常滑街道①
2015年12月19日
鳴海駅(名鉄名古屋本線)・・・東海道分岐地点(本町交差点)・常滑街道・・浅間橋(扇川)・・浅間神社・・(名鉄名古屋本線)・・・京田交差点・・・鳴海八幡宮・・・知多街道合流地点・良信地蔵・・道標・・・明忠院・・・鷲津砦跡・・・(大高駅)・・・八幡神社・・師崎街道分岐地点・・・大橋(大高川)・・・辻の秋葉社・・・大高城跡・城山八幡社・・・萬乗醸造・・・東昌寺・・・(名四国道)・・・玉根社・・・氷上姉子神社・・・元宮・・・神明社・・・寝覚里公園・・・大日大聖不動明王堂・・・(土留木川)・・・長光寺・・・妙法寺・・・庚申寺・・・(伊勢湾岸道)・・・聚楽園公園(ヤカン池・大仏)・・・観音寺・・・慈眼寺・・・松崎史跡公園・・・大宮神社・・・大宮橋(大田川)・・・龍雲院・・・太田川駅(名鉄常滑線)→名鉄名古屋駅
東海道の鳴海宿で南に分かれ、知多半島の師崎港に至る常滑街道を、焼き物の町、常滑まで行く。
【ル-ト地図】(太田川駅(16km)まで)
写真をクリックすると拡大します。
本町交差点 《地図》
東海道鳴海宿の庚申坂下で、常滑街道はここを左折して行く。右に庚申坂を上れば鳴海城跡がある。
浅間橋から扇川(上流方向)
右の木の所は浅間神社で祭神は木花開那姫命。元文2年(1737)、鳴海八幡宮の御旅所となり、通称 浅間堂という。秋葉社が合祀されている。毎月7月31日に、無病息災の輪くぐり神事があるそうだ。
樹齢1200年ともいう神木の大楠。
知多街道(左)合流地点 《地図》
振り返って見ている。常滑まで行った後、知多街道→常滑街道→師崎(もろざき)街道を行き、知多半島先端の師崎港・羽豆岬を目指す。
左の自動車の手前。名前の由来が分からず。
右が常滑街道
常滑街道から離れて鷲津砦跡に向かう。
道標 《地図》
「←やごとかさでら道」・「→新四国いちばん大師道」と刻まれているそうだが読みにくくなっている。「八事・笠寺」方面と、知多半島新四国八十八箇所の一番の曹源寺への道標だろう。
「四國直傳弘法大師尾張八十八ヶ所霊場」の4番。
愛知県での保育事業の始まりの地で、今も保育園がある。
今川義元の大高城と鳴海城の間を遮断するため、永禄2年(1559)織田信長が築いた砦。
師崎街道分岐地点 《地図》
民家の先を左折するのが師崎街道、常滑街道は直進。右は八幡神社
下流で扇川に注いでいる。
辻の秋葉社 《地図》
18世紀後半から19世紀初めの創建という火伏せの神社。「江明市場」が立ち、辻は高札場だったという。
武士だけの参拝社で、村人は先ほどの八幡神社に参詣した。
東昌寺(「四國直傳弘法大師尾張八十八ヶ所霊場」の5番)の門前。
名古屋駅近くの桂芳院にも「愚痴聞き地蔵」がある。
名四国道を横切って氷上姉子神社に参る。
祭神は日本武尊の妃、宮簀媛命。
右に「倭武王天皇皇妃 尾張国造之祖 宮簀媛命宅趾」碑が立つ。
寝覚之里公園 《地図》
日本武尊が東征の帰途、このあたりに泊まったが、すぐ近くの海の波音で寝つけなかったという伝承地。
観音寺 《地図》
細井平洲が通った寺小屋があり、「草紙懸けの松」(跡)、「師弟椿」などゆかりの物が残る。
「知多半島新四国八十八箇所」の86番
石段下の白龍照玉大明神まで伸びている。
松崎史跡公園 《地図》
古代の製塩遺跡
大田の大樟(大宮神社境内) 《地図》
「乳地蔵」を探したが分からず。後日調べると小さな地蔵堂が新築されていた。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2023年11月~)追加分(2023.12.14)
- 「歩いた坂」追加分(2023.12.10)
- JR京浜東北線を歩く①(2022.10.22)
- 大落古利根川・中川を歩く(2023.11.22)
- 柴又街道②(2023.11.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント