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2016年3月 2日 (水)

塩付街道

2016年2月9日

本笠寺駅(名鉄名古屋本線)・・・東海道・・・玉泉寺・・・富部神社・塩付街道・・・(東海道)・・・桜神明社・・(名鉄踏切)・・東宝寺・・・桜本町1交差点・・・村上社・・・(鯛取通り(県道56号))・・・鳥栖八剣社・・・成道寺・・・医王寺・・・鳥栖神明社・・・秋葉神社・・・塩付橋・平針街道合流地点・・平針街道分岐地点・・・落合橋(山崎川)・・・瑞穂スタジアム・・・道標地蔵・・あゆちの水伝承地・・・左大臣藤原師長公琵琶ヶ峯遺跡碑・・・左右田橋(山崎川)・・萩山橋・・鼎池地標石・・鼎橋・・・村上神社・・・市立大病院・塩付街道説明板・・みやみち地蔵・・・藤成神明社・・・古観音廃寺跡・・・晃照寺・・・白山社・・善昌寺・・・地蔵祠・・・(広路通り)・・・蹉跌屋跡・岡崎街道(飯田街道)交差地点・・・(安田通り(国道153号)・・・地蔵・馬頭観音祠・・・(名古屋高速2号東山線)・・・一畑薬師寺別院・・・(高針街道交差地点)・・・(広小路通り(県道60号))・・・浄願寺・・大昌寺・・・(出来町通り)・成蓮院・・(千種通り)・・・六所神社・・・矢田五丁目交差点・・・瀬戸街道合流地点・瀬戸街道・・・善光寺街道合流地点・・大曽根駅(地下鉄名城線)

 鳴海潟や星崎沿岸で取れた「前浜塩」と呼ばれた塩を、馬の背に積んで北方へ運んだ塩付街道を行く。起点は諸説あり、①本笠寺駅付近の松本地蔵、②永井家塩蔵前、③喚続神社、④星宮社、⑤富部神社など。②・③・④は『知多街道を歩く』で訪れているので、今回は富部神社を起点として瀬戸街道との合流地点まで歩く。

  【ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_1457本笠寺駅から東海道を進む。《地図

Img_1464富部(とべ)神社

ここを塩付街道歩きの起点とした。南区のHPにも、「富部神社あたりから・・・・運ばれました」とある。

Img_1465説明板

Img_1462塩付街道道標

東海道を横切って行く。

Img_1473桜神明社 《地図

桜神明社古墳(ひめ塚)上にある。

Img_1472説明板

Img_1475東宝寺

桜中村城の家老屋敷跡とも伝えられ、境内に「櫻村固本陣跡」碑がある。

この先、雨に気を取られ北方向に進むのを、東から南へ進んでしまった。

Img_1479雨の中、どこを歩いているのか分からなくなる。

Img_1482大クスノキ(村上社)の下で雨宿りしながら、手元の地図を確認するがここは載っていない。《地図

Img_1481説明板

コンパスで確かめ、とにかく北方向に向かう。県道56号に出て、やっとどのあたりにいるのか分かった。

Img_1489鳥栖八剣社(とりすはっけんしゃ) 《地図

ここも古墳上だ。

Img_1487説明板

Img_1494成道寺

境内は取隅(鳥栖)城跡と考えられ、城主成田公夫妻の墓碑と伝えられる石仏二体(成田城主夫婦地蔵)がある。

Img_1493成田城主夫婦地蔵(永正12年(1515))

右の地蔵(夫像)に「鳥住伝心浄本菴主」、「永正十二年乙亥正月十二日」、左の夫人像下には「慶林大姉」と刻まれている。 紀年の古さと、夫婦墓が揃ってあるということは珍しく、市内最古のものという。

Img_1496医王寺

天正2年(1574)の創建で、戦国時代に新屋敷西城のあった所という。

塩付街道に出る。

Img_1498鳥栖神明社 《地図

Img_1499説明板

Img_1506秋葉神社(左)

この先で用水路(排水路?)に突き当たる。

Img_1509塩付橋を渡る。《地図

平針街道と合流し、少し進んで分かれる。

落合橋から山崎川沿いを進み、瑞穂スタジアムの右側を回り込んで、「あゆちの水伝承地」を探す。

Img_1527道標地蔵 《地図

Img_1521「右 いし坂道」・「左 なごや道」だろう。

八事石坂方向と名古屋城下方向

Img_1525あゆちの水伝承地(地蔵の前の坂を下る途中)

万葉集に「小冶田の年魚道(あゆち)の水を間なくぞ人は汲むとふ・・・・」。左下の井戸には「あ」の文字が見える。「あゆち」は「愛知」の語源ともいうようだ。

Img_1524説明板

Img_1537左大臣藤原師長公琵琶ヶ峯遺跡碑(マンション手前のフェンス内) 《地図

平清盛によって流された琵琶の名手・藤原師長が、この地で都を偲びながら琵琶を弾いていたという伝承地で、琵琶ヶ峯と呼ばれていたそうだ。今もこのあたりは「師長町」、師長ゆかりの地は、平針街道の最初に記載。

Img_1540左右田橋から山崎川 《地図

右岸(西岸)一帯に鼎池が広がっていたようだ。

Img_1546「従是東南鼎池地内」(鼎小橋の先)

Img_1548鼎池

萩の名所だった。

山崎川から分かれる。今は雨は上がっている。

Img_1557村上神社 《地図

おどり山古墳(5世紀代築造の円墳)の上

Img_1560塩付街道を北上する。

Img_1567名古屋市立大病院沿い

「川澄地蔵」があるはずだが、一往復半したが見当たらなかった。どこかに移設されたのか?
左のフェンスに塩付街道の説明板、少し先の路面にプレート。

Img_1566説明板

鳴海かた(潟) 遠きひがたの松かげに けぶりぞのこる うらのしほかま(塩竈)」(夫木集)、尾張名所図会の「星崎」(塩田)

Img_1575路面のプレート

これを川澄地蔵の代わりとするか。今日のような雨の日には塩は運べないのでは。馬も骨休めができただろうか。

Img_1568みや道地蔵堂(左) 《地図

Img_1569「右 みやみち 左 なるみ道」

「みや」は熱田神宮で、鳴海へは今来た道を逆にたどり笠寺から東海道を南東に向かうのだろう。

Img_1578旧商店

Img_1580藤成神明社の大クス 《地図

Img_1583古観音廃寺跡(向い側)

奈良時代の「布目の鬼瓦」(市指定文化財)が出土したそうだ。ここは塩付通5交差点で、この前の通りが現在の塩付通り。

Img_1579説明板

説明板の「当時の塩付街道」に戻る。

Img_1586石仏(いしぼとけ)白山神社

元は隣の善昌寺の境内にあったが、明治維新の神仏分離令で分離され、同寺の鎮守社となった。

Img_1591善昌寺

「石仏」の地名由来の「石仏千手観世音菩薩像」と円空作の薬師如来像を安置する。昭和区のHPは、右の石地蔵を「石仏」の由来とするが、この地蔵は新し過ぎやしないか。

Img_1595石仏町の家並み

広路通りの手前で右に入り、西友の左側を通って行く。

Img_1608塩付通2交差点の先で左に旧道に入る。

Img_1610馬の蹉跌屋跡(駐車場の所)

すぐ先で岡崎街道(飯田街道)と交差する。《地図

この先は見所も少なく足早に進む。雨は相変わらず降ったり止んだりだ。

Img_1621地蔵と馬頭観音の祠

Img_1627一畑薬師寺名古屋別院 《地図

岡崎市の一畑薬師寺の別院

この先で高針街道と交差し、県道60号を横切る。

Img_1630旧家

Img_1638六所神社 《地図

Img_1644矢田五丁目交差点から正面の細い道に入る。

Img_1648瀬戸街道(水野街道)合流地点 《地図

ここを塩付街道歩きの終点とし、左折して瀬戸街道と善光寺街道(下街道)の現在の分岐点に出て、大曽根交番そばの地下鉄入口に着いた。

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