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2016年7月31日 (日)

深大寺道

2016年7月25日・26日

東所沢駅(JR武蔵野線)・・・下組八幡稲荷神社・・・滝城跡(滝の城址公園)・・・城前橋(柳瀬川)・(清瀬市)・・・庚申塔・・円通寺・・・上宮稲荷神社・・・清瀬旭が丘団地・・・(新座市)・桜株通り・・・志木街道・・富士見新通り・・(陣屋通り)・・・総合運動公園・米軍通信施設・・・西堀公園交差点(水道通り)・野火止用水・庚申塔祠・・・野猿坂・・・神宝大橋(黒目川)・・・馬頭観音・・・(西東京市)・・・(ひばりヶ丘駅(西武池袋線))・・・東禅寺・・・尉殿神社・・・宝晃院・・・榎の木の庚申様・・・宝樹院・・・(保谷街道)・・・(新青梅街道)・・・(富士街道)・・・六角地蔵尊・・西武新宿線踏切・・・青梅街道交差地点・六郷田無道合流地点・・・深大寺通り・・・境橋(石神井川)・・・ほうろく地蔵堂・・・馬頭観音道標・・・武蔵野大学前交差点・五日市街道合流地点・千川上水・(武蔵野市)・・・御門訴事件記念碑・五日市街道分岐地点・大師通り・・・市民の森公園・・・境浄水場迂回・・・大橋(玉川上水)・・・武蔵境駅(JR中央線)・(26日)・・・大鷲神社・・三鷹市塚交差点・六郷田無道分岐地点・(三鷹市)・・・庚申塚・・井口八幡神社・・・上連雀浄水場・・・野崎交差点(人見街道交差地点)・・・野崎八幡神社・・(東八通り)・・(調布市)・・・庚申塔・・・三鷹通り・・・あおなみさんの坂・・青渭神社・・・稲荷坂上多聞院坂(深大寺東参道)・・神代水生植物園・深大寺城跡・・・城山の坂下・・・仁王坂・・・池上院・・・橋場橋(野川)・・・御塔坂橋(野川)・・御塔坂交差点・佐須街道・・・(中央自動車道)・・・又住橋(野川)・・・稲荷神社・・虎狛神社・・・(三鷹通り)・・・祇園寺・・・(原山通り)・・・甲州街道合流地点・・・柴崎駅(京王線)

 深大寺道は前回歩いた牟礼道に対するもので、河越上杉氏の河越城難波田城柏城-滝城-深大寺城を結ぶ軍道という。『武蔵古道ロマンの旅』(芳賀善次郎)
 滝城から南に深大寺城跡まで行き、御塔坂下から佐須街道を東に、甲州街道との合流地点まで歩く。

  【ル-ト地図

Img_7328下組八幡稲荷神社地図

Takijyou滝の城本丸跡(滝の城址公園) 

戦国時代に武蔵国の多摩・入間・高麗郡を支配した山内上杉氏の家臣大石氏が築城。天文15年(1546)の「河越夜戦」で上杉方が敗れたため、北条氏照の滝山城の支城となった。天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城した。平山城式で、別名を本郷城という。
この城は、『所沢市の坂③』に記載

Img_7331城前橋(柳瀬川)から滝城跡方向 《地図

円通寺・上宮稲荷神社は『清瀬市の坂』に記載

Img_7355米軍通信施設沿いを南下する。

ここは歩道がついていて歩きやすい。

Img_7356水道通り・野火止用水と交差する。《地図

庚申塔と馬頭観音の祠がある。

Img_7362野火止用水

Img_7364野猿坂を神宝大橋の方へ下る。《地図

このあたりは昔は猿も出たのだろう。

Img_7368神宝大橋から

左から落合川が黒目川に合流する。

西東京市に入り、ひばりヶ丘駅(西武池袋線)を横切って行く。

Img_7375尉殿(じょうどの)神社  《地図

Img_7379宝晃院

「保谷四軒寺」の一つ

Img_7380説明板

木彫彩色倶利迦羅不動明王像

Img_7383水子地蔵(明和8年(1771))

Img_7381説明板

Img_7388
榎の木の庚申様(左) 《地図

Img_7387青面金剛庚申塔(正徳4年(1714))

Img_7386説明板

Img_7390宝樹院

Img_7391説明板

一文銭向い目絵馬

Img_7397六角地蔵尊(六角地蔵石憧)(寛政7年(1795)) 《地図

「つや」という女性と「光山童子」の菩提を弔うために建立。ここは富士街道と深大寺道との交差点で、脚部は道標になっている。

Img_7396説明板

西武新宿線の踏切を渡り、青梅街道との交差地点で六郷田無道と合流して南下し、三鷹市塚交差点で分かれて行く。その間は『六郷田無道』に記載。

ここから26日

Img_7401大鷲神社 《地図

地元では「お西棟」と呼ばれ、社名碑の揮毫は武者小路実篤によるそうだ。

Img_7400塚交差点

六郷田無道は左折、深大寺道は直進。

Img_7409庚申塚 《地図

後ろは庚申株式会社・庚申マンション

Img_7406井口八幡神社

Img_7411上連雀浄水場 《地図

大地震の時などの応急給水所

Img_7415人見街道交差地点(野崎交差点) 《地図

Img_7420野崎八幡神社

盆踊りの準備だろう。右奥に薬師堂がある。毎年10月8日薬師の縁日の夜には、地元の人達によって「団子まき」の供養が行われ賑わうそうだ。

東八通りを横切り、調布市に入り三鷹通りに通じる道を進む。

Img_7422緑の残る道だ。

Img_7423庚申塔(寛延元年(1748))と後ろは地蔵か 《地図

すぐ先で三鷹通りに出て、「あおなみさんの坂」を南下する。

Img_7433青渭(あおい)神社ケヤキ

『江戸名所図会』などにも記された巨木だが、今は鉄柱に支えられている。境内にあった大池の湧水が青波のように見えたことから「青波天神社」とも称されていた。

深大寺とその周辺は、『調布市の坂③』・『調布市の坂①』に記載。

Img_7440深大寺城跡空堀跡

Img_7442第一郭跡(本丸跡) 《地図

築城年は不明だが、武蔵七党の狛江氏の築城とも伝承される。16世紀には扇谷上杉氏が北条氏に対する南武蔵の防衛拠点としていた。天文6年(1537)には上杉朝定が難波田弾正広宗に命じて深大寺城を増築させたが、北条氏綱が深大寺城を迂回して扇谷上杉氏の本拠の河越城を攻略したことにより、戦略的価値が失われ廃城となった。

ここを深大寺道の終点とし、御塔(おとう)坂下の佐須(さず)街道に向かう。

Img_7458御塔(おと)坂橋から野川 

Img_7461御塔(おとう)坂交差点 《地図

ここを左折するのが佐須(さず)街道。
「佐須」の地名由来は、①佐須村名主の温井三郎左衛門の先祖の佐須豊後の姓にちなむ。②佐須は滞水地域の中の砂州であるといったり、枝から新しい芽が出るのをサスということから、親村に対する分村の意味。③古代に渡来の高麗()人が開拓した焼畑を意味する、「サス」・「サシ」に由来する。などがある。
 このあたりを「の里」というのは、深大寺縁起に柏江という所が出てくることからとも、柏はの誤りで狛江市とともに古代の狛江郷のことであろうともいわれている。

Img_7468稲荷神社 《地図

創建年代等は不詳。又住地区の鎮守。

Img_7470虎狛(こはく)神社の社叢

角の2基の庚申塔の右側のは宝暦7年(1757)に、佐須村講中15名が建立。

Img_7474虎狛神社

狛江郷(現在の狛江市と調布市あたり)に住居を定めた渡来人の集落神として祀られたものという。

Img_7473説明板

Img_7477説明板

Img_7478佐須町交差点・「佐須街道」の標識

ただの車道で面白味のある道ではない。

Img_7484祇園寺  《地図

中西悟玄(中西悟堂の養父)が住職となり、明治41年に自由民権運動家の慰霊祭を当寺で行った。境内に板垣退助が植えた2本の「自由の松」がある。右の唐様石人像(向かい側にもある)は、池貝鉄工所社長の別荘にあったものを戦後移したものだそうだ。

Img_7482説明板

Img_7489旧家の長屋門?

Img_7490古そうな蔵

長屋門とは別の家

Img_7496甲州街道合流地点 《地図

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2016年7月30日 (土)

牟礼道

2016年7月20日・21日

北朝霞駅(JR武蔵野線)・・・岡橋(黒目川)・・・岡城跡(城山公園)・・・城山通り・・・東円寺・・・中道跨線橋(東武東上線)・・斜めの坂・・・氷川神社・・・溝沼氷川神社・・・綿屋の坂坂下・・・聖観世音堂・・泉蔵寺・・・一乗院閻魔堂・・・膝折町1丁目交差点・川越街道膝折宿・・・道標・・・子之神氷川神社・・・(陸上自衛隊朝霞駐屯地・新座市営墓園迂回)・・・山川橋(黒目川)・・・市場坂橋(黒目川)・・・(練馬区)・・・(関越道)・・・清戸道交差地点(都道24号大泉西中入口交差点)・・・横山道交差地点(丸山東橋交差点)・・・妙福寺・・・保谷駅(西武池袋線)・(21日)・・・(旧早稲田通)・・・富士街道・・・高塚交差点・・・(新青梅街道)・・・西武新宿線踏切・・・武蔵関公園・・溜渕橋(石神井川)・・・(青梅街道)・・・千川上水・・・更新橋の庚申塔・・・(武蔵野市)・・・武蔵野中央交差点・五日市街道・・・吉祥寺北町交差点・成蹊通り・・・(JR中央線)・・・(三鷹市)・・井の頭公園・・井の頭通り・・・井の頭橋(玉川上水)・・・牟礼二丁目交差点・人見街道交差地点・道供養塔・地蔵・・・牟礼の里公園・・・牟礼城跡(牟礼神明社)・・・宮下橋(玉川上水)・・・三鷹台駅(井の頭線)

 小田原北条氏の軍道で、河越上杉氏の軍道の深大寺道に対するものとする牟礼(むれ)道(『武蔵野古道ロマンの旅』(芳賀善次郎))を、岡城跡から牟礼城跡まで行く。 

  【ル-ト地図

Okanosiroyama岡城跡(城山公園)

中世に築城された平山城で、築城者・城主は不明という。「新編武蔵風土記稿」には太田道灌や太田康資との関係も記されているという。城の北側斜面は低地を流れる黒目川が取り巻くように流れ、舌状台地上にあって天然の要塞となっていた。「案内図

Touennji東円寺

Hudounotaki不動の滝

弘法大師が錫杖をついた所から湧き出したという霊泉から流れ落ちる。滝の上に倶利伽羅竜王と不動明王が立っている。

中道跨線橋(東武東上線)を渡ると、「斜めの坂」の下りとなる。

Img_7197斜めの坂 《地図

Img_7203氷川神社

小さな社で、左に庚申塔と石尊大権現の石灯籠。

Img_7206溝沼氷川神社 地図

江戸時代に村人が畑から「地類権現」と彫られた石を発見し、領主の中山勘三郎が「地類権現社」を建てたのが始まりという。

Img_7205由緒

Img_7212聖観世音堂・泉蔵寺

Img_7215銅鐘(正徳4年(1714)・朝霞市指定文化財)

粉河市正作銘のある市内最古の銅鐘

Img_7217一乗院閻魔堂 《地図

Img_7218薬師坐像が本尊で閻魔大王は脇役か。

膝折町1丁目交差点を左折し、川越街道の膝折宿を進む。このあたりは、『川越街道の坂』・『川越街道』に記載。

Img_7223道標(明治42年) 《地図

「子之神たき」でここを右折して行く。

Img_7233子之神氷川神社地図

子之神滝は見当たらない。自衛隊朝霞駐屯地ができて消滅してしまったのか?

Img_7234由緒

陸上自衛隊朝霞駐屯地・新座市営墓園を迂回して、黒目川沿いを進む。

Img_7242市場坂橋を渡る。

鶴が未来に向ってはばたく姿をイメージしているという橋。昔の板橋だった頃の板橋供養塔が馬頭観音とともに橋の歩道の脇に保存されている。ここは妙音沢に近く茶店もあり、市も立ち賑わった所という。『朝霞市の坂-2・新座市の坂-3』に記載

墓園の正門前で右折し南下して行く。《地図

新座市と練馬区の境を進み、関越道の手前で練馬区に入る。

Img_7257清戸道交差地点(大泉西中入口交差点) 《地図

妙福寺は『白子川を歩く』に記載。

今日は西武池袋線の手前までとし、右折して保谷駅に向かった。

ここから21日で雨中の行軍となった。旧早稲田通りを横切り、富士街道に出て少し西に進み、高塚交差点で左折し、新青梅街道を横切り、西武新宿線踏切を渡って行く。

Img_7277武蔵関公園沿いを進む。《地図

Img_7275富士見池

昔は「関の溜め井」と呼ばれた武蔵野台地の湧水によってできた池。

Img_7280石神井川(溜渕橋から上流方向)

Img_7282青梅街道との交差地点

横切れないので前方の東伏見四丁目歩道橋を渡る。

この先は江戸時代の五日市街道沿いの新田開発の新しい地割で、道筋は消滅したという。右折左折を繰り返しながら牟礼城跡を目指す。

Img_7285千川上水沿いを進む。

Img_7289更新橋の庚申塔 《地図》 

なぜ「庚申」橋でないのか?

Img_7291説明板

武蔵野中央交差点で左折し、五日市街道を少し進む。

Img_7297五日市街道は檜原、五日市から木材を運んだ道だった。

Img_7300井の頭公園の間を抜ける。

Img_7303井の頭橋から玉川上水 《地図

Img_7307牟礼二丁目交差点で人見街道にぶつかる。《地図

右角に道供養塔・地蔵

Img_7308道供養塔(文化9年(1812))・地蔵

地蔵尊は行き倒れになった僧を弔うために建てられたとも。

Img_7318ここにあった石灯籠

現在は牟礼神明社に移設されている。

Img_7317説明板

Img_7310牟礼の里公園

三鷹市内で一番標高の高い所だそうだ。牟礼城跡の城域だったのかも。

Img_7313牟礼城跡(牟礼神明社

Img_7314説明板①

「北條綱種が深大寺城の相対して築陣した旧跡」とある。

Img_7317_2説明板②

「綱種は深大寺城に対峙して砦を築く」とある。

宮下橋(玉川上水)を渡って三鷹台駅に出た。

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