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2015年12月10日 (木)

東京散歩(神田川を歩く①)

2015年12月1日

吉祥寺駅(JR中央線)・・・井の頭池・・水門橋・神田川・・・(京王井の頭線)・・・夕やけ橋・・・神田上水橋・・・丸山橋・・・(井の頭線)・・・神田橋①・・・宮下橋・・・久我山駅・久我山橋(人見街道)・・・月見橋・富士見ヶ丘駅・・・高井戸橋(環八通り)・高井戸駅・・・乙女橋・・・塚山橋・塚山公園・・鎌倉橋・・・下高井戸浜田山八幡神社・・八幡橋・・・神田橋②(荒玉水道道路)・・・永福橋・・・(井の頭線)・・蔵下橋・・神泉橋(井ノ頭通り)・・・宮前橋・・龍光寺・・熊野神社・・・番屋橋・・・和泉橋・・・方南第一橋・・神田川取水施設・・方南橋(環七通り・神田川環状七号線地下調節池)・・・上水橋・・釜寺(東運寺)・・・神田橋③・・・栄橋(方南通り)・・・和田廣橋(善福寺川)・・善福寺川合流地点・・・和田見橋(鎌倉街道中の道)・・・富士見橋・・・中野富士見町駅・・・高砂橋・・・氷川橋・・・中野新橋駅(地下鉄丸の内線) (橋は一部のみ記載)

 井の頭池に源を発して東に流れ、善福寺川、妙正寺川などを合わせて隅田川へ注ぐ神田川を行く。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_6816井の頭池 《地図

園内マップ』(井の頭恩賜公園)

Img_6819お茶の水

この地を何度も訪れた徳川家康が茶を点てたという湧き水跡。神田川の源泉の一つだが水は出ておらず、柵がしてあり近づけない。

Img_6824御殿山(井の頭)遺跡碑

Img_6835説明板(弁財天の近くに設置)

Img_6828徳川三代将軍御切付旧跡碑

寛永6年(1629)、鷹狩でこの地を訪れた家光が、小刀でこぶしの木に「井の頭」と刻んだという。

Img_6829井の頭弁財天

名所雪月花・井の頭の池 弁財天の社雪の景」(歌川広重)

「銭洗い弁財天」もある。

Img_6830かいぼり27」の実施で水抜き中だ。

Img_6854水門橋から神田川の流れが始まる。《地図

Img_6860飛び石づたいに大冒険だ。(夕やけ橋から上流方向)

昔の川らしい風情が残るのはここまでで、後は味気ない高いコンクリート護岸の川となる。

Img_6865神田上水橋

江戸時代には井の頭池から大洗堰(大滝橋・文京区関口)までを「神田上水」、船河原橋(飯田橋付近)までを「江戸川」、その下流を神田川と呼んでいた。

Img_6873里程標も所々に立っている。

水源まで2.0km・隅田川まで22.5km地点

久我山橋を渡る道は「人見街道」だ。富士見ヶ丘駅、高井戸駅・環八通りを過ぎて行く。

Img_6914塚山遺跡の縄文時代の復元 住居 《地図

Img_6910説明板

Img_6917鎌倉橋

鎌倉街道の道筋で、北に向かえば五日市街道と交差する所あたりの三年坂の坂上に「鎌倉街道」バス停がある。南に向かえば甲州街道の「鎌倉街道入口」交差点に通じている。

Img_6923下高井戸浜田山八幡神社地図

Img_6927説明板

神田橋②で荒玉水道道路と交差する。永福橋で南に永泉寺坂を上ると甲州街道の手前(北側)に江戸市中から移転してしてきた寺院が密集している。

Img_6951井の頭線をくぐって行く。

すぐ先は下橋で、南方の甲州街道沿いの明治大学和泉キャンパスと築地本願寺和田堀廟所の敷地には江戸時代、幕府の鉄砲弾薬等を貯蔵する塩硝があった。

龍光寺・熊野神社・番屋橋あたりは『杉並区の坂⑥』で歩いている。

Img_6979神田川取水施設 《地図

環七通りの地下には、神田川環状七号線地下調節池がある。

Img_6981説明板

Img_6986釜寺(東運寺)山門 《地図

浅野内匠頭が切腹した田村右京太夫江戸屋敷の脇門を移築。

Img_6989説明板

Img_6991本堂屋根上の釜

Img_6987説明板

Img_7010善福寺川合流地点 《地図

手前が善福寺川

Img_7013左が神田川(上流方向)

和田見橋で鎌倉街道中の道と交差する。中野富士見町駅を過ぎると川沿いを歩けない所が多くなる。

Img_7020高砂橋から下流方向

Img_7026前方の赤い欄干の中野新橋まで行き地下鉄の中野新橋駅に出た。 《地図

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