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2015年12月15日 (火)

東京散歩(神田川を歩く②)

2015年12月2日

中野新橋駅(地下鉄丸ノ内線)・・・中野新橋(神田川)・・・花見橋・・・八津御嶽神社・・・長者橋(山手通り)・・・たから第六天・・・宝橋・・・菖蒲橋・・はごろも児童遊園・幡ヶ谷支流合流地点跡・・・相生橋・・・淀橋(青梅街道)・・・伏見橋・・桃園川緑道・神田川歌碑・・末広橋・・・万亀橋・・・(JR中央線)・・・小滝橋・・・落合水再生センター・せせらぎの里・・せせらぎ橋・・・高田馬場分水路分岐地点・・・新堀橋・・・落合橋・・・清水川橋・・さかえ通り・・(JR山手線)・・(西武新宿線)・・・戸田平橋・・・源水橋・・・高田橋(新目白通り)・・高田馬場分水路合流地点・・高戸橋(明治通り)・・(都電荒川線)・・・曙橋・・・面影橋(鎌倉街道中の道)・・・三島橋・・・駒塚橋・胸突坂下・・・大滝橋・神田上水取水口大洗堰跡・・・一休橋・・江戸川公園・・江戸川橋・・・掃部橋・・・古川橋・・・新白鳥橋・・・水道橋分水路分岐地点・・白鳥橋・・・船河原橋・・市兵衛河岸跡・・水道橋分水路合流地点・・小石川橋・・日本橋川分岐地点・・三崎橋(日本橋川)・・・後楽橋(神田川)・・・水道橋・・・お茶の水分水路碑・・・神田上水懸樋跡碑・・・お茶の水橋・・・聖橋・・相生坂・湯島聖堂・・・(JR総武線)・・昌平橋・お茶の水分水路合流地点・・・万世橋・・柳原通り・・・(JR山手線)・・・柳森神社・・・和泉橋・・・美倉橋・・・左衛門橋・・・浅草橋・浅草見附跡碑・・・柳橋・・・隅田川合流地点・・・両国橋(隅田川)・・・両国駅(JR総武線) (橋は一部のみ記載)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_7033花見橋から下流方向 《地図

正面は都庁舎

Img_7038八津御嶽神社

長者橋は『中野長者』に由来する橋

Img_7045たから第六天 (成願寺境外堂) 《地図

Img_7058幡ヶ谷支流跡合流地点

この支流の水源の一つが昭和38年に埋め立てられた「旗洗池」という。『甲州街道』に記載。

淀橋で青梅街道を横切って行く。

Img_7070♪神田川歌碑(桃園川緑道入口あたり) 《地図

Img_7077桃園川合流地点(右の暗渠)

正面は末広橋

Img_7082万亀橋から下流方向

JR中央線をくぐって行く。

Img_7093昔話(中野長者)碑(小滝橋の南側のスーパー「いなげや」前)

Img_7107せせらぎの里 《地図

落合水再生センターの敷地内。再生処理水を神田川に放流し、渋谷川(古川)、目黒川、呑川に送水している。

Img_7110高田馬場分水路分岐地点(正面)

高田馬場分水路は妙正寺川を合わせて、高田橋で神田川に合流する。

Img_7120落合橋から上流方向

もとの妙正寺川との合流点あたりらしい。

Img_7128清水川橋から下流方向 《地図

JR山手線と西武新宿線をくぐって流れる。

Img_7132戸田平橋

行列をなしている。若者が多い。ちょうど昼時で人気店でもあるのか。こっちは昼飯は何時もコンビニ、吉野家、松屋、すき家、立食いそば屋などで間に合わせている。電線に群れて止まっている鳥たちも眺めているか。

Img_7138源水橋南詰あたり 《地図

かつて学生向けの安アパートがひしめき合っていて、♪神田川の「三畳一間の小さな下宿」もこのあたりとか。

Img_7143高田馬場分水路合流地点(高戸橋から上流方向)

神田川(左)・高田馬場分水路(中)・妙正寺川(右)

Img_7148面影橋 《地図

橋を渡る道筋は「鎌倉街道中の道」で、「於戸姫(おとひめ)」の伝説、太田道灌の「山吹の里」伝承地だが、今はこのあたりにはそんな面影、風情もない。

「江戸名所図会」の「姿見橋」(於戸姫伝説)

Img_7158駒塚橋から胸突坂・水神社・芭蕉庵方向 《地図

Img_7162大滝橋から下流方向

神田上水の取水口の大洗堰跡あたり。

Img_7164説明板

Img_7171大洗堰由来碑の台座の碑文

Img_7170説明板

Img_7181江戸川橋分水路分岐地点(江戸川橋下)

「江戸川」は大滝橋付近から船河原橋までのかつての神田川の名称。

Img_7191掃部(かもん)橋 《地図

吉岡掃部という紺屋が住んでいたことからの橋名という。首都高5号が上を覆っている。

Img_7199うなぎの「はし本」(石切橋北詰)

天保6年(1835)創業という老舗

Img_7202中之橋

桜の名所だったという両岸にその面影はない。

Img_7204説明板

Img_7212水道橋分水路分岐地点?(前方は白鳥橋)

神田川はこの先で大きく南に曲がって行く。それで「大曲」の地名となった。
江戸時代の初期までは、このあたり一帯は大きな白鳥池だったそうだ。

Img_7216説明板

船河原橋で再び東に流れを変える。

Img_7237市兵衛河岸あたり

船河原橋から水道橋付近で、客船の船着場、荷物を岸に揚げる物揚場があった。

Img_7236説明板

Img_7240水道橋分水路合流地点?(上流方向)

Img_7243日本橋川分岐地点 《地図

日本橋水門で亀島川を分け、隅田川に注いでいる。

Img_7248後楽橋から下流方向

Img_7255水道橋から下流方向

護岸工事中のようだ。

Img_7252江戸名所図会』のレリーフ

お茶の水

Img_7263お茶の水分水路碑

この下に分水路が分岐しているのだろうか? ここからは見えない。

Img_7265神田上水懸樋跡碑

Img_7266説明板

Img_7267左下に懸樋

Img_7268お茶の水橋から御茶ノ水

このあたり神田川流域は、幕府の命により仙台藩主伊達政宗が改修普請にあたったため仙台堀とも呼ばれる。

Img_7279聖橋をくぐり湯島聖堂沿いの相生坂を下って行く。

Img_7286お茶の水分水路合流地点(昌平橋)

Img_7291昌平橋から下流方向

正面は万世橋

Img_7288説明板

万世橋を過ぎ柳原通りに入り、JR線をくぐって行く。川沿いは歩けない。

Img_7304柳原土手跡(右)

右は柳森神社

Img_7314説明板

Img_7308福寿神「おたぬきさん」

柳森神社内の開運、勝運、出世運、金運の神だが、どれも縁無し、用無しだ。

Img_7307由来

Img_7326和泉橋から下流方向

Img_7321説明板

Img_7329美倉橋南詰の三つの蔵を模したトイレ

江戸時代には川沿いに神田相佐柄木町蔵地、本銀町会所屋敷蔵地、神田紺屋町二丁目横町蔵地の三つの蔵地があり「三倉地」と呼ばれていたのを、明治時代になってから「三」を「美」と変えて「神田美倉町」という町名にしたことがこの橋名の由来という。

Img_7339浅草橋から下流方向

北詰には「浅草見附跡碑」が立っている。

Img_7344柳橋から隅田川合流地点

Img_7347欄干の「かんざし」が、花街「柳橋」の柳橋芸者を偲ばせる。

Img_7348説明板

Img_7357両国橋から柳橋

Img_7352両国橋から隅田川上流方向

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