守口街道
2016年5月11日
守口市駅(京阪本線)・・・十三夜坂・・京街道・道標①・来迎(寺)坂・守口街道起点・・・難宗寺・道標②・・・(門真市)・・・(西三荘駅)・・・元町遺跡(元町中央公園)・・・(中央環状線・大阪モノレール・門真市駅)・・・(古川橋駅)・・・八坂神社・・・願得寺・・・(京阪本線)・・・道標③・・・人道橋(古川)・・(古川橋)・(京阪本線)・・・堤根神社・(伝)茨田堤跡・・(京阪本線)・・・(第二京阪道路)・・・猪鼻橋(寝屋川)・(寝屋川市)・・・鶯関神社・・・大念寺・・道標④・・本覚寺・・・堀溝交差点・国道163号・(四條畷市)・・・(外環状線)・・・蔀屋東交差点・旧道・・・雁塔・西南戦争招魂碑・・・国中神社・・・中野踏切(片町駅)・・・東高野街道合流地点・・東高野街道分岐地点・道標⑤・・・忍ケ丘駅(片町線)
大阪と奈良を結ぶ街道の一つで、京街道守口宿→守口街道→清滝街道→竜田越奈良街道で奈良へと通じる守口街道を、東高野街道と交差する清滝街道の起点まで行く。清滝街道に含めて呼ばれることもある。
【ル-ト地図】
来迎坂(来迎寺坂) 《地図》
ここが守口街道の起点で、佐太に移転した来迎寺があった。
「のざきみち」は野崎参りで知られる野崎観音の慈眼寺への道のこと。
難宗寺(守口西御坊)
明治天皇の行幸の際には行在所となった寺。樹齢500年という大イチョウがそびえる。
「すぐ守口街道」がある。
京阪本線沿いに出て東に向かい、門真市に入る。
元町遺跡(元町中央公園) 《地図》
門真市駅を抜けて行く。
やけに古ぼけた校舎だ。それとも歴史的建造物というべきか。
古川橋駅の手前で京阪本線の北側に出る。
八坂神社 《地図》
客間(国登録有形文化財)
道標③(右の電柱脇) 《地図》
「左守口街道」・「右守口街道 左徳庵八尾道」で左折して古川の人道橋を渡る。
古川橋 《地図》
「古川橋あたりは京大坂への道と清滝街道(守口街道のこと)が交わる交通の要所で料亭などの店が軒を並べ賑わいました」とある。
茨田堤の鎮守として創建。
(伝)茨田堤(まんだのつつみ)跡 《地図》
茨田堤ゆかりの所は、『京街道③』にもある。
第二京阪道路をくぐり、国道163号を横切って行く。
「ねや川 文化と歴史のみち」沿いを進む。
案内図を持っているのは「鉢かづき姫」で、東高野街道の「打上げの四ツ辻」には、頭にすっぽりと鉢を被った鉢かづき姫が立っていた。
鶯関(おうかん)神社 《地図》
古代の奈良への「行基みち」(守口街道)の要衝地で関所があり、このあたりは鶯の名所だったという。
「我が思ふ こころも尽きぬ ゆく春を 越えずもとめよ うぐひすの関」(康資王の母)
竹内街道の竹内峠には、この歌の歌碑が立っている。時代的にはこちらの方がふさわしいか。
説明板(十三仏板碑・梵鐘・行基みちと鶯の関跡)
左手前(明治37年):「右守口街道」・「左守口街道」・「すぐ守口街道」
左後ろ(慶応2年(1866)):「右大峯山 なら いせ 道」・「右 やはた 柳谷 左 大坂 もり口 道」
ここを清滝街道の起点としている。「やハたみちすじ」は、この先の東高野街道との交差地点から北に東高野街道を進んで石清水八幡宮への道ということか。
堀溝交差点で国道163号に出て・四條畷市に入り、蔀屋東交差地点で左へ旧道を進む。
③が雁塔の所
このあたりはまだ名前負けしている流れだ。
左は中野交番
東高野街道分岐地点 《地図》
道標⑤(左の民家前):左は「右清滝街道 すぐ東高野街道」、
中は「靍澤亀梥 東いせなら 南かりや 門弟中」で、文楽三味線師匠の靍澤亀梥(かめさわかめまつ)の遺徳を顕彰しての建立とか。
右の地蔵(寛政10年(1798))には「右ならいせ道 左京やハた道」
手前の清滝川沿いには、小さな「三坪橋」の標石がある。ここを守口街道の終点、清滝街道(直進)の起点とし、左折して東高野街道を進んで忍ケ丘駅に向かった。
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