師崎街道③
2016年1月14日
石浜駅(JR武豊線)・・・豆搗橋(豆搗川)・・・泉ヶ池・・・常照寺・・・観音寺・・・伊久神坂・伊久智神社・・神後院・・・安徳寺・・・須賀川土手・白雪稲荷道標石・・・藤江神社・・藤江南の常夜灯・・藤川橋(須賀川)・・・藤江交差点・(半田市)・・・(武豊線ガード)・・・亀崎小学校・・北浦坂・・桟敷の道・・天命地蔵・行者坂・・次郎長峠・お城坂・・亀崎城址・・寺山坂・・海潮院・・神前神社・・浄顕寺・・秋葉社・・・鈴川綿布・・・盛田金しゃち酒造・・・尾張三社・・・潮風の丘緑地・・・中午排水水門・・・第1半田街道踏切(武豊線)・・・大川橋(稗田川)・・・乙川天満宮・・・乙川踏切・・・半田大橋(阿久比川)・・半田小橋(半田運河)・・中埜酒造・・業葉神社・・酒の文化館・・半六庭園・・小栗家本宅・・ミツカンミュージアム(MIM)・・・船方橋(半田運河)・・・第3半田街道踏切・・・秋葉社・・・法蔵寺・・・粕江庚申堂・・・信光寺・・・神戸橋(神戸川)・・・南地地蔵・・・(武豊町)・・・石川橋(石川)・・・蓮花院・・武雄神社・長尾城址あたり・・・森下踏切・・・武豊橋(堀川)・・・豊石神社・・堀田稲荷神社・・・浦島橋(浦島川)・・・新川(新川橋)・・・清応院・・富貴駅(名鉄河和線)
12月の続きの師崎街道を、知多半島先端の師崎港・羽豆岬を目指す。昨年の1月の渥美半島の伊良湖岬への田原街道では北西からの冷たい強風にあおられどおしで往生した。師崎街道は知多半島の東岸沿いで、南に向かう道筋だから強い向い風の心配はないと思うのだが。
【ル-ト地図】(石浜駅(30.2km)→富貴駅(56.8km))
写真をクリックすると拡大します。
泉ヶ池 《地図》
「四国直伝弘法八十八ヶ所霊場」の第18番
「知多四国八十八箇所」の第10番
伊久神(いくじん)坂 《地図》
伊久智神社の大クスと神後院(左)の間を下る坂。東浦町の町の木は「くすの木」
近隣からは古代の製塩土器が発掘されている。
閻魔大王像(右)
安徳寺 《地図》
「知多四国八十八箇所」の第11番
白雪稲荷道標石(須賀川土手) 《地図》
ここからそれほど遠くではないようだ。
『東浦町観光案内』の「ちょっと寄り道」に載っている。
「だんつく獅子舞」
須賀川を渡り、藤江交差点から半田市に入る。武豊線のガードをくぐり、美濃窯業沿いの坂を上り、左折して亀崎小学校の北側から亀崎城址に向かう。途中、思いがけず名のある5つの坂に出会った。
北浦坂 《地図》
亀崎小学校前から北東に北浦町に下る坂。右の民家の生垣内に木製の坂標が立つ。
桟敷の道(坂下方向) 《地図》?
北西方向に下る坂
急坂で滑り止めの桟が敷かれていたのか?
衣浦大橋が開通するまで、三河へ渡る亀崎渡船場があった。幾通りもの渡しがあり、「高浜渡し」・「田戸の渡し」・「大浜渡し」が代表的なものだった。
「尾張名所図会」に「当所は船着きにして千余り家がある漁村である。富暁の地であり、豪家も少なくない。また、眺望もよく、湾を隔てた三河との交易が多い」と記す。
左に天命地蔵堂
石橋の海運業・材木問屋の間瀬作兵衛が京都を訪れた時、田んぼに倒れている地蔵を立て直したところ、意外に軽く、これも何かの縁と思って家に持ち帰り、その後ここに堂を建てたという。堂の屋根上には「天命」と刻まれているそうだ。
首から上の病、特に目の悪い人には霊験あらたかとか。
行者坂(坂下方向) 《地図》
北から北西方向に下る坂。
お城坂(坂下方向) 《地図》
東から南東に下る坂。
このあたりは「富士山」という字名で、ここは次郎長峠というようだ。右が亀崎城址の公園、左前方は衣浦湾の衣浦大橋。
正面奥に「亀崎城趾」碑が立つ。
寺山坂 《地図》
お城坂の途中から南に少し上って、海潮院の西側へ下る細い坂。
民家の間を下って行く。
正面は馬鹿でかい「〇〇君頌徳碑」
知多四国八十八箇所の第54番
「亀崎潮干祭」
街灯の看板の「望洲楼」は浄顕寺の先の右側か。
宝物に「蓮如上人自作木像」・「石山合戦御身方連名 血判弥陀画像」、その他多数だそうだ。
潮風の丘緑地 《地図》
橋の先は衣浦湾
ここは乙川八幡町で北に乙川八幡神社がある。
併流する半田運河の半田小橋を渡り、醸造蔵が立ち並ぶ道を南下する。
山城国男山八幡宮を勧請し、古来より八幡宮と称していたが、神宝の古面裏書に「業葉天神」と記されていたことから、本国神名帳にある従三位業葉天神であることを知り、天保8年(1837)に改称したという。
ミツカンミュージアム「MIM」
半田運河沿いの「ミツカン」の蔵
衣浦港へと流れて行く。
南本町交差点に出て県道262号を進む。
「四国直伝弘法八十八ヶ所霊場」の第26番
武豊町に入る。
「知多四国八十八箇所」の第23番
岩田氏が長尾城の一画に「城内・領内の鎮護」として祀った社。
説明板(長尾城址)
豊石神社 《地図》
「大足蛇車まつり」・絵馬殿の「算額」
武雄神社と豊石神社で、「武豊町」となった。むろん騎手の武豊とは無関係よ。
大きな阿吽の狐像。右(阿)は巻物をくわえ、左(吽)は手に宝珠を持つ。両狐とも優しい顔立ちだ。
武豊町の富貴地区は各地にある「浦島太郎伝説地」の一つ。浦之島・浦島川・負亀の松・竜宮神社・乙姫橋・浦島神社などがあり、知里付神社には玉手箱、真楽寺には「亀のお墓」もあるそうだ。「たけとよの伝説」
橋の上流側あたりに「四季咲カキツバタ跡」碑があるようだが見逃した。海岸の竜宮海水浴場は昭和30年代には賑わったという。
明日、竜宮保育園前の竜宮神社と常夜灯を訪れる予定として、富貴(ふき)駅に向かった。
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