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2016年6月 9日 (木)

中高野街道③

2016年5月10日

河内松原駅(南海高野線)・・・道標①・・・浄光寺・・・道標②・竹内街道交差地点・・・(中央環状線)・・・(堺市)・・・美原ふる里公園・・・(阪和道)・・・(国道309号)・・牛池・・舟渡池・・・(大阪狭山市)・・・道標③・菅生神社鳥居・・・旧道・・・常夜灯・・・大鳥池・・・地蔵堂・・・地蔵堂・・・(南海高野線)・・・狭山藩陣屋跡・・・下高野街道合流地点・・・報恩寺・・道標④・・・説明板(下高野・中高野街道)・・・(南海高野線踏切)・地蔵祠・道標⑤・・・(大阪狭山市3号踏切)・・・中高野街道標柱・・・常夜灯・・・風輪寺・・・西除川・・・春日神社・・・西高野街道合流地点・道標⑥⑦・・・千代田駅(南海高野線)

  【ル-ト地図】(河内松原駅(25km)から)

Img_6768道標①(天保5年(1834)・新堂3丁目)

「右 平野 大坂 道」・「左 さかい 住よし 道」・「すぐ かうやよしの 道」

Img_6774竹内街道交差地点 《地図

道標②(寛政9年(1797)・交差点右の電柱脇):「左 さやま 三日市 かうや 道」・「左 さかい」・「右 ひらの 大坂」

Img_6786美原ふる里公園 《地図

美原は河内鋳物師の発祥地という。奥は「みはら歴史博物館

Img_6784説明板

阪和道をくぐり、国道309号を横切る。

Img_6792舟渡池

大阪狭山市に入る。

Img_6796菅生神社鳥居 《地図

道標③(慶応2年(1866)):「すぐ 三日市 高野山」・「すぐ 平野総本山 大阪天王寺、右 藤井寺 誉田八幡宮 道明寺

Img_6802府道198号から分かれ左の旧道を進む。

右は天満宮の常夜灯

Img_6806中高野街道のプレート

Img_6810大鳥池

府道に出て南海高野線をくぐる。

Img_6819狭山藩陣屋跡

このあたりは上屋敷跡

Img_6821説明板

Img_6822位置図

Img_6823長屋門

Img_6824下高野街道合流地点あたり  《地図

下高野街道は、おわり坂の坂下の上三津屋橋(三津屋川)で西高野街道と合流するのが本道だろう。

Img_6829地蔵の石祠・報恩寺の説明碑(交差点手前の右側)

左の祠内の地蔵が説明碑の「恋坂地蔵」ではないようだ。

Img_6828説明碑

Img_6831報恩寺

狭山藩北条氏の位牌所

大阪狭山市駅方向に向かう。

Img_6832道標④(天保11年(1840)):「こいさか 子安地蔵尊」

かつては大阪狭山市駅の東側にあった地蔵寺の本尊だった子安地蔵で、現在は報恩寺に伝わる「恋坂地蔵」のことのようだ。

Img_6835説明板

下高野街道は狭山池の南西で西高野街道に合流する。

Img_6839地蔵祠・常夜灯・道標⑤(大阪狭山市駅前の踏切を渡った所)

常夜灯の前の古い道標は、「右こうや 左よしの」
恋坂子安地蔵の地蔵寺があったのはこのあたりか?

南海高野線沿いを南下し、大阪狭山市3号踏切で渡り返す。

Img_6847中高野街道標柱と説明板

Img_6849説明板

狭山神社・狭山池は『天野街道』に記載。

金剛駅前を過ぎて行く。

Img_6855風輪寺(右) 《地図

融通念仏宗の寺で、本尊は春日仏師の作と伝える子安地蔵尊で、古くから安産厄除の寺として知られている。本堂には、国の重要文化財に指定されている『絹本著色釈迦如来及四菩薩像』が所蔵されている。

この先で坂を下って西除川の方に下りてしまった。川沿いを進み府道に出て、松ヶ丘歩道橋の所で中高野街道に戻った。

Img_6872府道を横切って直進(南下)するのが中高野街道 《地図

Img_6876緩やかな坂を上る。

Img_6877常夜灯の右から来る西高野街道

Img_6883振り返る。《地図

右が中高野街道、左が西高野街道で、道標⑥(天保7年(1836))は、「右平野迄四里、左さかい大坂」
地蔵堂内の地蔵の前面は道標⑦で、「右ハ平野道 左ハ堺大坂道」か?

西高野街道を進み、千代田駅に向かった。

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