稲生街道
2016年3月5日
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美濃路の江川一里塚跡あたりから北に入り、江川(跡)沿いを浄心から稲生に進み、庄内川を渡って岩倉街道に通じる稲生街道を、美濃路の伝馬橋から行く。
【ル-ト地図】
写真をクリックすると拡大します。
ここ浅間町の由来の社
伝馬橋から江川一里塚跡までは、『美濃路①』に記載
江川一里塚跡あたり 《地図》
江川郵便局の先の駐車場の前に説明板が立っていたのだが見当たらなかった。
一里塚跡の交差点を稲生街道の起点として、北に向かう。昭和初期までは江川が流れていた。
江川は暗渠になっている。右は樫ノ木龍神、正面奥は浄心寺 『昔の浄心界隈の絵』 《地図》
宗像神社 《地図》
尾張藩祖の徳川義直が筑前の宗像神社より勧請し、下御深井(しもおふけ・名城公園の外堀脇)に創建した。明治26年にこの地に遷宮された。別名を御深井弁天(おふけべんてん)といい、「弁天通り」の由来となった。
屋までがカタカナのハイカラな店?
庚申塚(稲生原古戦場跡) 《地図》
地蔵橋(庄内用水(惣兵衛川)) 《地図》
地蔵・神変大菩薩・秋葉神社の祠が並んでいる。
この先の大江橋の所が江川の取水口跡
天武天皇の時代、ここで取れた米を皇室に献上した時に創建されたと伝える。「稲生」という地名もそれから生まれたという。荘園制度時代にはこの辺りは稲生荘だった。
丹羽長忠屋敷跡(妙本寺前)
五輪塔や墓石などがあるが誰のものか分からず、説明板などもない。
右方に白獄龍神と歳徳天神の祠が並んでいる。
水神堂(右) 《地図》
八大龍王祀っている。
「桜井の別れ」の場面だろうか?
右後方の高層マンションは稲置街道歩きの時は下流に見た。
津島神社 《地図》
庄内川緑地公園の北側を横切り一般道に出る。本来の稲生街道はもう少し北側を通って岩倉街道に出ていたかも。
右に少し行けば道標と、岩倉街道の説明板の所へ出る。
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コメント
拙ブログの記事が少しでもお役に立てば嬉しいです。延命地蔵尊は是非とも「延命」させて欲しいものですね。 坂道散歩
投稿: 稲生学区・町内会様 | 2020年3月11日 (水) 07:42
貴重な情報満載のサイトを興味深く拝見しました。稲生在住のこどもたちと“まちの探検ごっこ”をする予定ですので、参考にさせていただきます。
(2020年3月10日現在)隣接の建物が撤去されたため、記事内の延命地蔵尊存続危うしの状況です。
投稿: 稲生学区・町内会 | 2020年3月10日 (火) 22:45