善光寺街道(下街道)①
名古屋駅・・・札の辻・・・桜天神社・・・茶屋新四郎宅跡・・・那古野神社・東照宮・・・仮医学学校跡・・・茶屋新四郎宅跡・・・善光寺道道標・・・少名彦神社・・・伊勢久(株)・県庁大津橋分室・・・久屋大通公園・・・稲置街道(犬山街道)・木曽街道(上街道)分岐地点・・・東片端南交差点(名古屋高速都心環状線)・鋳物師水野太郎左衛門宅跡・・鋳物師加藤忠三朗宅跡・・・大光寺・・・松山神社・・圓明寺・・養念寺・・・佐野屋の辻(代官町交差点(国道19号))・道標・・・神明社・・・片山八幡神社・・・(名鉄瀬戸線)・・・大曽根商店街・・・大曽根道標・・・瀬戸街道分岐地点・・・常光院・・山田天満宮・・・金虎酒造・・・長昌寺・・・天神橋(矢田川・山田の渡し跡)・・・石山寺・・高牟神社・・・町口橋(古川?)・・・東春酒造・・・(春日井市)・・勝川橋(庄内川・勝川の渡し跡)・・・勝川天神社・・・地蔵橋(地蔵川)・・・太清寺・・・秋葉社?・・・旅籠住吉屋跡(長谷川邸)・・・愛宕社・・・(名古屋第二環状道)・・・地蔵寺・・・勝川駅(JR中央線)
善光寺街道は、名古屋城下→大曽根→勝川→内津峠→多治見→中山道の十三峠の槙ケ根の下街道(善光寺街道)追分に出て東に進み、洗馬宿の分去れから善光寺西街道(北国西街道)に入り、1000m級の峠を3つ越えて、篠ノ井追分宿で善光寺街道(北国街道)に合流して善光寺へ向かう道だ。中山道を信濃追分宿まで進み、善光寺街道に入るルートをたどることもあったろうか。
槙ケ根の下街道追分には立場茶屋跡、伊勢神宮遥拝所があり、「左 伊勢名古屋道」の道標も立っている。中山道を歩いた時は、ここから名古屋、伊勢神宮とは昔の人はよく歩いたものだと感心したが、名古屋方面から善光寺へ向かう方が登りも多く、きつい道のりだろう。
今回は庄内川を渡った勝山まで行く。その先は調べていないが歩いているうちに中山道との合流地点までは行きたくなった。後日、ゆっくり考えよう。
【ル-ト地図】
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善光寺街道が下街道と呼ばれたのは、①中山道が上街道で、槇ヶ根から分かれて下る道を下街道と呼んだ。②名古屋から津島に行く道を上方だから「上街道」というのに対して逆方向なので「下街道」。善光寺街道を下街道と呼んだため、木曽街道は上街道と呼ばれた。
札の辻・伝馬会所跡 《地図》
善光寺街道・瀬戸街道・稲置街道(犬山街道)・木曽街道(上街道)は直進、岡崎街道(飯田街道)は右折、美濃路は左折して行く。
桜天神社・時分鐘
この先、鋳物師の水野太郎左衛門宅跡の前を通る。
那古野神社と同じ敷地内で、尾張藩の藩校明倫堂跡地。
仮医学学校跡 《地図》
保育・介護・ビジネス名古屋専門学校の所が茶屋新四郎宅跡。
善光寺道道標(京町通と本町通の辻) 《地図》
少名彦神社 《地図》
伊勢久(左)・県庁大津橋分室(右) 《地図》
稲置街道(犬山街道)・木曽街道(上街道)分岐地点(左折) 《地図》
善光寺街道・瀬戸街道は直進。稲置街道と木曽街道は楽田の追分まで同じ道筋をたどる。
正面の「鍋屋」の前に鋳物師(いもじ)頭水野太郎左衛門宅跡の説明板が立つ。
「紫金堂」
大光寺 《地図》
説明板(井上士朗宅跡)
松山神社 《地図》
右後方が長寿の銀杏のようだ。
戦時中に供出された銅鐘の代わりに吊るされた石の鐘。「慙愧に耐えない」思いは長く続かず、戦争をしたがる輩が増えているご時世だ。
右に「烏池古跡」碑が立つ。今も本堂の裏庭に「烏が池」があるようだ。「尾張名所図会」70の「鳥が池の図」にも載っている。
江戸時代に辻の北西で酒屋を始めた「酒佐野屋」と、その子孫で南東で味噌屋を始めた「味噌佐野屋」による辻名。
「京 大坂 道」は南下して東海道に出る道筋か?
代官町交差点を渡った中京銀行の脇に「子爵田中不ニ磨生誕地」の標柱が立つ。
神明社 《地図》
北側あたりに城下の五口の大曽根口の大木戸があったようだ。
国道19号の東側の道を行く。
名古屋城下の鬼門除けの社。
ここから徳川園・徳川美術館も近いのだが寄らなかった。
大曽根商店街を抜けて行く。《地図》
大曽根道標(延享元年(1744)) 《地図》
地下鉄名城線の「E6出入口」
「右 いゐたみち」は、瀬戸街道から飯田へ向かう道。下街道(善光寺街道)は北へ向かう。瀬戸街道はここから北東方向に進んでいたのだろうが、今はJR中央本線と名鉄瀬戸線にはばまれ道はない。
瀬戸街道分岐地点(大曽根交番角) 《地図》
ここを現在の瀬戸街道(右折)との分岐点とした。
善光寺街道は直進する。
元和年間(1615~23)に宥賢和尚が、長久寺の念仏堂として結んだ寺で、たび重なる洪水に苦しむ村人たちの信仰によって支えられてきた。
国道19号に出る。
「山田の渡し」で渡った。
左は施子観音
元正天皇の養老元年(717)の創建といい、祭神は高皇産霊命ほか5柱。
「山田の渡し」と「勝川の渡し」(庄内川)の間にあった瀬古地区には旅籠や、めし屋・酒屋などがあり賑わっていたという。
水屋造りの蔵(東春酒造の向い側あたり)
庄内川と矢田川に囲まれた地域は「瀬古村輪中」と呼ばれた低湿地帯で、たびたび洪水に襲われた。同地域では自衛策として、高く石垣を築きその上に蔵や建物を建てて、洪水時の避難場所として利用した。
勝川橋の手前で春日井市に入る。
勝川の渡し跡で、渇水期には木の仮橋や徒歩(かち)渡りだった。
*勝川地区は参考:『校区の歴史探訪』
勝川天神社 《地図》
太清寺 《地図》
愛宕社 《地図》
勝川駅からJR中央線で名古屋駅に出た。
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