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2016年3月31日 (木)

北沢川緑道・烏山川緑道・目黒川

2016年3月30日(北沢川緑道)

上北沢駅(京王線)・・・松沢病院・・将軍池・・・北沢川緑道・・・(荒玉水道道路)・・・勝利八幡神社・・・江戸城兄弟松・・・左内弁財天・弁天橋・・・江下山橋・・・新井橋・・・大和橋・(西永福通り)・・・辺房谷橋・・・ユリの木公園・・・殿山橋・・・赤堤橋・・山下駅(東急世田谷線)・・・山下橋・・・不動橋・・・鎌倉街道(中の道)交差地点・・古事記橋・・・(小田急線)・・・一之橋・・・四之橋・・(環七通り)・・宮前橋・・・円乗院・・寺前橋・・・鶴ヶ丘橋・・文学の小路碑・斎藤茂吉歌碑・・・桜橋・・・鎌倉橋(鎌倉通り)・・三好達治文学顕彰碑・・・橋場橋・・・代沢橋・・・中下橋・・横光利一文学顕彰碑・・・一本橋・・・稲荷橋・・・下代田橋・(淡島通り)・・大石橋・・・三町橋・・・四ツ目橋・・・烏山川緑道合流地点・目黒川緑道・・・池尻大橋駅(東急田園都市線) (橋はすべてではなく、橋の下に流れはない)

 世田谷区を流れていた北沢川と烏山川の緑道を、合流地点の目黒川緑道の起点まで行き、目黒川緑道から桜の見頃の目黒川を下って東京湾近くまで3日間で歩く。

  【ル-ト地図

Img_3556将軍池・加藤山 《地図

築池作業に参加した都立松沢病院の自称「将軍」の患者による池名、作業を指導した加藤医師による築山名。
北沢川の水源の一つで、ここを起点として歩く。

Img_3561説明板

Img_3568北沢川跡をたどる。 《地図

荒玉水道道路を横切る。

Img_3576勝利八幡神社

Img_3579江戸城御囲い松」の兄弟松 《地図

ここ早苗保育園は旧上北沢村の庄屋・鈴木左内邸の跡地。

Img_3582左内弁財天 《地図

北沢用水の開削に尽力した名主の鈴木左内家の屋敷神だった。このあたりに池があり、そのほとりに祀られていたという。説明板の前あたりに弁天橋の標柱も立っている。

Img_3584説明板

Img_3588北沢川緑道らしくなる。

Img_3591狸も棲んでいただろう。

Img_3602桜も見頃だ。

 

 

Img_3605ユリの木公園を進む。《地図

世田谷百景

赤堤橋(跡)で山下駅(東急世田谷線)に突き当たり、右に迂回して踏切を渡る。

Img_3614世田谷線

光明寺橋跡で『鎌倉街道(中の道)』と交差する。

Img_3626古事記橋(梅ヶ丘駅の北側)

どんな由来があるのか?

Img_3629小田急線をくぐる。《地図

Img_3635小彼岸桜・十月桜などが植えられている。

Img_3644円乗院

Img_3648せせらぎ・桜並木が始まる。

新宿区の神田川沿いにある落合水再生センターから送水された処理水を利用している。

Img_3653文学の小路

歌碑「代田川のほとりにわれをいこはしむ 
柳の花も ほほけそめつつ」(斉藤茂吉)が立つ。代田川は北沢川で、このあたりは代田川緑道と呼ばれているようだ。

鎌倉橋で鎌倉通りを横切る。《地図

Img_3661三好達治文学顕彰碑

Img_3669横光利一文学顕彰碑

淡島通りを横切る。

Img_3683大石橋の親柱(大正5年) 《地図

このあたりは『滝坂道①』で歩いている。

Img_3695右から烏山川緑道が合流する。《地図

ここからは目黒川緑道~目黒川と続いて行く。

Img_3699地図

Img_3700北沢川緑道(右)・烏山川緑道(左)

明日、烏山川緑道をここまで歩く。

2016年3月31日(烏山川緑道・目黒川緑道)

久我山駅(京王井の頭線)・・・久我山橋(神田川人見街道)・・・岩崎橋(玉川上水)・・・高源院・鴨池・寺町通り・・・烏山用水(跡)・・(中央自動車道)・・烏山川跡・・(木の公園)・・烏山北住宅・・・(国道20号(甲州街道)・・・旧甲州街道・大橋場の跡・下山地蔵・・・京王線踏切・・・念仏堂・・烏山神社・・・千歳通り・・芦花翠風邸・世田谷文学館・・・環八通り・・・八幡山三交差点・道草橋跡・・・滝坂道交差点・・・希望ヶ丘公園・・烏山川緑道・・・本村橋・・・(荒玉水道道路)・・・(森繁通り)・・・二本橋・・・橋場橋・石仏公園・・(小田急線)・・・(農大通り)・・・経橋・・・万葉の小径・・・宮前橋・・・宮の坂下・八幡橋(世田谷通り)・・上町3号踏切(東急世田谷線)・・・清涼橋・・・豪徳寺橋・・・鎌倉街道中の道交差地点・・・青葉橋・・・城下橋・・・稲荷橋・・・品川橋・・・(国士舘大学)・・・勝橋・・・山堰橋・・・杉大門橋・・・厚徳橋・・・松陰橋・・・谷中橋・・・中堰橋・・・天神橋・・・若林橋・(環七通り)・・・稲荷橋・・・下堰橋・・・耕整橋・・・昭和橋・・・水車橋・・・西山橋・・・前田橋・・・太子橋・・・八幡橋・・・下の谷橋公園・・・三宿神社・・・多聞寺橋・・・三宿橋・・・三池橋・・・北沢川緑道合流地点・目黒川緑道・・・東仲橋・・・大橋(国道246号)・・・池尻大橋駅(東急田園都市線)

 烏山川緑道を昨日の北沢川緑道との合流地点まで行き、目黒川緑道に入り目黒川の大橋そばの池尻大橋駅まで進んだ。

  【ル-ト地図

Img_3715玉川上水(岩崎橋から) 《地図

右は烏山用水(分水)の取水口跡か? これも烏山川の水源の一つだったのだろう。

Img_3721高源院の鴨池 《地図

烏山川の主水源、正面は弁天堂。

寺町通りを進む。『世田谷百景(烏山寺町)

Img_3729妙寿寺の客殿

旧鍋島侯爵邸を移築

Img_3727説明板

Img_3730梵鐘

Img_3728説明板

Img_3735

「そば切り寺」で、そば屋の「○○庵」の由来という。「そば禁制」の碑はどこにあるのか分からず。

Img_3734説明板

Img_3736妙祐寺

インド様式の本堂

Img_3751多聞院

Img_3752五百六十八人無縁墓

天保の大飢饉の犠牲の無縁仏の墓

Img_3756中央自動車道の下の橋

Img_3757烏山用水の流れだろう。《地図

中央自動車道をくぐり、烏山北住宅の間を通り、国道20号(甲州街道)を横切って行く。

Img_3777烏山川跡をたどる。《地図

旧甲州街道を横切る。

Img_3785旧甲州街道の大橋場の跡・下山地蔵 《地図

後ろが烏山川の大橋跡

Img_3790京王線を横切る。

ケヤキの大木が残っている。

Img_3794念仏堂

Img_3798烏山神社

Img_3796由緒

Img_3799緑道らしくなる。《地図

Img_3804芦花翠風邸

介護付有料老人ホーム。入居金・利用料とも高額でこちとらには手も足も出ないが満室のようだ。やっぱりある所にはありか。右隣は世田谷文学館

このあたりは南北に2つの流れがあったようだ。

Img_3820環八通り沿いを南下する。

Img_3824八幡山三交差点・道草橋跡(正面向う側に小さな標石が立つ) 《地図

ここから左斜めに入って行く。右奥は蘆花恒春園

Img_3829右は八幡山遺跡の説明板

Img_3828説明板

この先で滝坂道と交差する。《地図》 
世田谷区ではその先の車道を渡った希望ヶ丘公園の東側から烏山川緑道が始まるとしている。

Img_3842本村橋の下の流れ跡を行く。

Img_3854どこも桜、桜だ。

荒玉水道道路~森繁通りを横切って行く。

Img_3865石仏公園 《地図

左は地蔵?の小祠、正面は小田急線の高架

農大通りを横切り、「万葉の小径」を進む。

Img_3871あせび(万葉名あしび)

「磯かげの 見ゆる池水照るまでに 咲ける馬酔木(あしび)の 散らまく惜しも」(甘奈備伊香)『たのしい万葉集

宮の坂下の八幡橋跡で世田谷通り、世田谷線を横切り、世田谷城址公園の南側あたりで鎌倉街道(中の道)と交差して行く。

Img_3899クロマツ(右手の向う側)

街道の名残り松のように一本だけそびえている。

Img_3907国士舘大学の間を抜けて行く。《地図

Img_3915杉大門橋の先の杉並木

若林橋(跡)で環七通りを横切る。

Img_3946水車橋跡

三宿神社の前を通って行く。そのあたりは『滝坂道①』で歩いている。

Img_3974三池橋を過ぎ、北沢川緑道との合流地点も近い。

Img_3978左から北沢川緑道が合流し目黒川となる。《地図

大橋までは暗渠化され、せせらぎの流れる目黒川緑道となっている。

Img_3703せせらぎの水は新宿区の神田川沿いの落合水再生センターから送水されている。

Img_3705国道246号の大橋までとし、池尻大橋駅に向かう。

ここから先は目黒川沿いの桜並木となるが、それは明日の楽しみとする。

2016年4月1日(目黒川)

池尻大橋駅(東急田園都市線)・・・大橋(国道246号・大山街道)・・・目黒橋(山手通り)・・・宿山橋(鎌倉街道中の道)・・・(東急東横線・地下鉄日比谷線)・・・さいかち橋(駒沢通り・新道坂下・けこぼ坂下)・・・田楽橋(別所坂下)・・・中里橋(茶屋坂下)・・・目黒新橋(目黒通り・権之助坂下)・・・太鼓橋(平間道行人坂下)・・・(東急目黒線)・・・谷山橋(都道317号)・・・(東急池上線)・・・(JR山手線)・・・居木橋(山手通り・御殿山の坂下)・・・(JR山手線ほか)・・春雨寺・・・(JR東海道線・京浜東北線)・・・東海寺・・・東海橋(第一京浜国道)・・・新馬場駅(京浜急行線)・・・荏原神社・・・品川橋(旧東海道)・・・昭和橋(湾岸通り)・・・東品川海上公園・・・アイル橋(天王洲南運河)・・・品川埠頭橋(京浜運河)・・・天王洲アイル駅(りんかい線)

 ちょうど満開を迎えた目黒川沿いの桜並木を楽しみながら東京湾近くまで歩いた。(坂は『東京23区』の目黒区・品川区)

Img_3991大橋から目黒川 《地図

Img_3997この先、花見客が増えてくる。

Img_4006東山橋から

Img_4046桜橋から

Img_4088
池上線をくぐって行く。

Img_4161目黒川水門をくぐって方向転換し、目黒川に入る『お花見クルーズ』の「大江戸」 《地図

今日は何隻もの船に出会った。乗客はみな満足げな顔をしていた。

Img_4163アイル橋を渡って京浜運河から東京湾方向へ向かう。

Img_4180品川埠頭橋・東京モノレール 《地図

橋を渡って東京湾に向かったが、コンテナの集積場のような所で行止りとなって引き返し、天王洲アイル駅から「りんかい線」で帰路についた。

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鎌倉街道(上の道⑧)

2016年3月22日

西大家駅(東武越生線)・・・森戸神社・・・馬頭観音・・・森戸橋(高麗川)・・・馬頭観音・・・旧道・・・(毛呂山町)・・・市場神社・・・県道・・・地蔵・(葛川)・・・旧道・・・鎌倉街道遺跡標柱・・・育心会・・・(県道39号)・・・川角古墳群・・・崇徳寺跡・・・延慶の板碑・・・大薬寺跡・・・大類グラウンド・堂山下遺跡・・・(越辺川)・・・(鳩山町)・・・今宿交差点・(内川)・県道171号・・・旧道・・・赤沼供養塔・・・馬頭観音・聖徳皇太子碑・・・稲荷社・・・池ノ島沼・・・鳩山中学校・鎌倉街道説明板・・・東海道橋(鳩川)・・・大橋(泉井川)・・・新橋(大橋川)・・・鎌倉街道説明板・・・笛吹通り・・・羽黒堂・・・海道端沼・・・笛吹峠・(嵐山町)・・・(『笛吹峠・物見山・岩殿観音』に記載)・・・武蔵嵐山駅(東武東上線)

  【ル-ト地図】(西大家駅(40.4km)→武蔵嵐山駅(57.4km))

Img_3308森戸神社(国謂地祇(くにいちぎ)神社) 《地図

ここは大屋城跡というが詳細は不明。室町地代の城とか、小田原北条氏の築城ともいわれているようだ。

Img_3307説明板

東京国際大学グラウンド沿いを進み、森戸橋(高麗川)を渡る。

Img_3316馬頭観音(寛政7年(1795))

Img_3319左の旧道を進む。《地図

坂戸市から毛呂山町に入る。

Img_3320未舗装道が少しだけ残っている。

Img_3322市場神社 

県道を進み、土手に地蔵が立つ葛川を渡る。

Img_3327右に斜めに入る。《地図

「右折 40 ゆず香る歴史の道元気ルート」の標識、向う側には、「鎌倉街道 歴史民俗資料館」の標識。

Img_3330気持ちのいい道を行く。

Img_3336鎌倉街道遺跡

南方向を見ている。もとの街道は先ほどの二又の旧道からここにつながっていたのだろう。

Img_3335_3説明板

Img_3340北へ進む

Img_3343県道39号を横切って行く。

Img_3372周辺案内図

Img_3362川角古墳群

直径10mから15mほどの38基の円墳群

Img_3359崇徳寺跡

苦林野(にがばやしの)合戦』(この頁の下方)で、焼失したという伝承がある。ここも川角古墳群内だ。

Img_3355延慶の板碑(1310年建立)

もとは崇徳寺(跡)に立っていたもの。高さ3m、種子、蓮台の彫りも深くくっきりしている。覆い屋もないが、700年以上経っているとは思えない逸品だ。

Img_3357説明板

大類グラウンドあたりが堂山下遺跡で、中世の苦林宿があった所ともいう。 《地図

Img_3373説明板

Img_3378越辺川(おっぺがわ)を渡る。

北上して鳩山町に入り、今宿交差点に出る。今宿は昔の苦林宿に対して新しい宿という意味で、江戸時代になってから開けたという。今は宿場だった面影は見られなかった。

Img_3385県道171号を北上し、ここで右の道に入る。

Img_3387赤沼供養塔 《地図

日本廻国四国七遍供養塔(安永8年(1779))は、道標になっていて、右側面下部に「北ハ ひきの岩殿道」・「中ハ すがや野はらみち」(鎌倉街道)・「西ハ 小が者ちち婦道」と刻まれている。
それにしても江戸時代の中頃に四国八十八ヶ所を7回も廻ったとはすごいね。

Img_3393馬頭観音・聖徳皇太子碑など 《地図

左端は道標で、「川越 小川・・・・方面」と刻まれている。

Img_3402旧家

左側に稲荷社

Img_3411鎌倉街道説明板

鳩山中学校の校庭南側のフェンス

東海道橋(鳩川)~大橋(泉井川)~新橋(大橋川)と渡って行く。

Img_3429左に笛吹通りに入る。《地図

この先、平坦な道が続き笛吹峠へ上る道かちょっと不安になる。

Img_3432羽黒(はぐれ)堂の地蔵

昔、お歯黒をつけた大将の首を埋めたとか、また家来とはぐれて矢で射られた大将の首を埋めたとか伝えられているそうだ。

Img_3434海道端沼

海道は鎌倉街道のこと

Img_3440笛吹峠 《地図

ここから武蔵嵐山駅までは、『笛吹峠・物見山・岩殿観音』に記載。(逆方向に歩いている)

Img_3444上りよりもずっと長い下りとなる。

歩道はないが車はあまり通っていない、緩やかな道を軽快に下って行く。

Img_3459都幾川の堤下 《地図

右の堤の桜が咲けば、菜の花との競演となるだろう。

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2016年3月27日 (日)

鎌倉街道(上の道⑦)

2016年3月20

狭山市駅(西武新宿線)・・・菅原橋・・・国道16号・・・清水八幡神社・・・新富士見橋(入間川)・・・広瀬東交差点・・・入間川宿・・・奥州道交差点・石橋供養塔道標・影隠地蔵・信濃坂・・・智光山公園・・・(日高市)・・・(圏央道)・・・大下橋(南小畔川)・・・日高カントリークラブ・・・鎌倉街道交差点・千人同心日光道交差地点・・・第二小畔川?・鎌倉街道上道碑・・・聖徳太子塔・大乗妙典塔道標・霞野神社・女影原古戦場趾碑・・・天神社・・・大神橋(下小畔川)・・・(県道15号)・・・鎌倉街道踏切(JR川越線)・・・別所橋(小畔川)・・・旭ヶ丘神社・高萩飛行場跡碑・・・(鶴ヶ島市)・・・(坂戸市)・・西大家駅(東武越生線)

 鎌倉街道(上の道⑥)』の続きです。

  【ル-ト地図】(狭山市駅(27.8km)→西大家駅(40.4km))

Img_3478清水八幡宮 《地図

源頼朝の追手により、入間川の八丁の渡しあたりで殺害された木曽義仲の嫡男の源義高を祀る。

Img_3479説明板

Img_3473入間川

左端が八丁の渡し跡(2か所のうちの一つ)あたりという本富士見橋。

新富士見橋を渡って、入間川宿あたりを進むが昔の面影は残っていない。

Img_3483奥州道交差点・信濃坂下 《地図

横断歩道を渡った所に、石橋供養塔道標と影隠(かげかくし)地蔵。ここは霞関跡という。

Img_3484石橋供養塔道標には、「南江戸道」・「北小川町」・正面にも、「石橋供養 西 八王じ道」?と刻まれている。

影隠地蔵は、追手に追われた源義高が地蔵の後ろに身を隠したという。もとは地蔵堂があり、木像だったそうだ。

Img_3489説明板

Img_3491信濃坂を上る。

鎌倉街道は高崎方面から信濃にも通じていたということか。

Img_3495

智光山公園

Img_3497牧場?(智光山公園の向い側)

好天の下でくつろいでいる牛ちゃん。

日高市に入る。

Img_3506日高CC沿いを進む。

Img_3507鎌倉街道交差点で、千人同心日光道と交差する。《地図

Img_3514切通しの坂を下る。

掘割状遺構跡という。坂下の第二小畔川?の橋の所に、鎌倉街道上道碑と説明板が立つ。《地図

Img_3518説明板

Img_3524大乗妙典供養塔?道標(ゴミ置場の前) 《地図

振り返って見ている。左が歩いて来た道。

Img_3522「右ハ 扇町屋 八王子道 左 入間川 所沢道」らしい。

扇町屋は(八王子)千人同心日光道の宿場だった。

Img_3523霞野神社

Img_3529説明板

Img_3531女影原古戦場趾碑

中先代の乱』での古戦場跡

Img_3534天神社

梅から桜への時季だ。

Img_3536大神橋(下小畔川)を渡る。

県道15号を横切る。

Img_3538鎌倉街道踏切 《地図

Img_3545旭ヶ丘神社 《地図

左に「高萩飛行場跡碑」が立つ。

鶴ヶ島市に入って少し進み、西大家駅の手前で坂戸市に入った。

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2016年3月24日 (木)

高針街道

2016年3月8日

高岳駅(地下鉄桜通線)・・・貞祖院・・・室寺観音院・・佐野屋の辻(代官町交差点)・善光寺街道(下街道)分岐地点・・・自然院・・・情妙寺・・・(桜通り)・・・広小路通り・・・千種橋(JR中央線)・・・高牟神社①・・・光正院・・・塩付街道交差地点・・・光明寺・・・菊坂上・・・月見坂上・・・城山八幡宮・末森城跡・旧昭和塾堂・・・東山公園・・・星ヶ丘交差点・・・西山口東交差点・旧道・・・三徳龍神社・・・高針橋(植田川)・・(名古屋第二環状道)・・・東勝寺・・・済松寺・・・高帝龍王神・・・高牟神社②・・・蓮教寺・・・信濃馬の宿跡・・・梅森坂交差点・・・(日進市)・・・石兼交差点・・旧道・・・庚申塔祠・・・神明神社・・・岩崎城跡公園・岩崎城古墳・岩崎城歴史記念館・・・大向川(岩崎川)・・・白山交差点・・・法輪寺・・・白山宮・白山古墳・・・龍谷寺・・・藤島城址碑・・・米野木神明社・・本亮院・・・米野木東交差点・飯田街道合流地点・・・新米野木橋(天白川)・・・米野木駅(名鉄豊田線)

 名古屋城下と旧高針村を結んだ高針街道を、善光寺街道との分岐地点から高針(たかばり)を過ぎて飯田街道との合流地点まで歩く。江戸時代から明治の中頃までは、三河や信州との交易のための中馬が通った道でもある。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_3005説明板(月見坂の坂上近くに設置)

坂下の田代小学校の角にもある。

Img_29413月の上旬だが連日の20度越えで、大寒桜・寒緋桜も見頃だ。『オオカンザクラの並木道

市内でいち早くお花見ができる名所で、ちょうど通勤時で写真を撮っている人もいる。

Img_2944貞祖院

Img_2942説明板

佐野屋の辻(代官町交差点)を東進する。札の辻から佐野屋の辻までは、『善光寺街道①』に記載

Img_2949建中寺地図

尾張徳川家歴代の菩提寺

Img_2959自然院 《地図

「花道千秋流家元」の標石

Img_2961情妙寺

Img_2962説明板

南に進み、桜通り(国道19号)を横切り、広小路通り(県道60号)に出てJR中央線を千種橋で越える。

Img_2974高牟(たかむ)神社① 《地図

延喜式にも記載されている古社。「牟」は古代の武器の鉾(ほこ)で、尾張物部氏の武器庫が神社になったと伝えられる。境内には元古井、古井ノ坂の地名の由来の古井戸がある。

Img_2967説明板

Img_2969説明板

塩付街道との交差地点を過ぎ、千種区役所の南側を通り、菊坂上から月見坂の坂上近くに出る。

Img_3007月見坂上

このあたりは、『名古屋市の坂②』で歩いている。

Img_3014城山八幡宮末盛城跡) 《地図

Img_3015説明板

Img_3016空堀跡

Img_3023昭和塾堂

末森(盛)城二の丸跡

Img_3021説明板

Img_3030東山公園沿いを進む。

星ヶ丘交差点で右折し、西山口東交差点で左に旧道に入り、すぐに県道に出る。

Img_3042三徳龍神社 《地図

このあたりは池跡のようで低くなっている。昭和の初め頃、安良霊神という人が龍のお告げを聞いて、龍神を祀ればこの地区は繁栄するというので、地元の人たちが祠を建てたのが始まりで、昭和43年に三徳龍神社となったそうだ。

高針橋(植田川)を渡り、名古屋第二環状道をくぐって行く。

Img_3050東勝寺

創始は不詳、往時は伝忠坊と称し天台宗に属していたが、天正3年(1575)、高針城主の弟、加藤勘右衛門(藤原信眤)が顕如上人に帰依し、祐伝と号して屋敷内に伝忠坊を移し東照寺と改号(のち東勝寺と改める)したという。現在の本堂は天明7年(1787年)の再建。左は市の保存樹クロマツ。諸病に効く灸でも有名だそうだ。
東方400mあたりが高針城跡のようだ。

高針地区を散策する。

Img_3053済松寺

創始は不詳で無住の時代が多く、瑞松院として称していたが享保3年(1718)に済松寺と改めた。その後、また無住となったが、知多郡大府の鷹羽知観尼が移り住み再興した(尼僧寺の開基)。
現在の本堂・庫裏は大正10年の再建。本尊の十一面観音は秘仏で33年ごとに開帳される。歴代の庵主は村の娘を集め、お針・茶道・華道を教えていた。その後、農繁期託児所を経て保育園を開設した。

Img_3055高帝龍王神 《地図

Img_3057由緒碑

Img_3060高牟神社②

高針の氏神。創始は不詳だが延喜式内の神社と伝える。昭和25年までは八幡社と呼ばれていた。現在の社殿は平成8年の再建。春岱師作の狛犬一対が社宝として残る。境内には牧野池の掘削者勝野太郎左衛門を祀る敬徳殿(護国社)、「おまんと」(御馬塔)で使われる「大鳥毛馬標及び馬具」の保存庫がある。

Img_3064蓮教寺

現在の本堂は宝暦8年(1758)の建立。山門は本堂の50年程後の建立で、無地の総けやき造りで細かい装飾もほどこされている。

Img_3063由緒

高針街道に戻る。

Img_3070信濃の馬宿跡 《地図

高針を東西に走る旧道は「中馬街道」と呼ばれ三河や信州との交易路だった。その馬と馬方が宿泊した宿・馬小屋跡。中馬は馬方一人で馬数頭をあやつり信濃と名古屋の間をそれぞれの産物を運搬して往復した。明治の中頃まで続いたそうだ。

梅森坂交差点の先で日進市に入り、石兼交差点で旧道に入る。《地図

Img_3093庚申塔祠

新しい庚申塔が祀ってある。このあたりは小高い新しい住宅街になっている。

Img_3097神明神社 《地図

社殿も新しい

Img_3100石仏の保存屋(神明神社参道脇)

屋内に3段に小石仏がきちんと並べられている。このあたりの宅地の造成の際に集められた石仏たちか?

Img_3109岩崎城跡(模擬天守) 《地図

岩崎は尾張、三河間を往来する街道の要衝地で、国境付近を守る織田信秀(信長の父)の支城だった。土塁跡からは6世紀前半頃の円墳も発見されている。

Img_3111説明碑

Img_3136白山宮

石段右脇に円墳の白山古墳がある。

Img_3145龍谷寺山門

鐘楼門で仁王門

Img_3151藤島城址

街道右側の藤島町の田んぼの脇に碑のみが立っている。

日進東中学校の南側を通って行く。

Img_3154米野木(こめのぎ)神明社 《地図

近年、日進市で唯一、馬塔(おまんと)が復活したそうだ。

Img_3165飯田街道合流地点(米野木東交差点) 《地図

ここを高針街道歩きの終点とし、南に米野木駅に向かった。

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2016年3月18日 (金)

木曽街道(上街道)

2016年3月7日

楽田駅(名鉄小牧線)・・・楽田の追分・木曽街道・・・(名鉄小牧線踏切)・・・一里塚旧蹟標石・・・神明社・・・津島神社祠・・・朝日橋(五条川)・・・観音寺・・・合戦橋(新郷瀬川)・・・馬頭観音道標・・・白山神社・・・前原橋(荒神川)・・・前原交差点・・・天道宮神明社・白雲寺廃寺跡・・福昌寺・・・大国橋(大畔川)・・・新池・・・(国道41号)・・・熊野神社・大師堂・・・岩田橋(郷瀬川)・・・白百天龍王神塔・・・愛知用水・・・清水禅寺標石・・・(善師野川)・・(名鉄広見線踏切)・・善師野宿・・佐助地蔵?・・常夜灯・・禅徳寺・・善師野宿本陣跡(日比野家)・・木曽街道一里塚旧跡標石・・・大洞池・・・石拾峠・・・道標・・・水場・・・道標・・・(名古屋ヒルズゴルフ倶楽部)・・・(石原川)・・建速神社・・石原地区・・・・切通しの馬頭観音・・・(菅刈川)・・・(国道41号)・・・土田城址・・・刎橋(可児川)・・・土田宿本陣跡・・・白鬚神社・・・(国道21号)・・・津島神社・・・中山道・今渡の渡し跡・・・日本ライン今渡駅(名鉄広見線)

 稲置街道との楽田の追分から北東に向かい、善師野宿から石拾峠を越えて岐阜県に入り、土田宿の先で中山道に合流する木曽街道を、中山道の木曽川の今渡の渡し跡まで行く。

  【ル-ト地図

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Img_2645木曽街道(上(うわ)街道)説明板(観音寺前に設置)

Img_2619楽田の追分 《地図

右が木曽街道、左が稲置街道(犬山街道)

Img_2625馬頭観音祠

Img_2628台座が道標

「左 志のさ道」? どこのことなのか分からず。右側にも文字が刻まれているのだろうか?

Img_2631一里塚旧蹟標石(右)

Img_2634神明社 《地図

Img_2655観音寺 《地図

Img_2652説明板

この先に入鹿洪水溺死者供養塔があるのだが、街道沿いではないようだ。西方の興禅寺には入鹿切れで流されてきた大石がある。『稲置街道①』に記載

Img_2663合戦橋(新郷瀬川) 《地図

小牧長久手の戦いの前哨戦の、「羽黒八幡林の戦い」に由来する橋名という。『稲置街道①』に記載

Img_2665馬頭観音道標(安永2年(1773)・正面)

Img_2668台座に、「左きそみち 右やまみち」で、左が木曽街道だが右の山道を進んで白山神社に寄る。今は舗装された普通の道だが。

Img_2672白山神社

街道に戻り、荒神川を渡り、前原交差点を過ぎて行く。

Img_2687天道宮神明社楼門 《地図

境内に明治3年まで神宮寺の白雲寺があった。

Img_2689説明板(楼門)

Img_2696説明板(白雲寺廃寺)

Img_2702福昌寺

Img_2710新池沿いを進み、国道41号をくぐる。

Img_2718熊野神社 《地図

参道入口の左側に大師堂がある。

Img_2729愛知用水

この先は途切れて(暗渠か?)流れている。

Img_2731清水寺標石

坂上田村麻呂が東北の蝦夷征討に進軍した東山道沿いに、戦勝祈願のために建てた清水寺の一つという。
ここから600mくらいか。怪しい空模様で石拾峠も越えなければならないし見送った。結局、雨も降らず、石拾峠も呆気なく越えたのだが。

Img_2733説明板

Img_2737名鉄広見線

警報機が鳴りっぱなしで、やっと犬山行きの電車が来た。この先の踏切の遮断機は下りたままで、遠方に可児駅方面行きの電車のヘッドランプが見えるがやって来ない。事故があったようだ。踏切の反対側にいるおばさんと話しながら、左右を注意深く確認して遮断機をくぐって渡った。

Img_2745善師野(ぜんじの)宿に入る。《地図

右の伏屋公民館?に概要図が貼ってある。

Img_2741説明板

Img_2746宿場概要図

この手前の小祠が佐助地蔵か?

Img_2754常夜灯を見ながら緩やかに上って行く。

Img_2758禅徳寺

文明6年(1474)の創建で、明治の教育文学者の堀沢周安の菩提寺。

Img_2761本陣跡(日比野家)

左側の2軒目だが、標示などはない。

Img_2765木曽街道一里塚旧跡標石(左)

「左 犬山及小牧宿へ三里」・「右 土田宿へ二里」と刻まれている。

しばらく行くと未舗装の山道っぽくなる。

Img_2784大洞池(おおぼら)沿いを進む。

Img_2794石拾峠へ緩やかな石ころの道を上る。

Img_2799石拾峠(166m)

愛知県と岐阜県の境で、左に行けば犬山城まで3.9m、右は通行止のようだ。木曽街道は直進して下って行く。

Img_2807小石仏かと思ったら道標だった。

Img_2808「左 犬山道 右 ?」

Img_2813水場(跡)

Img_2814道標(平成15年)

「左 旧木曽街道(名古屋道」・「←石原村をへて土田宿」・「←石拾峠をへて善師野宿」

Img_2822だだっ広いゴルフ場の間を抜けて行く。

Img_2830建速神社 《地図

石段上の社殿前で一休み。

Img_2835石原地区

旧石原村は善師野宿と土田宿の中間で、石拾峠越えを挟んで旅人の休憩場所として利用された。今は昔を偲ばせる物はないようだ。

Img_2844切通しの馬頭観音(文化10年(1813)) 《地図

道標になっていて、「右ハかち道」・「左ハ馬道 川渡ハ東道」で、川渡(今渡の渡し・太田の渡し)の東道を進む。

Img_2846説明板

国道41号をくぐる。

Img_2859土田(どた)城址 《地図

信長の生母の土田御前の生まれた城ともいう。
新しい道標には、「左 旧東山道」・「土田宿~尾張に至る」とある。

Img_2855説明板

Img_2864刎橋から可児川

Img_2881鳩吹山

Img_2889土田宿本陣跡 《地図

東山道の名残りの土田→善師野→犬山への、もとの中山道の宿だった。犬山城下の余坂口木戸跡近くの奥村家には、「中山道一里塚跡遺跡前」碑が立っている。『稲置街道①』に記載

Img_2890説明板

Img_2902白鬚神社の長い参道

600mほどあるか。こんなに長いとは思わなかった。

Img_2907白鬚神社

平将門の征討に向かう平貞盛の創建という。

Img_2905由来

Img_2928今渡の渡し跡から木曽川・大田橋 《地図

このあたりは『中山道(細久手宿→太田宿)』に記載。
ここを木曽街道歩きの終点とし、日本ライン今渡駅に向かった。

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2016年3月16日 (水)

稲生街道

2016年3月5日

名古屋駅・・・伝馬橋(堀川)・美濃路・・・富士浅間神社・・江川一里塚跡・稲生街道・・・受徳寺・・江川端通商店街・・樫ノ木龍神・・・江川の碑・浄心寺・・・宗像神社・・・細池(延命)地蔵・・・庚申塚(稲生原古戦場跡)・庄内用水・・・新福寺・・・宗円寺・・・白山神社(名塚城)跡・・・地蔵橋(庄内用水)・・大江橋・江川分岐点跡・・・神明社・・・宮前橋・伊奴神社・・・妙本寺・丹羽長忠屋敷跡・・・安性寺・・・水神堂・・庄内公園・庄内川橋・稲生渡船場跡・・津島神社・・薬師寺・・・庄内緑地公園・・・地蔵堂・・・星神社・・・法源寺・・・長善寺・・・岩倉街道合流地点・・道標・・上小田井駅(地下鉄鶴舞線)

 美濃路の江川一里塚跡あたりから北に入り、江川(跡)沿いを浄心から稲生に進み、庄内川を渡って岩倉街道に通じる稲生街道を、美濃路の伝馬橋から行く。

  【ル-ト地図

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Img_2194富士浅間神社

ここ浅間町の由来の社

伝馬橋から江川一里塚跡までは、『美濃路①』に記載

Img_2196江川一里塚跡あたり 《地図

江川郵便局の先の駐車場の前に説明板が立っていたのだが見当たらなかった。

一里塚跡の交差点を稲生街道の起点として、北に向かう。昭和初期までは江川が流れていた。

Img_2204江川端通商店街を進む。

江川は暗渠になっている。右は樫ノ木龍神、正面奥は浄心寺 《地図

Img_2213江川の碑(浄心寺前)

Img_2218宗像神社 《地図

尾張藩祖の徳川義直が筑前の宗像神社より勧請し、下御深井(しもおふけ・名城公園の外堀脇)に創建した。明治26年にこの地に遷宮された。別名を御深井弁天(おふけべんてん)といい、「弁天通り」の由来となった。

Img_2216アメリカヤ

屋までがカタカナのハイカラな店?

Img_2221細池(延命)地蔵

Img_2222由来

Img_2224庚申塚(稲生原古戦場跡) 《地図

Img_2225説明板

Img_2227庄内用水緑道

Img_2264説明板

Img_2236新福寺のシイの木

Img_2233説明板

Img_2242宗円寺

Img_2241説明板

Img_2246白山神社(名塚城跡)

Img_2245説明板

Img_2248地蔵橋(庄内用水(惣兵衛川)) 《地図

地蔵・神変大菩薩・秋葉神社の祠が並んでいる。

この先の大江橋の所が江川の取水口跡

Img_2263伊奴(いぬ)神社 《地図

天武天皇の時代、ここで取れた米を皇室に献上した時に創建されたと伝える。「稲生」という地名もそれから生まれたという。荘園制度時代にはこの辺りは稲生荘だった。

Img_2265由緒

Img_2271犬石像

Img_2281丹羽長忠屋敷跡(妙本寺前)

五輪塔や墓石などがあるが誰のものか分からず、説明板などもない。

Img_2284安性寺(あんしょうじ)

右方に白獄龍神と歳徳天神の祠が並んでいる。

Img_2288水神堂(右) 《地図

八大龍王祀っている。

Img_2294楠木正成父子像(庄内公園内)

桜井の別れ」の場面だろうか?

Img_2295庄内川橋から上流方向(稲生渡船場跡あたり)

右後方の高層マンションは稲置街道歩きの時は下流に見た。

Img_2298津島神社 《地図

庄内川緑地公園の北側を横切り一般道に出る。本来の稲生街道はもう少し北側を通って岩倉街道に出ていたかも。

Img_2315星神社のムクノ木 《地図

Img_2330岩倉街道合流地点 《地図

右に少し行けば道標と、岩倉街道の説明板の所へ出る。

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2016年3月13日 (日)

岩倉街道②

2016年3月6日

石仏駅(名鉄犬山線)・・・(名神高速)・・・(一宮市)・・・(江南市)・・・南山神明社・・・観音寺・・・小折交差点・道標・・・久昌寺・・神明社・・・龍神社・・・生駒屋敷跡(小折城址)・・・常観寺・・・(国道155号)・・・富士塚(お亀塚)・・・布袋八剱神社・・・津島神社・・・地蔵寺・・・朝熊神社・・・若宮八幡宮・・・薬師寺・・・前野屋敷跡・・・前野天満宮・・・(扶桑町)・・・(柏森駅)・・・柏森神社・・・専修院・・・柏森辻田交差点・・・旧道・・・恵心庵・・・楉埜神社・・・(犬山市)・・上野弘法堂・・立野神社・・・上野橋(木津用水)・・旧道・・(尾張広域緑道)・・・馬頭観音祠・・稲置街道(犬山街道)合流地点・・本町通り・・・専念坂・・専念寺・・願入寺・・・御縣神社・・・鵜飼坂・・・常満寺・・・寺内町通り・・円明寺・浄誓寺・・西蓮寺・・・犬山駅(名鉄犬山線)

 午後あたりから雨の予報なので、早めに歩き始めようと名鉄名古屋駅でちょうど来た岐阜行きの特急に飛び乗ったら岩倉方面には行かず、最初の国府宮駅から名古屋駅に引き返し再出発となった。だいぶ時間をロスしたが石仏駅からは雨にも降られずに犬山の稲置街道との合流地点まで行けた。
 小雨がぱらつき始めた稲置街道を北に進み、犬山城下の西の木戸があった専念坂と鵜飼坂を上り下りし、寺内町通りを抜けて犬山駅に向かった。

  【ル-ト地図】(石仏駅(18.1km)から)

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Img_2335南山神明社 《地図

小折村には外宮(当社)と内宮(後掲)の二つの神明社があり、いずれも生駒家代々の氏神だった。

Img_2339馬頭観音などの祠(小折交差点の右方)

右は道標(享和2年(1802)で、「右いぬやま」・「左一のみや)、もとは交差点にあったものか。

Img_2350久昌寺

開基は織田信長の室の吉乃の方庵桂大禅定尼(法名))で、生駒家の菩提寺。

Img_2346説明板

Img_2353神明社(久昌寺前)

Img_2351説明板

Img_2357龍神社

社務所のあたりが「吉乃御殿」という。

Img_2358由来

Img_2360雨壺池

Img_2359由来

Img_2369生駒屋敷(小折城)跡  《地図

Img_2365説明板

矢作橋のたもとではなく、ここで日吉丸(秀吉)が蜂須賀小六の輩下になったと書かれている。当時はまだ矢作橋は架っていなかったようだ。

Img_2377常観寺

Img_2376説明板「お釜地蔵

尾張六地蔵」にこの寺は入っていないようだが。「尾張六地蔵」だろうか? 「尾張三地蔵」は、瑞泉寺(犬山市)の身代り地蔵、地蔵寺(山尻)の子育て地蔵と、この寺のお釜地蔵だそうだ。

Img_2390富士塚(お亀塚) 《地図

亀趺(きふ・亀型の台石)の上に石碑が立つ。

Img_2393_2説明板

Img_2383布袋(ほてい)八剱神社のイチイガシ

津島神社、地蔵寺、朝熊神社に寄りながら進む。

Img_2418若宮八幡宮

Img_2434前野屋敷跡 《地図

Img_2429説明板

Img_2440前野天満宮

文永5年(1268)、前野家(吉田家)4代当主右馬三郎兵衛時綱の母が、越後の国菅原天満社宮司の娘だったことから観請したという。

Img_2444観音寺

前野氏一族の善提寺で、本尊はこの地方では珍しい三面八臂坐像観音。

Img_2441説明板

扶桑町に入り、柏森駅の所で名鉄線を渡る。

Img_2448柏森神社 《地図

明治41年に白山社と大明神社を合祀した。

Img_2451専修院東門

犬山城にあった7つの門のうちのひとつ矢来門(形は高麗門)。このような門は、城特有のもので寺には珍しいという。

Img_2450由緒

Img_2464柏森辻田交差点の先で左に旧道が残る。

Img_2466説明板

Img_2476恵心庵 《地図

Img_2475説明板

Img_2480楉埜(しもとの)神社 《地図

Img_2483由緒

楉埜大神とはどういう神なのか?

犬山市に入る。

Img_2501上野弘法堂 《地図

Img_2497立野神社

Img_2493役行者神変大菩薩(左・嘉永2年(1849))と延命地蔵

Img_2505木津用水を渡る。

この先で右に旧道に入る。

Img_2514尾張広域緑道を横切る。《地図

緑道を南に行けば田縣神社の南で稲置街道(犬山街道)を横切っている。

Img_2528馬頭観音祠

この坂上の突き当りで稲置街道と合流する。《地図

犬山城下の余坂木戸口の説明板にあった専念坂と鵜飼坂に向かう。

Img_2540稲置街道の本町通り

日曜で観光客が多い。

Img_2595専念坂の坂上

このあたりにも木戸があったようだ。

Img_2594説明板

Img_2547専念寺

大クスノキに覆われている。犬山で2番目に太いクスノキという。

Img_2550専念坂を下る。 《地図

Img_2552旧家

Img_2556願入寺山門

〒ポストが似合っているか。

Img_2559御縣神社

Img_2579鵜飼坂(坂下方向) 《地図

この坂沿いにも木戸があったようだ。

Img_2580坂上近く

Img_2593常満寺山門

犬山城松の丸の裏門を移築

Img_2598鉤型に曲って本町通りを横切り、寺内町通りを進み犬山駅に向かう。

Img_2612説明板

Img_2601
旧家

Img_2606 圓明寺のシダレ桜

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2016年3月 4日 (金)

岩倉街道①

2016年2月11日

東枇杷島駅(名鉄名古屋本線)・・美濃路・・・枇杷島橋(庄内川)・・(清須市)・橋詰神社・岩倉街道分岐地点・・・宝国寺・・・地蔵祠・・(名古屋高速6号清須線)・・・神明社・・・城跡公園(小田井城址)・・・(名古屋市)・・五所社・・願王寺・・東雲寺・・・稲生街道合流地点・道標・・(名鉄犬山線)・・・(城北線)・・・平田橋(新川)・・馬頭観音祠・・・秋葉神社・・・(北名古屋市)・・・両家天神社・・・大師祠・・・高畑神明社・・・(西春駅)・・・若宮神社・観音寺・・・三狐神社・・・生田神社・・・生田橋(五条川)・(岩倉市)・神明太一宮一神門舊跡標柱・・・生田明神社・・・(名鉄犬山線)・・・神明社・・神清院・・・城跡橋(五条川)・・岩倉城跡・・・神明太一宮二神門舊跡標柱・・・誓願寺・・・岩倉街道標柱・・・吉祥寺・・・神明生田神社・・・大願寺・・・中島屋幟店・・・神明太一宮・・・徳岩寺・・・光昭寺・・・福寿稲荷神社・・・立野天神社・・・神野町又一交差点・・・稲原寺・・・石仏駅(名鉄瀬戸線)

 美濃路の小田井の市場へ、岩倉方面から農産物などを運んだ流通・経済の道、岩倉街道を、美濃路の橋詰神社前から岩倉を通り、犬山の稲置街道合流地点まで行く。

  【ル-ト地図】(石仏駅(18.1km)まで)

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Img_1844枇杷島橋から庄内川上流方向

橋を渡って清須市に入る。

Img_1845橋詰神社前 《地図

美濃路は左折して青物市跡(小田井の市場)へと進む。江戸千住や大阪天満と並び、日本三大市場に数えられた。青果に限らず乾物・魚鳥・薪炭・糸・煙草など広範囲だったという。岩倉街道は右折して北上して行く。

Img_1848しばらく庄内川右岸の土手上を行く。

Img_1854宝国寺 《地図

尾張藩所の鷹狩の時の休息所・御膳所。説明板に2つの民話が載る。

Img_1856由緒

Img_1863神明社 《地図

ここを左折して、小田井城址に寄る。

Img_1870小田井城址(城跡公園)

再び名古屋市に入る。

Img_1879五所社 《地図

中小田井の氏神社

Img_1882由緒

Img_1903願王寺

山門(仁王門)との間に堂々と鳥居、異国情緒の石造物が並ぶ。まさに神仏習合だ。

Img_1892迦樓羅(ガルダ

説明碑には、「インドネシア・ジョク・ジャカルタ」、「天竜八部衆の内」とある。インド神話の巨鳥で、ヴィシュヌ神ラクシュミュー妃神が乗っているそうだ。妃神はどこにいるのか?

Img_1890トルハルバン

韓国済州島の守護神像

Img_1900本堂

改修の際に屋根をはずし、本堂を覆う三角の外形を被せたそうだ。本尊は薬師如来と善光寺如来。せき、ぜんそくに効能のある「へちま薬師」は有名。同じく「へちま薬師」の東充寺にはへちまがぶら下がっていたが、ここでは見当たらない。『岡崎街道①』に記載

Img_1895明光閣(願王寺境内)

中小田井の庄屋平手家の母屋を移築。

Img_1905わたしん商店

Img_1916東雲寺

平手政秀の首塚があるというが分からず。後日調べると墓地の一画にあるようだ。

Img_1924中小田井の家並み

建物が街道に直接面しているため、平入り中2階建てで、連子格子つきの家が多いそうだ。

Img_1926

Img_1928

Img_1931道標 《地図

「右 善光寺 小牧道」・「左 浅井 岩倉道」で、稲置街道へ出て小牧→楽田の追分・木曽街道(上街道)→中山道から善光寺への道筋か。
このあたりで右から稲生街道が合流する。

Img_1932説明板

Img_1951平田橋から新川・名鉄犬山線 《地図

Img_1953馬頭観音

平田橋を渡った左側

Img_1956秋葉神社

2月20日の「はだか祭」の「裸男募集」のチラシが貼ってある。裸男は集まっただろうか?

北名古屋市に入る。

Img_1959両家天神社 《地図

Img_1960由緒

Img_1965高畑神明社(元和3年(1617)の創建)

九之坪神社と思っていたが違うようだ。

Img_1970九之坪の家並み

西春駅を過ぎ、若宮通りを進む。

Img_1982若宮神社 《地図

Img_1985三狐神社

由来などは分からず。

Img_1990生田神社 《地図

一宮市の「生田神社」、岩倉市の「神明生田神社」・「生田明神社」とともに、式内社「丹羽郡生田神社」の候補の社という。

Img_1997神明太一宮一神門舊跡標柱(正面) 《地図

生田橋(五条川)を渡った所。

岩倉市に入った。

Img_2001生田明神社 《地図

Img_2005長屋門

街道に戻り、名鉄犬山線を渡って行く。

Img_2013神明社 《地図

社殿の後ろは大クスノキ

Img_2019神清院

境内の天神様は6世紀頃の古墳で、須恵器・埴輪などが出土したそうだ。

Img_2024_2山門右横の役行者像

Img_2033岩倉城跡 《地図

Img_2035説明板①

Img_2042説明板②

Img_2054誓願寺(正面)前の旧家

手前の街道沿いに神明太一宮二神門舊跡標柱が立っている。

Img_2057誓願寺鐘楼門

Img_2061織田伊勢守信安夫妻の墓

Img_2060説明板

Img_2051下本町の旧家

Img_2047旧家

Img_2069岩倉街道標柱(下本町下市場交差点を渡った所)

「柳街道」は織田信長が道の両脇に柳を植えたことからという。

Img_2070_2吉祥寺

白衣姿の火生が、燃え盛る燠(おき)の上を呪文を唱えながら渡ったあと、多勢の市民が火災除けと家門繁栄を願って火の中を渡る、明治15年から続いている年中行事の「火渡り」がある。

Img_2072岩倉駅近くの商店

Img_2073神明生田神社

Img_2076山内一豊誕生地碑(後方)

一宮市は岐阜街道近くの黒田城を出生地とする。『岐阜街道(御鮨街道②)』に記載

Img_2074説明板

Img_2079枡形を曲がって行く。《地図

Img_2082大願寺

Img_2088中島屋幟店(中本町交差点角)

2~4月初旬に五条川の冷たい水の中で糊(のり)を落とす「のんぼり洗い」は早春の風物詩。

Img_2093神明太一宮 《地図

ここが街道沿いに2つの神門旧蹟碑が立っていた神社で、祭神は天照皇太神・豊受大神・国常立尊。鳥羽天皇が奉献した神領の地で、平安時代以前より伊勢神宮と関係が深い神明社と伝えられる。尾張徳川家の崇敬が篤く、家康の四男松平忠吉の棟札が残るという。

Img_2096旗屋中島屋代助商店

筒描(つつがき)、印染(しるしぞめ)という伝統技法を使い、鯉のぼりや旗、のぼりなどを染める、6代続く染物屋。

光照寺の先で左折し、県道157号に出て北上し、立野天神社を過ぎた神野町又一交差点までとし、稲原寺から石仏(いしぼとけ)駅に向かう。

Img_2119稲原寺 《地図

「石仏」の地名由来の寺
民話:『稲原寺の石仏

Img_2122説明板

Img_2125五輪塔

Img_2124説明板

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2016年3月 2日 (水)

塩付街道

2016年2月9日

本笠寺駅(名鉄名古屋本線)・・・東海道・・・玉泉寺・・・富部神社・塩付街道・・・(東海道)・・・桜神明社・・(名鉄踏切)・・東宝寺・・・桜本町1交差点・・・村上社・・・(鯛取通り(県道56号))・・・鳥栖八剣社・・・成道寺・・・医王寺・・・鳥栖神明社・・・秋葉神社・・・塩付橋・平針街道合流地点・・平針街道分岐地点・・・落合橋(山崎川)・・・瑞穂スタジアム・・・道標地蔵・・あゆちの水伝承地・・・左大臣藤原師長公琵琶ヶ峯遺跡碑・・・左右田橋(山崎川)・・萩山橋・・鼎池地標石・・鼎橋・・・村上神社・・・市立大病院・塩付街道説明板・・みやみち地蔵・・・藤成神明社・・・古観音廃寺跡・・・晃照寺・・・白山社・・善昌寺・・・地蔵祠・・・(広路通り)・・・蹉跌屋跡・岡崎街道(飯田街道)交差地点・・・(安田通り(国道153号)・・・地蔵・馬頭観音祠・・・(名古屋高速2号東山線)・・・一畑薬師寺別院・・・(高針街道交差地点)・・・(広小路通り(県道60号))・・・浄願寺・・大昌寺・・・(出来町通り)・成蓮院・・(千種通り)・・・六所神社・・・矢田五丁目交差点・・・瀬戸街道合流地点・瀬戸街道・・・善光寺街道合流地点・・大曽根駅(地下鉄名城線)

 鳴海潟や星崎沿岸で取れた「前浜塩」と呼ばれた塩を、馬の背に積んで北方へ運んだ塩付街道を行く。起点は諸説あり、①本笠寺駅付近の松本地蔵、②永井家塩蔵前、③喚続神社、④星宮社、⑤富部神社など。②・③・④は『知多街道を歩く』で訪れているので、今回は富部神社を起点として瀬戸街道との合流地点まで歩く。

  【ル-ト地図

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Img_1457本笠寺駅から東海道を進む。《地図

Img_1464富部(とべ)神社

ここを塩付街道歩きの起点とした。南区のHPにも、「富部神社あたりから・・・・運ばれました」とある。

Img_1465説明板

Img_1462塩付街道道標

東海道を横切って行く。

Img_1473桜神明社 《地図

桜神明社古墳(ひめ塚)上にある。

Img_1472説明板

Img_1475東宝寺

桜中村城の家老屋敷跡とも伝えられ、境内に「櫻村固本陣跡」碑がある。

この先、雨に気を取られ北方向に進むのを、東から南へ進んでしまった。

Img_1479雨の中、どこを歩いているのか分からなくなる。

Img_1482大クスノキ(村上社)の下で雨宿りしながら、手元の地図を確認するがここは載っていない。《地図

Img_1481説明板

コンパスで確かめ、とにかく北方向に向かう。県道56号に出て、やっとどのあたりにいるのか分かった。

Img_1489鳥栖八剣社(とりすはっけんしゃ) 《地図

ここも古墳上だ。

Img_1487説明板

Img_1494成道寺

境内は取隅(鳥栖)城跡と考えられ、城主成田公夫妻の墓碑と伝えられる石仏二体(成田城主夫婦地蔵)がある。

Img_1493成田城主夫婦地蔵(永正12年(1515))

右の地蔵(夫像)に「鳥住伝心浄本菴主」、「永正十二年乙亥正月十二日」、左の夫人像下には「慶林大姉」と刻まれている。 紀年の古さと、夫婦墓が揃ってあるということは珍しく、市内最古のものという。

Img_1496医王寺

天正2年(1574)の創建で、戦国時代に新屋敷西城のあった所という。

塩付街道に出る。

Img_1498鳥栖神明社 《地図

Img_1499説明板

Img_1506秋葉神社(左)

この先で用水路(排水路?)に突き当たる。

Img_1509塩付橋を渡る。《地図

平針街道と合流し、少し進んで分かれる。

落合橋から山崎川沿いを進み、瑞穂スタジアムの右側を回り込んで、「あゆちの水伝承地」を探す。

Img_1527道標地蔵 《地図

Img_1521「右 いし坂道」・「左 なごや道」だろう。

八事石坂方向と名古屋城下方向

Img_1525あゆちの水伝承地(地蔵の前の坂を下る途中)

万葉集に「小冶田の年魚道(あゆち)の水を間なくぞ人は汲むとふ・・・・」。左下の井戸には「あ」の文字が見える。「あゆち」は「愛知」の語源ともいうようだ。

Img_1524説明板

Img_1537左大臣藤原師長公琵琶ヶ峯遺跡碑(マンション手前のフェンス内) 《地図

平清盛によって流された琵琶の名手・藤原師長が、この地で都を偲びながら琵琶を弾いていたという伝承地で、琵琶ヶ峯と呼ばれていたそうだ。今もこのあたりは「師長町」、師長ゆかりの地は、平針街道の最初に記載。

Img_1540左右田橋から山崎川 《地図

右岸(西岸)一帯に鼎池が広がっていたようだ。

Img_1546「従是東南鼎池地内」(鼎小橋の先)

Img_1548鼎池

萩の名所だった。

山崎川から分かれる。今は雨は上がっている。

Img_1557村上神社 《地図

おどり山古墳(5世紀代築造の円墳)の上

Img_1560塩付街道を北上する。

Img_1567名古屋市立大病院沿い

「川澄地蔵」があるはずだが、一往復半したが見当たらなかった。どこかに移設されたのか?
左のフェンスに塩付街道の説明板、少し先の路面にプレート。

Img_1566説明板

鳴海かた(潟) 遠きひがたの松かげに けぶりぞのこる うらのしほかま(塩竈)」(夫木集)、尾張名所図会の「星崎」(塩田)

Img_1575路面のプレート

これを川澄地蔵の代わりとするか。今日のような雨の日には塩は運べないのでは。馬も骨休めができただろうか。

Img_1568みや道地蔵堂(左) 《地図

Img_1569「右 みやみち 左 なるみ道」

「みや」は熱田神宮で、鳴海へは今来た道を逆にたどり笠寺から東海道を南東に向かうのだろう。

Img_1578旧商店

Img_1580藤成神明社の大クス 《地図

Img_1583古観音廃寺跡(向い側)

奈良時代の「布目の鬼瓦」(市指定文化財)が出土したそうだ。ここは塩付通5交差点で、この前の通りが現在の塩付通り。

Img_1579説明板

説明板の「当時の塩付街道」に戻る。

Img_1586石仏(いしぼとけ)白山神社

元は隣の善昌寺の境内にあったが、明治維新の神仏分離令で分離され、同寺の鎮守社となった。

Img_1591善昌寺

「石仏」の地名由来の「石仏千手観世音菩薩像」と円空作の薬師如来像を安置する。昭和区のHPは、右の石地蔵を「石仏」の由来とするが、この地蔵は新し過ぎやしないか。

Img_1595石仏町の家並み

広路通りの手前で右に入り、西友の左側を通って行く。

Img_1608塩付通2交差点の先で左に旧道に入る。

Img_1610馬の蹉跌屋跡(駐車場の所)

すぐ先で岡崎街道(飯田街道)と交差する。《地図

この先は見所も少なく足早に進む。雨は相変わらず降ったり止んだりだ。

Img_1621地蔵と馬頭観音の祠

Img_1627一畑薬師寺名古屋別院 《地図

岡崎市の一畑薬師寺の別院

この先で高針街道と交差し、県道60号を横切る。

Img_1630旧家

Img_1638六所神社 《地図

Img_1644矢田五丁目交差点から正面の細い道に入る。

Img_1648瀬戸街道(水野街道)合流地点 《地図

ここを塩付街道歩きの終点とし、左折して瀬戸街道と善光寺街道(下街道)の現在の分岐点に出て、大曽根交番そばの地下鉄入口に着いた。

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