牟礼道
2016年7月20日・21日
北朝霞駅(JR武蔵野線)・・・岡橋(黒目川)・・・岡城跡(城山公園)・・・城山通り・・・東円寺・・・中道跨線橋(東武東上線)・・斜めの坂・・・氷川神社・・・溝沼氷川神社・・・綿屋の坂坂下・・・聖観世音堂・・泉蔵寺・・・一乗院閻魔堂・・・膝折町1丁目交差点・川越街道膝折宿・・・道標・・・子之神氷川神社・・・(陸上自衛隊朝霞駐屯地・新座市営墓園迂回)・・・山川橋(黒目川)・・・市場坂橋(黒目川)・・・(練馬区)・・・(関越道)・・・清戸道交差地点(都道24号大泉西中入口交差点)・・・横山道交差地点(丸山東橋交差点)・・・妙福寺・・・保谷駅(西武池袋線)・(21日)・・・(旧早稲田通)・・・富士街道・・・高塚交差点・・・(新青梅街道)・・・西武新宿線踏切・・・武蔵関公園・・溜渕橋(石神井川)・・・(青梅街道)・・・千川上水・・・更新橋の庚申塔・・・(武蔵野市)・・・武蔵野中央交差点・五日市街道・・・吉祥寺北町交差点・成蹊通り・・・(JR中央線)・・・(三鷹市)・・井の頭公園・・井の頭通り・・・井の頭橋(玉川上水)・・・牟礼二丁目交差点・人見街道交差地点・道供養塔・地蔵・・・牟礼の里公園・・・牟礼城跡(牟礼神明社)・・・宮下橋(玉川上水)・・・三鷹台駅(井の頭線)
小田原北条氏の軍道で、河越上杉氏の軍道の深大寺道に対するものとする牟礼(むれ)道(『武蔵野古道ロマンの旅』(芳賀善次郎))を、岡城跡から牟礼城跡まで行く。
【ル-ト地図】
中世に築城された平山城で、築城者・城主は不明という。「新編武蔵風土記稿」には太田道灌や太田康資との関係も記されているという。城の北側斜面は低地を流れる黒目川が取り巻くように流れ、舌状台地上にあって天然の要塞となっていた。「案内図」
弘法大師が錫杖をついた所から湧き出したという霊泉から流れ落ちる。滝の上に倶利伽羅竜王と不動明王が立っている。
中道跨線橋(東武東上線)を渡ると、「斜めの坂」の下りとなる。
斜めの坂 《地図》
小さな社で、左に庚申塔と石尊大権現の石灯籠。
江戸時代に村人が畑から「地類権現」と彫られた石を発見し、領主の中山勘三郎が「地類権現社」を建てたのが始まりという。
聖観世音堂・泉蔵寺
粉河市正作銘のある市内最古の銅鐘
膝折町1丁目交差点を左折し、川越街道の膝折宿を進む。このあたりは、『川越街道の坂』・『川越街道』に記載。
道標(明治42年) 《地図》
「子之神たき」でここを右折して行く。
子之神滝は見当たらない。自衛隊朝霞駐屯地ができて消滅してしまったのか?
陸上自衛隊朝霞駐屯地・新座市営墓園を迂回して、黒目川沿いを進む。
市場坂橋(黒目川)を渡る。
鶴が未来に向ってはばたく姿をイメージしているという橋。昔の板橋だった頃の板橋供養塔が馬頭観音とともに橋の歩道の脇に保存されている。ここは妙音沢に近く茶店もあり、市も立ち賑わった所という。『朝霞市の坂-2・新座市の坂-3』に記載
墓園の正門前で右折し南下して行く。《地図》
新座市と練馬区の境を進み、関越道の手前で練馬区に入る。
妙福寺は『白子川を歩く』に記載。
今日は西武池袋線の手前までとし、右折して保谷駅に向かった。
ここから21日で雨中の行軍となった。旧早稲田通りを横切り、富士街道に出て少し西に進み、高塚交差点で左折し、新青梅街道を横切り、西武新宿線踏切を渡って行く。
昔は「関の溜め井」と呼ばれた武蔵野台地の湧水によってできた池。
石神井川(溜渕橋から上流方向)
青梅街道との交差地点
横切れないので前方の東伏見四丁目歩道橋を渡る。
この先は江戸時代の五日市街道沿いの新田開発の新しい地割で、道筋は消滅したという。右折左折を繰り返しながら牟礼城跡を目指す。
千川上水沿いを進む。
更新橋の庚申塔 《地図》
なぜ「庚申」橋でないのか?
武蔵野中央交差点で左折し、五日市街道を少し進む。
五日市街道は檜原、五日市から木材を運んだ道だった。
右角に道供養塔・地蔵
地蔵尊は行き倒れになった僧を弔うために建てられたとも。
現在は牟礼神明社に移設されている。
三鷹市内で一番標高の高い所だそうだ。牟礼城跡の城域だったのかも。
牟礼城跡(牟礼神明社)
「北條綱種が深大寺城の相対して築陣した旧跡」とある。
「綱種は深大寺城に対峙して砦を築く」とある。
宮下橋(玉川上水)を渡って三鷹台駅に出た。
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