岡崎街道①
2016年1月17日
名古屋駅・・・札の辻…名古屋テレビ塔・蕉風発祥の地碑・・・東充寺(へちま薬師)・・・含笑寺・・・宗円寺・・・円教寺跡(一里塚跡)・・白山神社・・・八王子社(青木神社)・・・JR中央本線ガード・・・古井ノ坂・・・中道橋(名古屋高速2号東山線)・・・大師堂・・・地蔵堂・・・秋葉社?・・・塩付街道交差地点・・・称名寺・・・川原神社・・・太平寺・・・川名南城址あたり・・聖徳太子堂・・・川名大橋(山崎川)・・・法光寺・・・隼人池・誓願寺・参道坂・・八事交差点・塩釜坂・・・常楽寺・・・八事裏山交差点・・・聖徳寺・・・植田橋(植田川)・・・天白橋(天白川)・・・平針街道合流地点(平針西口交差点)・道標地蔵・・・原駅(地下鉄鶴舞線)
徳川家康が直接探査して作らせた、名古屋城下と岡崎城下を結ぶ最短ルートの岡崎街道を行く。大坂冬の陣、夏の陣での軍事道路であり、江戸期には物流のルートとして活躍した。一般には、「駿河街道」とか、「駿河町街道」と呼ばれていた。
平針の追分までは飯田街道と重なり、道路標識なども「飯田街道」となっている。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
札の辻・伝馬会所跡(伝馬町通本町交差点) 《地図》
美濃路は交差点を左折、岡崎街道(飯田街道)は右折、稲置街道(木曽街道(上街道))・善光寺街道(下街道)は直進。
ここを起点とし、岡崎の西方の宇頭(岡崎市)で東海道と合流する所まで歩く。
ロサンゼルス広場 《地図》
街道筋ではないが。
蕉風発祥の地碑 《地図》
東充寺(へちま薬師) 《地図》
このあたりは寺が多い。江戸時代には東寺町と呼ばれ、城下の防衛線となっていた。
「愛知県歴史の道調査報告書」によれば、圓教寺(中区新栄2-13-18)の所に一里塚があり、「旅人のこころや涼し一里塚」の句碑(塵鏡庵?)が立っていたというが、廃寺か移転したようで工事中だった。句碑も芥か塵となってしまったのか。
白山神社 《地図》
古墳上にあるそうだ。
ガード下あたりに木戸があったようだ。道路標識は「飯田街道」で明治時代以降の呼び名。
古井ノ坂を上る。《地図》
名古屋高速2号東山線を渡って行く。
大師堂 《地図》
右の自販機の後ろ
新四国道は「知多四国八十八箇所」のこと。
春岡通7交差点と川名本町1交差点の間で塩付街道と交差する。街道の所々には松並木があったというが、その痕跡はない。
神社の東側が川名北城址という。
太平寺 《地図》
天文2年(1533)の建立で、天正12年(1584)の小牧長久手の戦いで焼失し、現在の本堂は昭和6年に建てられたものという。
昭和警察署あたり
聖徳太子堂 《地図》
太子像を安置するようだが、民家の敷地内で近づけない。
隼人池 《地図》
正保3年(1646)に犬山城主の成瀬隼人正(なるせはやとのしょう)正虎が開拓した藤成新田(ふじなりしんでん)の灌漑用水のために造成した池。池の水は、途中山崎川を筧(かけい・懸樋)で越えて新田に送られていた。
このあたりと、「八事八つの坂」は、『名古屋市の坂②』記載。
誓願寺あたりの街道沿いに最近?まで一里塚跡が残っていたそうだ。
八事交差点 《地図》
旧道の塩釜坂を上り、八事裏山交差点へ下り、植田川、天白川を渡って行く。
正面右の小祠内の地蔵の左側面に、「左みや いせ道」・右側面に、「右なごや道」。
今日はここまでとし、原駅に向かった。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2021年11月~2022年6月)追加分(2022.06.20)
- 結城街道⑥(下館駅→日光街道合流地点)(2020.07.02)
- 結城街道⑤(岩瀬駅→下館駅)(2020.06.29)
- 結城街道④(稲田駅→岩瀬駅)(2020.06.23)
- 結城街道③(内原駅→稲田駅)(2020.06.19)
コメント