歩(江戸川区②)』(【ル-ト地図】の24kmあたり~船堀駅)に記載。

Img_6494小松川境川親水公園の終点 《地図

すぐ先が中川の土手。北側に「四股の道標」が移設されている天祖神社②(参道の秋元家の敷地内)がある。

Img_6499中川

首都高の向うが荒川

開催日で賑わう江戸川競艇場の前を今日は素通りし、ひたすら南に新川に向かう。

Img_6504渡し場水神宮・観音堂 《地図

仲良く神仏混淆だ。近くにあった中川の渡し場の守り神だろう。

船堀街道に出て南下し、船堀駅を過ぎて行く。

Img_6511宇喜田橋から新川上流方向《地図

上流に向かう。

Img_6515一之江境川親水公園に入る。《地図

この手前は地下駐車場の用地になっているが、かつて境川は新川まで続いていた。

Img_6517説明板

陣屋橋・光明寺・日枝神社などは、『東京散歩(江戸川区③)』に記載。

Img_6534農業用水や舟の往来にも利用された一之江境川の流路跡を遡る。

Img_6538三島神社 《地図

意外と小さな社だった。

Img_6543地蔵祠

Img_6547水神宮 《地図

背後はタブの木(江戸川区保存樹)

Img_6552志茂の水神宮

江戸時代にこの地に分家した大場家の屋敷神。

Img_6554由緒が書かれている常夜灯

感応寺・申孝園(国柱会)・長勝寺・妙覚寺は、『東京散歩(江戸川区②)』に記載。

Img_6556一之江境川親水公園記念碑

Img_6562馬場八幡宮 《地図

江戸時代の後半には村の「八幡さま」として小さな石の祠が祀られていたそうだ。

Img_6569妙音寺

伝説「片目の鮒」の薬師の池は今でもあるのだろうか?

Img_6568説明板

Img_6574一之江抹香邸地図

Img_6578タブの木

Img_6577説明板

Img_6582一之江分教場跡(一之江ランプ交差点北側)

Img_6586親水公園の終点 《地図

新中川からの自然水を流している。新中川がなかった昔の一之江境川の源流(上流端)は江戸川だろうか?

Img_6592新中川(春江橋)

下流に向かい明和橋から一之江駅に出た

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2015年12月 4日 (金)

東京散歩(新川(元行徳道)を歩く)

2015年11月24日

一之江駅(都営新宿線)・・・瑞江大橋(新中川)・・・新今井橋・・今井水門・・・瑞穂大橋・・・(旧)江戸川合流地点・・・古川親水公園分岐地点・・・熊野神社・・・稲荷神社・・・新川分岐地点・新川東水門・・・新川口橋・・・人道橋・・・花見橋・・・新川大橋(環七通り)・・・新川橋・古川親水公園合流地点・・・三角橋・・・桜橋・・新川さくら館・・・小江戸橋・・・新渡橋・一之江小松川親水公園合流地点・・・忍者橋・・・宇喜田橋(船堀街道)・・・擬宝珠橋・・稲荷神社・・櫓橋・・・西水門橋・・新川排水機場・中川合流地点・・・船堀駅(都営新宿線)

 旧江戸川と中川を結ぶ運河で、古川の流路の一部を変更して開削された。
 行徳からの「塩の道」、江戸近郊からの農作物、東北地方からの米の道、銚子沖で獲れた鮮魚を運ぶ道だった。(魚の運搬ルートは、『木下街道』・『なま道(鮮魚街道)』に記載)
 江戸市中からは成田山や、香取・鹿島・息栖(いきす)の三社詣などへの参詣・遊覧の道として利用された。
 行徳船が行き交い、川沿いには味噌や醤油を売る店や料理店などが立ち並び賑わいを見せていたという。今は川沿いは親水公園風に整備され、新川千本桜に力を入れている。

  【ル-ト地図】  

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Img_6218今井水門(新中川) 《地図

Img_6224新中川(手前)が旧江戸川に合流。

Img_6226古川親水公園分岐地点 《地図

川(船堀川)の流路跡で、現在の古川親水公園から新川へと流れていた。『東京散歩(江戸川区②)』に記載

Img_6440_4古川から新川沿いの道は新川河岸道「元行徳道」だった。

Img_6240新川分岐地点 《地図

右が新川東水門、旧江戸川は前方の妙見島で2つに分流し、再び合流する。

利根川ばらばら松』(「名所江戸百景」)
利根川は旧江戸川で、場所は新川東水門付近か妙見島あたりといわれている。

Img_6243新川東水門

Img_6253新川口児童公園から新川

Img_6255説明板(新川)

「古川の流れ」跡が古川親水公園になっている。

Img_6263新川(新川口橋から下流方向)

Img_6268羽を広げたまま動かないので作り物と思ったら、本物の鵜だった。

Img_6272こちらはユリカモメ

Img_6278_2花見橋・新川大橋(環七通り)

Img_6309新川橋の所で古川親水公園が合流する。《地図

Img_6317新川さくら館 《地図

Img_6320小江戸橋

Img_6328一之江境川親水公園地図

かつて一之江境川は東一之江村と西一之江村との間を流れて新川に合流していて、用水路や船の運航路として利用されていた。今は親水公園となっている。

Img_6333忍者橋

趣向をこらした橋が続く。

Img_6339宇喜田橋 《地図

Img_6341擬宝珠橋

Img_6344櫓橋・火の見櫓

右に小さな稲荷社

Img_6352西水門橋・火の見櫓・新川排水機場(正面) 《地図

現在は西水門はなく、跡地が西水門広場となって火の見櫓が立っている。

Img_6369排水機場から勢いよく中川に注いでいる。

Img_6372西水門の柱の一部と新川千本桜のモニュメントの火の見櫓から新川

Img_6371西水門跡前から中川・荒川

遠方に高速に分断された東京スカイツリー

Img_6360説明板

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2015年12月 3日 (木)

東京散歩(竪川(元佐倉道)を歩く)

2015年11月21日

東大島駅(都営新宿線)・・・旧中川・・・逆井の渡し跡・竪川分岐地点・・竪川河川敷公園・・・新六之橋・・・旧中之橋・・・竪川大橋(丸八通り)・・・竪川旧護岸・・・昭和橋・・・五之橋(明治通り)・・・JR貨物線橋梁・・・旧亀島橋・・横十間川交差地点・・旅所橋(横十間川)・・・松本橋・・・四之橋(四つ目通り)・・・招福稲荷神社・・・牡丹橋・・・新辻橋・・・大横川交差地点・・・撞木橋(大横川)・・・菊花橋・・・三之橋・・元徳稲荷神社・・・新竪川橋・・・竪川橋・・・西竪川橋・・・二之橋(清澄通り)・・・千歳橋・・・初音森神社・・西光寺・・・江島杉山神社・・・一之橋・・・竪川水門・隅田川合流地点・・・袋物博物館・・・両国橋(隅田川)・・・芥川龍之介生育地・・横綱横丁・・両国駅(総武線)

旧中川と隅田川を結ぶ万治2年(1659)に開削された運河で、北岸は逆井の渡し、市川の渡しから成田方面へ通ずる元佐倉道だった。
 かつての竪川は小名木川とともに隅田川と中川を結ぶ直線航路として利用され、物資の輸送はもとより、香取・鹿島・息栖(いきす)の三社詣の信仰・遊覧の水路、「川の道」として親しまれ、江戸六阿弥陀詣りの6番常光寺への行き来にも利用された。

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Img_5987竪川分岐口(正面のコンクリート口) 《地図

ここは旧中川の逆井の渡し跡(『東京散歩(元佐倉道)』に記載)あたり。

Img_6065竪川は隅田川まで首都高7号の下になっている。

Img_6077旧護岸が保存されている。

Img_6079埋立て前

このあたりは海抜ゼロメートル地帯の典型地だった。

Img_6081首都高7号(1971年全線開通)の橋脚

Img_6083説明板

Img_6103江東区の竪川河川敷公園

Img_6114この先で横十間川と交差する。

このあたりは工事中だった。

Img_6111横十間川交差地点 《地図

墨田区に入ると竪川親水公園となるが、工事中の所や川沿いを歩けない所も多い。

Img_6130招福稲荷神社 《地図

Img_6137牡丹橋の親柱 《地図

南側に四ツ目牡丹園があった。

Img_6135説明板

左が四ツ目牡丹園の写真

Img_6152大横川交差地点(菊花(きくはな)橋から) 《地図

Img_6158三之橋から

川沿いに道がついているが立ち入れない。

Img_6159元徳稲荷神社(三之橋の南詰)

腫物にご利益ありで、平癒すると土地の産物の里芋を供えてお礼参りをしたそうだ。

Img_6168初音森神社 《地図

ここは民家の敷地内だろう。

Img_6167説明板

Img_6182江島杉山神社

江ノ島弁財天と検校の杉山和一を祀っている。ここは総録屋敷跡で鍼治(しんち)講習所もあった。
江の島に杉山検校の墓がある。

Img_6172説明板

Img_6174江ノ島弁財天の岩窟を模した岩屋(寛政5年(1793)建立)

正面に杉山和一像、左右の奥に宗像三神と宇賀神が祀られている。

Img_6185竪川水門(一之橋から) 《地図

水門をくぐれば隅田川

隅田川に向かう。

Img_6197袋物博物館 《地図

Img_6206竪川水門・隅田川

両国橋から両国駅に向かう。

Img_6207両国橋

Img_6211芥川龍之介生育地 《地図

前半生を暮した所。

Img_6210説明板

左に横綱横丁に入り、昨日、死去した元横綱北の湖を悼みながら両国駅に向かった。

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2015年12月 2日 (水)

東京散歩(仙台堀川を歩く)

2015年11月17日

東大島駅(都営新宿線)・・・旧中川・・・中川大橋・・・小名木川・・・仙台堀川公園分岐地点・・・旧桜井橋・・・旧松本橋・・・天祖神社・北向子育地蔵尊・・・旧境川橋・・・旧大石家住宅・・・砂町橋・・・旧福島橋・・・弾正橋・・・明治通り・・・(JR貨物線)・・・松島橋・・・尾高橋・・・野鳥の島(横十間川交差地点)・・・豊住橋・・・千田橋・・・千石地蔵尊・石住橋・・・大横川交差地点・・・崎川橋・・・木場公園大橋・・・末広橋・・・木場親水公園(大島川東支川)分岐地点・・・平久川分岐地点・・・亀久橋・・・木更木橋・・・海辺橋・採茶庵跡・・・清澄橋・・・大島川西支川分岐地点・・・清川橋・・・清澄排水機場・・本邦セメント工業発祥の地(仙台藩蔵屋敷跡)・・水門・隅田川合流地点・・・清洲橋(隅田川)・・・清澄白河駅(都営大江戸線)

 小名木川から分かれて南流し、途中で西に流れを変えて隅田川に合流する運河で、隅田川に合流する手前北岸に仙台藩の蔵屋敷があったことによる名の仙台堀川を行く。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5844塩の道橋(小名木川) 《地図

南(正面)方向に仙台堀川公園が分岐する。

Img_5847仙台堀川公園を南下する。

Img_5848約3.7kmの親水公園で大横川との交差地点からは仙台堀川となる。

Img_5855天祖神社 《地図

旧大塚新田村の鎮守

Img_5854北向子育地蔵尊(天祖神社の向い側)

地元の信仰が篤いようだ。

Img_5864旧大石家住宅(東砂8-21から移築復元) 《地図

土・日・祝日しか公開していない。

Img_5863説明板

この先で右(西)に曲がって行く。

Img_5886野鳥の森(正面)で横十間川と交差する。《地図

Img_5896石住橋近く

野鳥の姿も多い。

Img_5901千石地蔵尊(石住橋のたもと)

昭和20年3月10日の東京大空襲の犠牲者慰霊の地蔵尊。大横川の猿江橋の所には「八百霊地蔵尊」がある。

Img_5905大横川交差地点 《地図

左から右が仙台堀川、直進が大横川

Img_5911木場公園大橋

Img_5915正面左の水管の所で、大島川東支川(木場親水公園)、その先で平久川が左(南)に分岐する。(末広橋から) 

大島川東支川・平久川は、『横十間川を歩く』に記載。

Img_5917平久川(左)・仙台堀川(直進)

Img_5932採茶庵(さいたあん)跡 《地図

杉山杉風の別宅「採茶庵」跡で、芭蕉はここから「奥の細道」の旅に出発した。
草の戸も住替る代ぞひなの家 

この採茶庵には似つかわしくないプレハブは、何とかならないか。

Img_5937大島川西支川分岐地点(正面方向) 《地図

大横川を歩く』に記載。

Img_5942清洲排水機場

この先の水門で隅田川に合流する。

Img_5950仙台藩蔵屋敷跡(アサノコンクリート工場) 《地図

本邦セメント工業発祥之地碑」・浅野総一郎

Img_5961隅田川合流地点(左の水門の所)

清洲橋(隅田川)から

Img_5959清洲橋

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2015年12月 1日 (火)

東京散歩(旧中川を歩く)

2015年11月15日

平井駅(JR総武線)・・・荒川・木下川排水機場・木下川排水樋門・旧中川・・・ゆりのき橋・・・中平井橋・・・白髭神社・・・東漸寺・・・大正民家園・・・平井橋・平井の渡し跡・・・燈明寺(平井聖天)・・・北十間川合流地点・・・江東新橋(蔵前橋通り)・・・総武線橋梁・・・ふれあい橋・・・中川新橋・・・亀小橋・・逆井の渡し跡・・逆井橋・・・竪川合流地点・・・虹の大橋・・・もみじ大橋・・・さくら大橋・・・船堀橋・・・(都営新宿線東大島駅)・・・中川大橋・・大島小松川公園・・中川船番所資料館・旧中川「川の駅」・・中川番所跡・小名木川分岐地点・・・平成橋・・・荒川ロックゲート・・小名木川排水機場・・・東大島駅(都営新宿線)

 江戸川区平井の木下川水門で荒川放水路(荒川本流)から分水し、大きく蛇行しながら南へ流れて、小松川の荒川ロックゲートで再び荒川へ合流する、荒川放水路によって分断された中川の下流部分の旧中川を行く。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5376木下川(きねがわ)排水樋門から荒川 《地図

Img_5362木下川排水機場手前の流れ

Img_5357ゆりのき橋・墨田清掃工場の煙突・東京スカイツリー

Img_5341水辺公園の川沿いを行く。

Img_5330白髭神社 《地図

Img_5329由緒

Img_5324庚申塔道標(宝暦13年(1763))・東漸寺境内)

左側面に「左やくし道」・右側面に「右市川道」で、もとは南側の平井街道沿いにあったものという。「やくし」は木下川薬師(浄光寺)で、もとは荒川放水路の中ほどにあった。『東京散歩(奥戸街道)』で訪れた。

Img_5325説明板

Img_5336大正民家園(旧小山家住宅) 《地図

何軒もあると思っていたが一軒だけだった。

Img_5334説明板

Img_5321北向地蔵堂 《地図

Img_5322とろけて行く地蔵

平井橋を渡って江戸川区に入り、平井聖天燈明寺に寄る。平井橋の少し下流に「平井の渡し」があった。

Img_5316燈明寺(平井聖天) 《地図

相馬大作もこの寺に祈願したそうだ。相馬大作ゆかりの所は、『奥州街道(一戸宿→金田一温泉宿)』に記載。

Img_5314説明板

Img_5300_2北十間川(右)合流地点 《地図

正面は江東新橋

Img_5977ふれあい橋を振り返る。

Img_5984逆井の渡し跡 《地図

東京散歩(元佐倉道)』に記載

Img_5986竪川分岐地点(正面)

首都高7号の下が竪川河川敷公園となっている。

Img_6005小名木川分岐地点(大島小松川公園から)

正面の番場橋方向の流れが小名木川。
中川船番所資料館・旧中川「川の駅」・中川番所跡などは、『小名木川を歩く』に記載。

Img_6013中川釣鱚(きす)「江戸名所図会」

(旧)中川と小名木川の交わる中川番所あたりは、キス・タナゴ・ハゼなどの釣りの名所だったという。

Img_6009平成橋から下流方向

左に荒川ロックゲートへと流れて行く。

Img_6023荒川ロックゲート 《地図

小名木川の扇橋閘門、見沼代用水の見沼通船堀と同じ機能の閘門(ロック)

Img_6021荒川

Img_6046小名木川排水機場の排水門

Img_6025荒川下流方向

やっぱり広いね。

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