吉川道
2015年11月8日・12月15日
吉川駅(JR武蔵野線)・・・清浄寺・・・蕎高神社①・・・蕎高神社②・・・密厳院・・・香取御嶽神社・・・宗眼寺・・・観音寺・・・(三郷市)・・安養院・・女体神社・・・稲荷社・・庚申塔道標・・・円明院・・・彦名関跡・・・(東京外環道)・・玉蔵院・・・密蔵院・・・郷土資料館跡・・・延命院・虚空蔵堂・・・彦倉排水機場・・・善照寺・・・迎攝院・・・神明神社・・・本郷寺排水機場・・・円能寺・・・(首都高6号)・・・密乗院・・・庚申塔祠・・・西善院・・・・真福寺・・・稲荷神社・・・成就院(谷口不動尊)・・・(つくばエクスプレス)・・・香岩寺・・・(二郷半領用水)・・・(東京外環道)・・・(第二大場川)・・・三郷中央駅(つくばエクスプレス)
中川左岸(東岸)の三郷市、吉川市を通る吉川道(岩槻慈恩寺道)沿いを、吉川駅から南下した。中川両岸新六阿弥陀(東岸・左岸)をたどる道筋でもある。
【ル-ト地図】
清浄寺 《地図》
親鸞聖人が弟子の西念(親鸞二十四輩の一人)に命じて造立したと伝えられている。左に「親鸞聖人御旧跡二十四輩第七番西念坊開山 楠井山清浄寺」碑。道路の向い側の清浄寺史跡公園内に「親鸞聖人木像出現池」という「おむくの池」がある。
蕎高(そばたか)神社① 《地図》
密厳院の大イチョウ 《地図》
後三年の役の際には対岸の下妻街道(奥州古道)を八幡太郎義家に従って鎌倉権五郎景政は奥州へと向かったのだろう。境内に景政の子孫一族の墓がある。
寺の西側の道が吉川道。
宗眼寺 《地図》
中川両岸新六阿弥陀の左岸(東岸)の寺だが本尊は不動明王。
新しい標石には「東岸 第一番札所」とあるが、右の古い標石は「六番」になっている。新旧の講参りの番号のようだ。
「中川両岸六阿弥陀霊場東側1番札所」とあるが、本尊は大日如来像で違うようだ。境内に六阿弥陀霊場を示す物はない。
吉川市から三郷市に入る。
安養院 《地図》
両岸新六阿弥陀(東岸)の旧講参りの第1番
ここの「厄除大銀杏」も見事だ。
庚申塔道標(文政3年(1820))
右側面に「北 吉川道」、左側面に「南 江戸道 八條道)
この先の吉川道は『三郷七福神①』の道筋と重なって行き、さらに『岩槻慈恩寺道』につながる。慈恩寺とは逆方向に進んで行くが。
彦名関跡 「説明板」
当地は中世には利根川(中川)水運の要衝として栄えていた。 下総国一宮の香取神宮の支配下にあり、河関が置かれ関銭を徴収し、 香取神宮の運営にあてられていた。その後、応永2 6年(1419)の時点では、 彦名関は鶴岡八幡宮の支配下に移っている。{地図}
旧郷土資料館 《地図》
もともとは彦成村立尋常高等小学校の講堂→郷土資料館→現在は三郷市立彦成小学校講堂記念館
西善院 《地図》
旧講参りの「木あまり」寺・新講参りの「木おさめ」寺。
古い説明板には、「明治41年より始まった阿弥陀仏を本尊とする中川ほとりの東・西各六か寺からなる「中川両岸新六阿弥陀霊場」の「東岸木おさめの霊場・・・」とあった。『三郷七福神①』に記載
古い標石(昭和6年 花和田講の建立か?)
「両岸 木あまり 新六阿弥陀」か?
香岩寺 《地図》
新・旧講参りの西岸の第4番の寺
「八潮市史(民俗編)」によれば、この寺の僧が先達となって両岸六阿弥陀を巡ったそうだ。現在地は三郷市で東岸だが。
右に新しい標石(昭和59年建立)・左に古い標石
「両岸 第四番」
旧講 | 新講 | |
第一番 | 安養院 | 宗眼寺 |
第二番 | 円明院 | 円明院 |
第三番 | 玉蔵院 | 玉蔵院 |
第四番 | 迎攝院 | 迎攝院 |
第五番 | 密乗院 | 円能寺 |
第六番 | 宗眼寺 | 密乗院 |
木おさめ寺 | 円能寺 | 西善寺 |
木あまり寺 | 西善寺 | ? |
中川両岸新六阿弥陀(東岸)
(m氏から頂いた資料による)
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