岩倉街道②
2016年3月6日
石仏駅(名鉄犬山線)・・・(名神高速)・・・(一宮市)・・・(江南市)・・・南山神明社・・・観音寺・・・小折交差点・道標・・・久昌寺・・神明社・・・龍神社・・・生駒屋敷跡(小折城址)・・・常観寺・・・(国道155号)・・・富士塚(お亀塚)・・・布袋八剱神社・・・津島神社・・・地蔵寺・・・朝熊神社・・・若宮八幡宮・・・薬師寺・・・前野屋敷跡・・・前野天満宮・・・(扶桑町)・・・(柏森駅)・・・柏森神社・・・専修院・・・柏森辻田交差点・・・旧道・・・恵心庵・・・楉埜神社・・・(犬山市)・・上野弘法堂・・立野神社・・・上野橋(木津用水)・・旧道・・(尾張広域緑道)・・・馬頭観音祠・・稲置街道(犬山街道)合流地点・・本町通り・・・専念坂・・専念寺・・願入寺・・・御縣神社・・・鵜飼坂・・・常満寺・・・寺内町通り・・円明寺・浄誓寺・・西蓮寺・・・犬山駅(名鉄犬山線)
午後あたりから雨の予報なので、早めに歩き始めようと名鉄名古屋駅でちょうど来た岐阜行きの特急に飛び乗ったら岩倉方面には行かず、最初の国府宮駅から名古屋駅に引き返し再出発となった。だいぶ時間をロスしたが石仏駅からは雨にも降られずに犬山の稲置街道との合流地点まで行けた。
小雨がぱらつき始めた稲置街道を北に進み、犬山城下の西の木戸があった専念坂と鵜飼坂を上り下りし、寺内町通りを抜けて犬山駅に向かった。
【ル-ト地図】(石仏駅(18.1km)から)
写真をクリックすると拡大します。
南山神明社 《地図》
小折村には外宮(当社)と内宮(後掲)の二つの神明社があり、いずれも生駒家代々の氏神だった。
右は道標(享和2年(1802)で、「右いぬやま」・「左一のみや)、もとは交差点にあったものか。
開基は織田信長の室の吉乃の方(久庵桂昌大禅定尼(法名))で、生駒家の菩提寺。
神明社(久昌寺前)
社務所のあたりが「吉乃御殿」という。
生駒屋敷(小折城)跡 《地図》
矢作橋のたもとではなく、ここで日吉丸(秀吉)が蜂須賀小六の輩下になったと書かれている。当時はまだ矢作橋は架っていなかったようだ。
説明板「お釜地蔵」
「尾張六地蔵」にこの寺は入っていないようだが。「尾張国六地蔵」だろうか? 「尾張三地蔵」は、瑞泉寺(犬山市)の身代り地蔵、地蔵寺(山尻)の子育て地蔵と、この寺のお釜地蔵だそうだ。
亀趺(きふ・亀型の台石)の上に石碑が立つ。
津島神社、地蔵寺、朝熊神社に寄りながら進む。
前野屋敷跡 《地図》
文永5年(1268)、前野家(吉田家)4代当主右馬三郎兵衛時綱の母が、越後の国菅原天満社宮司の娘だったことから観請したという。
前野氏一族の善提寺で、本尊はこの地方では珍しい三面八臂坐像観音。
扶桑町に入り、柏森駅の所で名鉄線を渡る。
柏森神社 《地図》
明治41年に白山社と大明神社を合祀した。
犬山城にあった7つの門のうちのひとつ矢来門(形は高麗門)。このような門は、城特有のもので寺には珍しいという。
恵心庵 《地図》
楉埜(しもとの)神社 《地図》
楉埜大神とはどういう神なのか?
犬山市に入る。
上野弘法堂 《地図》
この先で右に旧道に入る。
尾張広域緑道を横切る。《地図》
緑道を南に行けば田縣神社の南で稲置街道(犬山街道)を横切っている。
犬山城下の余坂木戸口の説明板にあった専念坂と鵜飼坂に向かう。稲置街道の本町通り
日曜で観光客が多い。
このあたりにも木戸があったようだ。
大クスノキに覆われている。犬山で2番目に太いクスノキという。
専念坂を下る。 《地図》
〒ポストが似合っているか。
鵜飼坂(坂下方向) 《地図》
この坂沿いにも木戸があったようだ。
犬山城松の丸の裏門を移築
鉤型に曲って本町通りを横切り、寺内町通りを進み犬山駅に向かう。
圓明寺のシダレ桜
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