山根街道
2016年5月9日・12日
星田駅(JR片町線)・東高野街道・・・星田一里塚跡・・・府道20号・・・(第二京阪道)・・旧道・・・道標①②・山根街道分岐地点・・・万葉歌碑・逢合橋(平野川)・・砂子橋(前川)・・砂子坂交差点・磐船街道交差地点・・・(京阪交野線)・・私部地区・・北川家住宅・道標③・・・札之辻橋(在中川)・・・無量光寺・・・(免除川)・・・大仏坂・・・道標④・・・二平川の洗場跡あたり・・・外池・・倉治桜堤交差地点・府道736号・・・(枚方市)・・・かご池跡碑・・・(津田駅)・・・津田踏切(片町線)・・・尊光寺・・・道標⑤・・・春日神社・・・(穂谷川)・・・(藤阪駅)・・・府道736号・・・菅原神社参道・・・菅原交差点・・勝園寺・・・長尾駅(片町線)・(5/12日)・・府道736号・・・菅原交差点・府道735号・・・長尾地区・・・八幡橋(船橋川)・・・家具団地・・・長尾峠・・・(京都府八幡市)・・・八幡南山交差点(京阪国道)・・・東高野街道合流地点・・・(略)・・・八幡市駅(京阪本線)
東高野街道から枚方市の茄子作で分かれて交野市に入り、私部・倉治を通って再び枚方市に入り、津田・藤阪・長尾を北上し、長尾峠を越えて京都府八幡市に入って東高野街道に合流する山根街道を行く。
【ル-ト地図】
星田駅から雨の東高野街道を北上する。
府道20号に出て第二京阪道を横切り、左に旧道に入る。
東高野街道との分岐地点 《地図》
道標①(明治37年):「右 山根街道 すぐ東高野街道・・・・」
道標②(安政2年(1855)):「大峰山 右 宇治 左 京 八幡 道」と地蔵(享保10年(1725))が立つ。
下流には織姫と彦星の橋渡しをした鳥の鵲(かささぎ)橋がある。『京街道②』
すぐ先で前川の砂子(すたこ)橋を渡り、磐船街道と交差する。
砂子(すたこ・すだこ)坂 《地図》
傾斜はほとんどいない。「砂子」の由来は、「洲田のある高台へ上る坂」という意だそうだ。詳しくは『交野物知り辞典』で。
京阪交野線の踏切を渡り、私部(きさべ)地区へと進む。
蔵の向かい側に道標③が立つ。
正面に、「大峯山五十度供養」・左側面に、「左 京 よど あたご やわた 伏見 う治 すぐ いせ いか なら」
長さが約56mで、民家では日本一という。
古い橋桁と親柱だ。
大仏坂(坂下方向) 《地図》
奈良東大寺の大仏の鋳型に銅を流し込む作業が上手くいかず、宇佐八幡宮の付近にいる渡来技術者に来てもらった。彼らは交野の傍示に上り、生駒の傍示に通じる「大仏の道」を通って東大寺に急いだ。無事にその仕事を終えた技術者がこの地区で仏像を作った、または住み着いたとされる。
道標④ 《地図》
「右 京八王多道」・「すぐひらかた」・「すぐたき 」で、石清水八幡宮、枚方、源氏(倉治)の滝。
二平川の洗い場跡あたり 《地図》
西側にある家の屋号が「二平」といい、この洗い場は、村の人々の語らい、息抜きの場だった。家で親夫婦、年寄りが昼寝をしている間にそっと洗濯に来たそうだ。
倉治桜堤交差地点で府道736号に出る。
枚方市に入る。
山下政太頌徳碑
「津田そうめん」作りの尽力者
右折して津田踏切を渡る。
道標⑤(天保12年(1841)) 《地図》
「右ひらかた 左のざき大坂道」
穂谷川の橋に「山根街道」 《地図》
藤阪駅をくぐって府道736号に出る。
参道は線路で分断されている。どしゃぶりの雨で参拝する気もないが。
府道から離れ左に府道735号に入って行くのが旧道だが、傘をさしていてもずぶ濡れの状態で寒くなってきた。今日はここまでとし長尾駅に向かった。
ここからは5月12日に歩いた。
長尾地区の家並み① 《地図》
船橋川を渡る。
団地といっても19店舗しかないようだが。
京都府八幡市との境の長尾峠へ上って行く。《地図》
ここは長尾峠町で、正面奥は摂南大学。
長尾峠から下り京都府八幡市に入り、八幡南山交差点(京阪国道)を横切る。
東高野街道合流地点 《地図》
北から来た東高野街道はここを右折(写真では左折)して行く。東高野街道を歩いた時は京阪国道に出て、洞ヶ峠の方へ迂回して行った。ここに立っていた道標は、トラックがぶつかりへし折られて撤去され、今は「ふるさと学習館」《地図》の敷地に転がしてあるらしいが未確認。
この先、八幡市駅までは『東高野街道①』に記載。
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