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2016年3月27日 (日)

鎌倉街道(上の道⑦)

2016年3月20

狭山市駅(西武新宿線)・・・菅原橋・・・国道16号・・・清水八幡神社・・・新富士見橋(入間川)・・・広瀬東交差点・・・入間川宿・・・奥州道交差点・石橋供養塔道標・影隠地蔵・信濃坂・・・智光山公園・・・(日高市)・・・(圏央道)・・・大下橋(南小畔川)・・・日高カントリークラブ・・・鎌倉街道交差点・千人同心日光道交差地点・・・第二小畔川?・鎌倉街道上道碑・・・聖徳太子塔・大乗妙典塔道標・霞野神社・女影原古戦場趾碑・・・天神社・・・大神橋(下小畔川)・・・(県道15号)・・・鎌倉街道踏切(JR川越線)・・・別所橋(小畔川)・・・旭ヶ丘神社・高萩飛行場跡碑・・・(鶴ヶ島市)・・・(坂戸市)・・西大家駅(東武越生線)

 鎌倉街道(上の道⑥)』の続きです。

  【ル-ト地図

Img_3478清水八幡宮 《地図

源頼朝の追手により、入間川の八丁の渡しあたりで殺害された木曽義仲の嫡男の源義高を祀る。

 

Img_3479説明板

 

Img_3473入間川

左端が八丁の渡し跡(2か所のうちの一つ)あたりという本富士見橋。【ル-ト地図】の22

 

新富士見橋を渡って、入間川宿あたりを進むが昔の面影は残っていない。

Img_3483奥州道交差点・信濃坂下 《地図

横断歩道を渡った所に、石橋供養塔道標と影隠(かげかくし)地蔵。ここは霞関跡という。

 

Img_3484石橋供養塔道標には、「南江戸道」・「北小川町」・正面にも、「石橋供養 西 八王じ道」?と刻まれている。

影隠地蔵は、追手に追われた源義高が地蔵の後ろに身を隠したという。もとは地蔵堂があり、木像だったそうだ。

 

Img_3489説明板

 

Img_3491信濃坂を上る。

鎌倉街道は高崎方面から信濃にも通じていたということか。

 

智光山公園の南側で鎌倉街道(堀兼道)が合流する。【ル-ト地図】の23

Img_3495

智光山公園

 

Img_3497牧場?(智光山公園の向い側)

好天の下でくつろいでいる牛ちゃん。

 

日高市に入る。

Img_3506日高CC沿いを進む。

 

Img_3507鎌倉街道交差点で、千人同心日光道と交差する。【ル-ト地図】の24

 

Img_3514切通しの坂を下る。

掘割状遺構跡という。坂下の第二小畔川?の橋の所に、鎌倉街道上道碑と説明板が立つ。《地図

 

Img_3518説明板

 

Img_3524大乗妙典供養塔?道標(ゴミ置場の前) 《地図

振り返って見ている。左が歩いて来た道。

 

Img_3522「右ハ 扇町屋 八王子道 左 入間川 所沢道」らしい。

扇町屋は(八王子)千人同心日光道の宿場だった。

 

Img_3523霞野神社

 

Img_3529説明板

 

Img_3531女影原古戦場趾碑

中先代の乱』での古戦場跡

 

Img_3534天神社

梅から桜への時季だ。

 

Img_3536大神橋(下小畔川)を渡る。

 

県道15号を横切る。

Img_3538鎌倉街道踏切 《地図

 

Img_3545旭ヶ丘神社 《地図

左に「高萩飛行場跡碑」が立つ。

鶴ヶ島市に入って少し進み、西大家駅の手前で坂戸市に入った。

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