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2016年2月28日 (日)

稲置街道(犬山街道)②

2016年2月8日

味岡駅(名鉄小牧線)・・・岩崎清流邸・筋違橋(新木津川用水)・・・道標・・・神明社・・・大師祠・・・(東名高速)・・・旧道・・・戒蔵院・道標・・西源寺・・西林寺・・西町の稲荷堂・・玉林寺・・清須道起点標柱・・小牧宿本陣(江崎家)跡・・岸田家・・小牧御殿(代官所)跡・・啓運寺・木戸高札場旧蹟跡碑・・香神神社・・・外山神社・・・妙蔵寺・・・天神社・・・自衛隊宿舎・・小向橋(大山川)・・・西行堂橋(西行堂川)・・春日寺・・自衛隊小牧基地・・・春日寺神明社・・(春日井市)・・穂麦坂・穂麦塚・正念寺・・・尾張藩主御休所・・・椎樫地蔵・・・味鋺原新田一里塚跡標石・・・(名古屋第二環状道)・・・立石の道標・春日山古墳・・・白山神社・白山神社古墳・・二子山古墳・・・中新町交差点・旧道・・・伊勢山橋(新地蔵川)・(名古屋市)・・首切地蔵・・・味鋺神社・護国院・・・西八龍社・・・ふれあい橋(庄内川)・味鋺の渡し跡・・・成願寺・・・(庄内用水(惣兵衛川))・・・山神社(お福稲荷社・白龍大神社)・・・安井の一里塚跡あたり・・・安栄寺・・児子社・・・黒川橋(堀川)・・・子捨橋跡・最上位経王大菩薩・・・解脱寺・・・稲置街道道標・・八王子神社・・・御成道交差地点・・・白龍酒造(跡)・・・(名鉄瀬戸線)・・・秋葉宮・・・(名古屋高速1号楠線)・・・清水弘法堂・・清水坂・・・名古屋拘置所・・・名古屋城東御門跡・・・市政資料館・・・善光寺街道(下街道)合流地点・・・道標・・・札の辻・伝馬会所跡(伝馬町通本町交差点)

  【ル-ト地図】(味岡駅(21.3km)→札の辻(44.7km))

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1138岩崎清流邸 《地図

老舗の料亭だが、廃業したのだろうか? 明治~昭和の初め頃まで、大垣・犬山方面から新木津川用水を船で下って来た船頭が船を留め、食事をしたともいわれる。

Img_1144「愛知県指定天然記念物 岩崎清流邸の藤」

この藤はどうなるのか?

Img_1150道標「右 犬山」・「左 岩崎山御立野所跡」(JA味岡支店の敷地のフェンス内)

Img_1152藤塚の一里塚跡(味岡口交差点の手前)

Img_1154説明板

名古屋から楽田の追分までは「上街道」(木曽街道)と標示されることが多い。

Img_1158大師祠(右)

弘法大師像・馬頭観音・地蔵が並んでいる。

東名高速をくぐる。

Img_1163右に旧道に入り、小牧宿へと進む。

Img_1168戒蔵院前の道標(説明板の前・寛政10年(1798)) 《地図

「南 名古屋」・「西 一の宮 つしま 清須」・「東 木曽海道 犬山道」で、街道はこの前を南に進むが、周辺を散策する。

Img_1172説明板

木造十一面観音

Img_1176西源寺

Img_1181旧家

Img_1184西町の稲荷堂 《地図

Img_1183説明板

Img_1187玉林寺(小牧観音)

街道に戻り、小牧宿を進む。

Img_1191屋根神様

Img_1195清須道標柱

西方の清須の街への起点

Img_1198本陣跡(旧江崎家) 《地図

説明板が立つのみ。

Img_1197説明板

Img_1200屋根神様が取り残されている。

Img_1206説明板(小牧宿)

Img_1207小牧宿図(下が北)

Img_1201枡形の名残り(小牧四丁目南交差点)

Img_1213岸田家 《地図

Img_1212説明板

Img_1208福禄寿石像

もとは岸田家の隣の小牧御殿(代官所)にあったという。

Img_1220啓運寺

小牧宿の南端で、木戸と高札場があった。

Img_1218木戸高札場旧蹟碑

Img_1221香神神社

地図では三十番神宮となっている。

Img_1231外山神社 《地図

銅鐸の出土地

Img_1230説明板

Img_1245西行堂川(西行堂橋から) 《地図

西行が春日寺の僧だった伯父を訪ねたが、すでに亡くなっていた。西行は霊を弔い、供養のため木像を彫り、小堂(西行堂)を建てて安置したという伝承があるようだ。

Img_1246春日寺(かすがんじ)

春日寺神明社の先で春日井市に入る。

Img_1257穂麦坂を下る。《地図

別名を「へそ坂」で、由来は説明板にある。

Img_1256穂麦塚(正念寺境内)

芭蕉の「野ざらし紀行」での句

Img_1255説明板

Img_1268安藤邸(尾張藩主御休所) 《地図

Img_1267説明板

Img_1271椎樫地蔵(正面の建物前・宝暦8年(1758)) 《地図

「右 志ミ洲道」・「左 かち川道」で、ここは下街道(善光寺街道)との連絡道の勝川道との分岐点。もとはそばに椎の古木があったので、この名がついたという。右の清水道(木曽街道)を南下する。

Img_1277味鋺(あじま)原新田の一里塚跡 《地図

右に標柱のみ。

Img_1281立石の道標(正面・天保7年(1836))・春日山古墳 《地図

道標を兼ねた供養塔で、「是与里十八丁常安寺」・「三国伝来 釈迦如来」などと刻まれている。常安寺は北西の豊山町の「鋳造誕生仏」(県指定文化財)を安置する寺だろう。 《地図

二子山公園内の白山神社に向かう。

Img_1295白山神社の由緒碑(裏)

台石は春日山古墳から掘り出されたものといわれる。

Img_1300白山神社

社殿は白山神社古墳上にある。

Img_1294由緒

Img_1299説明板

Img_1305二子山古墳

全長96mの前方後円墳

中新町交差点の西側で旧道に入り、新地蔵川を渡り名古屋市北区に入る。

Img_1313首切地蔵 《地図

首ではなく胴が切られている。

Img_1312由来

Img_1317旧家

Img_1342味鋺神社・護国院

Img_1323説明板(味鋺神社)

Img_1329説明板(護国院)

Img_1337清正橋(味鋺神社境内)

南西の稲置街道の小川に架かっていた橋。昨日の年貢橋(清正橋)は、保存されているだけだったが、ここのは境内とはいえ、今も現役の橋だ。

Img_1335説明板

Img_1332味鋺の道標地蔵(護国院境内)

「右勝川道」・「左小牧道」で、もとは庄内川の右岸堤防沿いにあったもの。

この先で庄内川の土手に突き当たる。昔は「味鋺の渡し」で渡った。大名行列は船をつないだ船橋で渡った。下流のふれあい橋まで土手上を行く。

Img_1347土手下の西八龍社

雷除けの神社として近郊の崇敬を受けていた。

Img_1356ふれあい橋(人道橋)から下流方向 《地図

45階建ての高層マンションがそびえる。その隣は北スポーツセンター。

Img_1358成願寺

現代的な造りの寺になっている。「信長公記」の太田牛一は、ここで成長した(僧侶をしていた?)と伝える。

Img_1363山神社・お福稲荷神社・白龍大神社 《地図

西南の安井城の鬼門の守護神として創建されたといわれる。末社のお福稲荷社は、戦前まで大変な賑わいを見せていたという。「お福」とは人名だろうか?

Img_1372安井の一里塚跡あたり 《地図

何の跡形も標示もない。

Img_1373安栄寺

Img_1378六地蔵石仏(大永7年(1527))

県下で最古の紀念銘のある石仏

Img_1375説明板

Img_1382八幡社 《地図

通称児子宮(ちごのみや)といい、末社の児子社は古来より虫封じの神として信仰が篤い。代々尾張藩主も、幼少時に虫封じを授かったといわれる。

Img_1387黒川橋(堀川)を渡る。《地図

名古屋城も近づいた。

Img_1391捨橋跡(別名西行橋・正面の鳥居は「最上位経王大菩薩」) 《地図

『尾張名陽図会』に、橋の上に子どもを捨てたまね事をすると、その子は無病で長寿になると伝える。また、西行の土人形を橋の下に投げ入れると諸願が成就するという伝えもあった。

Img_1395粟稗塚(中央・解脱寺境内)

「粟稗に貧しくもあらず草の庵」

Img_1394説明板

Img_1400稲置街道道標(左・清水街園の前)

左面に「至 犬山」とある。

Img_1401八王子神社 《地図

古来、子どもの守り神で、名古屋城の鬼門の護り。

Img_1405御成道交差点

Img_1403説明板

Img_1408白龍酒造

平成20年に閉店したようだ。

名鉄瀬戸線をくぐる。

Img_1419清水弘法堂 《地図

Img_1420清水坂を上る。

このあたりは、『名古屋市の坂①』で歩いている。

Img_1423東御門跡

逆光で見づらく地図で遮って撮ったら、名護屋城が写っていた。

Img_1426市政資料館

Img_1427説明板

Img_1430県議員会館

Img_1432善光寺街道(下街道)合流地点 《地図

Img_1447札の辻・伝馬会所跡

稲置街道・木曽街道(上街道)・善光寺街道(下街道)・岡崎街道(飯田街道)の起点、南から来た美濃路は西に向かい堀川を渡って北上する。写真下は説明碑

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2016年2月23日 (火)

稲置街道(犬山街道)①

2016年2月7日

鵜沼宿駅(名鉄各務ヶ原駅)・・・鵜沼宿(中山道)・・大安寺橋(大安寺川)・稲置街道起点・・・(国道21号)・・・鵜沼道踏切(JR高山線・名鉄各務ヶ原線)・・・八坂神社・・・ライン大橋(木曽川)・・(愛知県)・・犬山城下(犬山神社・三光稲荷神社・針綱稲荷神社・犬山城・公園坂・有楽苑・瓦坂・余坂天神社・奥村家住宅・余坂口木戸跡・愛宕神社(木ノ下城跡)・薬師寺・薬師口木戸跡・堀部家住宅)・・稲置街道・・祥雲禅寺・・先聖寺・・徳授禅寺・・秋葉大社・・岩倉街道合流地点・・・(名鉄犬山線踏切)・・・津島神社・・・万願寺交差点・県道27号・・・(国道41号)・・・八龍宮道標・・・史蹟五郎丸初生地・・・(合瀬川)・・・大橋(半ノ木川)・・・磨墨塚史跡公園・・・羽黒城址・・興禅寺・・・(羽黒駅)・・・堀田弘法堂・・・堀田橋(五条川)・・・野呂塚・・(名鉄小牧線)・・八幡林古戦場跡・羽黒八幡神社・・・県道27号・・・旧道・・・御嶽神社・・・御日塚神社・・・チャペル犬山・楽田の追分(木曽街道(上街道)合流地点)・・・(県道27号)・・・楽田城北之門旧跡・・・小西寺・・・馬頭山観音寺・・・島社天神社・県道27号・・・(小牧市)・・・田縣神社・・・(尾張広域緑道)・・・観音堂橋(新木津川用水・原川)・年貢橋跡・・・観音寺・熊野社・岩崎山砦跡・・・味岡駅(名鉄小牧線)

 名古屋城下と犬山城下を結んだ稲置街道(犬山街道)を行く。「稲置」の由来は、犬山を「稲置(木)村」といったことによる。名古屋から楽田の追分までは、木曽街道(上街道)と重なって行く。
 犬山城下からは北へ木曽川を渡り、中山道鵜沼宿へと通じていた。今回は鵜沼宿を起点とし南に向かい、名古屋城下の札の辻を終点として2日で歩く。好天で見所も多く楽しい街道歩きになるだろう。

  【ル-ト地図

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Img_0741鵜沼宿駅から案内図のとおり中山道鵜沼宿に向かう。

Img_0748鵜沼宿の家並み

以前訪れた時以上によく整備されている。

Img_0765大安寺橋から中山道から分かれ、右(南)へ大安寺川沿いを行く。

左は、一服茶屋花の木の「宇留摩庵」 《地図

Img_0771大安寺橋

昔の宿場風情の残るここを稲置街道歩きの起点とした。

国道21号(現中山道)をくぐり、JR高山線・名鉄各務ヶ原線の踏切を渡る。

Img_0781犬山城が見え始めた。

Img_0795八坂神社 《地図

Img_0800大安寺川河口から木曽川・犬山城

木曽川は少し上流の内田の渡し(鵜沼の渡し)で渡っていた。(後述)

Img_0803ライン大橋を渡って愛知県に入り、犬山城下に向かう。

濃尾平野を潤す宮田・木津(左岸)及び羽島(右岸)の三用水をを合口した犬山頭首工の施設だ。

晴天の日曜で観光客も多い犬山城下に入る。

Img_0817犬山神社 《地図

Img_0818説明板

Img_0824三光稲荷神社

Img_0827針綱神社

Img_0868説明板

Img_0863岩坂門跡から犬山城入る。

Img_0832犬山城

Img_0833説明板

急で滑りやすい木の階段を上り天守に出る。風が強く写真を撮るのに苦労した。

Img_0838ライン大橋方向

正面は伊木山(いぎやま・「夕暮れ富士」・173m)で、山頂付近に伊木山城跡がある。

Img_0845ツインブリッジ犬山橋・雪を被った御嶽山(左後方・3067m)

犬山橋の所が「内田の渡し跡」(鵜沼の渡し)で、犬山側に常夜灯が立っている。

Img_0852小牧山城跡方向

正面遠方の少し高くなっている所?

Img_0841中央の山並みのさらに左方が金華山の岐阜城だが、写真には写らず。

Img_0870公園坂を公園橋(郷瀬川)へ下り、有楽苑に向かう。 《地図

Img_0876有楽苑(うらくえん)

苑内に織田信長の実弟の織田有楽斎の建てた茶室の如庵(じょあん・国宝)がある。元は京都にあったものを当地に移築した。
入苑料千円で、千円分散策する時間の余裕も、数寄者でもないので、隙間から写真を取っただけで立ち去った。

Img_0881瓦坂橋から瓦坂を上る。《地図

坂上のカフェの名は何故か「さくら坂」だ。

Img_0887坂上を進んだ所から坂下方向

Img_0889旧家

Img_0892余坂天神社 《地図

ここは余坂口木戸の外側になる。

Img_0891説明板

Img_0897余坂の家並み

右が奥村家住宅で、天保13年(1842)の「犬山の大火」後ほどなくの再建と伝える。天正10年(1582)、武田勝頼討伐に向かう織田信長が、ここに立ち寄り水を飲んだという「銀明水の井戸」がある。

Img_0898説明板

Img_0899「中山道一里塚跡遺跡前」碑

鵜沼宿から一里ということか? 『稲置街道散策まっぷ』は、「(奥村)邸の前の通りは旧中山道」としているが。邸内では「フレンチ創作料理」をやっているが、むろんここもパスした。

Img_0901余坂本通りの家並み

Img_0907旧家

Img_0910余坂口木戸跡あたり 《地図

ここから内側(西側)が城下町

Img_0908説明板

Img_0909説明板

Img_0914愛宕神社(木ノ下城跡) 《地図

社殿左の大クスノキの根元に城の井戸という「金明水」がある。

Img_0918説明板

「神社の西南方約100mの、大榎の下にある銀明水」と記すが、銀明水は2つあるのか?

Img_0923薬師寺瑠璃光殿(階段上)

本尊の木造薬師如来坐像は国の重文。

Img_0930薬師口木戸跡あたり 《地図

ここも枡形が残っている。

Img_0931堀部家住宅(木之下城伝承館) 《地図

冬季休業中

稲置街道に戻る。

Img_0934祥雲禅寺参道

Img_0935稲置街道の家並み 《地図

Img_0937先聖寺(せんしょうじ・犬山の唐寺) 

本堂の赤屋根が目立つ。普茶料理(精進料理の一種)が食べられるようだ。

Img_0941説明板

Img_0948秋葉大社

犬山城下南端の火防の神だろう。ライン大橋を渡ってここまで城下散策に2時間半以上を費やした。

Img_0949右から岩倉街道が合流する。

右は料理・仕出しの羽黒屋

Img_0952岩倉方向 《地図

名鉄犬山線踏切を渡って行く。

Img_0957津島神社 《地図

万願寺交差点で県道27号に出る。

Img_0965五郎丸バス停

このあたりは五郎丸という地名だ。由来については、人名、船の名など諸説あるようだ。丸は曲輪で五郎という豪族の屋敷があったという説にひかれるが。NHK大河ドラマ「真田丸」も進行中だ。

Img_0966八龍宮道標

「こどもの神様 八龍宮 是ヨリ西二丁」とあるから、ここから近いのだろうが地図には見当たらない。

Img_0969史蹟五郎丸初生地

初生地だから「五郎丸」という人名か?それとも初生とは人とは限らないか? 

ちなみに今を時めく五郎丸は福岡市の出身。

Img_0989磨墨塚伝承地(磨墨塚史跡公園) 《地図

名馬磨墨は馬込村(東京都大田区)の産で、後に馬込村に戻って来て死んだという伝承もあり、大田区には磨墨ゆかりの「鐙坂」・「磨墨塚」もある。『大田区の坂①』に記載。
宇治川の合戦で磨墨と先陣争いをした「名馬池月」の碑と馬頭観音観音堂は横須賀市にある。『横須賀市の坂⑨』に記載。

Img_0993「名馬磨墨塚」碑(中)・「隅之方の墓」(左)・名馬磨墨像?(右)

隅之方は梶原景高(景時の次男)の一子、豊丸の乳母で磨墨を伴って豊丸を守り、この地に落ち延びて来たという。

Img_0984説明板

Img_0985説明板

Img_1001羽黒城址(磨墨塚史跡公園の南側一帯)

豊丸(後の梶原景親)が築いた城。興禅寺の北側に土塁跡が残る。

Img_0997説明板①

Img_0998_4説明板②

Img_1015興禅寺

ここも梶原氏ゆかりの寺。「興禅寺のヨノキ(ムク)」と椿桜か?

Img_1008説明板

Img_1009説明板

Img_1013入鹿切れ」で「羽黒桜海道」(地名・ここから南東1.5kmほど)まで流されて来た大岩

入鹿池は香川県の満農池と一二を争う規模の溜め池 《地図

名鉄小牧線の東側に出る。

Img_1019堀田弘法堂 《地図

Img_1025野呂塚 《地図

小牧・長久手の戦の緒戦の羽黒八幡林の戦で討ち死にした秀吉方の森長可(森蘭丸の兄)の家臣の野呂助左衛門・助三父子の供養塔。

Img_1026説明板

Img_1033羽黒八幡神社

八幡林古戦場跡

Img_1028説明板

県道に戻り、蝉屋交差点の手前で左に旧道に入る。

Img_1036旧道を楽田の追分へ進む。

Img_1037馬頭観音か如意輪観音の祠(左)

Img_1041御嶽神社

右は覚明行者石像

Img_1042御日塚神社

慶長3年(1598)の創建で、祭神は保食神(うけもちのかみ)

Img_1046_2楽田(がくでん)の追分 《地図

木曽街道(上街道)との合流・分岐地点。ここからは「上街道」か「木曽街道」と表示されている所が多い。

Img_1055左が稲置街道

右の木曽街道を少し進んだ所にも石造物が並んでいる一画がある。

Img_1049道標などがチャペル犬山教会の柵沿いに集められている。

「追分交番所址」・「右 きそみち 左 犬山みち」のほか、「右善光寺道 左三光神社」・「尾張富士道 従是二十丁」・「黒平山秋葉道」などがあるらしいが、邪魔そうで窮屈に押し込まれている。

Img_1061楽田城北之門旧跡

東方の楽田小学校が楽田城跡という。左は覚明行者像だろう。道路の向い側には神明社や津島社の祠がある。

Img_1070馬頭山観音寺 《地図

元禄年間(1688~1703)の創建で、平手政秀の護持仏と伝う馬頭観音が本尊。

Img_1074島社天神社(右)で県道に出て、小牧市に入る。

Img_1086田縣(たがた)神社 《地図

県道沿いで車で来る参拝者が多い。

Img_1085説明板

Img_1088尾張広域緑道を横切る。

Img_1134年貢橋(清正橋)跡 《地図

Img_1129年貢橋

川沿いの北の本田公園に組み立てられて保存されているがフェンスに囲まれ近づけない。

Img_1124説明板

Img_1095観音寺参道 《地図

市道拡幅工事の際に発掘された名古屋城築城の残石の石垣。

Img_1097切支丹燈籠(参道途中の左側)

マリア像は分からなかった。

Img_1098説明板

Img_1101観音寺

小牧十観音の第二番札所・尾張西国三十三観音の第六番札所

Img_1103正面遠方は小牧山城跡の小牧山だろうか。

Img_1108熊野社

岩崎山山頂(54.9m)の境内が小牧・長久手の戦での秀吉方の岩崎山砦跡。南方の小牧山城と対峙した。右は五枚岩で、古来、弘法大師修法の護摩岩と呼ばれ、それが転じて五枚岩となったとも伝える。

Img_1109説明板(五枚岩)

Img_1116説明板(岩崎山砦)

だいぶ陽も傾いてきた中を味岡駅に向かった。

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2016年2月21日 (日)

瀬戸街道

2016年2月10日

大曽根駅(地下鉄名城線)・・・善光寺街道(下街道)分岐地点・・・塩付街道合流地点・・・漸東禅寺・・・白山神社①・・・(名鉄瀬戸線)・・・長母寺・・・矢田川橋(矢田川)・・・誓願寺・・・庚申寺(建設予定地)・・・天王社・・・守山市役所跡・・・(ゆとりーとライン)・・・自衛隊守山駐屯地・・・白山神社②・・・生玉稲荷神社参道・・・(小幡駅)・・・(名鉄瀬戸線)・・・(名古屋第二環状道)・(隅除川)・・・白龍社・・・(東名高速)・・・渋川神社・・・原田橋(天神川)・・・北原山交差点・旧道・・・(名鉄瀬戸線)・・・(三郷駅)・・・(名鉄瀬戸線)・・・平町公園・・・金峰大神社・・・(愛知環状鉄道)・・・(横山橋)・・・追分交差点・国道155号合流地点・・・(陳屋川)・・・瀬戸京町・・・瀬戸橋(瀬戸川)・・尾張瀬戸線(名鉄瀬戸線)

 大曽根の善光寺街道との分岐点から、「せともの」の町・瀬戸市へ通ずる瀬戸街道を行く。

 札の辻から善光寺街道との分岐点までは、『善光寺街道(下街道)①』に記載。
 尾張瀬戸の町は後日、『尾張瀬戸散歩』で歩いた。

  【ル-ト地図】  

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1658塩付街道が右から合流する。《地図

瀬戸街道は直進だが、漸東禅寺から白山神社、長母寺へと迂回して寄る。

Img_1665白山神社① 

右奥はアキニレの大木

Img_1671長母寺

参道の石段下に「無住国師入定地」の標石が立つ。

Img_1672説明板

瀬戸街道に戻る。

Img_1678矢田川橋を渡る。

正面のこんもりと木が繁った所が守山城跡か?現在は城跡に宝勝寺が建っている。《地図

Img_1683誓願寺

武田信玄の甥が出家し、尾張地方を行脚して開いた寺の一つ。宝暦年間(1751~63)、尾張藩の家老竹腰家の家臣岡嶋宗感が、荒廃した寺を見て発願し再建した。

Img_1684まだ工事は始まっていないようだった。いつ頃完成するのだろうか?

すぐ先に小さな天王社がある。ここから先はほとんど県道を行くことになる。

Img_1689守山市役所跡

守山図書館の所

Img_1691説明板

名古屋市に併合され、市から区に格下げになったのに祝って旗行列とは・・・・。長い物には巻かれろ、名古屋市民の方が聞こえがいいのだろう。

Img_1695ゆとりーとラインをくぐる。

モノレールかと思ったが、ガイドレールを備えた専用軌道をも持つ路線バスだった。『名古屋ガイドウェイバス』 正面は守山駅 《地図

Img_1701「ひょうたん山交差点」の旧商店

すぐ南に瓢箪山駅、北に瓢箪山古墳がある。《地図

Img_1710白山神社② 《地図

社殿は守山白山古墳の上にある。

Img_1711略記

Img_1715生玉稲荷神社参道

ここから700~800m北方だ。

小幡駅を過ぎ、名鉄線の踏切を渡って線路の南側に出る。あまり見所はない県道を進み、東名高速の手前で尾張旭市に入る。

Img_1750渋川神社 《地図

右方に「天武天皇悠紀斎田跡」の標石が立つ。

Img_1749由緒

城前交差点の手前から右に旧道に入る。《地図

Img_1766旧家

市役所南交差点手前で県道に出る。天神川を渡り、北原山交差点で左に旧道に入る。

Img_1782代書屋(跡)

名鉄瀬戸線を渡り、三郷(さんごう)駅を過ぎて瀬戸市に入り、再び名鉄線の南側に出る。

Img_1791金峰大神社 《地図

社殿はないが。

Img_1796陶器店

瀬戸は「せともの」と呼ぶ由来となった町で、古くから陶磁器産業が盛んな地場産業都市だったが、近年は安い中国製品に押され廃業する工場も多く、跡地にはマンションが建設される事が多いそうだ。最近では観光にも力を入れているようだ。『瀬戸散策絵図』・『観光情報

Img_1801愛知環状鉄道をくぐって行く。

Img_1809追分交差点 《地図

左の分岐点に祠がある。このあたりは追分町だが、「追分」の由来は何なのか? 国道155号との合流・分岐点ではあるが。

Img_1812祠内の石造物には文字が刻まれているのだが読めない。

Img_1822瀬戸京町

京町というには寂しすぎる通りになっている。

瀬戸川沿いに出る。

Img_1841尾張瀬戸駅

ここを瀬戸街道歩きの”終わり”とした。

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2016年2月16日 (火)

善光寺街道(下街道)①

2016年2月5日

名古屋駅・・・札の辻・・・桜天神社・・・茶屋新四郎宅跡・・・那古野神社・東照宮・・・仮医学学校跡・・・茶屋新四郎宅跡・・・善光寺道道標・・・少名彦神社・・・伊勢久(株)・県庁大津橋分室・・・久屋大通公園・・・稲置街道(犬山街道)・木曽街道(上街道)分岐地点・・・東片端南交差点(名古屋高速都心環状線)・鋳物師水野太郎左衛門宅跡・・鋳物師加藤忠三朗宅跡・・・大光寺・・・松山神社・・圓明寺・・養念寺・・・佐野屋の辻(代官町交差点(国道19号))・道標・・・神明社・・・片山八幡神社・・・(名鉄瀬戸線)・・・大曽根商店街・・・大曽根道標・・・瀬戸街道分岐地点・・・常光院・・山田天満宮・・・金虎酒造・・・長昌寺・・・天神橋(矢田川・山田の渡し跡)・・・石山寺・・高牟神社・・・町口橋(古川?)・・・東春酒造・・・(春日井市)・・勝川橋(庄内川・勝川の渡し跡)・・・勝川天神社・・・地蔵橋(地蔵川)・・・太清寺・・・秋葉社?・・・旅籠住吉屋跡(長谷川邸)・・・愛宕社・・・(名古屋第二環状道)・・・地蔵寺・・・勝川駅(JR中央線)

 善光寺街道は、名古屋城下→大曽根→勝川→内津峠→多治見→中山道の十三峠の槙ケ根の下街道(善光寺街道)追分に出て東に進み、洗馬宿の分去れから善光寺西街道(北国西街道)に入り、1000m級の峠を3つ越えて、篠ノ井追分宿で善光寺街道(北国街道)に合流して善光寺へ向かう道だ。中山道を信濃追分宿まで進み、善光寺街道に入るルートをたどることもあったろうか。
 槙ケ根の下街道追分には立場茶屋跡、伊勢神宮遥拝所があり、「左 伊勢名古屋道」の道標も立っている。中山道を歩いた時は、ここから名古屋、伊勢神宮とは昔の人はよく歩いたものだと感心したが、名古屋方面から善光寺へ向かう方が登りも多く、きつい道のりだろう。
 今回は庄内川を渡った勝山まで行く。その先は調べていないが歩いているうちに中山道との合流地点までは行きたくなった。後日、ゆっくり考えよう。 

  【ル-ト地図

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Img_0480街道略図(大曽根の道標の説明板)

善光寺街道が下街道と呼ばれたのは、①中山道が上街道で、槇ヶ根から分かれて下る道を下街道と呼んだ。②名古屋から津島に行く道を上方だから「上街道」というのに対して逆方向なので「下街道」。善光寺街道を下街道と呼んだため、木曽街道は上街道と呼ばれた。

Img_9437札の辻・伝馬会所跡 《地図

善光寺街道・瀬戸街道・稲置街道(犬山街道)・木曽街道(上街道)は直進、岡崎街道(飯田街道)は右折、美濃路は左折して行く。

Img_1441桜天神社・時分鐘

Img_1443説明板

Img_1442説明板

この先、鋳物師の水野太郎左衛門宅跡の前を通る。

Img_0397那古野神社 

Img_0398説明板

Img_0395東照宮

那古野神社と同じ敷地内で、尾張藩の藩校明倫堂跡地。

Img_0393説明板

Img_0400仮医学学校跡 《地図

Img_0401説明板

保育・介護・ビジネス名古屋専門学校の所が茶屋新四郎宅跡。

Img_0408善光寺道道標(京町通と本町通の辻) 《地図

Img_0404北に行けば名古屋城だ。

Img_0412少名彦神社 《地図

Img_0413説明板

Img_0419伊勢久(左)・県庁大津橋分室(右) 《地図

Img_0422稲置街道(犬山街道)・木曽街道(上街道)分岐地点(左折) 《地図

善光寺街道・瀬戸街道は直進。稲置街道と木曽街道は楽田の追分まで同じ道筋をたどる。

Img_0424東片端南交差点

正面の「鍋屋」の前に鋳物師(いもじ)頭水野太郎左衛門宅跡の説明板が立つ。

Img_0425説明板

Img_0428鋳物師加藤忠三郎家

「紫金堂」

Img_0426説明板

Img_0433大光寺 《地図

Img_0432説明板(井上士朗宅跡)

Img_0434てらしま薬局(明治13年創業)

Img_0447松山神社 《地図

右後方が長寿の銀杏のようだ。

Img_0440石鐘(圓明寺)

戦時中に供出された銅鐘の代わりに吊るされた石の鐘。「慙愧に耐えない」思いは長く続かず、戦争をしたがる輩が増えているご時世だ。

Img_0444説明板

Img_0451養念寺

右に「烏池古跡」碑が立つ。今も本堂の裏庭に「烏が池」があるようだ。HPに「尾張名所図会」も載っている。

Img_0450説明板

Img_0452佐野屋の辻(代官町交差点)

江戸時代に辻の北西で酒屋を始めた「酒佐野屋」と、その子孫で南東で味噌屋を始めた「味噌佐野屋」による辻名。

Img_0454道標(明治10年)

「京 大坂 道」は南下して東海道に出る道筋か?

代官町交差点を渡った中京銀行の脇に「子爵田中不ニ磨生誕地」の標柱が立つ。

Img_0460国道19号(下街道の標示)の西側の道を北上する。

Img_0463神明社 《地図

北側あたりに城下の五口の大曽根口の大木戸があったようだ。

Img_0464説明板

国道19号の東側の道を行く。

Img_0468片山八幡神社 《地図

名古屋城下の鬼門除けの社。

Img_0467説明板

ここから徳川園・徳川美術館も近いのだが寄らなかった。

Img_0471大曽根商店街を抜けて行く。《地図

Img_0473寂しげな通りになっている。

Img_0475大曽根道標(延享元年(1744)) 《地図

地下鉄名城線の「E6出入口」

Img_0479説明板

「右 いゐたみち」は、瀬戸街道から飯田へ向かう道。下街道(善光寺街道)は北へ向かう。瀬戸街道はここから北東方向に進んでいたのだろうが、今はJR中央本線と名鉄瀬戸線にはばまれ道はない。

Img_0481瀬戸街道分岐地点(大曽根交番角) 《地図

ここを現在の瀬戸街道(右折)との分岐点とした。

善光寺街道は直進する。

Img_2135常光院

元和年間(1615~23)に宥賢和尚が、長久寺の念仏堂として結んだ寺で、たび重なる洪水に苦しむ村人たちの信仰によって支えられてきた。

Img_2132山田天満宮地図

Img_2134説明板

国道19号に出る。

Img_2137金虎酒造 《地図

Img_2140矢田川(矢田川橋)を渡る。

「山田の渡し」で渡った。

Img_2145石山寺 《地図

左は施子観音

Img_2155高牟神社

元正天皇の養老元年(717)の創建といい、祭神は高皇産霊命ほか5柱。

Img_2157「山田の渡し」と「勝川の渡し」(庄内川)の間にあった瀬古地区には旅籠や、めし屋・酒屋などがあり賑わっていたという。

Img_2164水屋造りの蔵(東春酒造の向い側あたり)

庄内川と矢田川に囲まれた地域は「瀬古村輪中」と呼ばれた低湿地帯で、たびたび洪水に襲われた。同地域では自衛策として、高く石垣を築きその上に蔵や建物を建てて、洪水時の避難場所として利用した。

勝川橋の手前で春日井市に入る。

Img_2166庄内川(勝川橋)を渡って行く。

勝川の渡し跡で、渇水期には木の仮橋や徒歩(かち)渡りだった。

勝川地区は参考:『校区の歴史探訪

Img_2169勝川天神社 《地図

Img_2170説明板

Img_2176太清寺 《地図

Img_2175説明板

Img_2183旅籠住吉屋跡(長谷川邸) 《地図

Img_2180説明板

Img_2186愛宕社 《地図

Img_2187由緒

勝川駅からJR中央線で名古屋駅に出た。

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2016年2月13日 (土)

岡崎街道②

2016年2月6日

原駅(地下鉄鶴舞線)・・・平針西口交差点・地蔵道標・旧道・・(名古屋第二環状道)・・御嶽神社・・平針宿本陣跡(平針公民館)・・秀傳寺・・飯田街道分岐地点・・・慈眼寺・・・針名神社・・・荒池・・・モチロ橋(繁盛川)・(日進市)・・・東海健康センター・・・(東郷町)・・・山神神社・・玉松山大師堂・・・(涼松緑道(愛知用水))・・・一里塚バス停・祐福寺一里塚跡・・・真菰池・・・大悟寺・・法性寺・・祐福寺・・・境川橋(境川)・(みよし市)・・・大池・・・洗心滝不動・御嶽大神社・大師堂・・・八幡川(茶屋川)・・・松葉池・・(豊田市)・・・八幡社・・・逢妻女川橋(逢妻女川)・・・若林阿弥陀堂・・・浄照寺・・八幡宮・・宮前橋(逢妻男川)・・・(名鉄三河線)・・・(伊勢湾岸自動車道)・・・(明治用水緑道)・・川井田橋(猿渡川)・・・馬頭観音祠・・・神明社・・・豊田安城自転車道(明治用水)・・・常夜灯・・不動明王堂(大師堂)・・・宇頭町交差点・東海道合流地点・・・宇頭駅(名鉄名古屋本線)

  【ル-ト地図】(原駅(15km)→宇頭駅(42km))

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Img_0489平針西口交差点から旧道に入り、平針宿へと進む。《地図

宿場の名残りの風情はない。左は御嶽神社、「四国西国秩父坂東霊場順拝供養塔」も立っている。

Img_0497平針公民館の所が本陣跡というが、何の標示もない。 《地図

脇本陣、問屋もあったというが今では場所も不明らしい。

Img_0503飯田街道分岐地点 《地図

飯田街道は左折、岡崎街道は直進。昭和の初め頃までは一里塚跡が残っていたという。

Img_0502秀傳寺

慶長17年(1612)に徳川家康の命により再建されたという。

小高い秋葉山の慈眼寺と針名神社に寄る。

Img_0506慈眼寺

織田信長が桶狭間の戦いの勝利を祈願した寺という。

Img_0505説明板

Img_0511針名神社

もとは約800m北、天白川左岸の元郷に祀られていたが、慶長年間(1612年頃)に徳川家康の命により平針宿が成立したと同時期に現在地に遷社したという。

Img_0509説明板

天白区(名古屋市)と日進市の境あたりの県道56号を進む。

Img_0517荒池

Img_0520モチロ橋を渡って日進市に入る。

「モチロ」という地名だが、由来は分からず。モチ口(ぐち)ではないのは、モチロン。

西白土交差点から東郷町に入る。

Img_0526山神神社 《地図

「磨砂採掘地跡」の標柱が立つ。ここ「白土」地区は地名の由来の磨砂の産出と共に発展してきたそうだ。

Img_0535玉松山弘法大師堂(東白土交差点の東側)

Img_0544涼松(すずみまつ)緑道

愛知用水の上の緑道公園。街道沿いには黒松が繁茂し、旅人の休息所になっていたという。

Img_0540説明板

平針街道=岡崎街道

Img_0552祐福寺一里塚(南塚)(一里塚バス停そば) 《地図

今はエノキだが、もとは松が植えられていた。

Img_0556「史跡 祐福寺一里塚」碑と北塚

Img_0555説明板

Img_0563真菰池

Img_0580祐福寺地図

勅使門と山門(鐘楼・仁王門)

Img_0570説明板

Img_0572説明板(勅使門)

祐福寺交差点の南角に太子寺があるはずだが見当たらない。もう少し南側だったようだ。

境川橋(境川)を渡って、みよし市に入る。徳島県に三好市があるため、「みよし」市になったそうだ。

Img_0596旧家

Img_0622遮断機のように傾いた松と幟の道を上って洗心滝不動明王、大師堂へ向かう。

Img_0617洗心滝

期待ハズレ?、いや思った通りで水も流れていない。でも石像の不動明王は立っている。

Img_0614大師堂 《地図

ここは御嶽教明知教会の敷地内

松葉池の先で豊田市に入る。

Img_0635八幡社 《地図

Img_0637由緒

Img_0634説明板

《地図》に「御茶屋」という地名がある。ここには堤宿があったのだが、平針宿と同様に宿場の面影はなかった。

Img_0645逢妻女川(逢妻女川橋から) 《地図

下流で逢妻男川と合流して逢妻川となる。川名の由来は、「からころもきつつなれにし」の在原業平伝説からだろうか?
在原業平の「八橋伝説地」は、『東海道(藤川宿→岡崎宿→知立宿)』に記載。

Img_0650道標地蔵(高岡町松葉交差点手前)

地蔵の前掛けをめくって写真を撮ったのだが、ぼやけてしまって「右・・・・」、「左・・・・」しか分からず。

Img_0666若林阿弥陀堂 《地図

Img_0664石造阿弥陀如来坐像か

Img_0667浄照寺

2005年に本堂・庫裡・書院が国の有形文化財に登録された。

Img_0675八幡宮

Img_0676由緒

宮前橋(逢妻男川)を渡り、名鉄三河線を過ぎ、南下して伊勢湾岸自動車道をくぐる。

Img_0694明治用水緑道西井筋線 《地図

矢作川から水を引いている明治用水の上の遊歩道。

Img_0712豊田安城自転車道 《地図

土曜日で父娘でサイクリング。今日はどこまで行ったやら。下を流れる明治用水の水音が心地よい。

岡崎街道は豊田市と安城市の境を南下して行く。
Img_0723軒下に「不動明王」の扁額を掲げるが、堂内は弘法大師堂になっている。

縄手道をひたすら南下して、宇頭町交差点の手前で岡崎市に入る。

Img_0737東海道合流地点(宇頭町交差点) 《地図

東海道(国道1号)を左(東)に行けば矢作橋(矢作川)を渡って、岡崎城へ出る。
ここを岡崎街道歩きの終点とし、直進して宇頭駅に向かった。

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