中高野街道①
2016年5月5日
守口市駅(京阪本線)・・・京街道・中高野街道分岐地点・十三夜坂・・・(京阪本線)・・・高瀬神社・・高瀬川跡・・・護念寺・・・道標?・地蔵祠・(大阪市)・・八幡大神宮・・・花博記念公園鶴見緑地・・・(鶴見通り)・・・放出大橋(寝屋川)・・・正因寺・中高野街道標石・・・子安地蔵・・・阿遅速雄神社・・・放出街道踏切(片町線)・・・古大和橋(第二寝屋川)・・新田橋(長瀬川)・放出の渡し跡あたり・・・諏訪神社・・・(阪神高速13号線)・・龍光寺・・・深江稲荷神社・・・聖源寺ゆかりの碑・念唱寺・・・暗越奈良街道交差地点・・・「ブランドーリふせ」商店街・・・布施駅(近鉄大阪線)
京街道の守口宿から十三夜坂を下り、南下して暗越奈良街道、竜田越奈良街道と交差し、大和川を渡り長尾街道、竹内街道を横切り、河内長野市で西高野街道と合流する中高野街道を歩く。
【ル-ト地図】(布施駅(10.1km)まで)
下高野街道と中高野街道が西高野街道に合流し、さらに河内長野で東高野街道と合流し、高野街道となって高野山へと続いて行く。
京街道の文禄堤からの分岐地点
ここが中高野街道の起点で、左へ十三夜坂を下って守口市駅ををくぐって行く。《地図》
直進が中高野街道、左折が三郷街道。三郷は守口市と合併した三郷町で、奈良県の龍田大社のある三郷町ではないようだが。
「高瀬・世木(せぎ)の道」が中高野街道、上部で京街道から分かれる奈良街道が、守口街道→清滝街道→竜田越奈良街道で奈良へ通じている。
クスノキ・イチョウ・クヌギなどの大木に囲まれている。
高瀬川跡 《地図》
歌枕の「高瀬の淀」・「高瀬の里」の地で、昭和30年頃まで流れていたようだ。
「水まさる 高瀬の淀の 真菰草 はつかに見ても 濡るゝ袖かな」(殷富門院大輔)
「さしのぼる 高瀬の里のいたずらに 通う人なき 五月雨の頃」(衣笠内大臣)
「かつて淀川の本流であった・・・」とある。
大塩平八郎の門弟の橋本忠兵衛(ほおずき忠兵衛)の墓がある。大塩平八郎が近郷の農民に陽明学を講義したという旧白井氏宅が京街道の守口宿にある。
大阪市に入る。
八幡大神宮(不焼宮)
花博記念公園鶴見緑地 《地図》
正因寺《地図》
「中高野街道」の標石と説明板がある。
「放出(はなて)の渡し」で、「はなてん」ではない?
右にお蔭灯籠
放出街道踏切(片町線)と古大和橋(第二寝屋川)を渡る。
旧大和川の本流で、放出の渡し跡あたりか。すぐ下流で第二寝屋川に合流する。
大阪市と東大阪市の境(摂津国と河内国)を南下する。
大宰府へ配流される途中で菅原道真は、竜田越奈良街道沿いの新家天満宮、紀州街道沿いの船待神社でも休憩している。
函館戦争(五稜郭の戦)での官軍の大砲と砲弾
深江稲荷神社には新しい万葉歌碑が立てられていた。『暗越奈良街道①』に追記。
念唱寺前の聖源寺ゆかりの碑(享保12年(1727)) 《地図》
聖源寺は明治5年に廃寺になったそうだ。
暗越奈良街道交差地点 《地図》
「ブランドーリふせ」商店街の中を通り、布施駅まで行った。
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