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2016年6月 2日 (木)

中高野街道①

2016年5月5日

守口市駅(京阪本線)・・・京街道・中高野街道分岐地点・十三夜坂・・・(京阪本線)・・・高瀬神社・・高瀬川跡・・・護念寺・・・道標?・地蔵祠・(大阪市)・・八幡大神宮・・・花博記念公園鶴見緑地・・・(鶴見通り)・・・放出大橋(寝屋川)・・・正因寺・中高野街道標石・・・子安地蔵・・・阿遅速雄神社・・・放出街道踏切(片町線)・・・古大和橋(第二寝屋川)・・新田橋(長瀬川)・放出の渡し跡あたり・・・諏訪神社・・・(阪神高速13号線)・・龍光寺・・・深江稲荷神社・・・聖源寺ゆかりの碑・念唱寺・・・暗越奈良街道交差地点・・・「ブランドーリふせ」商店街・・・布施駅(近鉄大阪線)

 京街道の守口宿から十三夜坂を下り、南下して暗越奈良街道竜田越奈良街道と交差し、大和川を渡り長尾街道竹内街道を横切り、河内長野市で西高野街道と合流する中高野街道を歩く。

  【ル-ト地図】(布施駅(10.1km)まで)

Img_0044高野街道概略図

下高野街道と中高野街道が西高野街道に合流し、さらに河内長野で東高野街道と合流し、高野街道となって高野山へと続いて行く。

Img_6070京街道の文禄堤からの分岐地点 

ここが中高野街道の起点で、左へ十三夜坂を下って守口市駅ををくぐって行く。《地図

Img_6074道標

直進が中高野街道、左折が三郷街道。三郷は守口市と合併した三郷町で、奈良県の龍田大社のある三郷町ではないようだが。

Img_6077案内図

「高瀬・世木(せぎ)の道」が中高野街道、上部で京街道から分かれる奈良街道が、守口街道→清滝街道→竜田越奈良街道で奈良へ通じている。

Img_6079高瀬神社

クスノキ・イチョウ・クヌギなどの大木に囲まれている。

Img_6080説明板

Img_6085高瀬川跡 《地図

歌枕の「高瀬の」・「高瀬の里」の地で、昭和30年頃まで流れていたようだ。

「水まさる 高瀬の淀の 真菰草 はつかに見ても 濡るゝ袖かな」(殷富門院大輔
「さしのぼる 高瀬の里のいたずらに 通う人なき 五月雨の頃」(衣笠内大臣

Img_6087説明碑

「かつて淀川の本流であった・・・」とある。

Img_6090高瀬町の旧家

Img_6093

Img_6097護念寺(世木御堂) 《地図

大塩平八郎の門弟の橋本忠兵衛(ほおずき忠兵衛)の墓がある。大塩平八郎が近郷の農民に陽明学を講義したという旧白井氏宅が京街道の守口宿にある。

大阪市に入る。

Img_6102八幡大神宮(不焼宮)

Img_6103花博記念公園鶴見緑地地図

Img_6108放出(はなてん)大橋から寝屋川

Img_6109桝形の名残りか(正因寺手前)

Img_6110正因寺《地図

「中高野街道」の標石と説明板がある。

Img_6114説明板

「放出(はなて)の渡し」で、「はなてん」ではない?

Img_6125阿遅速雄神社

右にお蔭灯籠

Img_6124説明板

Img_6130標石

Img_6129説明板

放出街道踏切(片町線)と古大和橋(第二寝屋川)を渡る。

Img_6141長瀬川(新田橋)渡る。《地図

旧大和川の本流で、放出の渡し跡あたりか。すぐ下流で第二寝屋川に合流する。

大阪市と東大阪市の境(摂津国と河内国)を南下する。

Img_6150諏訪神社

Img_6153説明板

Img_6147菅公腰掛石

大宰府へ配流される途中で菅原道真は、竜田越奈良街道沿いの新家天満宮、紀州街道沿いの船待神社でも休憩している。

Img_6146由来

Img_6149函館戦争(五稜郭の戦)での官軍の大砲と砲弾

Img_6148「官軍攻五稜郭」とある。

深江稲荷神社には新しい万葉歌碑が立てられていた。『暗越奈良街道①』に追記。

Img_6170念唱寺前の聖源寺ゆかりの碑(享保12年(1727)) 《地図

聖源寺は明治5年に廃寺になったそうだ。

Img_6167説明板(念唱寺)

Img_6172暗越奈良街道交差地点 《地図

「ブランドーリふせ」商店街の中を通り、布施駅まで行った。

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