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2016年2月28日 (日)

稲置街道(犬山街道)②

2016年2月8日

味岡駅(名鉄小牧線)・・・岩崎清流邸・筋違橋(新木津川用水)・・・道標・・・神明社・・・大師祠・・・(東名高速)・・・旧道・・・戒蔵院・道標・・西源寺・・西林寺・・西町の稲荷堂・・玉林寺・・清須道起点標柱・・小牧宿本陣(江崎家)跡・・岸田家・・小牧御殿(代官所)跡・・啓運寺・木戸高札場旧蹟跡碑・・香神神社・・・外山神社・・・妙蔵寺・・・天神社・・・自衛隊宿舎・・小向橋(大山川)・・・西行堂橋(西行堂川)・・春日寺・・自衛隊小牧基地・・・春日寺神明社・・(春日井市)・・穂麦坂・穂麦塚・正念寺・・・尾張藩主御休所・・・椎樫地蔵・・・味鋺原新田一里塚跡標石・・・(名古屋第二環状道)・・・立石の道標・春日山古墳・・・白山神社・白山神社古墳・・二子山古墳・・・中新町交差点・旧道・・・伊勢山橋(新地蔵川)・(名古屋市)・・首切地蔵・・・味鋺神社・護国院・・・西八龍社・・・ふれあい橋(庄内川)・味鋺の渡し跡・・・成願寺・・・(庄内用水(惣兵衛川))・・・山神社(お福稲荷社・白龍大神社)・・・安井の一里塚跡あたり・・・安栄寺・・児子社・・・黒川橋(堀川)・・・子捨橋跡・最上位経王大菩薩・・・解脱寺・・・稲置街道道標・・八王子神社・・・御成道交差地点・・・白龍酒造(跡)・・・(名鉄瀬戸線)・・・秋葉宮・・・(名古屋高速1号楠線)・・・清水弘法堂・・清水坂・・・名古屋拘置所・・・名古屋城東御門跡・・・市政資料館・・・善光寺街道(下街道)合流地点・・・道標・・・札の辻・伝馬会所跡(伝馬町通本町交差点)

  【ル-ト地図】(味岡駅(21.3km)→札の辻(44.7km))

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1138岩崎清流邸 《地図

老舗の料亭だが、廃業したのだろうか? 明治~昭和の初め頃まで、大垣・犬山方面から新木津川用水を船で下って来た船頭が船を留め、食事をしたともいわれる。

Img_1144「愛知県指定天然記念物 岩崎清流邸の藤」

この藤はどうなるのか?

Img_1150道標「右 犬山」・「左 岩崎山御立野所跡」(JA味岡支店の敷地のフェンス内)

Img_1152藤塚の一里塚跡(味岡口交差点の手前)

Img_1154説明板

名古屋から楽田の追分までは「上街道」(木曽街道)と標示されることが多い。

Img_1158大師祠(右)

弘法大師像・馬頭観音・地蔵が並んでいる。

東名高速をくぐる。

Img_1163右に旧道に入り、小牧宿へと進む。

Img_1168戒蔵院前の道標(説明板の前・寛政10年(1798)) 《地図

「南 名古屋」・「西 一の宮 つしま 清須」・「東 木曽海道 犬山道」で、街道はこの前を南に進むが、周辺を散策する。

Img_1172説明板

木造十一面観音

Img_1176西源寺

Img_1181旧家

Img_1184西町の稲荷堂 《地図

Img_1183説明板

Img_1187玉林寺(小牧観音)

街道に戻り、小牧宿を進む。

Img_1191屋根神様

Img_1195清須道標柱

西方の清須の街への起点

Img_1198本陣跡(旧江崎家) 《地図

説明板が立つのみ。

Img_1197説明板

Img_1200屋根神様が取り残されている。

Img_1206説明板(小牧宿)

Img_1207小牧宿図(下が北)

Img_1201枡形の名残り(小牧四丁目南交差点)

Img_1213岸田家 《地図

Img_1212説明板

Img_1208福禄寿石像

もとは岸田家の隣の小牧御殿(代官所)にあったという。

Img_1220啓運寺

小牧宿の南端で、木戸と高札場があった。

Img_1218木戸高札場旧蹟碑

Img_1221香神神社

地図では三十番神宮となっている。

Img_1231外山神社 《地図

銅鐸の出土地

Img_1230説明板

Img_1245西行堂川(西行堂橋から) 《地図

西行が春日寺の僧だった伯父を訪ねたが、すでに亡くなっていた。西行は霊を弔い、供養のため木像を彫り、小堂(西行堂)を建てて安置したという伝承があるようだ。

Img_1246春日寺(かすがんじ)

春日寺神明社の先で春日井市に入る。

Img_1257穂麦坂を下る。《地図

別名を「へそ坂」で、由来は説明板にある。

Img_1256穂麦塚(正念寺境内)

芭蕉の「野ざらし紀行」での句

Img_1255説明板

Img_1268安藤邸(尾張藩主御休所) 《地図

Img_1267説明板

Img_1271椎樫地蔵(正面の建物前・宝暦8年(1758)) 《地図

「右 志ミ洲道」・「左 かち川道」で、ここは下街道(善光寺街道)との連絡道の勝川道との分岐点。もとはそばに椎の古木があったので、この名がついたという。右の清水道(木曽街道)を南下する。

Img_1277味鋺(あじま)原新田の一里塚跡 《地図

右に標柱のみ。

Img_1281立石の道標(正面・天保7年(1836))・春日山古墳 《地図

道標を兼ねた供養塔で、「是与里十八丁常安寺」・「三国伝来 釈迦如来」などと刻まれている。常安寺は北西の豊山町の「鋳造誕生仏」(県指定文化財)を安置する寺だろう。 《地図

二子山公園内の白山神社に向かう。

Img_1295白山神社の由緒碑(裏)

台石は春日山古墳から掘り出されたものといわれる。

Img_1300白山神社

社殿は白山神社古墳上にある。

Img_1294由緒

Img_1299説明板

Img_1305二子山古墳

全長96mの前方後円墳

中新町交差点の西側で旧道に入り、新地蔵川を渡り名古屋市北区に入る。

Img_1313首切地蔵 《地図

首ではなく胴が切られている。

Img_1312由来

Img_1317旧家

Img_1342味鋺神社・護国院

Img_1323説明板(味鋺神社)

Img_1329説明板(護国院)

Img_1337清正橋(味鋺神社境内)

南西の稲置街道の小川に架かっていた橋。昨日の年貢橋(清正橋)は、保存されているだけだったが、ここのは境内とはいえ、今も現役の橋だ。

Img_1335説明板

Img_1332味鋺の道標地蔵(護国院境内)

「右勝川道」・「左小牧道」で、もとは庄内川の右岸堤防沿いにあったもの。

この先で庄内川の土手に突き当たる。昔は「味鋺の渡し」で渡った。大名行列は船をつないだ船橋で渡った。下流のふれあい橋まで土手上を行く。

Img_1347土手下の西八龍社

雷除けの神社として近郊の崇敬を受けていた。

Img_1356ふれあい橋(人道橋)から下流方向 《地図

45階建ての高層マンションがそびえる。その隣は北スポーツセンター。

Img_1358成願寺

現代的な造りの寺になっている。「信長公記」の太田牛一は、ここで成長した(僧侶をしていた?)と伝える。

Img_1363山神社・お福稲荷神社・白龍大神社 《地図

西南の安井城の鬼門の守護神として創建されたといわれる。末社のお福稲荷社は、戦前まで大変な賑わいを見せていたという。「お福」とは人名だろうか?

Img_1372安井の一里塚跡あたり 《地図

何の跡形も標示もない。

Img_1373安栄寺

Img_1378六地蔵石仏(大永7年(1527))

県下で最古の紀念銘のある石仏

Img_1375説明板

Img_1382八幡社 《地図

通称児子宮(ちごのみや)といい、末社の児子社は古来より虫封じの神として信仰が篤い。代々尾張藩主も、幼少時に虫封じを授かったといわれる。

Img_1387黒川橋(堀川)を渡る。《地図

名古屋城も近づいた。

Img_1391捨橋跡(別名西行橋・正面の鳥居は「最上位経王大菩薩」) 《地図

『尾張名陽図会』に、橋の上に子どもを捨てたまね事をすると、その子は無病で長寿になると伝える。また、西行の土人形を橋の下に投げ入れると諸願が成就するという伝えもあった。

Img_1395粟稗塚(中央・解脱寺境内)

「粟稗に貧しくもあらず草の庵」

Img_1394説明板

Img_1400稲置街道道標(左・清水街園の前)

左面に「至 犬山」とある。

Img_1401八王子神社 《地図

古来、子どもの守り神で、名古屋城の鬼門の護り。

Img_1405御成道交差点

Img_1403説明板

Img_1408白龍酒造

平成20年に閉店したようだ。

名鉄瀬戸線をくぐる。

Img_1419清水弘法堂 《地図

Img_1420清水坂を上る。

このあたりは、『名古屋市の坂①』で歩いている。

Img_1423東御門跡

逆光で見づらく地図で遮って撮ったら、名護屋城が写っていた。

Img_1426市政資料館

Img_1427説明板

Img_1430県議員会館

Img_1432善光寺街道(下街道)合流地点 《地図

Img_1447札の辻・伝馬会所跡

稲置街道・木曽街道(上街道)・善光寺街道(下街道)・岡崎街道(飯田街道)の起点、南から来た美濃路は西に向かい堀川を渡って北上する。写真下は説明碑

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