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2016年1月31日 (日)

岡崎街道①

2016年1月17日

名古屋駅・・・札の辻…名古屋テレビ塔・蕉風発祥の地碑・・・東充寺(へちま薬師)・・・含笑寺・・・宗円寺・・・円教寺跡(一里塚跡)・・白山神社・・・八王子社(青木神社)・・・JR中央本線ガード・・・古井ノ坂・・・中道橋(名古屋高速2号東山線)・・・大師堂・・・地蔵堂・・・秋葉社?・・・塩付街道交差地点・・・称名寺・・・川原神社・・・太平寺・・・川名南城址あたり・・聖徳太子堂・・・川名大橋(山崎川)・・・法光寺・・・隼人池・誓願寺・参道坂・・八事交差点・塩釜坂・・・常楽寺・・・八事裏山交差点・・・聖徳寺・・・植田橋(植田川)・・・天白橋(天白川)・・・平針街道合流地点(平針西口交差点)・道標地蔵・・・原駅(地下鉄鶴舞線)

 徳川家康が直接探査して作らせた、名古屋城下と岡崎城下を結ぶ最短ルートの岡崎街道を行く。大坂冬の陣、夏の陣での軍事道路であり、江戸期には物流のルートとして活躍した。一般には、「駿河街道」とか、「駿河町街道」と呼ばれていた。
 平針の追分までは飯田街道と重なり、道路標識なども「飯田街道」となっている。

  【ル-ト地図

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Img_9437札の辻・伝馬会所跡(伝馬町通本町交差点) 《地図

美濃路は交差点を左折、岡崎街道(飯田街道)は右折、稲置街道(木曽街道(上街道))・善光寺街道(下街道)は直進。
ここを起点とし、岡崎の西方の宇頭(岡崎市)で東海道と合流する所まで歩く。

Img_0173ロサンゼルス広場 《地図

街道筋ではないが。

Img_0175名古屋テレビ塔

Img_0181蕉風発祥の地碑 《地図

Img_0177説明板

Img_0190東充寺(へちま薬師) 《地図

このあたりは寺が多い。江戸時代には東寺町と呼ばれ、城下の防衛線となっていた。

Img_0191へちま加持祈祷で奉納された「糸瓜」

「愛知県歴史の道調査報告書」によれば、圓教寺(中区新栄2-13-18)の所に一里塚があり、「旅人のこころや涼し一里塚」の句碑(塵鏡庵?)が立っていたというが、廃寺か移転したようで工事中だった。句碑も芥か塵となってしまったのか。

Img_0208白山神社 《地図

古墳上にあるそうだ。

Img_0212八王子社・青木神社

Img_0216JR中央本線をくぐる。

ガード下あたりに木戸があったようだ。道路標識は「飯田街道」で明治時代以降の呼び名。

Img_0218古井ノ坂を上る。《地図

名古屋高速2号東山線を渡って行く。

Img_0229大師堂 《地図

右の自販機の後ろ

Img_0230堂内を覗いたらギョロ目の弘法大師ににらまれた。

Img_0235飯田街道のアーチ

Img_0239地蔵堂(右)

Img_0241地蔵像の両脇に、「左やごと道」・「右東海道・新四国道」

新四国道は「知多四国八十八箇所」のこと。

春岡通7交差点と川名本町1交差点の間で塩付街道と交差する。街道の所々には松並木があったというが、その痕跡はない。

Img_0259川原神社

神社の東側が川名北城址という。

Img_0261説明板

Img_0268太平寺 《地図

天文2年(1533)の建立で、天正12年(1584)の小牧長久手の戦いで焼失し、現在の本堂は昭和6年に建てられたものという。

Img_0273川名南城址 《地図

昭和警察署あたり

Img_0276聖徳太子堂 《地図

太子像を安置するようだが、民家の敷地内で近づけない。

Img_0286隼人池 《地図

正保3年(1646)に犬山城主の成瀬隼人正(なるせはやとのしょう)正虎が開拓した藤成新田(ふじなりしんでん)の灌漑用水のために造成した池。池の水は、途中山崎川を筧(かけい・懸樋)で越えて新田に送られていた。
このあたりと、「八事八つの坂」は、『名古屋市の坂②』記載。

誓願寺あたりの街道沿いに最近?まで一里塚跡が残っていたそうだ。

Img_0289興正寺五重塔

Img_0392八事交差点 《地図

旧道の塩釜坂を上り、八事裏山交差点へ下り、植田川、天白川を渡って行く。

Img_0371平針街道合流地点 《地図

正面右の小祠内の地蔵の左側面に、「左みや いせ道」・右側面に、「右なごや道」。
今日はここまでとし、原駅に向かった。

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2016年1月30日 (土)

平針街道

2016年1月19日

妙音通駅(地下鉄名城線)・・・嶋川稲荷神社・・東海道・山崎橋(山崎川)・平針街道分岐地点・・・(名鉄名古屋本線踏切)・・・師長小橋・・・迦具土社・・・秋葉社?・・・新瑞橋・・・塩付橋・塩付街道合流地点・・塩付街道分岐地点・・・弥富通1交差点・・旧道・・・仏立寺・・・弥富小学校・中根北城址・・・昭和高校・・・下八事交差点・・・新島田橋(天白川)・・・島田城跡・・・島田地蔵寺・・・島田神社・・・平針西口交差点・飯田街道(岡崎街道)合流地点・道標地蔵・・・原駅(地下鉄鶴舞線)

 東海道の山崎と飯田街道(岡崎街道)の平針を結ぶ平針街道を行く。

  【ル-ト地図

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Img_0293嶋川稲荷神社 《地図

治承3年(1179)、平清盛によって流罪に処せられた太政大臣藤原師長の井戸田村の謫居跡。赦免されて都へ帰る師長は村の娘に形見の琵琶を与えた。師長を追った村娘は庄内川に身を投じた。美濃路沿いに村娘の菩提を弔う清音寺がある。塩付街道沿いには、琵琶ヶ峯遺跡碑が立っている。
このあたりには妙音通など「師長のゆかりの所」が多い。

Img_0294説明板

Img_0305東海道との分岐地点(平針街道の起点) 《地図

山崎の長坂、笠寺観音方向を見ている。「東海道」の標柱の裏面には、「北あつた 南よびつぐ」。

山崎川沿いを進むのが平針街道

Img_0307名鉄名古屋本線をくぐる。

師長小橋・師長橋と過ぎて行く。

Img_0314堤上の地蔵の祠

Img_0316秋葉社?

馬頭観音の祠もある。

新瑞(あらたま)橋を横切って右に迂回した。山崎川沿いを行くのが本来の街道筋だろう。

Img_0323塩付橋 《地図

用水路?の橋の手前、右から来るのが塩付街道で、少し一緒に進み右に分かれる。

弥富通1交差点の先で北側の旧道に入る。

Img_0329旧家

Img_0334中根北城址 《地図

弥富小学校(右)あたり。織田信長の弟の織田信照の重臣、村上小膳の居城という。

Img_0340新島田橋から天白川(上流方向) 《地図

Img_0345島田城址 《地図

Img_0347城址上の牧神社の祠

Img_0344説明板

Img_0353毛替(けがえ)地蔵堂(島田地蔵寺

大泥棒の熊坂長範の逸話がある地蔵。「美濃路」には「熊坂長範物見の松」があり、「北国街道」の野尻坂峠の北方には長範山がある。

Img_0349説明板

Img_0357島田神社

島田城の鬼門除けとして熊野権現を祀っていた。明治42年に神明社、八幡社、天神社と合祀され、その後黒石の山神社と天神社を合祀して黒石に遷された。大正12年に現在地へと遷り、大正15年に天神社と秋葉社を祀り、名称を島田神社に改めた。現在では伊邪那岐命、伊邪那美命など九柱を祀る。

この先は見所はなかった。

Img_0365岡崎街道(飯田街道)合流地点 《地図

正面に地蔵の祠と「毛替地蔵」標石

Img_0366地蔵の右側面に「右なごや道」・左側面に「左 みや いせ道」

平針街道は熱田神宮に向かう「みや道」、さらに東海道を経由して伊勢への参詣の道でもあった。
この先の岡崎街道も平針街道とも呼ばれていた。

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2016年1月26日 (火)

柳街道

2016年1月13日

名古屋駅・・・納屋橋(堀川)・柳街道起点・・・白龍神社・・・津島神社(秋葉神社)・・・祢宜公園・・「三四郎ゆかりの宿」碑・・・柳里神社・・明治橋跡・・・(JR線)・・・牧野神明社・・・大誠寺・・・かっぱ像・須佐之男社(迦具土社)・・・厳島神社・・・観音寺・・・法泉寺・・・天王社・・・熊野社・・・黄金中学校・・・堅誓寺・・・庄内用水跡遊歩道・・・秋葉神社(津島神社)・・・願成寺薬師堂・八剣神社・・・願成寺・・・松陰高校・烏森公園・・・妙通寺・・・佐屋街道合流地点・・・八幡神社・・・烏森駅(近鉄名古屋線)

 名古屋城下の納屋橋(堀川)を起点とし、西から西南に向かい烏森で佐屋街道に合流する柳街道を行く。

  【ル-ト地図

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Img_9445加藤商会ビル(納屋橋東交差点)

昭和の時代を感じさせる建物と柳。

Img_9451納屋橋堀川) 《地図

梅が咲き出している。

Img_9452柳街道に入る。《地図

「柳」の由来は、①両側に柳を植えた。②納屋橋から西一帯は昔から柳が多かった。③古くから庄(いちやなぎ)の村々と行き来する道だった。昔、名古屋の西南部には伊勢神宮の荘園の一楊の御厨(みくりや)があったという。

Img_9455白龍神社

Img_9456津島神社・秋葉神社

ビルの間に小さく祀られている。

Img_9460祢宜公園(交差点を渡った左)

Img_9461三四郎ゆかりの宿碑 《地図

Img_9462碑文

Img_9463柳里神社

ここから明治橋が架っていた。

Img_9470明治橋跡の親柱 《地図

鉄道と人道を跨いだ「柳街道」の橋で、昭和12年に撤去された。中村遊郭への道でもあり、橋上から中村方面を眺めるとネオンが見えたという。

Img_9469説明板

Img_9477柳街道は直進だが左へ寄り道する。

Img_9480牧野神明社 《地図

Img_9479由緒

お伊勢川は笈瀬川のこと。

Img_9483河童像 《地図

Img_9484由来

Img_9485須佐之男社・迦具土社(河童像の南隣)

Img_9488厳島神社

宮裏神明社、椿神明社と共に牧野三社の一つ。

Img_9496天王社 《地図

Img_9503熊野社

ここは街道筋からははずれている。

Img_9511庄内用水路跡の遊歩道を進んだ。 《地図

この先で名古屋高速5号に突き当たる。

Img_9514ここに水車のモニュメントがあったようだ。

遊歩道はこの先も続いている。

左に歩道橋に迂回する。

Img_9520願成寺薬師堂 《地図

八剣神社(右)が仲良く同居だ。

Img_9522願成寺

柳街道は松陰高校を斜めに横切っていたのだろう。

Img_9533佐屋街道合流地点 《地図

昔、佐屋街道を西(右)に少し進んだ所に茶屋があった。そこで元禄7年(1694)、蕉門から袂を分かった弟子、荷兮(かけい)と芭蕉との別れがあった。芭蕉の晩年のことである。
麦ぬかに 餅屋の見世の 別れかな」(荷兮)

Img_9537佐屋街道を熱田方向に向かう。

お茶の清寿園(右)は閉店したのか。

Img_9538八幡社

Img_9539常夜灯(安政元年(1854))

左側面に「左 なごや」で、もとは柳街道との分岐点にあったものだろう。
烏森(かすもり)駅から近鉄名古屋駅に出た。

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2016年1月25日 (月)

師崎街道⑤

2016年1月16日

河和駅(名鉄河和線)・・・河和橋(新江川)・・・山頭火句碑・・・(大川)・・・知多美浜太陽光発電所・・・美浜ナチュナル村・・・五宝橋(五宝川)・・・矢梨潮干狩場・・・蟹川橋(蟹川)・(南知多町)・・・山田海岸潮干狩場・・・南知多病院・・木川橋(木川)・・・豊丘漁港・・・境橋(境川)・・・旧道・・・いせきロード(大井いにしえ街道)案内板・・・大井橋(大井川)・・・天神山遺跡・・・豊受神社・・・利生院・・・秋葉神社(津島神社)・・・国道247号・・・旭橋(片名橋)・・・片名漁港・・・旧道・・・師崎小学校・・・神護寺・・・延命寺・・・祭礼橋(師崎川)・・・師崎港・・羽豆岬城址碑・羽豆神社・・師崎港バス停→河和駅→名鉄名古屋駅

  【ル-ト地図】(河和駅(65.9km)→羽豆岬・師崎港バス停(81.1km)

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Img_9551河和橋から新江川(上流方向)

上流の知多厚生病院の東側が河和城跡

Img_9552北屋敷地区の家並み

Img_9553山頭火句碑(塩田屋旅館前)

山頭火が晩年、知多を訪れ堀田屋旅館に一泊した折に吟じた2句。

Img_9555旧家

Img_9558天神社 《地図

Img_9557由緒碑

Img_9566知多美浜太陽光発電所地図

遠方の円筒タンクは加藤化学の工場のものだろう。

Img_9569美浜ナチュナル村

営業しているのだろうか?

Img_9590蟹川橋から蟹川河口 《地図

武豊町から南知多町に入る。国道247号から分かれ、南方向に高台を越えて行く。

Img_9619知多湾を振り返る。予定より西方の道を進んだようだ。

Img_9624大井小学校の方へ下って行く。

Img_9626いせきロード(いにしえ大井街道案内板)

Img_9650大井橋(大井川) 《地図

渡って左折し天神山遺跡に向かう。

Img_9647天神山遺跡

縄文時代早期末から前期初頭(今から約7000年前)の遺跡。後方に「天満大神」の新旧の小さな標石が立つ。

Img_9640説明板

Img_9643大井漁港(天神山遺跡から)

Img_9653豊受神社 《地図

天禄年間(970~72)に伊勢神宮外宮 を勧請したと伝えられ、初めは神明社と称していた が、明治初年に豊受神社と改称した。

Img_9659旧家の路地を抜ける。

Img_9671国道247号をしばらく行く。

Img_9683_2右に旧道にはいる。《地図

Img_9692神護寺地図

南知多三十三観音の第13番

Img_9704師崎港

師崎港沿いを羽豆(はず)岬に向かう。

Img_9714羽豆岬のウバメガシのトンネル

「恋のロマンスロード」だとか。

Img_9722師崎港の眺め

Img_9721大小の船が行き交っている。

師崎港からは日間賀島と篠島へ定期船が出ている。

Img_9728羽豆崎城址

Img_9727説明板

Img_9731羽豆神社 《地図

左下が「矢穴石」

Img_9737_2由緒

Img_9732説明板

Img_9740羽豆岬の先端あたりから

ここを師崎街道歩きの終点とし、師崎港バス停から河和駅に出て、名鉄河和線で名鉄名古屋駅に向かった。

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2016年1月24日 (日)

師崎街道④

2016年1月15日

富貴駅(名鉄河和駅)・・・富貴橋(石田川)・・・竜宮神社・・・武豊火力発電所・・・寿山庵・・・(美浜町)・・・(名鉄河和線跨線橋)・・・宝林寺・布土城址あたり・・・布土神明神社・・・(河和線ガード)・・・葦航寺・・・開運橋(布土川)・・・大池の常夜灯・・・河和口海水浴場・・・河和口駅・・・娯楽橋(時志川)・・・時志観音(影現寺)・・・廣徳寺・・・北方地蔵堂・・・河和駅(名鉄河和線)

 武豊町から美浜町に入り、名鉄河和線の終点の河和駅まで進んだ。知多半島先端の師崎港、羽豆岬はもう近い。

  【ル-ト地図】(富貴駅(56.8km)→河和駅(65.9km))

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Img_0058竜宮神社 《地図

浦島太郎の建立というから愉快だ。常夜灯は嘉永7年(1854)の建立。
富貴地区の「浦島伝説」は昨日に記載。

Img_0060説明板

Img_0061浦島伝説地案内図

Img_0065クロマツ(国道247号沿い)

「武豊町大樹100選」で推定樹齢200年

Img_0070中部電力武豊火力発電所

昭和30年代までは竜宮海水浴場があった海岸だ。

Img_0083国道を離れ川沿いを進んだら知多湾沿いで出た。

武豊町から美浜町に入る。

Img_0092河和線を越えて布土城址あたりの宝林寺に寄る。

Img_0103宝林寺 《地図

四國直傳弘法大師八十八ヶ所の第34番

Img_0099布土(ふっと)城址あたり(宝林寺の東側)

このあたり一帯を通称「城の内」という。

Img_0096布土神明神社

慶安元年(1648)の社殿修繕の棟札が残るそうだ。

Img_0113葦航寺(いこうじ) 《地図

知多四国八十八箇所の開山所で、知多四国の三開祖の一人、武田安兵衛ゆかりの寺。

Img_0117_2一心大師(葦航寺境内)

後ろは河和線の線路

Img_0109旧家沿いの路地を進んで街道に戻る。

布土川を渡り、大池地区を進む。

Img_0124時は正しくとも心は? 《地図

この前を右にカーブして行く。

Img_0125大池の常夜灯(安政5年(1858))

Img_0132河和口海水浴場あたり

Img_0147時志観音(影現寺) 《地図

安産・虫封じの観音として有名。
南知多三十三観音の第1番
四國直傳弘法大師八十八箇所の第36番

Img_0151石段上から知多湾

Img_0162北方地蔵堂(左) 《地図

Img_0164堂内

中央が腰折地蔵で、ぎっくり腰やイボにご利益ありという。

Img_0167新江川樋門

Img_0168河和(こうわ)駅

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2016年1月21日 (木)

師崎街道③

2016年1月14日

石浜駅(JR武豊線)・・・豆搗橋(豆搗川)・・・泉ヶ池・・・常照寺・・・観音寺・・・伊久神坂・伊久智神社・・神後院・・・安徳寺・・・須賀川土手・白雪稲荷道標石・・・藤江神社・・藤江南の常夜灯・・藤川橋(須賀川)・・・藤江交差点・(半田市)・・・(武豊線ガード)・・・亀崎小学校・・北浦坂・・桟敷の道・・天命地蔵・行者坂・・次郎長峠・お城坂・・亀崎城址・・寺山坂・・海潮院・・神前神社・・浄顕寺・・秋葉社・・・鈴川綿布・・・盛田金しゃち酒造・・・尾張三社・・・潮風の丘緑地・・・中午排水水門・・・第1半田街道踏切(武豊線)・・・大川橋(稗田川)・・・乙川天満宮・・・乙川踏切・・・半田大橋(阿久比川)・・半田小橋(半田運河)・・中埜酒造・・業葉神社・・酒の文化館・・半六庭園・・小栗家本宅・・ミツカンミュージアム(MIM)・・・船方橋(半田運河)・・・第3半田街道踏切・・・秋葉社・・・法蔵寺・・・粕江庚申堂・・・信光寺・・・神戸橋(神戸川)・・・南地地蔵・・・(武豊町)・・・石川橋(石川)・・・蓮花院・・武雄神社・長尾城址あたり・・・森下踏切・・・武豊橋(堀川)・・・豊石神社・・堀田稲荷神社・・・浦島橋(浦島川)・・・新川(新川橋)・・・清応院・・富貴駅(名鉄河和線)

 12月の続きの師崎街道を、知多半島先端の師崎港・羽豆岬を目指す。昨年の1月の渥美半島の伊良湖岬への田原街道では北西からの冷たい強風にあおられどおしで往生した。師崎街道は知多半島の東岸沿いで、南に向かう道筋だから強い向い風の心配はないと思うのだが。

  【ル-ト地図】(石浜駅(30.2km)→富貴駅(56.8km))

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Img_9752泉ヶ池 《地図

Img_9758常照寺

「四国直伝弘法八十八ヶ所霊場」の第18番

Img_9761観音寺

知多四国八十八箇所」の第10番

Img_9771伊久神(いくじん)坂 《地図

伊久智神社の大クスと神後院(左)の間を下る坂。東浦町の町の木は「くすの木」

Img_9766説明板

Img_9769伊久智神社

Img_9768説明板

近隣からは古代の製塩土器が発掘されている。

Img_9778伊久神坂(坂上方向)

閻魔大王像(右)

Img_9788安徳寺 《地図

「知多四国八十八箇所」の第11番

Img_9789説明板

Img_9794白雪稲荷道標石(須賀川土手) 《地図

ここからそれほど遠くではないようだ。
東浦町観光案内』の「ちょっと寄り道」に載っている。

Img_9796藤江神社

だんつく獅子舞

Img_9797説明板

Img_9800藤江南の常夜灯(藤江神社前)

Img_9801説明板

須賀川を渡り、藤江交差点から半田市に入る。武豊線のガードをくぐり、美濃窯業沿いの坂を上り、左折して亀崎小学校の北側から亀崎城址に向かう。途中、思いがけず名のある5つの坂に出会った。

Img_9812北浦坂 《地図

亀崎小学校前から北東に北浦町に下る坂。右の民家の生垣内に木製の坂標が立つ。

Img_9813坂標

Img_9816坂下方向

Img_9820桟敷の道入口

Img_9823桟敷の道(坂下方向) 《地図》?

北西方向に下る坂

Img_9825坂下方向

急坂で滑り止めの桟が敷かれていたのか?

Img_9831衣浦湾・亀崎港(右)の眺め

衣浦大橋が開通するまで、三河へ渡る亀崎渡船場があった。幾通りもの渡しがあり、「高浜渡し」・「田戸の渡し」・「大浜渡し」が代表的なものだった。

「尾張名所図会」に「当所は船着きにして千余り家がある漁村である。富暁の地であり、豪家も少なくない。また、眺望もよく、湾を隔てた三河との交易が多い」と記す。

Img_9834行者坂上

左に天命地蔵堂

Img_9843天命地蔵堂

石橋の海運業・材木問屋の間瀬作兵衛が京都を訪れた時、田んぼに倒れている地蔵を立て直したところ、意外に軽く、これも何かの縁と思って家に持ち帰り、その後ここに堂を建てたという。堂の屋根上には「天命」と刻まれているそうだ。

Img_9845天命地蔵尊

首から上の病、特に目の悪い人には霊験あらたかとか。

Img_9838行者坂(坂下方向) 《地図

北から北西方向に下る坂。

Img_9848お城坂(坂下方向) 《地図

東から南東に下る坂。
このあたりは「富士山」という字名で、ここは次郎長峠というようだ。右が亀崎城址の公園、左前方は衣浦湾の衣浦大橋。

Img_9850亀崎城址

正面奥に「亀崎城趾」碑が立つ。

Img_9852説明板

Img_9859寺山坂 《地図

お城坂の途中から南に少し上って、海潮院の西側へ下る細い坂。

Img_9861坂下方向

民家の間を下って行く。

Img_9862坂下方向

正面は馬鹿でかい「〇〇君頌徳碑」

Img_9866海潮院

知多四国八十八箇所の第54番

Img_9872神前(かみさき)神社

亀崎潮干祭

Img_9870由緒

Img_9873亀崎町の家並み①

Img_9878

街灯の看板の「望洲楼」は浄顕寺の先の右側か。

Img_9876浄顕寺

宝物に「蓮如上人自作木像」・「石山合戦御身方連名 血判弥陀画像」、その他多数だそうだ。

Img_9881秋葉社

Img_9889鈴川織布

Img_9891盛田金しゃち酒造 《地図

Img_9898尾張三社

Img_9904潮風の丘緑地 《地図

橋の先は衣浦湾

Img_9919乙川天満宮

ここは乙川八幡町で北に乙川八幡神社がある。

Img_9921半田大橋から阿久比川(上流方向)

併流する半田運河の半田小橋を渡り、醸造蔵が立ち並ぶ道を南下する。

Img_9951酒の文化館地図

Img_9954半六庭園

Img_9955説明板

Img_9949業葉(なりは)神社(通称「八幡さん」)

山城国男山八幡宮を勧請し、古来より八幡宮と称していたが、神宝の古面裏書に「業葉天神」と記されていたことから、本国神名帳にある従三位業葉天神であることを知り、天保8年(1837)に改称したという。

Img_9962小栗家本宅

Img_9967ミツカンミュージアム「MIM」

Img_9975半田運河沿いの「ミツカン」の蔵

Img_9983半田水門(半田運河の船方橋から)

衣浦港へと流れて行く。

南本町交差点に出て県道262号を進む。

Img_9990法蔵寺地図

「四国直伝弘法八十八ヶ所霊場」の第26番

Img_9995粕江庚申堂・三界万霊塔

Img_9997青面金剛らしくない像だが台座には三猿が彫られている。

Img_0012南地地蔵尊

武豊町に入る。

Img_0024蓮花院地図

「知多四国八十八箇所」の第23番

Img_0027武雄神社

岩田氏が長尾城の一画に「城内・領内の鎮護」として祀った社。

Img_0025説明板(長尾城址

Img_0035豊石神社 《地図

大足蛇車まつり」・絵馬殿の「算額
雄神社と石神社で、「武豊町」となった。むろん騎手の武豊とは無関係よ。

Img_0037堀田稲荷神社

大きな阿吽の狐像。右(阿)は巻物をくわえ、左(吽)は手に宝珠を持つ。両狐とも優しい顔立ちだ。

Img_0041浦島橋から浦島川(下流方向)

武豊町の富貴地区は各地にある「浦島太郎伝説地」の一つ。浦之島・浦島川・負亀の松・竜宮神社・乙姫橋・浦島神社などがあり、知里付神社には玉手箱、真楽寺には「亀のお墓」もあるそうだ。「たけとよの伝説」 
橋の上流側あたりに「四季咲カキツバタ跡」碑があるようだが見逃した。海岸の竜宮海水浴場は昭和30年代には賑わったという。
明日、竜宮保育園前の竜宮神社と常夜灯を訪れる予定として、富貴(ふき)駅に向かった。

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2016年1月 8日 (金)

師崎街道②

2015年12月23日

大府駅(東海道線)・・・大府町道路元標・・・熱田神社・三峯神社・・・専唱院・・・石ヶ瀬跨線橋(東海道線)・・石ヶ瀬橋(石ヶ瀬川)・・(東浦町)・・(武豊線踏切)・・・八剣神社・村木砦跡・・・開眼寺・・・旧村木村常夜灯跡・・・金鶏山古墳跡・・・村木神社・・・(岡田川)・・・傳宗院標石・・入海神社・夜啼き石・入海貝塚・・了願寺・・傳宗院・・東光寺・・越境寺・・善導寺・・乗林院・・おじょう坂・・馬頭観音堂・・濁池・・・札木の辻跡・・・緒川城址・古城公園・・・東浦町役場・・・於大公園・宇宙稲荷神社・乾坤院・・・東浦町中央図書館・・さくら橋(明徳寺川)・・・稲荷神社・・明徳寺・・明光寺・・・石浜駅西交差点(国道366号)・・・石浜駅(武豊線)

 石ヶ瀬川を渡って東浦町に入り、村木砦跡から緒川地区を散策して緒川城址から於大公園まで行った。師崎街道に戻り石浜駅まで進んだ。 

  【ル-ト地図】(大府駅(16.5km)→石浜駅(30.2km))

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Img_8931大府町道路元標 《地図

昭和45年に市になった。

Img_8938熱田神社

日本武尊が東征の折に大府を通ったという伝承から、嘉吉元年(1441)に創建されたという。境内で毎月5と0のつく日に朝市が開かれるようだ。右端は三峯神社

Img_8942専唱院

「波切不動尊」にはどんないわれがあるのか?

石ヶ瀬川を渡って東浦町に入る。参考:『東浦ふるさとガイド協会

Img_8956八剣神社 《地図

今川方の村木砦跡

Img_8961由緒碑

Img_8957説明板

Img_8958砦図

Img_8968常夜灯

Img_8969沿革碑

右に坂を上って村木神社に寄る。

Img_8973金鶏山古墳跡あたり 《地図

東浦の民話『金鶏山

Img_8971説明板

Img_8978村木神社

村木砦を見下ろす高台で、織田信長の本陣が置かれた。

Img_8975説明板

Img_8976説明板(おまんと祭り)

岡田川を渡り、緒川地区を散策する。

Img_8992夜啼き石(入海神社石段途中) 《地図

昔、緒川城にあって、夜になると犬の遠吠えのように鳴いたと言われる。寛延2年(1749)に入海神社に奉納された。
東浦の民話『夜なき石とうなり石

Img_8993入海神社

Img_8997入海貝塚(入海神社境内)

Img_8995説明板

Img_8998了願寺

永井星渚(知多街道に記載)の墓がある。

Img_9002傳宗院

知多四国八十八箇所の第8番札所
参道前に「九番へ 二十丁」の丁石が立つ。

Img_9007黒板塀の路地

Img_9008東光寺

明治初年まで庫裡を寺子屋としていた。

Img_9015越境寺 《地図

Img_9013キリシタン燈籠

Img_9012説明板

Img_9017善導寺

徳川家康の生母於大の方は、度々生まれ故郷のこの寺に参拝したという。

Img_9020説明板

Img_9026おじょう坂(坂上方向) 《地図

坂の途中に「十王堂」があり、「お十王坂」が訛ったというが、坂の途中に馬頭観音堂と坂下に地蔵の祠があるが、十王堂は見当たらなかった。

Img_9031馬頭観音堂(右)

Img_9034坂上の濁池

Img_9040坂下あたり

右の民家前に地蔵の祠

Img_9046札木の辻 《地図

Img_9044説明板

Img_9052緒川城跡 《地図

右に「傳通院於大出生地」碑が立つ。
於大の方物語

Img_9055説明板

Img_9056位置推定図

Img_9060於大公園 《地図

Img_9071宇宙山乾坤院総門

緒川城の門を移築

Img_9070説明板

Img_9067山門

Img_9068説明板

Img_9069本堂

Img_9073中央図書館 《地図

Img_9078稲荷神社 《地図

Img_9079説明板

Img_9082明徳寺

傳宗院前の丁石の寺

Img_9081説明板

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2016年1月 7日 (木)

知多街道・師崎街道①

2015年12月21日

本笠寺駅(名鉄名古屋本線)・・・東海道・笠寺観音(笠覆寺)・・・笠寺一里塚跡・・・知多街道分岐地点・いぼ地蔵祠・・・粕畑(畠)貝塚跡・小松寺跡・・・中井用水緑道・本城公園・・(名鉄名古屋本線踏切)・・・星崎城址(笠寺小学校)・・・善住寺・・幸蓮寺・・星宮社・・・丸池橋(中井用水緑道)・・・(本星崎駅)・・・石神社・・・光照寺・・・(国道1号)・・地蔵堂・・・正行寺・・・喚続神社・・・西来寺・・永井星渚出生地・・称念寺・・・大慶橋(天白川)・汐見橋(扇川)・・・常滑街道合流地点・・・中之郷津島社・秋葉社・・(東海道新幹線・東海道線)・・・八幡神社・・・師崎街道分岐地点・・・大高川・・・(東海道線・新幹線)・・・砦前交差点・・・丸根砦跡・・・県道50号・・・(南大高駅)・・・(名古屋第二環状道)・・・(伊勢湾岸自動道)・(大府市)・・・(共和駅)・・・(鞍流瀬川)・・・山祇社・・・地蔵院・・・大府駅(東海道線)

 東海道の笠寺一里塚跡の東で南に分かれ、天白川、扇川を渡り、鳴海八幡宮の先で常滑街道に合流する知多街道を行き、大高駅の先の八幡神社の所で常滑街道から分かれて師崎街道に入り、知多半島先端の師崎港を目指す。

 参考:『愛知県歴史の道調査報告書 7集(師崎街道)』

  【ル-ト地図】(大府駅(16.5km)まで)

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Img_8505東海道分岐地点 《地図

知多街道は右の自転車店の角を右折して行く。

Img_8506知多街道に入る。

右にいぼ地蔵の祠

Img_8515粕畑貝塚跡 《地図

Img_8511ここは笠寺観音(笠覆寺)の前身の小松寺(観音塚)跡ともいう。

笠覆寺の本尊は十一面観音像、右は千手観音像。

Img_8510説明板

Img_8517本城公園・中井用水緑道 《地図

名鉄名古屋本線の踏切を渡って行く。

Img_8525正面の笠寺小学校が星崎城址

この坂は寺坂か?

Img_8528星宮社 《地図

見事な大楠

Img_8541石神社 《地図

石が神体で、歯痛・神経痛に霊験があり、お礼にシャモジを供えたことから、「オシャモジ様」と呼ばれた。堂内に古いシャモジが何本も立て掛けられている。

Img_8547光照寺

尾張の有力な武士であつた山田次郎重忠の創建という。知多街道を往来する人々の休憩所であったと伝える。

国道1号を横切る。

Img_8555正行寺前で右折し、すぐに左折して行く。

門は入って右に「星崎開運地蔵」堂がある。

Img_8565喚続(よびつぎ)神社 《地図

寛永9(1632)年8月14日の夜に落下した社宝の隕石

Img_8579西来寺 《地図

境内に永井荷風(永井星渚の子孫)を慕って建立された堀口大学揮毫の碑があるようだ。

Img_8586永井星渚出生地

屋敷跡で塩蔵もあったようだ。永井家はこのあたりの塩を仕切り、屋敷前が塩付街道の起点だったという。

Img_8581説明板

Img_8593天白川(右)・扇川(左)を渡って行く。

Img_8600左から来る常滑街道と合流する。《地図

常滑街道を進む。

Img_8605イブキの大木

Img_8610中之郷津島社・秋葉社 《地図

Img_8611説明板

東海道新幹線・東海道線をくぐって行く。

Img_8620八幡神社前の民家沿いの細い道から師崎(もろざき)街道が始まる。《地図

Img_8631大高川沿いを行く。

Img_8634丸根砦跡(正面)へ上る。《地図

Img_8637丸根砦跡

Img_8635説明板

大高城跡、鷲津砦跡は『常滑街道①』で訪れた。

Img_8643冷たい雨の中、殺風景な東海道線沿いの県道歩きで体が冷えて気分が悪くなってきた。

伊勢湾岸自動車道をくぐって名古屋市から大府市に入る。

Img_8660山祇社 《地図

Img_8661説明板

Img_8652地蔵院 《地図

抱き地蔵の「お願い地蔵」と「重軽地蔵」がある。

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2016年1月 5日 (火)

常滑街道③

2015年12月22日

蒲池駅(名鉄常滑線)・・・神明神社・・・法通寺・・・(セントレアライン)・・・北条交差点・・マルゴの坂・セイゾの坂・ヒデサの坂・ゲンパチ坂・陶磁器会館・・一木橋の坂・・一木橋・・柳井戸の坂・・上天の坂・・カクジロの坂・・会所の坂・・だんご茶屋・・チョウゴロウの坂・・でんでん坂・廻船問屋瀧田家・・土管坂・・光明寺・・禰宜殿の坂・・窯坂・・登窯広場・・・神明神社・・・山方橋(大落川)・・・常滑城址碑(天理教会)・・・正住院・・・常滑城跡・正方寺・・・満覚寺・・・市場橋(大落川)・・・大落川樋門・常滑港・・・常滑駅(名鉄常滑線)

 常滑焼の町の坂道散歩を楽しんでから常滑城跡まで行き、今回の常滑街道歩きの終点とした。

  【ル-ト地図】(蒲池駅(42.2km)から常滑駅(53.1km))

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Img_8665榎戸神明社 《地図

新年を迎える準備に余念がない。

Img_8669レトロな建物は何か?

Img_8671法通寺 《地図

北条交差点から常滑焼の町の坂道散歩に入る。坂の位置は『常滑やきもの散歩道』参照。

Img_8680マルゴの坂(坂上方向) 《地図

坂の西側にあった丸五製陶による坂名。

Img_8682坂下方向

Img_8684坂上近く

Img_8686セイゾの坂

マルゴの坂上から西方向に下る坂。「セイゾウさん」の家があった。

Img_8688坂上方向

Img_8694ヒデサの坂(右)

関薬局の裏側(南側)を上る坂。坂下に「ヒデさん」の家があった。

Img_8695坂上あたり

Img_8696坂下方向

Img_8700ゲンパチ坂

JAの敷地内から西方向に上る坂。坂上にゲンパチさんの家があった。

Img_8701陶器の土管の階段

Img_8703坂上

Img_8706陶磁器会館 《地図

Img_8707かりせーさ

Img_8708一木橋(いちきばし)の坂(左) 《地図

大正10年(1921)に架設された陸橋。あらかじめ橋を架けその下の土をくり抜く工法で造られた橋。

Img_8713坂下方向(一木橋から)

Img_8714柳井戸の坂(坂下方向)

坂下に「棚井戸」と呼ばれる共同井戸があった。

Img_8716坂上方向

Img_8718坂下あたりから坂上方向

Img_8724上天(じょうてん)の坂(坂上方向)

「上天」という地名からで、かつて坂の下に「上天の池」があった。

Img_8731坂下方向

Img_8739カクジロの坂の坂上近く

直進の急な坂(男坂)と左に回り込む緩やかな女坂(ゆったり坂)に分かれる。カクジロさんの家があった。

Img_8738坂標?

Img_8742カクジロの坂(坂下方向) 《地図

Img_8744坂上方向

Img_8746坂下あたり

Img_8753会所の坂(坂上方向)

県道に出る角に青年団の会所があった。

Img_8755坂下方向

Img_8760だんご茶屋(坂の途中)

やき串だんごを3本買って食べながら散策を続ける。串を捨てるカゴが道沿いに設置されていた。

Img_8757坂上近く

Img_8761チョウゴロウの坂(坂下方向)

だんご茶屋の裏の坂。チョウゴロウさんの家があった。

Img_8762坂上方向

Img_8766でんでん坂(坂下方向)

「でんでん山」と呼ばれた高台に上る坂。

Img_8771坂上方向

左は廻船問屋瀧田家

Img_8780土管坂 《地図

焼酎瓶と土管の間で、下に「焼台」が敷かれている。

Img_8788説明板

Img_8784坂下方向

Img_8792禰宜殿の坂

土管坂からさらに下る坂。神明神社?の禰宜の家があった。

Img_8794坂上方向

Img_8802窯坂(坂上方向) 《地図

器屋「散歩堂」から「茶屋窯坂」に上る坂。

Img_8803坂下方向

Img_8805坂上近く

Img_8807登窯広場 《地図

隣に登窯の陶栄窯が保存されている。

Img_8865神明神社

陶器の狛犬が鎮座する。

Img_8821旧商店

Img_8823大落川(山方橋) 《地図

常滑焼の招き猫などが並んでいる。

Img_8825「常滑城址」碑 《地図

天理教会の門前の左のミラーの下。

Img_8828正住院 《地図

Img_8833常滑城跡 《地図

正面は常滑港

Img_8835説明板

Img_8841市場交差点

Img_8843大落川樋門 《地図

Img_8847常滑港

常滑駅に向かう。

Img_8872「大七福神」(常滑駅の南側)

Img_8869説明板

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2016年1月 2日 (土)

常滑街道②

2015年12月20日

太田川駅(名鉄常滑線)・・・可家の湊跡・・・(名鉄常滑線)・・・諏訪神社・・今川塚・・・(名鉄常滑線)・・・本川樋門跡・公家緑道・・横須賀御殿跡・・愛宕神社・・大教院・・・玉林寺・・・(名鉄常滑線)・・・二のかけ地蔵・・・(名鉄常滑線)・・・横須賀交差点・国道155号・・・安楽寺・・玉泉院・・妙乗院・・・(知多市)・信濃橋(信濃川)・・・龍蔵寺・・・(名鉄常滑線踏切)・・・薬師堂・・・栖光院・・観音脇池・・・石薬師寺・・・浜脇交差点・・下森橋(美濃川)・・・龍雲院・・・御嶽神社・新知保育園・・・岩之田交差点・・・大龍寺・・・秋葉神社・・・福田寺・・日長神社・・・神山畔橋(日長川)・・・瑞光寺・・・新舞子松原毘沙門堂・・・(新舞子駅)・・・(名鉄常滑線踏切)・・伊勢湾・・・大草排水機場・・新川橋(新川)・(常滑市)・・大野海水浴場・・観音寺・・宝蔵寺・・大野橋(矢田川)・・矢田川水門・・洞仙寺・・十王堂・・東龍寺・・斉年寺・・内宮御祭宮社・・・神明社・・・(西ノ口駅)・・・(名鉄常滑線踏切)・・・蒲池駅(名鉄常滑線)

 東海市から知多市に入り、2度も大きく道を間違えてしまったが、新舞子駅の先で伊勢湾沿いに出て常滑市に入った。

  【ル-ト地図】(太田川駅(16km)→蒲池駅(42.2km))

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Img_8236可家の湊跡 《地図

この「御洲浜の池」は、万葉集にも詠まれた可家の湊が池となって取り残された跡という。このまま埋め立てられなければよいが。

Img_8237説明板

Img_8242諏訪神社

Img_8241万葉歌碑(右・文化15年(1818))

諏訪神社境内

Img_8240説明板

Img_8243今川塚今川義元の墓) 《地図

「今川さん」と呼ばれ、願掛けすると病気が治る」といわれ、信仰を集めるようになったそうだ。

Img_8252本川樋門跡 《地図

横須賀入江の公家(こうけ)川の雨水と伊勢湾の海水の合点に造られた樋門跡。今は公家緑道として整備されている。

Img_8250説明板

Img_8259横須賀御殿跡碑

尾張横須賀の歴史

Img_8256説明板①

Img_8258説明板②

Img_8254御殿の想定範囲図

愛宕神社、横須賀町方の北側一帯。

Img_8270愛宕神社

Img_8271由緒

Img_8269琴弾松(二代目)

初代は横須賀町方の中程の大教寺にあった。
横須賀町の民話『琴弾松

Img_8267説明板

Img_8272横須賀町方の通り 《地図

愛宕神社の鳥居から玉林斉(現玉林寺)に続く道の両側。正面左は八公組山車蔵
横須賀まつり~横須賀御殿と町方

Img_8273大教院

初代の琴弾松があった寺。

Img_8281玉林寺 《地図

Img_8280説明板

「二のかけ地蔵」を探しに行く。

Img_8287二のかけ地蔵 《地図》?

名前の由来が分からない。

常滑街道に戻る。

Img_8305妙乗院の滝場 《地図

小玉姫の祠(小玉塚)を探したが分からず。安楽寺の北側の路地を西に入った所にあるようだ。

Img_8312信濃橋(信濃川)を渡って東海市から知多市に入る。

Img_8315旧家

Img_8316龍蔵寺 《地図

知多四国八十八箇所の81番

Img_8324栖光院(せいこういん)の大クス 《地図

知多四国八十八箇所の80番

Img_8333石薬師寺 《地図

浜脇交差点を右折し、下森橋を渡り美濃川沿いを少し進む。

Img_8342ここを右折し、龍雲院の方へ向かう。

Img_8343龍雲院 《地図

ここから道を間違え、坊の下交差点の方へ出てしまった。坊の下交差点から新知保育園へ細い道を上り、下って左折し何とか岩之田交差点に出て常滑街道の道筋に入ったが、その先でまた間違えて知多中学校の方へ下ってしまい引き返し、長浦台団地を抜けてやっと本来の道筋に入った。起伏のある道で気分的にもかなり疲れた。(【ル-ト地図】は実際に歩いた道を記載)

Img_8916長浦台団地を抜けて高台の道に入る。《地図

人も車の往来のない静かな道で、迷った疲れも少しは癒された。

Img_8915名鉄常滑線と国道155号の向うに出光興産の製油タンク

Img_8909気分のいい道を緩やかに下って行く。

Img_8900今川地区の集落を抜けて行く。

Img_8895大龍寺(左) 《地図

Img_8365大龍寺

Img_8372どっしりとした茅葺きの家

この前を右折し、少し行って左折する。

Img_8377このあたりは玉石垣風の家が多い。

Img_8381秋葉神社 《地図

この先で日長川を渡って行くのだが、川沿いを進み福田寺と日長神社に寄る。

Img_8876福田寺 《地図

Img_8401日長神社

Img_8392日長神社

Img_8389説明板

Img_8396紅葉谷

日長川に戻る。

Img_8881日長川(神山畔橋)

正面は参宮橋

Img_8416新舞子松原毘沙門堂

Img_8420防風林のクロマツ

Img_8429伊勢湾沿いに出る。 《地図

知多市から常滑市に入る。

Img_8442大野海水浴場 《地図

鴨長明が訪れ、「生魚の 御あへもきよし 酒もよし 大野のゆあみ 日数かさねむ」と詠んだといい、古くから潮湯治が行われていた。それで「世界最古の海水浴場」の看板を立てていた。
あいちの海水浴場のあゆみ』に、「大野の潮湯治」(尾張名所図会)と、「世界最古の海水浴場」の看板(標柱)の写真が載っている。

Img_8448宝蔵寺

知多四国八十八箇所の68番

Img_8447説明板

Img_8449旧商店

Img_8455大黒屋

Img_8460矢田川水門前から矢田川(上流方向) 《地図

Img_8466洞仙寺

Img_8467説明板

Img_8470十王堂 《地図

Img_8468説明板

Img_8471大野町のイブキか?(右)

Img_8472東龍寺

Img_8473説明板

Img_8477斉年寺総門

天正16年移転再建当時のもの。大野城主佐治家の菩提寺。大野城跡は南東方の城山公園になっている。

Img_8480山門

天正16年(1588)移転再建当時のもの。楼上に十六羅漢を安置。

Img_8481説明板

国宝 雪舟筆「達磨大師二祖慧可断臂図」 (国立京都博物館寄託) 本堂内にパネルが展示してあるようだ。

Img_8488内宮御祭宮社 《地図

Img_8489説明板

Img_8496神明社

Img_8494説明板

西ノ口駅を過ぎ、蒲池駅まで行った

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