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2016年3月18日 (金)

木曽街道(上街道)

2016年3月7日

楽田駅(名鉄小牧線)・・・楽田の追分・木曽街道・・・(名鉄小牧線踏切)・・・一里塚旧蹟標石・・・神明社・・・津島神社祠・・・朝日橋(五条川)・・・観音寺・・・合戦橋(新郷瀬川)・・・馬頭観音道標・・・白山神社・・・前原橋(荒神川)・・・前原交差点・・・天道宮神明社・白雲寺廃寺跡・・福昌寺・・・大国橋(大畔川)・・・新池・・・(国道41号)・・・熊野神社・大師堂・・・岩田橋(郷瀬川)・・・白百天龍王神塔・・・愛知用水・・・清水禅寺標石・・・(善師野川)・・(名鉄広見線踏切)・・善師野宿・・佐助地蔵?・・常夜灯・・禅徳寺・・善師野宿本陣跡(日比野家)・・木曽街道一里塚旧跡標石・・・大洞池・・・石拾峠・・・道標・・・水場・・・道標・・・(名古屋ヒルズゴルフ倶楽部)・・・(石原川)・・建速神社・・石原地区・・・・切通しの馬頭観音・・・(菅刈川)・・・(国道41号)・・・土田城址・・・刎橋(可児川)・・・土田宿本陣跡・・・白鬚神社・・・(国道21号)・・・津島神社・・・中山道・今渡の渡し跡・・・日本ライン今渡駅(名鉄広見線)

 稲置街道との楽田の追分から北東に向かい、善師野宿から石拾峠を越えて岐阜県に入り、土田宿の先で中山道に合流する木曽街道を、中山道の木曽川の今渡の渡し跡まで行く。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_2645木曽街道(上(うわ)街道)説明板(観音寺前に設置)

Img_2619楽田の追分 《地図

右が木曽街道、左が稲置街道(犬山街道)

Img_2625馬頭観音祠

Img_2628台座が道標

「左 志のさ道」? どこのことなのか分からず。右側にも文字が刻まれているのだろうか?

Img_2631一里塚旧蹟標石(右)

Img_2634神明社 《地図

Img_2655観音寺 《地図

Img_2652説明板

この先に入鹿洪水溺死者供養塔があるのだが、街道沿いではないようだ。西方の興禅寺には入鹿切れで流されてきた大石がある。『稲置街道①』に記載

Img_2663合戦橋(新郷瀬川) 《地図

小牧長久手の戦いの前哨戦の、「羽黒八幡林の戦い」に由来する橋名という。『稲置街道①』に記載

Img_2665馬頭観音道標(安永2年(1773)・正面)

Img_2668台座に、「左きそみち 右やまみち」で、左が木曽街道だが右の山道を進んで白山神社に寄る。今は舗装された普通の道だが。

Img_2672白山神社

街道に戻り、荒神川を渡り、前原交差点を過ぎて行く。

Img_2687天道宮神明社楼門 《地図

境内に明治3年まで神宮寺の白雲寺があった。

Img_2689説明板(楼門)

Img_2696説明板(白雲寺廃寺)

Img_2702福昌寺

Img_2710新池沿いを進み、国道41号をくぐる。

Img_2718熊野神社 《地図

参道入口の左側に大師堂がある。

Img_2729愛知用水

この先は途切れて(暗渠か?)流れている。

Img_2731清水寺標石

坂上田村麻呂が東北の蝦夷征討に進軍した東山道沿いに、戦勝祈願のために建てた清水寺の一つという。
ここから600mくらいか。怪しい空模様で石拾峠も越えなければならないし見送った。結局、雨も降らず、石拾峠も呆気なく越えたのだが。

Img_2733説明板

Img_2737名鉄広見線

警報機が鳴りっぱなしで、やっと犬山行きの電車が来た。この先の踏切の遮断機は下りたままで、遠方に可児駅方面行きの電車のヘッドランプが見えるがやって来ない。事故があったようだ。踏切の反対側にいるおばさんと話しながら、左右を注意深く確認して遮断機をくぐって渡った。

Img_2745善師野(ぜんじの)宿に入る。《地図

右の伏屋公民館?に概要図が貼ってある。

Img_2741説明板

Img_2746宿場概要図

この手前の小祠が佐助地蔵か?

Img_2754常夜灯を見ながら緩やかに上って行く。

Img_2758禅徳寺

文明6年(1474)の創建で、明治の教育文学者の堀沢周安の菩提寺。

Img_2761本陣跡(日比野家)

左側の2軒目だが、標示などはない。

Img_2765木曽街道一里塚旧跡標石(左)

「左 犬山及小牧宿へ三里」・「右 土田宿へ二里」と刻まれている。

しばらく行くと未舗装の山道っぽくなる。

Img_2784大洞池(おおぼら)沿いを進む。

Img_2794石拾峠へ緩やかな石ころの道を上る。

Img_2799石拾峠(166m)

愛知県と岐阜県の境で、左に行けば犬山城まで3.9m、右は通行止のようだ。木曽街道は直進して下って行く。

Img_2807小石仏かと思ったら道標だった。

Img_2808「左 犬山道 右 ?」

Img_2813水場(跡)

Img_2814道標(平成15年)

「左 旧木曽街道(名古屋道」・「←石原村をへて土田宿」・「←石拾峠をへて善師野宿」

Img_2822だだっ広いゴルフ場の間を抜けて行く。

Img_2830建速神社 《地図

石段上の社殿前で一休み。

Img_2835石原地区

旧石原村は善師野宿と土田宿の中間で、石拾峠越えを挟んで旅人の休憩場所として利用された。今は昔を偲ばせる物はないようだ。

Img_2844切通しの馬頭観音(文化10年(1813)) 《地図

道標になっていて、「右ハかち道」・「左ハ馬道 川渡ハ東道」で、川渡(今渡の渡し・太田の渡し)の東道を進む。

Img_2846説明板

国道41号をくぐる。

Img_2859土田(どた)城址 《地図

信長の生母の土田御前の生まれた城ともいう。
新しい道標には、「左 旧東山道」・「土田宿~尾張に至る」とある。

Img_2855説明板

Img_2864刎橋から可児川

Img_2881鳩吹山

Img_2889土田宿本陣跡 《地図

東山道の名残りの土田→善師野→犬山への、もとの中山道の宿だった。犬山城下の余坂口木戸跡近くの奥村家には、「中山道一里塚跡遺跡前」碑が立っている。『稲置街道①』に記載

Img_2890説明板

Img_2902白鬚神社の長い参道

600mほどあるか。こんなに長いとは思わなかった。

Img_2907白鬚神社

平将門の征討に向かう平貞盛の創建という。

Img_2905由来

Img_2928今渡の渡し跡から木曽川・大田橋 《地図

このあたりは『中山道(細久手宿→太田宿)』に記載。
ここを木曽街道歩きの終点とし、日本ライン今渡駅に向かった。

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