« 塩付街道 | トップページ | 岩倉街道② »

2016年3月 4日 (金)

岩倉街道①

2016年2月11日

東枇杷島駅(名鉄名古屋本線)・・美濃路・・・枇杷島橋(庄内川)・・(清須市)・橋詰神社・岩倉街道分岐地点・・・宝国寺・・・地蔵祠・・(名古屋高速6号清須線)・・・神明社・・・城跡公園(小田井城址)・・・(名古屋市)・・五所社・・願王寺・・東雲寺・・・稲生街道合流地点・道標・・(名鉄犬山線)・・・(城北線)・・・平田橋(新川)・・馬頭観音祠・・・秋葉神社・・・(北名古屋市)・・・両家天神社・・・大師祠・・・高畑神明社・・・(西春駅)・・・若宮神社・観音寺・・・三狐神社・・・生田神社・・・生田橋(五条川)・(岩倉市)・神明太一宮一神門舊跡標柱・・・生田明神社・・・(名鉄犬山線)・・・神明社・・神清院・・・城跡橋(五条川)・・岩倉城跡・・・神明太一宮二神門舊跡標柱・・・誓願寺・・・岩倉街道標柱・・・吉祥寺・・・神明生田神社・・・大願寺・・・中島屋幟店・・・神明太一宮・・・徳岩寺・・・光昭寺・・・福寿稲荷神社・・・立野天神社・・・神野町又一交差点・・・稲原寺・・・石仏駅(名鉄瀬戸線)

 美濃路の小田井の市場へ、岩倉方面から農産物などを運んだ流通・経済の道、岩倉街道を、美濃路の橋詰神社前から岩倉を通り、犬山の稲置街道合流地点まで行く。

  【ル-ト地図】(石仏駅(18.1km)まで)

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1844枇杷島橋から庄内川上流方向

橋を渡って清須市に入る。

Img_1845橋詰神社前 《地図

美濃路は左折して青物市跡(小田井の市場)へと進む。江戸千住や大阪天満と並び、日本三大市場に数えられた。青果に限らず乾物・魚鳥・薪炭・糸・煙草など広範囲だったという。岩倉街道は右折して北上して行く。

Img_1848しばらく庄内川右岸の土手上を行く。

Img_1854宝国寺 《地図

尾張藩所の鷹狩の時の休息所・御膳所。説明板に2つの民話が載る。

Img_1856由緒

Img_1863神明社 《地図

ここを左折して、小田井城址に寄る。

Img_1870小田井城址(城跡公園)

再び名古屋市に入る。

Img_1879五所社 《地図

中小田井の氏神社

Img_1882由緒

Img_1903願王寺

山門(仁王門)との間に堂々と鳥居、異国情緒の石造物が並ぶ。まさに神仏習合だ。

Img_1892迦樓羅(ガルダ

説明碑には、「インドネシア・ジョク・ジャカルタ」、「天竜八部衆の内」とある。インド神話の巨鳥で、ヴィシュヌ神ラクシュミュー妃神が乗っているそうだ。妃神はどこにいるのか?

Img_1890トルハルバン

韓国済州島の守護神像

Img_1900本堂

改修の際に屋根をはずし、本堂を覆う三角の外形を被せたそうだ。本尊は薬師如来と善光寺如来。せき、ぜんそくに効能のある「へちま薬師」は有名。同じく「へちま薬師」の東充寺にはへちまがぶら下がっていたが、ここでは見当たらない。『岡崎街道①』に記載

Img_1895明光閣(願王寺境内)

中小田井の庄屋平手家の母屋を移築。

Img_1905わたしん商店

Img_1916東雲寺

平手政秀の首塚があるというが分からず。後日調べると墓地の一画にあるようだ。

Img_1924中小田井の家並み

建物が街道に直接面しているため、平入り中2階建てで、連子格子つきの家が多いそうだ。

Img_1926

Img_1928

Img_1931道標 《地図

「右 善光寺 小牧道」・「左 浅井 岩倉道」で、稲置街道へ出て小牧→楽田の追分・木曽街道(上街道)→中山道から善光寺への道筋か。
このあたりで右から稲生街道が合流する。

Img_1932説明板

Img_1951平田橋から新川・名鉄犬山線 《地図

Img_1953馬頭観音

平田橋を渡った左側

Img_1956秋葉神社

2月20日の「はだか祭」の「裸男募集」のチラシが貼ってある。裸男は集まっただろうか?

北名古屋市に入る。

Img_1959両家天神社 《地図

Img_1960由緒

Img_1965高畑神明社(元和3年(1617)の創建)

九之坪神社と思っていたが違うようだ。

Img_1970九之坪の家並み

西春駅を過ぎ、若宮通りを進む。

Img_1982若宮神社 《地図

Img_1985三狐神社

由来などは分からず。

Img_1990生田神社 《地図

一宮市の「生田神社」、岩倉市の「神明生田神社」・「生田明神社」とともに、式内社「丹羽郡生田神社」の候補の社という。

Img_1997神明太一宮一神門舊跡標柱(正面) 《地図

生田橋(五条川)を渡った所。

岩倉市に入った。

Img_2001生田明神社 《地図

Img_2005長屋門

街道に戻り、名鉄犬山線を渡って行く。

Img_2013神明社 《地図

社殿の後ろは大クスノキ

Img_2019神清院

境内の天神様は6世紀頃の古墳で、須恵器・埴輪などが出土したそうだ。

Img_2024_2山門右横の役行者像

Img_2033岩倉城跡 《地図

Img_2035説明板①

Img_2042説明板②

Img_2054誓願寺(正面)前の旧家

手前の街道沿いに神明太一宮二神門舊跡標柱が立っている。

Img_2057誓願寺鐘楼門

Img_2061織田伊勢守信安夫妻の墓

Img_2060説明板

Img_2051下本町の旧家

Img_2047旧家

Img_2069岩倉街道標柱(下本町下市場交差点を渡った所)

「柳街道」は織田信長が道の両脇に柳を植えたことからという。

Img_2070_2吉祥寺

白衣姿の火生が、燃え盛る燠(おき)の上を呪文を唱えながら渡ったあと、多勢の市民が火災除けと家門繁栄を願って火の中を渡る、明治15年から続いている年中行事の「火渡り」がある。

Img_2072岩倉駅近くの商店

Img_2073神明生田神社

Img_2076山内一豊誕生地碑(後方)

一宮市は岐阜街道近くの黒田城を出生地とする。『岐阜街道(御鮨街道②)』に記載

Img_2074説明板

Img_2079枡形を曲がって行く。《地図

Img_2082大願寺

Img_2088中島屋幟店(中本町交差点角)

2~4月初旬に五条川の冷たい水の中で糊(のり)を落とす「のんぼり洗い」は早春の風物詩。

Img_2093神明太一宮 《地図

ここが街道沿いに2つの神門旧蹟碑が立っていた神社で、祭神は天照皇太神・豊受大神・国常立尊。鳥羽天皇が奉献した神領の地で、平安時代以前より伊勢神宮と関係が深い神明社と伝えられる。尾張徳川家の崇敬が篤く、家康の四男松平忠吉の棟札が残るという。

Img_2096旗屋中島屋代助商店

筒描(つつがき)、印染(しるしぞめ)という伝統技法を使い、鯉のぼりや旗、のぼりなどを染める、6代続く染物屋。

光照寺の先で左折し、県道157号に出て北上し、立野天神社を過ぎた神野町又一交差点までとし、稲原寺から石仏(いしぼとけ)駅に向かう。

Img_2119稲原寺 《地図

「石仏」の地名由来の寺
民話:「稲原寺の石仏」(伝承と俗信

Img_2122説明板

Img_2125五輪塔

Img_2124説明板

|

« 塩付街道 | トップページ | 岩倉街道② »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 岩倉街道①:

« 塩付街道 | トップページ | 岩倉街道② »