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2016年5月 3日 (火)

竜田越奈良街道②

2016年4月23日

加美駅(JR関西本線)・・・南鞍作不動尊・・・鞍作寺・・・地蔵院・・新家天満宮・・・南栖院・・・(中央環状線)・(八尾市)・・・跡部神社・・・跡部地蔵尊・・・大聖勝軍寺・・・物部守屋大連墳・・・法覚寺・・・植松観音堂・・・渋川神社・・・安中元地蔵尊・・旧植田家住宅・・・道標①・・・道標②・・・老原交差点・道標③・国道25号・・天王寺屋地蔵・稲生神社・・・(志紀駅)・・・弓削神社・・・志紀南交差点・(外環状線)・道標④・西村市郎右衛門顕彰碑・・・旧道・(柏原市)・・・満願地蔵尊・・・道標⑤・・・柏原神社・・・寺田家住宅・・三田家住宅・・・柏原舟ふなだまり跡地・・・柏原黒田神社・・・地蔵堂・・・詫蓮寺・・・(近鉄道明寺線)・・大和川・・東高野街道合流地点・・・東高野街道分岐地点・・・大和川右岸・・・(近鉄大阪線)・・・国豊橋(大和川)・・・長尾街道合流地点・西町地蔵堂・・・道標⑥・長尾街道分岐地点・・・宮本地蔵尊・・松岳山古墳・・国分神社・・・夏目茶屋跡・夏目茶屋の渡し跡・・吊り橋(川端橋)・・川端地蔵尊・・・(JR関西本線)・・・道標⑦・・・行者堂・・・(河内竪上駅)・・・青谷踏切(関西本線)・・・(関西本線ガード)・・・(亀の瀬あたり)・・・亀の瀬地すべり資料室・・畏の坂あたり・道標⑧・・道標⑨・地蔵堂・・峠八幡神社・・・(奈良県)・・・関地蔵・・道標⑩・・・(関屋川)・・・磐瀬の杜碑・・(三郷駅)・・・(実盛川)・・・神奈備神社・・・龍田大社・・・道標⑪・・・多聞地蔵・・・(近鉄生駒線)・・(信貴山下駅)・・・地蔵堂・・・道標⑫・・信貴橋(信貴川)・・・役行者堂・・勢野北口駅(近鉄生駒線)

  【ル-ト地図】(加美駅(11.7km)→勢野北口駅(35.8km))

Img_4345新家天満宮 《地図

大宰府へ配流される途中で、道明寺の住職の叔母の覚寿尼を訪ねた菅原道真が、帰りに平野川を船で下って休憩に立ち寄った所という。
境内に「三鞍用水樋門顕彰之碑」と樋門の一部が保存されている。平野川から鞍作・南鞍作・鞍作新家地区へ用水を引いた樋門だそうだ。

Img_4346由緒

中央環状線をくぐって八尾市に入る。

Img_4358跡部神社地図

このあたりは廃仏派の大連物部守屋の阿都の館跡あたりという。

Img_4364跡部地蔵尊

Img_4366太子堂の家並み

Img_4371大聖勝軍寺(下の太子)

Img_4381聖徳太子古戦場碑

この地は聖徳太子・蘇我馬子軍×物部守屋軍の主戦場という。境内に物部守屋の首を洗ったという守屋池もあるようだ。

Img_4382物部守屋大連墳(太子堂交差点の手前)

Img_4386植松町の家並み①

Img_4394

Img_4398

Img_4403植松観音堂(左) 《地図

Img_4407渋川神社

Img_4409旧植田家住宅(右)・安中元地蔵尊(左)

大和川付替えによって開発された「安中新田」の会所屋敷。内部を公開しているので見学した。

Img_4415主屋

Img_4424道標① 「右 八尾駅→」 《地図

振り返って見ている。

Img_4428道標②(寛政7年(1795)) 《地図》(ミラーの下)

正面「右柏原 左八尾」で、右に進む。

Img_4433道標③(左・老原交差点)

「左八尾街道八尾停車場 右奈良街道柏原停車場」・「左奈良街道平野大阪」

しばらくは国道25号を進む。

Img_4438天王寺屋地蔵堂・稲生神社 《地図

Img_4439説明板

Img_4441天王寺屋地蔵(永仁5年(1297))

八尾市最古の石造地蔵という。

Img_4443弓削(ゆげ)神社 《地図

当地は弓削道鏡の出身地という。

Img_4444説明板

Img_4449道標④(左下)・西村市郎右衛門顕彰碑(左上) 《地図

「・・・信貴山」・「左 さかい」

Img_4454西村市郎右衛門顕彰碑の説明碑

Img_4455左の旧道に入ると柏原市だ。《地図

Img_4457満願地蔵堂

Img_4460道標⑤(天保9年(1838))

「すぐ 道明寺 大和 道」・ 「左住よし さかい」・ 「すぐ八尾 平野 大坂」

Img_4463旧家(今町)

Img_4465柏原神社

Img_4468寺田家住宅

Img_4471説明板

Img_4483三田家住宅

Img_4484説明板

Img_4486柏原舟ふなだまり跡地 《地図

柏原は竜田越奈良街道の要衝で、石川と大和川が合流した直後の下流に位置し、農業地・商業地として栄えたが、度々水害にも襲われた。ことに元和6年(1620)と寛永10年(1633)の大水害で柏原地域は壊滅的な被害を受けた。当時の代官末吉孫左衛門長方は、大坂・京橋と柏原の間に物資運搬船「柏原舟」を往来させ、その売上で地域復興を企てた。上流の「国分舟」と合わせて明治になって鉄道が開通するまで大いに栄えた。

Img_4496柏原黒田神社

昭和44年に藤井寺市の「北条黒田神社」より分社。過去は別名を塩殿神社(ショウデンさん)といい、海運・交通安全の神として塩土老翁を祀っていた。「黒田」由来は、農民たちが耕している田畑が、黒々と肥えてほしい、と願ったことからだという。

大和川に突き当たり東高野街道と合流し、すぐに安堂交差点で分かれて行く。

Img_4511大和川

右岸を上流方向に進む。東高野街道を歩いた時は新大和川橋を渡った。

Img_4517もう「鯉のぼり」の頃になった。気温も25度くらいに上がって初夏の陽気で、歩いていると暑い。

Img_4521近鉄大阪線をくぐり、国豊橋を渡る。

Img_4536西町地蔵堂 《地図

長尾街道と合流し、国分地区を進む。

Img_4535説明板

Img_4538国分地区の家並み

国分川・大和川の舟運業で栄え米相場が立ち、商家、職人の家が並ぶ町場だったという。

Img_4548道標⑥(正面右) 《地図

長尾街道が右に分かれて行く。長尾街道を歩いた時は手前の国分4丁目で右に入って行ったが、ここが本来の分岐点だろう。

Img_4550説明板

「亀瀬越」は「龍(竜)田越」のこと。

Img_4561国分神社の西参道

左は本地蔵尊

参道の途中から左へ松岳山(まつおかやま)古墳へ上る。

Img_4572松岳山古墳の後円部上 《地図

露出している組合式石棺の南北には大板石(石室の一部?)が立てられている。北の立石には2ヶ所の円孔がある。立石の用途や何のための孔なのかは不明という。

Img_4563説明板

Img_4574国分神社

背後が松岳山古墳

ジェイテクトの建物群を抜けていったん国道25号に出て、夏目茶屋跡から吊り橋で大和川を渡るのだが、夏目茶屋跡への入り口を見落とし、国道をかなり進んでしまった。

Img_4585夏目茶屋跡(正面に説明板) 《地図

Img_4587説明板

Img_4592今は渡し船でなく吊り橋(川端橋)で渡って行く。

一度に15人が限度だが、一人でもけっこう揺れる。

Img_4595吊り橋から大和川(上流方向)

Img_4602川端地蔵

Img_4603車道を横切って、JR関西本線を越えて行く。《地図》

Img_4608分岐点に道標⑦ 

「右 ??」・「左 ??」で読めないが左へ上って行く。直進(右)の道筋もあるようだが。

Img_4613行者堂の手前を右に曲がって下り、河内竪上駅を過ぎて行く。《地図

Img_4628青谷踏切を渡り、線路の右沿いを進み、ガードで再び左側に出る。

Img_4633亀の瀬あたり

正面は亀の瀬橋で、竜田越奈良街道は亀瀬越奈良街道でもある。

Img_4636亀の瀬地すべり資料室

このあたりは万葉の時代から地すべり多発の難所で、「畏(かしこ)の坂」といって恐れられていたそうだ。

「手向けする 畏の坂に 幣奉り 我れはぞ追へる 遠き土佐道を」(石上乙麻呂が土佐国に配流される時に詠んだ歌)

今でも地すべり防止工事中だ。こんな所を一人で歩いていて地すべりにあったら永久に発見されないかも。足早に通り過ぎる。

Img_4642右は地すべり工事用道路で行止りだし、このあたりの道筋は少し迷ったが、左の道を上って峠八幡神社へ向かった。これも亀の瀬から上る「畏の坂」の一つだろう。

Img_4643峠八幡神社の敷地に突き当たった。《地図

左に道標⑧(慶応?年):「亀?・・・・」のようにも見えるが分からず。

ここを右に曲がるとすぐに地蔵堂と峠八幡神社だ。

Img_4649道標⑨(地蔵堂前)

「松谷御堂是ヨリ六丁」で、雁多尾畑(かりんどおばた)の光徳寺への道標。《地図

Img_4650地蔵

鎌倉時代末から室町時代初期の石造という。

Img_4647説明板

Img_4652峠八幡神社

「峠」のとおりここから奈良県三郷町へ下って行く。

Img_4657関地蔵堂(右) 《地図

近くに古代の龍田の関があったとも。

Img_4660説明板

すぐ先の県道195号との突き当りの右に道標⑩「左 大阪堺道」・「右 龍田神社道」が立つ。

Img_4666磐瀬の杜碑(三郷駅の手前)

鏡王女の万葉歌碑も立っている。

Img_4668説明板

三郷駅を過ぎ、龍田大社へと上って行く。

Img_4673実盛川

斎藤実盛とゆかりがあるのか?

Img_4675神奈備神社

Img_4676説明板

Img_4677龍田大社

「風の神様」で、社伝によると、崇神天皇の御代に凶作が続いた時、夢でこの風神のお告げを受けて創建されたという。7月(第1日曜日)に風鎮大祭が行われる。

ここからは下りとなる。坂の途中の辻に道標⑪「←すぐ 龍田本宮」が立つ。

Img_4685道標⑫

Img_4693多聞地蔵堂 《地図

Img_4694説明板

Img_4695多聞地蔵(弘化3年(1846))

頭しか見えない。

信貴山下駅を過ぎて行く。

Img_4703道標⑬

「左 ←信貴山道」

ここまでとし、信貴川沿いを勢野北口駅に向かった。

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