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2016年6月 7日 (火)

中高野街道②

2016年5月6日

布施駅(近鉄奈良線)・・・足代安産地蔵尊・・布施戎神社・・・(国道479号(内環状線))・・・偏増寺・・・清見原神社・・・薬泉寺・・・道標・・・加美巽川(下足代橋)・・・旧巽村役場跡・・・念仏堂・・・(内環状線)・・・巽神社・・光西寺・・・市町踏切(JR関西本線)・・・(平野川)・・・河骨池口地蔵・・・竜田越奈良街道交差地点(宮前東交差点)・・・樋ノ尻口地蔵・・・赤留比売女神社・・櫻井寺・・・政所筋・・・流口地蔵・・・(南港通り)・・・喜連地区・北口地蔵・・楯原神社・・屋敷小路・・馬倉地蔵・・道標地蔵・・・かっつらかい跡(長居公園通り)・・・瓜破天神社・・・阪和貨物線跡・・・道標地蔵・・高野大橋(大和川)・・・光南地蔵・・・(松原市)・・・(阪神高速14号線)・・・屯倉神社・酒屋神社・・梅松院地蔵・・・一里塚跡あたり・・・海泉池・・阿保神社・・・長尾街道交差地点・阿保茶屋跡・・・河内松原駅(南海高野線)

  【ル-ト地図】(布施駅(10.1km)→河内松原駅(25km))

Img_6174足代(あじろ)安産地蔵(永禄5年(1562)) 《地図

もとは聖源寺(明治5年廃寺・前回記載)に祀られていたこともあるそうだ。

Img_6175略記

Img_6177布施戎神社

もとは都留弥神社の地

Img_6179説明板

布施本町商店街を抜け、右折して西に向かい、国道479号を横切って行く。

Img_6189清見原神社 《地図

天武天皇の飛鳥浄御原(きよみはら)宮からの社名と伝える。

Img_6194道標(巽中1-10あたり)

「左信貴山」・「右大坂」

Img_6207巽村役場跡 《地図

巽村→巽町→大阪市生野区巽中

Img_6203説明板

巽南3交差点の先で左折し、内環状線を渡り巽神社前を右折し南下する。

Img_6220巽神社 《地図

Img_6221由緒

JR関西本線、平野川を渡り環濠自治都市の平野地区に入る。『平野郷を歩こう

Img_6234河骨池口(こおのいけぐち)地蔵 《地図

平野郷十三口の一つで、平野川を運航していた柏原船の船入(発着場)だった河骨池跡という。このあたりを市の浜といい、問屋・宿屋などが立ち並び、船会所もあってたいそう賑わっいたそうだ。
地蔵堂は岩村食堂の一画にある。地蔵さんもひもじい思いはすまい。柏原駅近くには、柏原舟の舟だまり跡がある。『竜田越奈良街道②』に記載

Img_6237竜田越奈良街道交差地点 《地図

交差点を渡った角に道標(弘化2年(1845))

「すぐ 道明寺 左 志ぎ山」・ 「右 ふじいでら 大峯山上」・「すぐ 玉つくり 左 天王寺」

Img_6241樋ノ尻口地蔵(平野公園の手前)

Img_6243説明板

大坂夏の陣での真田幸村と徳川家康の逸話が載る。

Img_6244赤留比売女神社(三十歩神社) 《地図

Img_6245説明板

Img_6247平野公園

環濠跡

Img_6250政所筋を進み中高野街道に戻る。

Img_6249説明板

Img_6253流口地蔵(南港通りの手前)

南港通りを横切って南下し、ここも環濠集落だった喜連(きれ)地区に入る。

Img_6257喜連地区の旧家

Img_6260北口地蔵 《地図

喜連の環濠集落の七口の一つ。軒下は中高野街道を往来する人々の雨宿りの場にもなっていたという。

Img_6262_3説明板

Img_6263説明板

Img_6264喜連環濠地区案内図

Img_6267楯原神社

Img_6268説明板

Img_6273喜連地区の家並み

右に中高野街道道標(天保4年(1833)建立の復元):「すぐ こう野 左 ふぢゐ寺」・「すぐ ひらの 大坂 左 住吉」

Img_6279屋敷小路

江戸時代の住宅街の姿を残している。

Img_6285説明板①

Img_6286

Img_6291馬倉地蔵

馬倉は中世の喜連城の大手前という。

Img_6292説明板

Img_6295道標地蔵(嘉永4年(1851))

正面に、「? すみよし さかひ」・
裏面に、「すぐ 大念仏寺 十八丁 天王寺 一里半」

Img_6305「かっつらかい」跡(河内と摂津の国境の堤防跡)の長居公園通りを横切って瓜破(うりわり)地区へ進む。

Img_6307瓜破天神社

道昭がこの地で修行中に、天神の霊像が現れた。そこで瓜を割って供えたのが、「瓜破」という地名の起源の一つという。

Img_6308説明板

Img_6311阪和貨物線

線路も撤去されている。

Img_6314大和川に突き当たる。

このあたりに旧高野(こうや)大橋が架かっていた。左に地蔵の祠

Img_6315地蔵の台座

「右 かうや ・・・ 左 ひらの・・・」?

Img_6318少し下流で高野大橋を渡る。

Img_6319説明板

大和川を渡って、少し進むと松原市に入り、三宅地区から阿保親王ゆかりの阿保地区へと進む。雨脚が強くなってきた。 『中高野街道と6商店会

Img_6330屯倉神社 《地図

Img_6333説明板

Img_6335酒屋神社(境内社)

Img_6339梅松院地蔵(宝永3年(1706))

Img_6340一里塚跡あたり(阿保5丁目交差点)

三宅と阿保との境界付近で、摂津の平野から一里の場所。「一里山」の小字名が残るそうだ。

Img_6342海泉池

阿保(あぼ)親王が掘った灌漑池の一つと伝えられ、親王池ともいう。

Img_6348海泉池満水石(右)・説明碑

海泉池の堰高を決める石で、文化5年(1808)6月に西阿保村と三宅村が立ち会い、堰高7寸5分と決めたそうだ。

Img_6344説明板

Img_6351阿保(あお)神社 《地図

菅原道真は大宰府へ流される途中で、ここでも休憩したようだ。新家天満宮(竜田越奈良街道②)・諏訪神社(中高野街道①)・船待神社(紀州街道①)でも休憩している。

本殿横の大クスは阿保親王のお手植えとか。芦屋市の山陽道沿い近くには、親王の別邸跡に建てられた菩提寺の親王寺がある。

Img_6350説明板

Img_6354長尾街道交差地点 《地図

交差点付近は阿保(あおん)茶屋跡で、多くの茶屋が並んでいたという。

降りしきる雨の中、この先の河内松原駅までとした。

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