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2016年5月31日 (火)

能勢街道②

2016年4月28日

豊中駅(阪急宝塚線)・・・千里川橋(千里川)・・・市軸稲荷神社・・・道標①・・・刀根山公園・・・刀根山元町北会館・地蔵堂・道標②・・札場跡・・・(中国自動車道)・(大阪モノレール)・・・金坂池・・・(国道176号)・・・西国街道交差地点・道標③・高札場跡・西国街道踏切(阪急宝塚線)・・(池田市)・・・(石橋駅)・・・箕面川橋(箕面川)・・(阪急宝塚線)・・・井口堂交差点・・・稲荷山古墳・・地蔵祠・・井口堂の道標④・・ニシンジョの地蔵・道標⑤・・・水月公園・・・釈迦院・・・チンチン坂・道標⑥・五社神社・鉢塚古墳・・・(八王子川)・・・辻ヶ池公園・・・上池田薬師堂・・・道標⑦・星の宮・・池田文庫・めんも坂・・法園寺・牛追い坂・大幡寺地蔵堂・・・池田駅(阪急宝塚線)

  【ル-ト地図】(豊中駅(15km地点)から)

Img_5921今日も雨だ。

豊中駅前から分岐を左に向かう。直進するのは箕面街道。《地図

Img_5923破堤防禦義死山中石松之碑

明治28年6月28日の大雨で決壊した千里川の堤防で、水を食い止める作業をしていた山中石松は誤って濁流に呑み込まれてしまった。村人たちはその働き称え、死を悼んでこの碑を立てた。

Img_5926千里川橋 《地図

通勤時間帯で橋を行き交う人たちは山中石松之碑のことを知っているだろうか?

刀根山地区へと進む。

Img_5932市軸稲荷神社

Img_5937道標① 《地図

右が刀根山御坊への道標(天保7年(1836))
左が能勢街道の道標(寛政5年(1793))

Img_5936説明板

Img_5941地蔵堂 《地図》?

ここは街道からははずれている。

Img_5942道標②(地蔵の台座):「右 大坂 左 桜井」

道標(上の写真の右端・慶応3年(1867)):
「右大坂道 左刀祢山御坊」で、道標①にもある刀根山御坊は、すぐそばの正安寺の地のようだ。

Img_5947札場跡碑

刀根山元町北会館の南側

街道に戻る。中国道を越え、大阪モノレールをくぐる。

Img_5953大阪モノレール

初めて見るような気がしたが、西国街道を歩いた時に乗っていた。何でもすぐに忘れる今日この頃だ。

Img_5956金坂池 《地図

Img_5964西国街道踏切(西国街道交差地点)・高札場跡 《地図

Img_5972西国街道標石と道標③(天保2年(1831))

「すぐ大坂京 左いけだ」・「右妙見 すぐ西宮」・「右西宮 左大坂」で、池田へ向かう。

Img_5979ここに架かっていた「石橋」の絵

中央に円形の穴が開いている。石橋南小学校に保存されているようだ。

踏切を渡って池田市に入る。

Img_5980いしばし商店街を抜けた所

「ここは能勢街道」のアーチ

阪急宝塚線をくぐり、箕面川を渡って行く。

Img_5988稲荷山古墳(二子塚古墳) 《地図

6世紀前半築造の全長45mの前方後円墳

Img_5986説明板

Img_5985能勢街道案内図①

Img_5992道標④(右)

案内図①の②の井口堂の道標

Img_5993井口堂の道標

右の地蔵道標は、「右大坂」、
中央は、「右ハ大坂道 南無阿弥陀仏 左ハ京道」

突き当りを左折する。

Img_5998ニシンジョの地蔵・道標⑤(案内図①の①)

「右ハいけだみち、左ハありまみち」、一里塚跡あたりには何の痕跡もない。

Img_6009二尾池(水月公園

Img_6011案内図②

中池が二尾池に変わったようだ。「チンチン坂」を見つけた。

Img_6014釈迦院

Img_6013説明板

Img_6016宝篋印塔

「正安元年(1299)」の銘があるという。

Img_6022チンチン坂(坂下方向) 《地図

案内図②に載る坂だが、由来は何か?

道標⑥(正面の石垣前):「左池田町近道」・「右秦野・・・・」

Img_6021五社神社・鉢塚古墳

Img_6026説明板

Img_6032鉢塚古墳石室内の石造十三重塔

Img_6038辻ヶ池(公園) 《地図

雨水が溜まって池が復活したように見える?
公園の入口横に「あわんど池の辻地蔵」が立っているようだ。

Img_6037案内図③

Img_6051上池田薬師堂(案内図③の②)

①の天文16年の地蔵は見当たらず。

Img_6042案内図④

牛追い坂・めんも(めん茂)坂がある。

街道は星の宮の所で北にかぎ型に曲がっていた。

Img_6045星の宮

鳥居の左下に道標⑦:「左京大坂道」

Img_6046説明板

Img_6041鏡石町の石仏群(案内図④の①)

Img_6056めんも坂(坂下方向) 《地図

昔は石段で坂沿いに料理旅館「めんも楼」があったそうだ。

Img_6062牛追い坂(坂下方向) 《地図

石段のめんも坂は牛馬や荷車は通れず、南に迂回しこの坂を上って街道に戻ったという。左は法園寺

Img_6068坂下から

右は大幡寺地蔵堂で今回の能勢街道歩きはここまでとし、池田駅に向かった。

落語『池田の猪買い』・『牛ほめ

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2016年5月30日 (月)

能勢街道①

2016年4月27日

中津駅(阪急神戸線)・・・中国街道からの分岐地点・元萩之橋碑・・・(JR梅田貨物線)・・・富島神社・・・新淀川大橋(淀川)・・・木寺子安地蔵尊・・・正通院・・・能勢街道説明板・・・能勢街道踏切(阪急京都線)・・・能勢街道踏切(JR北方貨物線)・(山陽新幹線)・・・三国の渡し跡・三国橋(神崎川)・(豊中市)・・・心願院・・・(名神高速)・・(内環状線)・・・服部天神宮・・・住吉神社・・天竺川橋・天竺地蔵尊・・経塚・・・西方寺・・(藤井寺)・・・南天平塚古墳・・御獅子塚古墳・・大塚古墳・・・原田神社・・行基菩薩地蔵・・・(阪急宝塚線)・・・大石塚古墳・小石塚古墳・・・豊中駅(阪急宝塚線)

 淀川の手前で中国街道と分かれて淀川を渡り、豊中、池田を通り能勢地方から亀山城下へ通じる能勢街道を池田まで行く。街道沿いの農産物・薪炭・木材、多田銀山からの鉱石などを大坂へ運ぶ道であり、能勢妙見への参詣道でもあった。

  【ル-ト地図】(豊中駅(15km地点まで)

Img_5773中国街道からの分岐地点 《地図

能勢街道は直進、中国街道は左折。コンビニ前に「元萩之橋碑」が立つ。

Img_5778富島神社

Img_5783淀川(新淀川大橋から)

Img_5789木寺子安地蔵尊

Img_5792由来

Img_5794正通院地図

浮世絵師の蔀関月の墓がある。付近にあった道標が神津神社(十三戎神社)に移設・保存されている。『中国街道』に記載。

Img_5798能勢街道標石と説明板 《地図

Img_5803木川劇場・木川本町商店街

Img_5805能勢街道踏切(阪急京都線)を渡る。

Img_5809アケミ幼稚園付近

JR北方貨物線の能勢街道踏切を渡り、山陽新幹線をくぐって行く。

Img_5815三国の渡し跡碑

Img_5817三国の渡し碑

Img_5821三国橋から神崎川

豊中市に入る。

Img_5829天竺川から分かれ左に入る。《地図

Img_5831稲津町の家並み

Img_5833心願院

右に「関西大学文化会落語大学」の看板が架かる。毎月一回関西大学の落語研究会の落語会があるようだ。

Img_5839服部天神宮

「足の神様」に一礼のみ。帰京してすぐに左足の指を打撲・捻挫するハメになるとは思いもしなかった。

Img_5840説明板

Img_5855住吉神社

Img_5845略記

Img_5848天竺地蔵尊 《地図

Img_5846説明板

Img_5853経塚(天竺地蔵の南方、松林橋のそば))

Img_5852説明板

Img_5859藤井寺参道標石

Img_5866藤井寺 《地図

Img_5873道標(嘉永?年・右のブロック塀の前) 《地図

「右みのを 勝尾寺山こへ道」・「左池田道」、池田道が能勢街道で左(直進)する。

雨の中、桜塚古墳群のうち現存する5基を巡る。

Img_5879南天平塚古墳 《地図

Img_5878説明板

Img_5883御獅子塚古墳(南桜塚小学校校庭) 《地図

5世紀中頃築造の全長55mの前方後円墳

Img_5886大塚古墳(大塚公園内)

方格規矩獣文鏡が出土

Img_5887説明板

Img_5898原田神社

Img_5895説明板(鳥居)

Img_5899行基菩薩地蔵(右・岡町商店街内)

由来は?

Img_5911大石塚古墳 《地図

Img_5913説明板

Img_5914小石塚古墳

Img_5918「能勢街道」標石

雨の能勢街道に戻り豊中駅まで進んだ。

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2016年5月27日 (金)

中国街道

2016年4月26日・27日

北浜駅・・・高麗橋(東横堀川)・・・紀州街道分岐地点・・・鴻池家本宅跡・・・難波橋(土佐堀川・堂島川)・・・(京阪国道)・・・太融寺・・・綱敷天神社・・・(JR大阪環状線)・・(JR東海道線)・・・鶴乃茶屋跡碑・・・能勢街道分岐地点・元萩之橋碑・・・(JR梅田貨物線)・・永照寺・・・(阪急電鉄線)・・・常夜灯道標・十三大橋(淀川)・十三の渡し跡・・・焼餅屋今里屋九兵衛跡・・・十三戎神社(神津神社)・・・(阪急電鉄線)・・・十三公園・・・北向地蔵・・・長楽寺標石・・・出世地蔵・・・三津屋中国街道踏切(東海道線)・・・壽光寺・・・(阪神高速11号線)・・・香具波志神社・加島鋳銭所跡・・・富光寺・・・(山陽新幹線)・・・神崎橋(神崎川)・神崎の渡し跡・・(尼崎市)・・・瑛光寺・・須佐男神社・・道標地蔵・・・一心地蔵・・・西川八幡神社・尼崎藩領界碑・・・(東海道本線)・・・浄光寺・・皇大神社・・・道標・・・称佛寺・・・稲川公園・・(国道2号)・・大物公園・・・(大物駅(阪神電鉄))・・大物くずれの戦跡碑・・・大物主神社・・・大物橋跡(大物川緑地)・・・尼崎城址碑・・・桜井神社・・・尼崎城址公園・・契沖生誕比定地・・・庄下川橋(庄下川)・・・寺町・・・貴布禰神社・・・(阪神電鉄)・・・道標・・・蓬川橋(蓬川)・崇徳院地区・・琴浦神社・・・大庄村道路元標・・・雉が坂・・・武庫川橋(武庫川)・・・武庫川駅(阪神本線)

(4/27日) 武庫川駅・・・武庫川橋(武庫川)・小松の渡し跡・・(西宮市)・・・岡太神社・・・四軒茶屋公園・・枝川跡・六石の渡し跡・・・新川橋・浜田橋(新川)・・・上野神社・・・(阪神高速3号線)・・・浄願寺・・桜翁稲荷大明神・・・(今津駅)・・・(阪神電鉄)・・・津門川橋(津門川)・・・本町橋(東川・六湛寺川)・・西国街道合流地点・山陽道起点・・・西宮北口駅(阪急神戸線)

 大阪の街道の起点の高麗橋から西宮市の西国街道との合流地点、山陽道の起点までの中国街道を行く。

  【ル-ト地図

Img_5458鴻池家本宅跡(大阪美術倶楽部)  《地図》    

Img_5461難波橋(土佐堀川、堂島川)

以前の難波橋は現在の堺筋より一つ西側の筋に架かっていた。親柱の上には4体の吽(あうん)のライオン像が座っていて、愛称は「ライオン橋」。

Img_5469大阪市中央公会堂地図

Img_5471鉾流橋から堂島川

天神祭の宵宮の「鉾流しの神事」が橋のたもとで行われる。

Img_5472大阪天満宮の鳥居

直線的には天満宮には行かれない。

Img_5490太融寺地図

このあたりは太融寺町

Img_5492綱島天神社

Img_5491由緒

御堂筋・新御堂筋・JR大阪環状線・東海道線など入り組んだ所を抜けて行く。秋葉原か神田界隈を歩いているのと錯覚する感じだ。

Img_5499鶴乃茶屋跡碑

現代風な店が並び、茶屋町にその名を残すのみか。

Img_5508能勢街道分岐地点 《地図

中国街道は左折、能勢街道は直進。右のコンビニ前に「元 萩之橋碑」が立つ。

JR梅田貨物線、阪急電鉄線をくぐり淀川の十三大橋に出る。

Img_5515常夜灯道標(大正9年)

「南 十三橋南詰町 親友會 右 長柄二十町 左 傳法壱里」・ 「東 往来安全 → 池田四里 伊丹二里半」 台座に「← 高麗橋一里」
傳法は下流の此花区伝法で、「伝法大橋」・「伝法駅」(阪神西大阪線)もある。

Img_5517十三大橋から淀川

Img_5519十三の渡し跡(十三大橋北詰)

十三(じゅうそう)の地名由来の有力説:「淀川の渡しの上流から13番目の渡しであることによる」

Img_5520説明板

橋を渡った左側の「十三焼餅」の「今里屋九兵衛」を探したが見当たらず。2009年に十三駅前に移転したそうだ。十三駅近くのビジネスホテルに泊まっているのに全く気づかなかった。

Img_5705十三戎神社(神津神社) 《地図

Img_5697略記

境内に道標が集められている。

Img_5704①右の道標(嘉永4年(1851))は、「往来安全」・「堤上 南十三渡 東○○○ 大坂」・「はっとり天満宮 三国渡 池田」で、神社の南側の淀川の土手近くに立っていたようだ。
②中の道標は、「小島村宮稲荷社是より左へ すぐハみのを多田のせ」で、能勢街道沿いにあったようだ。《地図》?
③左の道標(寛政2年(1790))は、「右小島村宮稲荷社 すぐハ十三 左りハ 本庄道」で、②の先の能勢街道沿いにあったものか。《地図》?

Img_5698説明板

Img_5523十三公園

Img_5524十三の商店街は賑わっている。

Img_5529長楽寺標石 《地図

「本尊薬師如来 長楽寺」

Img_5536三津屋中国街道踏切(東海道線)を渡る。

上は山陽新幹線

Img_5542三津屋地区の旧家

阪神高速11号線をくぐる。

Img_5555香具波志神社地図

Img_5552境内の「加島鋳銭所 上田秋成寓居跡」碑

Img_5557富光寺

山陽新幹線をくぐり、神崎川の土手に出る。

Img_5562神崎の渡し跡あたり

今は神崎橋で渡って兵庫県尼崎市に入る。橋を渡った北150mくらいに、「金比羅さんの石灯籠」が立っているのだが見逃した。

Img_5568須佐男神社

Img_5569道標地蔵(正面の石祠) 《地図

「右 伊丹中○ 左 尼崎西○」・ 右側面「左 大坂」で、左へ尼崎・西方向へ進む。

Img_5576一心地蔵 《地図

Img_5575由来碑

一心をこめただけで戦に勝てれば苦労はないが。

Img_5579西川八幡神社

Img_5581尼崎藩領界碑

右側面には「従是北領」と刻まれている。

Img_5582説明板

南下して東海道線をくぐる。

Img_5593浄光寺

Img_5587皇大神社

Img_5597道標(文化5年(1808)) 《地図

左 尼崎 西宮」・「右 尼崎 大坂」・「右 大坂 京道 左 伊丹 有馬道」で、左に進む。

大物公園の東側にある「残念さんの墓」も、残念ながら見落とした。

Img_5606大物(だいもつ)くずれの戦跡碑(大物駅の西側)

「おおもの」とばかり思っていた。

Img_5608説明板

Img_5611大物主神社

ここはさすがに「だいもつ」ではない。

Img_5612大物橋跡 《地図

大物川緑地になっている。

Img_5617尼崎城の模型(明城小学校校庭)

Img_5618尼崎城址碑(校庭前)

Img_5619説明板

Img_5630桜井神社 

Img_5629説明板

Img_5627契沖生誕比定地碑 《地図

Img_5621尼崎城跡公園(復興石垣)

尼崎城西側の寺町を散策した。

Img_5635寺町界隈 

Img_5645説明板

Img_5640三光堂(左) 《地図

本興寺境内

Img_5641説明板

Img_5654佐々木成政の墓(法園寺)

Img_5658長遠寺

中国街道に戻る。

Img_5664貴布禰神社 地図

本殿右奥にあるのが白波稲荷神社。

この先を右折し、阪神電鉄をくぐり北上する。

Img_5668道標④(弘化3年(1846)) 《地図

「左 西ノ宮兵庫」・ 「右 大坂道」で、ここを左折し西宮へ向かう。

Img_5671蓬川(よもがわ)橋から蓬川緑地

蓬川を渡った北側は「崇徳院」という地名で、崇徳上皇にゆかりのある地名だ。①崇徳上皇が讃岐国に流される途中で、この地で休息した。②上皇の怨念を鎮めるための廟所の粟田宮に寄進された荘園の一つの浜田荘があった。『図説 尼崎の歴史』の「浜田荘と地名(崇徳院)」による。
北側の浜田町松原神社は崇徳上皇を祀っている。配流された讃岐での上皇ゆかりの地は『四国遍路道(香川県⑧)』に記載。

Img_5675崇徳院標石・崇徳院公園・バス停崇徳院などがある。

落語『崇徳院』もある。

Img_5678琴浦神社

Img_5677説明板

南側は尼崎競艇場だが、今日は非開催日のようだ。

Img_5680大庄村道路元標

大庄小学校の校門を入った所だが、門は閉まっていて近づけない。中国街道は校庭を横切っていたのだろう。

西に進んで雉が坂跡の武庫川の土手に突き当たり、武庫川駅に向かった。(雉が坂→武庫川橋(小松の渡し跡)→岡太神社までは、『尼崎市の坂』に記載)

ここからは4/27日に歩いた。武庫川橋を渡り西宮市に入り、西国街道との合流地点を目指す。

Img_5718六石(ろっこく)の渡し跡・枝川跡(現在の甲子園筋) 《地図

弘治3年(1557)、武庫川が氾濫して枝分かれするように新しい川ができて枝川と呼ばれた。橋はなく旅人たちは水量が少ないときは徒歩渡り、増水すると人足を雇って担いでもらい、さらに増水すると舟で渡った。舟渡しも無理な時は川止めとなって待機した。そんな時のために手前には四軒茶屋ができ、夏場は武庫川の伏流水の井戸水で冷やした鳴尾西瓜を出して喜ばれた。現在は四軒茶屋公園にその名が残っている。枝川は大正から昭和にかけての改修で廃川となり、その跡地に甲子園球場が作られた。枝川の西にも茶屋があり、名物の餅は1日に六石も売れるので「六石の餅」といわれ、枝川の渡しも「六石の渡し」と呼ばれた。(『関西あそ歩』による)

Img_5732浄願寺

ここがてっきり「北郷開樋殉難者之碑」(鳴尾の義民)がある寺と思っていたら。甲子園駅の東の浄願寺だった。

Img_5735桜翁稲荷大明神 《地図

毎夜、翁に化けた酒好きの狐がこの町の酒蔵にやって来て、旦那衆と酒を飲み碁を打って、夜明け前に帰って行った。ある時、ある酒蔵から帰ろうとした翁は、土間の隅に一枚の油揚げを見つけて手を伸ばした途端にねずみ取りに挟まって正体を現してしまい、あわてて逃げようとして酒壺にはまってしまった。朝になって酒壺の中の死んだ狐を見つけた酒蔵の旦那は祠を建ててねんごろに弔い、祀ったとか。

Img_5748六湛寺川を渡れば中国街道の終点はすぐ先だ。

左に「一本松碑」・「大岩大神碑」・「白波明神碑」が並ぶ。

Img_5755西国街道合流地点・山陽道起点 《地図

ここから山陽道を進み西宮神社に参詣し、西宮駅(阪神電鉄)へ向かうのが筋?だろうが、次に能勢街道を歩くのでかなり離れているが、雨が降る中を西宮北口駅(阪急神戸線)に向かった。

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2016年5月24日 (火)

紀州街道②

2016年4月25日

羽衣駅(南海本線)・・府道304号・・・新羽衣橋・・・(南海高師浜線)・・・高石神社・・・大師堂・貝殻地蔵・・・小高石橋(王子川)・・・(堺泉北道路)・(泉大津市)・・・中和泉街道分岐地点・道標①・・・田中家住宅・・・助松村境石造物群・・・大津神社・・・中央商店街・・・長生寺・・・慈眼寺・・・庚申堂・・・楯並橋(大津川)・(忠岡町)・・・忠岡神社・・常然寺・・・萬福寺・・・(岸和田市)・・・上大芝橋(新天の川)・・・八幡山公園・・弥栄神社・・・西福寺・・・永守橋(春木川)・・・道標②・・・旧和泉銀行本店・・岸和田中央会館・・・欄干橋(古城川)・・旧四十三銀行岸和田支店・・きしわだ自然資料館・・岸和田市道路元標・・こなから坂・・岸城神社・・岸和田城跡・・光明寺・・梅渓寺・・天性寺(蛸地蔵)・・・(貝塚市)・・・地蔵堂・岸見橋(津田川)・・・道標③・・・利斎坂・・寺内町・・・道脇地蔵・・・道標④・粉河街道分岐地点・・・(府道40号)・・籠池・・・永久橋(近木川)・・・沢薬師堂・・・見出橋(見出川)・(泉佐野市)・・・諦徳地蔵・・・道標⑤・孝子越街道分岐地点・・・(府道204号)・・・鶴原2号踏切(南海本線)・・・府道64号・・・熊野街道合流地点・・・井原里駅(南海本線)

  【ル-ト地図】(羽衣駅(25.2km)から)

Img_5127高石神社 《地図

Img_5126説明板

高石神社前交差地点から左に旧道に入る。

Img_5138貝殻地蔵 《地図》(大師堂の境内)

海中から引き揚げられた貝殻の付着したただの石でも、前掛けを掛けられ、祠に祀られると地蔵らしく見えてくる。「鰯の頭」も何とかか。

Img_5135説明板

Img_5140長屋門(高石地区)

Img_5142紀州街道(高石市)

Img_5151道標①(大正?年)「中和泉街道」

「北助松駅から東に伸びる道筋は、昔は「布引の道」呼ばれ、助松より聖神社に至る幅八尺の大道で、「信太大明神が助松浜に上陸の際に信太郷まで布を引いたためこの名がある」といい、江戸期には「上代道」、大正期には「中和泉街道」と呼ばれ紀州街道角に道標が建っている」(泉大津市

Img_5158田中家住宅(助松本陣) 《地図

Img_5160説明板

Img_5163助松村境石造物群(ホウケント)

村境のサイノカミ(道祖神)などと同様の境神信仰の場。

Img_5172説明板

Img_5174紀州街道(泉大津市)

Img_5183大津神社 《地図

拝殿の左前は、「厄除け桃方位盤

中央商店街を抜けて行く。

Img_5189魚新?商店

ネギ焼・焼そばもやっているようだ。

Img_5200楯並橋で大津川を渡ると日本一小さな町忠岡町だ。

楯並・忠岡は源平合戦の故事に由来するそうだ。(忠岡神社の地名由来)

Img_5204忠岡神社・常然寺

すぐに岸和田市となる。

Img_5216弥栄神社 《地図

八幡山と呼ばれる洪積地先端部を覆う砂丘上にある。創建年代・由緒は不詳だが、室町後期の天文年間(1532~1554)には、神社の形態を整えていたともいう。毎年9月の岸和田だんじり祭では春木地区のだんじりが宮入りする。

Img_5220春木地区の旧家

Img_5221街道松の名残か?

左の松は西福寺の参道にある。

春木川を渡る。

Img_5230並松町の家並み

Img_5231?川

Img_5232?橋

Img_5237道標②のようだがすり減っていて読めない。(並松町13)

Img_5240旧和泉銀行本店

Img_5241説明板

Img_5247岸和田中央会館 《地図

Img_5250説明板

Img_5255旧家

Img_5256欄干橋(古城川) 《地図

正面は旧四十三銀行岸和田支店

Img_5261説明板(欄干橋)

Img_5258古城川

このあたりは暗渠化された流れを復活させて親水公園風になっている。

Img_5267説明板(旧四十三銀行岸和田支店)

Img_5274城下町の桝形が残っている。堺口門があった所か?

Img_5278紀州街道(岸和田市)

Img_5275こなから坂の標柱・岸和田市道路元標(左の市役所別館の角) 《地図

左折して「こなから坂」に向かう。

Img_5282こなから坂 《地図

だんじりが駆け上る坂だからこんなものだろうと予想はしていが、いささかがっかり。秩父夜祭の団子坂も似たようなものだ。
東京の千代田区にある二合半坂は別名を「こなから坂」ともいう。

Img_5295岸城神社

Img_5294説明板

Img_5291岸和田城

月曜は休場日で登城できず。

Img_5299五風荘

Img_5298説明板

Img_5306城下の家並み

Img_5305説明板

Img_5315紀州街道に戻る。

Img_5319川崎邸

Img_5317説明板

Img_5325光明寺

現在地に元亀2年(1571)に寺堂を中興した。かつては岸和田城伝馬口門と西大手門を固める要衝を占めていた。

Img_5324説明板

Img_5335蛸地蔵の天性寺地図

数千の蛸と一人の法師(地蔵菩薩の化身)が岸和田城を救ったという伝承。標石の「たこちそう」の字は、池大雅の書と伝える。
蛸地蔵は毎年8月23・24日の地蔵盆の「千日大法会」で開帳されるそうだ。南海本線の「蛸地蔵駅」もある。

Img_5328説明板

貝塚市に入る。

Img_5342地蔵堂(津田川の岸見橋の袂)

道内には地蔵・恵観音、外に光玉院碑・大己貴河松大明神碑・姫松大明神碑、岸見橋の親柱などが並んでいる。

Img_5353道標③(明治4年・岸見橋を渡った先の左側)

忠臣捕鳥部萬墓併犬塚是ヨリ三十丁」

物部守屋大連の警固や雑役などを務め、蘇我馬子・厩戸皇子らの朝廷軍と戦った捕鳥部萬の墓と、その飼い犬の義犬塚。《地図
物部守屋の墓は竜田越奈良街道の大聖勝軍寺の東側にある。

Img_5361旧家

Img_5365寺内町に向かう道筋の家並み

Img_5367利斎坂(正面) 《地図

右に「正面 利斎坂 右 御下筋」の標石。左側が利斎家住宅で、薬種問屋で北之町の町年寄りを務めていた。

Img_5370坂下方向

Img_5373貝塚寺内町と紀州街道

環濠城塞宗教自治都市で、紀州街道沿いの交通の要衝地で商業都市としても栄えた。願泉寺(右)・尊光寺(左) 《地図

Img_5380説明板

Img_5372説明板

Img_5376願泉寺梵鐘

Img_5375説明板

Img_5388道脇地蔵

寺内町の地蔵尊

Img_5392銘菓「村雨」の「塩五」 《地図

Img_5401粉河(こかわ)街道分岐地点 《地図

道標④(明治29年) 「左 粉川街道 犬鳴山不動 粉川道」・ 「右 国道第廿九号路線佐野加太和歌山道」で、右へ進む。

府道40号を横切る。

Img_5405籠池沿いを進む。

近木川を渡る。上流の南方には近木王子跡がある。熊野街道との合流地点も近づいて来た。

Img_5412沢薬師堂 《地図

Img_5413説明板

見出川を渡ると泉佐野市だ。それにしても大阪府は市が多い。今日だけでも高石市→泉大津市→忠岡町→岸和田市→貝塚市→泉佐野市と5市1町もあった。

Img_5425諦徳地蔵(右)

正面で孝子越街道が右に分岐する所に、
道標⑤(徳本名号塔)「南無阿弥陀仏 左 紀州わか山」・「右 大川あはしま」で、左に進む。《地図

Img_5433孝子越街道を少し進んだ所の子安踏地蔵尊

紀州街道に戻る。

Img_5440南海電車の踏切を渡る。

Img_5450左から来る熊野街道と合流する。《地図

Img_5451振り返る。

左が紀州街道、右が熊野街道で、紀ノ川の川辺橋を渡った所まで同じルートをたどる。
ここを今回の紀州街道歩きの終点として井原里駅に向かった。

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2016年5月22日 (日)

紀州街道①

2016年4月24日

北浜駅(地下鉄堺筋線)・・・高麗橋(東横堀川)・紀州街道起点・・・少彦名神社・・堺筋・・・(阪神高速13号線)・・・(長堀通り)・・・安井道頓碑・・日本橋(道頓堀川)・・旧道・・・(千日前通り)・・・(阪神高速1号線)・・・戎神社前交差点・竜田越奈良街道分岐地点・・・(新今宮駅(JR関西本線))・・・萩之茶屋南公園・・厄除地蔵尊・・一念寺・・・(松虫通り)・・・天下茶屋公園・・・安養寺・・・天神森天満宮・・・(南海高野線)・南海電鉄玉出変電所・・・道標・・・壽光寺・・・(南港通り)・・・正覚寺・・・道安地蔵尊・・・親子地蔵①・・・万葉歌碑・・・親子地蔵②・・・住吉大社・・・御祓橋(細江川)・・・(長居公園通り)・・・寶林寺・・・長法寺・・・霰松原公園・・安立中央商店街・・・阿弥陀寺・・・手洗橋・・・大和橋(大和川)・・(堺市)・・(阪神高速15号線)・・・風間寺・・北之橋跡・・鉄砲鍛冶屋敷跡・・清学院・・榎並屋屋敷跡・・山口家住宅・・朱座之跡・・小西行長屋敷跡・・蓮花寺・・妙国寺・・宝珠院・・本珠寺・・堺奉行所跡あたり・・ザビエル公園・長尾街道起点・・・竹内街道起点・・開口神社・・与謝野晶子生家跡・・(国道26号)・・千利休屋敷跡・・善宗寺・・少林寺橋(南之橋・土居川)・・・船待神社・・・湊西ぼうさい公園・・・横寝地蔵尊・・・慈光寺・・・石津太神社・・・西法寺・・・太陽橋(石津川)・北畠顕家奮戦地・・川向延命地蔵・・・三光橋・・・(南海本線)・・・浜寺公園・・浜寺大橋(浜寺水路)・・・府道204号・・・(高石市)・・・羽衣駅(南海本線)

 大阪と和歌山城下を結ぶ紀州街道を、大阪の街道の起点の高麗橋から、泉佐野市の熊野街道との合流地点まで行く。
 紀州藩、岸和田藩の参勤交代の道、住吉大社、熊野への参詣の道でもあった。

  【ル-ト地図】(羽衣駅(25.2km)まで)

Img_4712高麗橋(東横堀川) 《地図

江戸の街道の起点の日本橋と同様、上に高速道路が被さっている。
左から櫓屋敷を模した親柱、「里程元標跡」標柱、高麗橋の説明碑、慶長九年銘の擬宝珠が並ぶ。
ここが京街道中国街道暗越奈良街道、紀州街道などの起点だ。

Img_4718東横堀川

橋を渡って堺筋に出て、「薬の町」道修町(どしょうまち)を南下する。

Img_4723旧小西儀助商店 (現コニシ)

Img_4728少彦名神社

「薬の神」として医薬関連の会社・関係者などの信仰を集めている。左は「くすりの道修町資料館
参道入口に道修町を舞台にした小説「春琴抄」の碑が立つ。

Img_4731生駒時計店(創業明治3年)

Img_4740堺筋倶楽部

もとは川崎貯蓄銀行大阪支店で、昭和6年の建築。

阪神高速をくぐり、長堀通りを横切って行く。

Img_4747安井道頓安井道卜紀功碑(日本橋の北側)

道頓堀を開削した安井道頓と従弟の道卜(どうぼく)の功績を称える碑。

Img_4751道頓堀(日本橋から)

このあたりは旅籠街だった。日本橋界隈は日曜で観光客で賑わっていた。

橋を渡って高札場跡あたりから右に旧道に入る。

Img_4753これが紀州街道? 《地図

戎神社前交差点で竜田越奈良街道が左(東)に分岐する。《地図

Img_4770紀州街道標石

まだ高麗橋から5km足らずだ。

萩之茶屋地区、天下茶屋地区を南下する。道沿いには旅館・宿泊施設が多く、高齢者の姿が目立った。

Img_4795安養寺地図

Img_4797門前の標石

狂歌師「佐藤魚丸」の墓・浄瑠璃『心中天網島』の主人公の紙屋治兵衛の妻「おさん」の墓・大坂相撲の名力士「猪名川弥右衛門」の墓、だそうだ。

Img_4803天神森天満宮地図

3つの別名を持っている。正面のクスノキの下に秀吉が淀君の安産を祈願したという「子安石」がある。

Img_4808由緒

Img_4801天下茶屋仇討ち供養塔(天満宮参道)

Img_4800説明板

南海高野線をくぐると阪堺線沿いとなる。

Img_4814玉出変電所地図

この先で左に入った所に道標「すぐ 帝塚山」が斜めに立っている。

Img_4824道安地蔵尊 《地図

ここを右に入った。

Img_4830親子地蔵①

Img_4831成山医院

Img_4833万葉歌碑(粉浜駅近く)

Img_4832説明板

Img_4836親子地蔵②

Img_4843住吉大社の反橋(太鼓橋)

石の橋脚は淀君が奉納したものとか。

Img_4844阪堺電気軌道阪堺線(チン電)とやっと出会った。

Img_4848御祓橋(細江川) 《地図

川はコンクリ壁の間の細い流れで、何の風情もない。江戸時代にはこのあたりに難波屋という茶屋があり、2本の老松が地を這うように四方に枝を広げていた。その姿が笠に似ていて「笠松」と呼ばれていて、紀州街道を往来する人が必ず見物に立ち寄ったという。戦時中の管理が悪く昭和23年に枯死してしまった。『郷土資料展「堺と住吉」』に「諸国名所百景」に描かれた笠松が載っている。

Img_4849説明板

Img_4866霰松原(あられまつばら)公園 《地図

奈良、平安の頃はこのあたりは海岸線で、堺まで松原が続いていて、松風が霰を吹きつけるように響いたのでこの名があるという。万葉歌碑・豊浦命神社旧跡碑・安立町役場跡碑・安立町の由来碑・霰松原神社・日露戦役従軍者紀念碑など様々なものがある。

Img_4869説明板

Img_4870万葉歌碑

Img_4876安立中央商店街を抜ける。

古い商店(跡)が何軒か残っている。

Img_4906大和川を渡る阪堺線 《地図

大和橋から

Img_4899大和橋之碑

堺市に入る。

Img_4918風間寺 《地図

堺の地割奉行、風間六右衛門尉の自刃の地という。

環濠都市の堺を散策する。『堺観光マップ
Img_4923北之橋跡 《地図

Img_4920説明板

Img_4931鉄砲鍛冶屋敷跡

Img_4933説明板

Img_4937清学院

Img_4950榎並屋勘左衛門屋敷跡

Img_4944説明板

Img_4960山口家住宅

Img_4971朱座之阯

漆器・朱肉の塗料として珍重された朱の製造所は堺に初めて設置された。慶長14年(1609)、幕府は全国6ヶ所に設置し、堺の小田助四郎を朱座仲間年寄とした。

Img_4976小西行長屋敷跡

Img_4990堺事件の土佐藩士とフランス兵の慰霊塔(妙国寺境内)

Img_4995説明板

Img_5000妙国寺のソテツ

Img_4997宝珠院 《地図

堺事件の「土佐十一烈士の墓」がある。

Img_4987本受寺

西ルイスの墓とキリシタン灯籠がある。

Img_4985説明板

Img_5009道標(安永6年(1777))

「左 妙国寺 右住よし大さか」

泉陽高校のあたりが堺奉行所跡というが何の標示も見つからなかった。後日調べると殿馬場中学校の角あたりに石碑と案内板が立っているようだ。

Img_5015ザビエル公園地図

長尾街道、その先で竹内街道が東に分岐する。

Img_5024開口(あぐち)神社地図

Img_5027金龍井(開口神社西門脇)

泉南第一の名水として、江戸時代には豆腐製造、茶の湯に使われたという。

Img_5025説明板

Img_5041与謝野晶子生家跡

現在の紀州街道の車道部分が、生家の駿河屋跡地。

Img_5032説明板

Img_5036駿河屋

Img_5034歌碑

「海こひし 潮の遠鳴り かぞへつつ 少女と なりし父母の家」

Img_5042千利休屋敷跡

Img_5049少林寺橋(土居川) 《地図

堺の環濠の「南之橋」。大安寺、南宗寺は『熊野古道(紀伊道②)』で訪れた。
環濠の北之橋からここまで2時間半を費やした。

ここから紀州街道は右に入って行く。

Img_5053船待神社

竜田越奈良街道沿いの新家天満宮同様、大宰府に向かう菅原道真ゆかりの社で「菅公腰掛石」もある。

Img_5057説明板

Img_5060もとは郵便局だろう。

Img_5066右に進む。

正面に「紀州街道」の標石

Img_5068横寝地蔵堂

Img_5071横寝地蔵(こけ地蔵)

本来は如来像として作られたものらしい。「こけ」は「こける」の意か。

Img_5069説明板

Img_5078石津太(いわつた)神社地図

毎年12月14日には「泉州の奇祭」の火祭「ヤッサイホッサイ祭り」が行われる。

Img_5088石津川をトコトコ渡る阪堺電車 《地図

太陽橋から

Img_5087標石(正面中央)

「北 太陽橋」・「西 明治五年・・・・通行人之橋銭以落成」・「南 取扱・・・・」で、取扱は橋銭(通行料)を徴収して太陽橋を架けた世話人たちのことか?

Img_5093北畠顕家奮戦地碑・供養塔(太陽橋の南詰)

Img_5092説明板

Img_5111浜寺公園

明治6年に公園として指定された大阪で最も古い公園の一つ。古来の白砂青松の景勝地の歌枕の地、「音に聞く高師の浜」も近い。浜寺水路の浜寺大橋まで行って見たが、対岸の三井化学の鉄塔が並ぶ興ざめな光景だけで、すごすごと引き返した。
和泉高師の浜』(六十余州名所図会)

日曜で家族連れで賑わった公園も、帰り時間となった頃だ。こちらは疲れた体を引きずって高石市に入り、羽衣駅まで行った。それほど急ぐ道中ではあるまいに。

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2016年5月13日 (金)

竜田越奈良街道③

2016年5月8日

勢野北口駅(近鉄生駒線)・・・(斑鳩町)・・・竜田大橋(竜田川)・清滝街道合流地点・道標①・・・・猫坂交差点・旧道・龍田地区・・東光寺・・六斎寺・・竜田神社・・・斑鳩町役場・・日切地蔵尊・・並松商店街・・気吹大神祠・道標②・・法隆寺参道・・・布穀薗・・道標③・・・太子道分岐地点・・中宮寺跡・・・(大和郡山市)・・(芦川)・・・(国道25号)・・・道標④・・・小泉神社・・・小泉城跡(片桐城址)・・・金輪院・・・不動院・・蓮池(慈光院)・・富雄橋(富雄川)・・・九頭神池・・・八幡神社・・・甲斐宮・・・新木山古墳・・・荷ヶ池・・・近鉄橿原線踏切・・・下街道合流地点・・郡山城外堀八幡堀池跡・・郡山八幡神社・・柳町商店街・・・天満宮・・良玄禅寺・・誓得寺・・春日若宮神社?・・・郡山城外堀跡高付上池・・道標⑤・・・(猿橋)・・・伊勢神宮遥拝所・常夜灯・柳橋(秋篠川)・奈良口交差点・・九条公園(富本銭出土地)・・・第1九条踏切(JR関西本線)・・・第2九条踏切(JR関西本線)・・・(奈良市)・・・(国道24号奈良バイパス)・・・高橋神社・・・高橋(佐保川)・・・八条踏切(JR関西本線)・・・大安寺北面中房跡・大安寺村役場跡・大安寺村道路元標・・・大安寺交差点・・・(JR桜井線)・・・道標⑥・地蔵堂・・・中街道合流地点・・・地蔵堂・中街道説明板・・暗越奈良街道合流地点・三条通り・・・奈良県里程元標・奈良市道路原標・・猿沢池・・・近鉄奈良駅

  【ル-ト地図】(勢野北口駅(35.8km)→近鉄奈良駅(57.1km))

Img_6420竜田大橋交差点

左から清滝街道が合流する。交差点を渡った所に松尾寺への道標①「左 松尾道」が立つ。

Img_6427竜田川(竜田大橋から)

古来、紅葉の名所で、百人一首の「千早ぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」(在原業平)が有名だが、落語の『千早振る』が愉快だ。

Img_6430猫坂を上る。

竜田大橋から緩やかに上り、ここを左折し龍田地区へ入る。

Img_6432猫坂 《地図

坂名の由来は何か? 坂上に「初時雨」の太田酒造。

Img_6434太田酒造

Img_6440龍田地区の家並み

Img_6454説明板

Img_6452龍田神社

三郷町の龍田大社の摂社。右の大クスノキは「楠大明神」として祀られている。

Img_6451金剛流発祥之地碑・ソテツ(県指定天然記念物)

龍田神社境内

Img_6449説明板

東進して斑鳩町役場前に出る。日切地蔵(継子地蔵)尊から法隆寺の東側あたりまでは、『太子道』と重なっている所もある。

Img_6472道標②(天保15年(1844)) 《地図

南面に、「右いせ たわら本 みわ はせ いちの本 たんば市」 ・西面に、「左 京 郡山 なら 道」・ 東面に、「すぐ たつた 志ぎ山 大坂 さかい」で、左折して北上し、法隆寺参道を抜け、郡山・奈良へと進む。

Img_6474南大門

この手前を右に行く。『太子道』を歩いた時は南大門をくぐって境内を通って行った。

Img_6477突き当り右の山本商店前に道標③が立つ。

Img_6486道標③(元治元年(1864)) 《地図

「南 右 郡山 奈良」・「→ 法里うじ、竜田」か? 方向が少しずれているようだが。

Img_6492中宮寺跡 《地図

現在の中宮寺の東方。
手前の交差点で『太子道』は南下して行く。

大和郡山市に入り、富雄川に突き当たる。

Img_6498_2芦川沿いを北上する。《地図

木の下のコンクリ祠に小石仏が並んでいる。

国道25号を横切り、小泉町を進む。

Img_6505道標④

手前が「従是十町西三井法輪寺」で、
右は「大聖歓喜天法起寺七丁」。

Img_6510_2旧家

Img_6513小泉神社

Img_6512説明板

Img_6515小泉町の家並み

Img_6517小泉城跡 《地図

この手前に「片桐城址碑」が立っている。復興櫓があるのには気づかなかった。

Img_6518説明板

Img_6522_3金輪院(小泉庚申堂)

Img_6525不動院

Img_6528蓮池(慈光院) 《地図

慈光院の庭園は有名だが割愛した。歩いているうちに以前に訪れたことを思い出した。帰京して調べたら平成12年7月20日の35~36度の猛暑日に、法隆寺駅・・・藤の木古墳・・・法隆寺・・・中宮寺・・・法輪寺・・・法起寺・・・慈光院・・・大和小泉駅まで歩いていた。

Img_6534九頭神(上)池

Img_6538甲斐宮

Img_6540新木山古墳 《地図

Img_6543説明板

Img_6547金魚池

年々、減少しているようだ。

近鉄橿原線を渡ると『下街道』と合流する。郡山八幡神社参道前あたりに、「郡山城外堀八幡堀池跡碑」が立っている。郡山城は下街道で訪れた。

Img_6560_2電話ボックスに金魚

どうもなじめない光景だ。

Img_6565_2菊屋地図

創業が天正13年(1585)の和菓子の老舗。

Img_6572良玄禅寺

Img_6579郡山城外堀跡高付上池 《地図

現在水はない。

Img_6580道標⑤ 《地図

南面に、「すぐ 高野山 大峰山」

Img_6586奈良口町の家並み

Img_6591伊勢神宮遥拝所・柳橋(秋篠川)・奈良口交差点

秋篠川沿いを少し進む。

Img_6596九条公園(富本銭出土地)

関西本線の踏切を2つ渡って奈良市に入る。

Img_6605佐保川沿いを行く。

万葉集の佐保川を詠んだ歌

Img_6609高橋神社 

小さな社だが、延喜式内社と伝えるそうだ。

高橋を渡り、佐保川から分かれて東へ向かう。

Img_6624大安寺北面中房跡・大安寺村役場跡

Img_6625説明板

Img_6627大安寺村道路元標(電柱の左)、その左は「南都大乗院門跡大安寺墓所」標石で、右の門をくぐった奥が墓らしい。

大安寺交差点で北上し、JR桜井線をくぐってすぐ先を右折して行く。

Img_6643道標⑥(文化7年?(1810))・地蔵堂 《地図

「右こおり山道 左かうやみち」、ここは街道より南側の道筋だ。

Img_6649中街道合流地点 《地図

左折して北上する。

三条通りで暗越奈良街道と合流する。

Img_6661奈良県里程元標・奈良市道路原標(左)

ここが竜田越奈良街道の終点だ。

Img_6667猿沢池のほとりで一休み。

近鉄奈良駅から特急で大阪に出ようとしたが、発車直前に沿線での人身事故で運行取止めとなる。急行も遅れて発車したが、これも途中駅で運行中止だ。結局1時間近く遅れて鶴橋駅に着いた頃には、疲労困憊の体となった。

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2016年5月 3日 (火)

竜田越奈良街道②

2016年4月23日

加美駅(JR関西本線)・・・南鞍作不動尊・・・鞍作寺・・・地蔵院・・新家天満宮・・・南栖院・・・(中央環状線)・(八尾市)・・・跡部神社・・・跡部地蔵尊・・・大聖勝軍寺・・・物部守屋大連墳・・・法覚寺・・・植松観音堂・・・渋川神社・・・安中元地蔵尊・・旧植田家住宅・・・道標①・・・道標②・・・老原交差点・道標③・国道25号・・天王寺屋地蔵・稲生神社・・・(志紀駅)・・・弓削神社・・・志紀南交差点・(外環状線)・道標④・西村市郎右衛門顕彰碑・・・旧道・(柏原市)・・・満願地蔵尊・・・道標⑤・・・柏原神社・・・寺田家住宅・・三田家住宅・・・柏原舟ふなだまり跡地・・・柏原黒田神社・・・地蔵堂・・・詫蓮寺・・・(近鉄道明寺線)・・大和川・・東高野街道合流地点・・・東高野街道分岐地点・・・大和川右岸・・・(近鉄大阪線)・・・国豊橋(大和川)・・・長尾街道合流地点・西町地蔵堂・・・道標⑥・長尾街道分岐地点・・・宮本地蔵尊・・松岳山古墳・・国分神社・・・夏目茶屋跡・夏目茶屋の渡し跡・・吊り橋(川端橋)・・川端地蔵尊・・・(JR関西本線)・・・道標⑦・・・行者堂・・・(河内竪上駅)・・・青谷踏切(関西本線)・・・(関西本線ガード)・・・(亀の瀬あたり)・・・亀の瀬地すべり資料室・・畏の坂あたり・道標⑧・・道標⑨・地蔵堂・・峠八幡神社・・・(奈良県)・・・関地蔵・・道標⑩・・・(関屋川)・・・磐瀬の杜碑・・(三郷駅)・・・(実盛川)・・・神奈備神社・・・龍田大社・・・道標⑪・・・多聞地蔵・・・(近鉄生駒線)・・(信貴山下駅)・・・地蔵堂・・・道標⑫・・信貴橋(信貴川)・・・役行者堂・・勢野北口駅(近鉄生駒線)

  【ル-ト地図】(加美駅(11.7km)→勢野北口駅(35.8km))

Img_4345新家天満宮 《地図

大宰府へ配流される途中で、道明寺の住職の叔母の覚寿尼を訪ねた菅原道真が、帰りに平野川を船で下って休憩に立ち寄った所という。
境内に「三鞍用水樋門顕彰之碑」と樋門の一部が保存されている。平野川から鞍作・南鞍作・鞍作新家地区へ用水を引いた樋門だそうだ。

Img_4346由緒

中央環状線をくぐって八尾市に入る。

Img_4358跡部神社地図

このあたりは廃仏派の大連物部守屋の阿都の館跡あたりという。

Img_4364跡部地蔵尊

Img_4366太子堂の家並み

Img_4371大聖勝軍寺(下の太子)

Img_4381聖徳太子古戦場碑

この地は聖徳太子・蘇我馬子軍×物部守屋軍の主戦場という。境内に物部守屋の首を洗ったという守屋池もあるようだ。

Img_4382物部守屋大連墳(太子堂交差点の手前)

Img_4386植松町の家並み①

Img_4394

Img_4398

Img_4403植松観音堂(左) 《地図

Img_4407渋川神社

Img_4409旧植田家住宅(右)・安中元地蔵尊(左)

大和川付替えによって開発された「安中新田」の会所屋敷。内部を公開しているので見学した。

Img_4415主屋

Img_4424道標① 「右 八尾駅→」 《地図

振り返って見ている。

Img_4428道標②(寛政7年(1795)) 《地図》(ミラーの下)

正面「右柏原 左八尾」で、右に進む。

Img_4433道標③(左・老原交差点)

「左八尾街道八尾停車場 右奈良街道柏原停車場」・「左奈良街道平野大阪」

しばらくは国道25号を進む。

Img_4438天王寺屋地蔵堂・稲生神社 《地図

Img_4439説明板

Img_4441天王寺屋地蔵(永仁5年(1297))

八尾市最古の石造地蔵という。

Img_4443弓削(ゆげ)神社 《地図

当地は弓削道鏡の出身地という。

Img_4444説明板

Img_4449道標④(左下)・西村市郎右衛門顕彰碑(左上) 《地図

「・・・信貴山」・「左 さかい」

Img_4454西村市郎右衛門顕彰碑の説明碑

Img_4455左の旧道に入ると柏原市だ。《地図

Img_4457満願地蔵堂

Img_4460道標⑤(天保9年(1838))

「すぐ 道明寺 大和 道」・ 「左住よし さかい」・ 「すぐ八尾 平野 大坂」

Img_4463旧家(今町)

Img_4465柏原神社

Img_4468寺田家住宅

Img_4471説明板

Img_4483三田家住宅

Img_4484説明板

Img_4486柏原舟ふなだまり跡地 《地図

柏原は竜田越奈良街道の要衝で、石川と大和川が合流した直後の下流に位置し、農業地・商業地として栄えたが、度々水害にも襲われた。ことに元和6年(1620)と寛永10年(1633)の大水害で柏原地域は壊滅的な被害を受けた。当時の代官末吉孫左衛門長方は、大坂・京橋と柏原の間に物資運搬船「柏原舟」を往来させ、その売上で地域復興を企てた。上流の「国分舟」と合わせて明治になって鉄道が開通するまで大いに栄えた。

Img_4496柏原黒田神社

昭和44年に藤井寺市の「北条黒田神社」より分社。過去は別名を塩殿神社(ショウデンさん)といい、海運・交通安全の神として塩土老翁を祀っていた。「黒田」由来は、農民たちが耕している田畑が、黒々と肥えてほしい、と願ったことからだという。

大和川に突き当たり東高野街道と合流し、すぐに安堂交差点で分かれて行く。

Img_4511大和川

右岸を上流方向に進む。東高野街道を歩いた時は新大和川橋を渡った。

Img_4517もう「鯉のぼり」の頃になった。気温も25度くらいに上がって初夏の陽気で、歩いていると暑い。

Img_4521近鉄大阪線をくぐり、国豊橋を渡る。

Img_4536西町地蔵堂 《地図

長尾街道と合流し、国分地区を進む。

Img_4535説明板

Img_4538国分地区の家並み

国分川・大和川の舟運業で栄え米相場が立ち、商家、職人の家が並ぶ町場だったという。

Img_4548道標⑥(正面右) 《地図

長尾街道が右に分かれて行く。長尾街道を歩いた時は手前の国分4丁目で右に入って行ったが、ここが本来の分岐点だろう。

Img_4550説明板

「亀瀬越」は「龍(竜)田越」のこと。

Img_4561国分神社の西参道

左は本地蔵尊

参道の途中から左へ松岳山(まつおかやま)古墳へ上る。

Img_4572松岳山古墳の後円部上 《地図

露出している組合式石棺の南北には大板石(石室の一部?)が立てられている。北の立石には2ヶ所の円孔がある。立石の用途や何のための孔なのかは不明という。

Img_4563説明板

Img_4574国分神社

背後が松岳山古墳

ジェイテクトの建物群を抜けていったん国道25号に出て、夏目茶屋跡から吊り橋で大和川を渡るのだが、夏目茶屋跡への入り口を見落とし、国道をかなり進んでしまった。

Img_4585夏目茶屋跡(正面に説明板) 《地図

Img_4587説明板

Img_4592今は渡し船でなく吊り橋(川端橋)で渡って行く。

一度に15人が限度だが、一人でもけっこう揺れる。

Img_4595吊り橋から大和川(上流方向)

Img_4602川端地蔵

Img_4603車道を横切って、JR関西本線を越えて行く。《地図》

Img_4608分岐点に道標⑦ 

「右 ??」・「左 ??」で読めないが左へ上って行く。直進(右)の道筋もあるようだが。

Img_4613行者堂の手前を右に曲がって下り、河内竪上駅を過ぎて行く。《地図

Img_4628青谷踏切を渡り、線路の右沿いを進み、ガードで再び左側に出る。

Img_4633亀の瀬あたり

正面は亀の瀬橋で、竜田越奈良街道は亀瀬越奈良街道でもある。

Img_4636亀の瀬地すべり資料室

このあたりは万葉の時代から地すべり多発の難所で、「畏(かしこ)の坂」といって恐れられていたそうだ。

「手向けする 畏の坂に 幣奉り 我れはぞ追へる 遠き土佐道を」(石上乙麻呂が土佐国に配流される時に詠んだ歌)

今でも地すべり防止工事中だ。こんな所を一人で歩いていて地すべりにあったら永久に発見されないかも。足早に通り過ぎる。

Img_4642右は地すべり工事用道路で行止りだし、このあたりの道筋は少し迷ったが、左の道を上って峠八幡神社へ向かった。これも亀の瀬から上る「畏の坂」の一つだろう。

Img_4643峠八幡神社の敷地に突き当たった。《地図

左に道標⑧(慶応?年):「亀?・・・・」のようにも見えるが分からず。

ここを右に曲がるとすぐに地蔵堂と峠八幡神社だ。

Img_4649道標⑨(地蔵堂前)

「松谷御堂是ヨリ六丁」で、雁多尾畑(かりんどおばた)の光徳寺への道標。《地図

Img_4650地蔵

鎌倉時代末から室町時代初期の石造という。

Img_4647説明板

Img_4652峠八幡神社

「峠」のとおりここから奈良県三郷町へ下って行く。

Img_4657関地蔵堂(右) 《地図

近くに古代の龍田の関があったとも。

Img_4660説明板

すぐ先の県道195号との突き当りの右に道標⑩「左 大阪堺道」・「右 龍田神社道」が立つ。

Img_4666磐瀬の杜碑(三郷駅の手前)

鏡王女の万葉歌碑も立っている。

Img_4668説明板

三郷駅を過ぎ、龍田大社へと上って行く。

Img_4673実盛川

斎藤実盛とゆかりがあるのか?

Img_4675神奈備神社

Img_4676説明板

Img_4677龍田大社

「風の神様」で、社伝によると、崇神天皇の御代に凶作が続いた時、夢でこの風神のお告げを受けて創建されたという。7月(第1日曜日)に風鎮大祭が行われる。

ここからは下りとなる。坂の途中の辻に道標⑪「←すぐ 龍田本宮」が立つ。

Img_4685道標⑫

Img_4693多聞地蔵堂 《地図

Img_4694説明板

Img_4695多聞地蔵(弘化3年(1846))

頭しか見えない。

信貴山下駅を過ぎて行く。

Img_4703道標⑬

「左 ←信貴山道」

ここまでとし、信貴川沿いを勢野北口駅に向かった。

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