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2016年6月14日 (火)

守口街道

2016年5月11日

守口市駅(京阪本線)・・・十三夜坂・・京街道・道標①・来迎(寺)坂・守口街道起点・・・難宗寺・道標②・・・(門真市)・・・(西三荘駅)・・・元町遺跡(元町中央公園)・・・(中央環状線・大阪モノレール・門真市駅)・・・(古川橋駅)・・・八坂神社・・・願得寺・・・(京阪本線)・・・道標③・・・人道橋(古川)・・(古川橋)・(京阪本線)・・・堤根神社・(伝)茨田堤跡・・(京阪本線)・・・(第二京阪道路)・・・猪鼻橋(寝屋川)・(寝屋川市)・・・鶯関神社・・・大念寺・・道標④・・本覚寺・・・堀溝交差点・国道163号・(四條畷市)・・・(外環状線)・・・蔀屋東交差点・旧道・・・雁塔・西南戦争招魂碑・・・国中神社・・・中野踏切(片町駅)・・・東高野街道合流地点・・東高野街道分岐地点・道標⑤・・・忍ケ丘駅(片町線)

 大阪と奈良を結ぶ街道の一つで、京街道守口宿→守口街道→清滝街道→竜田越奈良街道で奈良へと通じる守口街道を、東高野街道と交差する清滝街道の起点まで行く。清滝街道に含めて呼ばれることもある。

  【ル-ト地図

Img_6896京街道守口宿の文禄堤を進む。

Img_6897来迎坂(来迎寺坂) 《地図

ここが守口街道の起点で、佐太に移転した来迎寺があった。

Img_6898道標①

「のざきみち」は野崎参りで知られる野崎観音の慈眼寺への道のこと。

Img_6902難宗寺(守口西御坊)

明治天皇の行幸の際には行在所となった寺。樹齢500年という大イチョウがそびえる。

Img_6904道標②(難宗寺北西角)

「すぐ守口街道」がある。

京阪本線沿いに出て東に向かい、門真市に入る。

Img_6918元町遺跡(元町中央公園) 《地図

Img_6917説明板

門真市駅を抜けて行く。

Img_6925門真小学校

やけに古ぼけた校舎だ。それとも歴史的建造物というべきか。

古川橋駅の手前で京阪本線の北側に出る。

Img_6937八坂神社 《地図

Img_6939願得寺

客間(国登録有形文化財)

Img_6944道標③(右の電柱脇) 《地図

左守口街道」・「右守口街道 左徳庵八尾道」で左折して古川の人道橋を渡る。

Img_6950古川橋 《地図

Img_6928古川橋駅そばに設置の碑

「古川橋あたりは京大坂への道と清滝街道(守口街道のこと)が交わる交通の要所で料亭などの店が軒を並べ賑わいました」とある。

Img_6953堤根神社

茨田堤の鎮守として創建。

Img_6958(伝)茨田堤(まんだのつつみ)跡 《地図

茨田堤ゆかりの所は、『京街道③』にもある。

Img_6954説明板①

Img_6957

第二京阪道路をくぐり、国道163号を横切って行く。

Img_6969寝屋川を渡って寝屋川市に入る。

Img_6974ねや川 文化と歴史のみち」沿いを進む。

案内図を持っているのは「鉢かづき姫」で、東高野街道の「打上げの四ツ辻」には、頭にすっぽりと鉢を被った鉢かづき姫が立っていた。

Img_6975鶯関(おうかん)神社 《地図

古代の奈良への「行基みち」(守口街道)の要衝地で関所があり、このあたりは鶯の名所だったという。

「我が思ふ こころも尽きぬ ゆく春を 越えずもとめよ うぐひすの関」(康資王の母

竹内街道の竹内峠には、この歌の歌碑が立っている。時代的にはこちらの方がふさわしいか。

Img_6979堀溝地区の家並み

Img_6981大念寺

Img_6984説明板(十三仏板碑・梵鐘・行基みちと鶯の関跡)

Img_6985十三仏板碑

Img_6986道標④

左手前(明治37年):「右守口街道」・「左守口街道」・「すぐ守口街道」
左後ろ(慶応2年(1866)):「右大峯山 なら いせ 道」・「右 やはた 柳谷 左 大坂 もり口 道」

Img_6990右の自販機前の自然石の道標(延宝3年(1675))

ここを清滝街道の起点としている。「やハたみちすじ」は、この先の東高野街道との交差地点から北に東高野街道を進んで石清水八幡宮への道ということか。

堀溝交差点で国道163号に出て・四條畷市に入り、蔀屋東交差地点で左へ旧道を進む。

Img_7012雁塔(右)・西南の役碑(西征戦死招魂碑)(左) 《地図

Img_7001説明板

Img_7004説明板

Img_7005清滝街道説明板①

③が雁塔の所

Img_7011

Img_7014清滝川沿いを進み、片町線の踏切を渡る。

このあたりはまだ名前負けしている流れだ。

Img_7020東高野街道合流地点(案内図の④) 《地図

左は中野交番

Img_7021東高野街道分岐地点 《地図

道標⑤(左の民家前):左は「右清滝街道 すぐ東高野街道」、
中は「靍澤亀梥 東いせなら 南かりや 門弟中」で、文楽三味線師匠の靍澤亀梥(かめさわかめまつ)の遺徳を顕彰しての建立とか。
右の地蔵(寛政10年(1798))には「右ならいせ道 左京やハた道」

手前の清滝川沿いには、小さな「三坪橋」の標石がある。ここを守口街道の終点、清滝街道(直進)の起点とし、左折して東高野街道を進んで忍ケ丘駅に向かった。

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2016年6月11日 (土)

山根街道

2016年5月9日・12日

星田駅(JR片町線)・東高野街道・・・星田一里塚跡・・・府道20号・・・(第二京阪道)・・旧道・・・道標①②・山根街道分岐地点・・・万葉歌碑・逢合橋(平野川)・・砂子橋(前川)・・砂子坂交差点・磐船街道交差地点・・・(京阪交野線)・・私部地区・・北川家住宅・道標③・・・札之辻橋(在中川)・・・無量光寺・・・(免除川)・・・大仏坂・・・道標④・・・二平川の洗場跡あたり・・・外池・・倉治桜堤交差地点・府道736号・・・(枚方市)・・・かご池跡碑・・・(津田駅)・・・津田踏切(片町線)・・・尊光寺・・・道標⑤・・・春日神社・・・(穂谷川)・・・(藤阪駅)・・・府道736号・・・菅原神社参道・・・菅原交差点・・勝園寺・・・長尾駅(片町線)・(5/12日)・・府道736号・・・菅原交差点・府道735号・・・長尾地区・・・八幡橋(船橋川)・・・家具団地・・・長尾峠・・・(京都府八幡市)・・・八幡南山交差点(京阪国道)・・・東高野街道合流地点・・・(略)・・・八幡市駅(京阪本線)

 東高野街道から枚方市の茄子作で分かれて交野市に入り、私部・倉治を通って再び枚方市に入り、津田・藤阪・長尾を北上し、長尾峠を越えて京都府八幡市に入って東高野街道に合流する山根街道を行く。

  【ル-ト地図

Img_6669星田駅から雨の東高野街道を北上する。

府道20号に出て第二京阪道を横切り、左に旧道に入る。

Img_6675東高野街道との分岐地点 《地図

道標①(明治37年):「右 山根街道 すぐ東高野街道・・・・」
道標②(安政2年(1855)):「大峰山 右 宇治 左 京 八幡 道」と地蔵(享保10年(1725))が立つ。

Img_6683万葉歌碑(逢合(あいあい)橋のたもと)

交野が原の七夕伝説

Img_6685説明板

Img_6686逢合橋から天野川

下流には織姫と彦星の橋渡しをした鳥の鵲(かささぎ)橋がある。『京街道②

すぐ先で前川の砂子(すたこ)橋を渡り、磐船街道と交差する。

Img_6691砂子(すたこ・すだこ)坂 《地図

傾斜はほとんどいない。「砂子」の由来は、「洲田のある高台へ上る坂」という意だそうだ。詳しくは『交野物知り辞典』で。

京阪交野線の踏切を渡り、私部(きさべ)地区へと進む。

Img_6696私部地区の家並み

Img_6700北田家住宅  《地図

Img_6701蔵の先で左折して行く。

蔵の向かい側に道標③が立つ。

Img_6706道標③

正面に、「大峯山五十度供養」・左側面に、「左 京 よど あたご やわた 伏見 う治 すぐ いせ いか なら」

Img_6703北田家の長屋門

長さが約56mで、民家では日本一という。

Img_6709札之辻橋(在中川)

古い橋桁と親柱だ。

Img_6713無量光寺

Img_6718大仏坂(坂下方向) 《地図

奈良東大寺の大仏の鋳型に銅を流し込む作業が上手くいかず、宇佐八幡宮の付近にいる渡来技術者に来てもらった。彼らは交野の傍示に上り、生駒の傍示に通じる「大仏の道」を通って東大寺に急いだ。無事にその仕事を終えた技術者がこの地区で仏像を作った、または住み着いたとされる。

Img_6720道標④ 《地図

「右 京八王多道」・「すぐひらかた」・「すぐたき 」で、石清水八幡宮、枚方、源氏(倉治)の滝

Img_6727二平川の洗い場跡あたり 《地図

西側にある家の屋号が「二平」といい、この洗い場は、村の人々の語らい、息抜きの場だった。家で親夫婦、年寄りが昼寝をしている間にそっと洗濯に来たそうだ。

倉治桜堤交差地点で府道736号に出る。

Img_6732外池

枚方市に入る。

Img_6733かご池跡碑・石つき唄碑

Img_6735石つき唄

Img_6736山下政太頌徳碑

「津田そうめん」作りの尽力者 『ひらかた偉人伝』(3頁目)

Img_6737説明板

右折して津田踏切を渡る。

Img_6742津田地区の家並み 

Img_6745道標⑤(天保12年(1841)) 《地図

「右ひらかた 左のざき大坂道」

Img_6749春日神社

Img_6750説明板

Img_6755穂谷川の橋に「山根街道」 《地図

藤阪駅をくぐって府道736号に出る。

Img_6759菅原神社参道

参道は線路で分断されている。どしゃぶりの雨で参拝する気もないが。

Img_6761菅原交差点

府道から離れ左に府道735号に入って行くのが旧道だが、傘をさしていてもずぶ濡れの状態で寒くなってきた。今日はここまでとし長尾駅に向かった。

ここからは5月12日に歩いた。

Img_6364長尾地区の家並み① 《地図

Img_6368

船橋川を渡る。

Img_6383家具団地の間を通って行く。《地図

団地といっても19店舗しかないようだが。

Img_6385京都府八幡市との境の長尾峠へ上って行く。《地図

ここは長尾峠町で、正面奥は摂南大学。

長尾峠から下り京都府八幡市に入り、八幡南山交差点(京阪国道)を横切る。

Img_6398東高野街道合流地点 《地図

北から来た東高野街道はここを右折(写真では左折)して行く。東高野街道を歩いた時は京阪国道に出て、洞ヶ峠の方へ迂回して行った。ここに立っていた道標は、トラックがぶつかりへし折られて撤去され、今は「ふるさと学習館」《地図》の敷地に転がしてあるらしいが未確認。

この先、八幡市駅までは『東高野街道①』に記載。

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2016年6月 9日 (木)

中高野街道③

2016年5月10日

河内松原駅(南海高野線)・・・道標①・・・浄光寺・・・道標②・竹内街道交差地点・・・(中央環状線)・・・(堺市)・・・美原ふる里公園・・・(阪和道)・・・(国道309号)・・牛池・・舟渡池・・・(大阪狭山市)・・・道標③・菅生神社鳥居・・・旧道・・・常夜灯・・・大鳥池・・・地蔵堂・・・地蔵堂・・・(南海高野線)・・・狭山藩陣屋跡・・・下高野街道合流地点・・・報恩寺・・道標④・・・説明板(下高野・中高野街道)・・・(南海高野線踏切)・地蔵祠・道標⑤・・・(大阪狭山市3号踏切)・・・中高野街道標柱・・・常夜灯・・・風輪寺・・・西除川・・・春日神社・・・西高野街道合流地点・道標⑥⑦・・・千代田駅(南海高野線)

  【ル-ト地図】(河内松原駅(25km)から)

Img_6768道標①(天保5年(1834)・新堂3丁目)

「右 平野 大坂 道」・「左 さかい 住よし 道」・「すぐ かうやよしの 道」

Img_6774竹内街道交差地点 《地図

道標②(寛政9年(1797)・交差点右の電柱脇):「左 さやま 三日市 かうや 道」・「左 さかい」・「右 ひらの 大坂」

Img_6786美原ふる里公園 《地図

美原は河内鋳物師の発祥地という。奥は「みはら歴史博物館

Img_6784説明板

阪和道をくぐり、国道309号を横切る。

Img_6792舟渡池

大阪狭山市に入る。

Img_6796菅生神社鳥居 《地図

道標③(慶応2年(1866)):「すぐ 三日市 高野山」・「すぐ 平野総本山 大阪天王寺、右 藤井寺 誉田八幡宮 道明寺

Img_6802府道198号から分かれ左の旧道を進む。

右は天満宮の常夜灯

Img_6806中高野街道のプレート

Img_6810大鳥池

府道に出て南海高野線をくぐる。

Img_6819狭山藩陣屋跡

このあたりは上屋敷跡

Img_6821説明板

Img_6822位置図

Img_6823長屋門

Img_6824下高野街道合流地点あたり  《地図

下高野街道は、おわり坂の坂下の上三津屋橋(三津屋川)で西高野街道と合流するのが本道だろう。

Img_6829地蔵の石祠・報恩寺の説明碑(交差点手前の右側)

左の祠内の地蔵が説明碑の「恋坂地蔵」ではないようだ。

Img_6828説明碑

Img_6831報恩寺

狭山藩北条氏の位牌所

大阪狭山市駅方向に向かう。

Img_6832道標④(天保11年(1840)):「こいさか 子安地蔵尊」

かつては大阪狭山市駅の東側にあった地蔵寺の本尊だった子安地蔵で、現在は報恩寺に伝わる「恋坂地蔵」のことのようだ。

Img_6835説明板

下高野街道は狭山池の南西で西高野街道に合流する。

Img_6839地蔵祠・常夜灯・道標⑤(大阪狭山市駅前の踏切を渡った所)

常夜灯の前の古い道標は、「右こうや 左よしの」
恋坂子安地蔵の地蔵寺があったのはこのあたりか?

南海高野線沿いを南下し、大阪狭山市3号踏切で渡り返す。

Img_6847中高野街道標柱と説明板

Img_6849説明板

狭山神社・狭山池は『天野街道』に記載。

金剛駅前を過ぎて行く。

Img_6855風輪寺(右) 《地図

融通念仏宗の寺で、本尊は春日仏師の作と伝える子安地蔵尊で、古くから安産厄除の寺として知られている。本堂には、国の重要文化財に指定されている『絹本著色釈迦如来及四菩薩像』が所蔵されている。

この先で坂を下って西除川の方に下りてしまった。川沿いを進み府道に出て、松ヶ丘歩道橋の所で中高野街道に戻った。

Img_6872府道を横切って直進(南下)するのが中高野街道 《地図

Img_6876緩やかな坂を上る。

Img_6877常夜灯の右から来る西高野街道

Img_6883振り返る。《地図

右が中高野街道、左が西高野街道で、道標⑥(天保7年(1836))は、「右平野迄四里、左さかい大坂」
地蔵堂内の地蔵の前面は道標⑦で、「右ハ平野道 左ハ堺大坂道」か?

西高野街道を進み、千代田駅に向かった。

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2016年6月 7日 (火)

中高野街道②

2016年5月6日

布施駅(近鉄奈良線)・・・足代安産地蔵尊・・布施戎神社・・・(国道479号(内環状線))・・・偏増寺・・・清見原神社・・・薬泉寺・・・道標・・・加美巽川(下足代橋)・・・旧巽村役場跡・・・念仏堂・・・(内環状線)・・・巽神社・・光西寺・・・市町踏切(JR関西本線)・・・(平野川)・・・河骨池口地蔵・・・竜田越奈良街道交差地点(宮前東交差点)・・・樋ノ尻口地蔵・・・赤留比売女神社・・櫻井寺・・・政所筋・・・流口地蔵・・・(南港通り)・・・喜連地区・北口地蔵・・楯原神社・・屋敷小路・・馬倉地蔵・・道標地蔵・・・かっつらかい跡(長居公園通り)・・・瓜破天神社・・・阪和貨物線跡・・・道標地蔵・・高野大橋(大和川)・・・光南地蔵・・・(松原市)・・・(阪神高速14号線)・・・屯倉神社・酒屋神社・・梅松院地蔵・・・一里塚跡あたり・・・海泉池・・阿保神社・・・長尾街道交差地点・阿保茶屋跡・・・河内松原駅(南海高野線)

  【ル-ト地図】(布施駅(10.1km)→河内松原駅(25km))

Img_6174足代(あじろ)安産地蔵(永禄5年(1562)) 《地図

もとは聖源寺(明治5年廃寺・前回記載)に祀られていたこともあるそうだ。

Img_6175略記

Img_6177布施戎神社

もとは都留弥神社の地

Img_6179説明板

布施本町商店街を抜け、右折して西に向かい、国道479号を横切って行く。

Img_6189清見原神社 《地図

天武天皇の飛鳥浄御原(きよみはら)宮からの社名と伝える。

Img_6194道標(巽中1-10あたり)

「左信貴山」・「右大坂」

Img_6207巽村役場跡 《地図

巽村→巽町→大阪市生野区巽中

Img_6203説明板

巽南3交差点の先で左折し、内環状線を渡り巽神社前を右折し南下する。

Img_6220巽神社 《地図

Img_6221由緒

JR関西本線、平野川を渡り環濠自治都市の平野地区に入る。『平野郷を歩こう

Img_6234河骨池口(こおのいけぐち)地蔵 《地図

平野郷十三口の一つで、平野川を運航していた柏原船の船入(発着場)だった河骨池跡という。このあたりを市の浜といい、問屋・宿屋などが立ち並び、船会所もあってたいそう賑わっいたそうだ。
地蔵堂は岩村食堂の一画にある。地蔵さんもひもじい思いはすまい。柏原駅近くには、柏原舟の舟だまり跡がある。『竜田越奈良街道②』に記載

Img_6237竜田越奈良街道交差地点 《地図

交差点を渡った角に道標(弘化2年(1845))

「すぐ 道明寺 左 志ぎ山」・ 「右 ふじいでら 大峯山上」・「すぐ 玉つくり 左 天王寺」

Img_6241樋ノ尻口地蔵(平野公園の手前)

Img_6243説明板

大坂夏の陣での真田幸村と徳川家康の逸話が載る。

Img_6244赤留比売女神社(三十歩神社) 《地図

Img_6245説明板

Img_6247平野公園

環濠跡

Img_6250政所筋を進み中高野街道に戻る。

Img_6249説明板

Img_6253流口地蔵(南港通りの手前)

南港通りを横切って南下し、ここも環濠集落だった喜連(きれ)地区に入る。

Img_6257喜連地区の旧家

Img_6260北口地蔵 《地図

喜連の環濠集落の七口の一つ。軒下は中高野街道を往来する人々の雨宿りの場にもなっていたという。

Img_6262_3説明板

Img_6263説明板

Img_6264喜連環濠地区案内図

Img_6267楯原神社

Img_6268説明板

Img_6273喜連地区の家並み

右に中高野街道道標(天保4年(1833)建立の復元):「すぐ こう野 左 ふぢゐ寺」・「すぐ ひらの 大坂 左 住吉」

Img_6279屋敷小路

江戸時代の住宅街の姿を残している。

Img_6285説明板①

Img_6286

Img_6291馬倉地蔵

馬倉は中世の喜連城の大手前という。

Img_6292説明板

Img_6295道標地蔵(嘉永4年(1851))

正面に、「? すみよし さかひ」・
裏面に、「すぐ 大念仏寺 十八丁 天王寺 一里半」

Img_6305「かっつらかい」跡(河内と摂津の国境の堤防跡)の長居公園通りを横切って瓜破(うりわり)地区へ進む。

Img_6307瓜破天神社

道昭がこの地で修行中に、天神の霊像が現れた。そこで瓜を割って供えたのが、「瓜破」という地名の起源の一つという。

Img_6308説明板

Img_6311阪和貨物線

線路も撤去されている。

Img_6314大和川に突き当たる。

このあたりに旧高野(こうや)大橋が架かっていた。左に地蔵の祠

Img_6315地蔵の台座

「右 かうや ・・・ 左 ひらの・・・」?

Img_6318少し下流で高野大橋を渡る。

Img_6319説明板

大和川を渡って、少し進むと松原市に入り、三宅地区から阿保親王ゆかりの阿保地区へと進む。雨脚が強くなってきた。 『中高野街道と6商店会

Img_6330屯倉神社 《地図

Img_6333説明板

Img_6335酒屋神社(境内社)

Img_6339梅松院地蔵(宝永3年(1706))

Img_6340一里塚跡あたり(阿保5丁目交差点)

三宅と阿保との境界付近で、摂津の平野から一里の場所。「一里山」の小字名が残るそうだ。

Img_6342海泉池

阿保(あぼ)親王が掘った灌漑池の一つと伝えられ、親王池ともいう。

Img_6348海泉池満水石(右)・説明碑

海泉池の堰高を決める石で、文化5年(1808)6月に西阿保村と三宅村が立ち会い、堰高7寸5分と決めたそうだ。

Img_6344説明板

Img_6351阿保(あお)神社 《地図

菅原道真は大宰府へ流される途中で、ここでも休憩したようだ。新家天満宮(竜田越奈良街道②)・諏訪神社(中高野街道①)・船待神社(紀州街道①)でも休憩している。

本殿横の大クスは阿保親王のお手植えとか。芦屋市の山陽道沿い近くには、親王の別邸跡に建てられた菩提寺の親王寺がある。

Img_6350説明板

Img_6354長尾街道交差地点 《地図

交差点付近は阿保(あおん)茶屋跡で、多くの茶屋が並んでいたという。

降りしきる雨の中、この先の河内松原駅までとした。

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2016年6月 2日 (木)

中高野街道①

2016年5月5日

守口市駅(京阪本線)・・・京街道・中高野街道分岐地点・十三夜坂・・・(京阪本線)・・・高瀬神社・・高瀬川跡・・・護念寺・・・道標?・地蔵祠・(大阪市)・・八幡大神宮・・・花博記念公園鶴見緑地・・・(鶴見通り)・・・放出大橋(寝屋川)・・・正因寺・中高野街道標石・・・子安地蔵・・・阿遅速雄神社・・・放出街道踏切(片町線)・・・古大和橋(第二寝屋川)・・新田橋(長瀬川)・放出の渡し跡あたり・・・諏訪神社・・・(阪神高速13号線)・・龍光寺・・・深江稲荷神社・・・聖源寺ゆかりの碑・念唱寺・・・暗越奈良街道交差地点・・・「ブランドーリふせ」商店街・・・布施駅(近鉄大阪線)

 京街道の守口宿から十三夜坂を下り、南下して暗越奈良街道竜田越奈良街道と交差し、大和川を渡り長尾街道竹内街道を横切り、河内長野市で西高野街道と合流する中高野街道を歩く。

  【ル-ト地図】(布施駅(10.1km)まで)

Img_0044高野街道概略図

下高野街道と中高野街道が西高野街道に合流し、さらに河内長野で東高野街道と合流し、高野街道となって高野山へと続いて行く。

Img_6070京街道の文禄堤からの分岐地点 

ここが中高野街道の起点で、左へ十三夜坂を下って守口市駅ををくぐって行く。《地図

Img_6074道標

直進が中高野街道、左折が三郷街道。三郷は守口市と合併した三郷町で、奈良県の龍田大社のある三郷町ではないようだが。

Img_6077案内図

「高瀬・世木(せぎ)の道」が中高野街道、上部で京街道から分かれる奈良街道が、守口街道→清滝街道→竜田越奈良街道で奈良へ通じている。

Img_6079高瀬神社

クスノキ・イチョウ・クヌギなどの大木に囲まれている。

Img_6080説明板

Img_6085高瀬川跡 《地図

歌枕の「高瀬の」・「高瀬の里」の地で、昭和30年頃まで流れていたようだ。

「水まさる 高瀬の淀の 真菰草 はつかに見ても 濡るゝ袖かな」(殷富門院大輔
「さしのぼる 高瀬の里のいたずらに 通う人なき 五月雨の頃」(衣笠内大臣

Img_6087説明碑

「かつて淀川の本流であった・・・」とある。

Img_6090高瀬町の旧家

Img_6093

Img_6097護念寺(世木御堂) 《地図

大塩平八郎の門弟の橋本忠兵衛(ほおずき忠兵衛)の墓がある。大塩平八郎が近郷の農民に陽明学を講義したという旧白井氏宅が京街道の守口宿にある。

大阪市に入る。

Img_6102八幡大神宮(不焼宮)

Img_6103花博記念公園鶴見緑地地図

Img_6108放出(はなてん)大橋から寝屋川

Img_6109桝形の名残りか(正因寺手前)

Img_6110正因寺《地図

「中高野街道」の標石と説明板がある。

Img_6114説明板

「放出(はなて)の渡し」で、「はなてん」ではない?

Img_6125阿遅速雄神社

右にお蔭灯籠

Img_6124説明板

Img_6130標石

Img_6129説明板

放出街道踏切(片町線)と古大和橋(第二寝屋川)を渡る。

Img_6141長瀬川(新田橋)渡る。《地図

旧大和川の本流で、放出の渡し跡あたりか。すぐ下流で第二寝屋川に合流する。

大阪市と東大阪市の境(摂津国と河内国)を南下する。

Img_6150諏訪神社

Img_6153説明板

Img_6147菅公腰掛石

大宰府へ配流される途中で菅原道真は、竜田越奈良街道沿いの新家天満宮、紀州街道沿いの船待神社でも休憩している。

Img_6146由来

Img_6149函館戦争(五稜郭の戦)での官軍の大砲と砲弾

Img_6148「官軍攻五稜郭」とある。

深江稲荷神社には新しい万葉歌碑が立てられていた。『暗越奈良街道①』に追記。

Img_6170念唱寺前の聖源寺ゆかりの碑(享保12年(1727)) 《地図

聖源寺は明治5年に廃寺になったそうだ。

Img_6167説明板(念唱寺)

Img_6172暗越奈良街道交差地点 《地図

「ブランドーリふせ」商店街の中を通り、布施駅まで行った。

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