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2016年9月30日 (金)

江島道

2016年9月17日

藤沢駅(JR東海道線)・・・遊行寺橋(旧大鋸橋・境川)・江島弁財天大鳥居跡・道印石(江の島弁財天道標)①・江島道起点(東海道分岐地点)・・・砂山観音堂・鼻黒稲荷・・・白山宮・・・蔵まえギャラリー・・・道印石②・・・庚申堂・・・地下道(藤沢駅)・・・道印石③(砥上公園)・・・石上神社・・・上山本橋(境川)・石上の渡し跡・・・庚申塔道標・・・馬喰橋(立石堀)・・・岩屋不動尊・・・片瀬小学校・庚申塔・双体道祖神・・道印石④・・泉蔵寺・・・庚申塔・・・上諏訪神社・・密蔵寺・道標・・・道印石⑤・庚申塔・・・本蓮寺・・・片瀬市民センター・道印石⑥・・西行戻り松・道印石⑦・・・庚申塔・常立寺・伝元使塚・・・道印石⑧・・・湘南海岸公園6号踏切(江ノ電・江ノ島駅)・・・道印石⑨・・・江の島弁天橋・・・江の島(青銅の鳥居・・弁財天仲見世通り・・瑞心門・・道印石⑩・・辺津宮(江島神社)・・江島弁天堂(江島神社奉安殿)・・中津宮・・江の島大師・・奥津宮・・龍宮・・稚児ヶ淵・・江の島岩屋・・杉山検校の墓)・・・江の島弁天橋・・・片瀬江ノ島駅(小田急線)

 東海道藤沢宿の遊行寺橋を渡って左へ、江の島弁財天の大鳥居跡から道印石をたどりながら、江島道を江の島に向かう。
 久々の好天で土曜日、江の島ではかなりの人出を予想はしていたが、観光客にポケモン探しの連中も加わり、島から人が溢れ出しそうだった。

  【ル-ト地図

Img_9036遊行寺橋(旧大鋸橋(だいぎりばし)) 《地図

橋を渡って右に高札場、左に江の島弁財天の大鳥居があった。
左の蔵造りの建物は、「藤沢橋自動車排出ガス測定局」。遊行寺橋と合わせて東海道藤沢宿)にふさわしい造りにしたのか。
昭和初期の写真

Img_9043藤沢宿図

「江嶋弁天大鳥居」と「江嶋道印石」(江の島弁財天道標)がある。

Hujisawa大鳥居の脇には石灯籠が描かれている。

Img_9054大鳥居の脇には道印石(道標)が描かれている。

Img_9061道印石① 《地図

杉山検校(和一)が寄進したという、江の島弁財天の道標。
東京の墨田区には、江島杉山神社がある。『東京散歩(竪川(元佐倉道))を歩く』に記載。

Img_9057弁財天の表す梵字の下に、「ゑのしま道」・右側面に、「一切衆生」・左側面に、「二世安楽」

Img_9053説明板

Img_9063砂山観音堂(右)・鼻黒稲荷神社(左) 《地図

以前訪れた時には、「鼻黒稲荷大明神」の幟が立っていたのだが。「鼻黒」の由来が分からない。

Img_9065白山宮

Img_9067蔵まえギャラリー

Img_9071道印石② 《地図

Img_9075庚申堂 《地図

堂内の庚申塔は見えず。

Img_9076説明板

Img_9078庚申塔(寛文13年(1673)・左)

庚申堂の左脇

Img_9077説明板

地下道をくぐって藤沢駅の南側に出る。

Img_9083道印石③(砥上公園) 《地図

Img_9084説明板

Img_9094上本橋から境川 《地図

石上の渡し跡あたり

Img_9087説明板

Img_9095庚申塔(享保15年(1730)) 《地図

「従是左ふじさはみち」・「従是右かまくらみち」と刻まれているそうだが、はっきりしなかった。

Img_9103馬喰橋(うまくらばし) 《地図》(流れの標示はない。右は境川)

源頼朝の馬鞍橋や、この橋を渡ると馬が死ぬという馬殺橋の伝承がある。

Img_9100説明板

Img_9104流れは細い

Img_9108岩屋不動道標 《地図

Img_9111岩屋(巌)不動尊

Img_9114
岩屋内の不動明王はストロボが発光せず撮れず。壁に電灯のスイッチがあるようだ。

Img_9113説明板

江島道に戻る。

Img_9124庚申塔・双体道祖神(片瀬小学校前)

Img_9126説明板

Img_9127道印石④ 《地図

Img_9132泉蔵寺

Img_9135諏訪神社山車小屋・庚申塔(左)

Img_9137上諏訪神社 《地図

江島道を挟んだ西方に諏訪神社がある。

Img_9138由緒碑

Img_9141境内から江の島方向

Img_9142道標(密蔵寺前・ミラーの左)

正面に「弘法大師道」・右側面に「向 江之嶋道」・左側面に「密蔵寺 十丁半」・「泉蔵寺 八丁」らしい。他所から移設されたものだろう。

Img_9143「向 江之嶋道」・「弘法大師道」

Img_9146密蔵寺

愛染明王を祀る本堂前に「愛染かつら」が植えられているようだ。

Img_9148道印石⑤・庚申塔 《地図

Img_9151本蓮寺

Img_9155道印石⑥ 《地図

Img_9156説明板

Img_9163西行戻り松・道印石⑦

Img_9159説明板

埼玉県秩父市の「西行戻しの坂」と同じ伝承だ。そこでは、「冬ほきて 夏枯れ草を 刈に行く」となっている。『秩父の坂(秩父巡礼道①)

Img_9161道印石⑦

「西行もどり松」と刻む。

Img_9162説明板

Img_9164常立寺(じょうりゅうじ)

Img_9166伝元使塚(題目碑前の青い布を巻かれた五輪塔)

平成17年に朝青龍や白鵬などのモンゴル人力士が参拝し、モンゴルで英雄を意味する「青い布」を五輪塔に巻いたそうだ。

Img_9165説明板

Img_9169庚申塔(常立寺の参道向かい側)

Img_9171説明板

Img_9174道印石⑧ 《地図

「左龍口道」・「従是右江嶋道」、別面に「願主 江戸糀町」で、左は元使が処刑されたという龍ノ口刑場跡あたりの龍口寺への道。

Img_9176説明板

Img_9177江ノ電の踏切を渡る。

Img_9184道印石⑨ 《地図》?

平成11年に道路工事中に地下から発見された。上部が欠けている。

Img_9189石政旅館

もう営業はしていないようだ。往時は江の島観光客・参拝客で賑わったのだろう。

Img_9193江の島弁天橋を渡る。

明治24年に木橋が架かるまでは片瀬浜から江の島に渡るには舟か人足の背負いに頼っていたという。正面の塔は展望灯台の「江の島シーキャンドル

江の島内は『江の島歴史散策マップ』(みゆねっと藤沢)で。

Img_9195青銅の鳥居

延享4年(1747)創建で、文政4年(1821)に再建。奉納者は江戸を中心に関東各地の250名を数え、当時の江島弁財天信仰の隆盛を伝えている。

Img_9198瑞心門

Img_9210道印石⑩・福石

道印石は江島道沿いから移設されたものだろう。福石は杉山検校の管鍼術考案ゆかりの石。(左端に一部しか写っていない石で、奥の福石と白く書かれているのは寛政4年(1792)建立の庚申供養塔)

Img_9209説明板

Img_9212江島神社・辺津宮

近江・竹生島、安芸の宮島と並ぶ「日本三大弁財天」のひとつ。辺津宮、中津宮、奥津宮の三宮から成っている。江戸時代には、江戸から大山詣でと合わせた物見遊山が盛んだった。

Img_9217弁天堂(奉安殿)

堂内の撮影はできない。

Img_9215弁天像

妙音弁財天(裸弁財天)の白くふくよかな裸体の実像は肉感的だ。拝観料あり。

Img_9220ヨットハーバー方向

昭和39年(1964)に東京オリンピックのヨット競技場として整備された。2020年の東京オリンピックでも使われるのだろうか。

Img_9223中津宮

Img_9230江の島大師(左の丸屋根)・江の島シーキャンドル(右端)

Img_9239山ふたつ

Img_9236説明板

Img_9247奥津宮

Img_9248説明板

Img_9252八方睨みの亀

Img_9254龍宮(わだつみのみや)

Img_9253説明板

Img_9274岩屋の前あたりから

Img_9271岩屋内

波の浸食でできた自然の洞窟で、寿永元年(1182)には源頼朝が文覚上人を招いて戦勝祈願をしたという。

Img_9202杉山検校の墓

Img_9204墓の前から

杉山検校は生前には見えなかったこの光景を、いつも眺めていることだろう。
ここを江島道歩きの終点とし、ポケモン探し、昼時でさらにごった返している仲見世通りを下り、江の島弁天橋を渡って片瀬江ノ島駅に向かった。

Img_9278片瀬江ノ島駅(小田急線)

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四観音道

2016年9月15日

御器所駅(桜通線)・・・塩付街道・・・塩付街道分岐地点・・・岡崎(飯田)街道交差地点(川名本町1交差点)・・・大師寺・・・安田通1交差点・・・城木町2交差点(名古屋高速2号)・・・光明寺・・・松林寺・・・丸山町交差点…丸山神明社・・・高針街道交差地点・覚王山西交差点・・・専修院・・・山神社・・・鉈薬師・・・張振甫墓所・・道標・焙烙(ほうろく)街道交差地点・・・天満通り(県道30号)・水の歴史資料館・・・赤坂公園・・・弘法堂・・・(出来町通り)・・・旧茶屋ヶ坂・山口街道合流地点・・三十番神社・茶屋が坂交差点・・・東海病院・山口街道分岐地点・・・千代田橋(矢田川)・・・(名鉄瀬戸線)・・瀬戸街道合流地点・・・白山神社・・・小幡駅前交差点・瀬戸街道分岐地点・・・道標・守山市役所・・・小幡緑地・・・(東名阪自動車道)・・・白沢橋(白沢川)・・見返ヶ池・・(ゆとりーとライン)・・・龍泉寺・・・小幡緑地公園駅(ゆとりーとラインバス停)→大曽根駅(JR中央線)→名古屋駅・・名鉄名古屋駅(名鉄本線)→須ヶ口駅(名鉄津島線)→甚目寺駅・・・甚目寺・塗部神社・道標・・・甚目寺駅→名鉄名古屋駅・・名古屋駅(地下鉄東山線)→高畑駅・・・荒子城跡(天満天神宮)・・・荒子観音寺・・・荒子東公園(池田恒利屋敷跡)・・・荒子駅(あおなみ線)→名古屋駅

 尾張四観音を巡る四観音道を行く。笠寺観音から塩付街道との分岐地点までは、『東海道(知立宿→佐屋街道)』・『塩付街道』で歩いているので今回は割愛した。また龍泉寺から先はバスと電車を乗り継いで巡拝した。

  【ル-ト地図】(木幡緑地公園駅まで)

Img_8421塩付街道分岐地点 《地図

四観音道は右へ進む。

川名本町1交差点で岡崎(飯田)街道と交差する。

Img_8425大師寺

Img_8429光明寺(左)

Img_8432安田塚にあった「安太夫重政の碑」(寛文11年(1671))

安田の地名の由来

Img_8430説明板

Img_8435松林寺

元亀2年(1571)の創建。本尊は両側に日光・月光菩薩を従えた薬師瑠璃光如来。他に毘沙門天が祀ってある。

Img_8437丸山神明社

16世紀後半の建立という。鳥居の左は、「村中安全」と彫られた区内では数少ない秋葉山常夜灯(天保5年(1834))

覚王山西交差点あたりで高針街道と交差し、広小路通りを横切る。

Img_8445広小路通りを横切り斜めに入って行く。《地図

Img_8448日泰寺の西側沿いを北上する。

Img_8449説明板

Img_8446料亭「松楓閣

Img_8451山神社

Img_8450(松楓山)専修院(せんじゅういん)

本尊は、徳川家の息女の一人が嫁ぐとき、守り本尊として持参した阿弥陀如来。また願いが叶うときは軽く、そうでない時は重くて持ち上げられないという重軽地蔵がある。

四観音道は直進して東山配水場の敷地内を通っていたが、ほうろく街道との交差地点手前で途切れている。左に鉈薬師の方に迂回する。《地図

Img_8454鉈薬師 《地図

寛文9年(1669)、明国の帰化人で尾張藩祖徳川義直の御用医師を勤めた張振甫によって建立。
毎月21日しかフェンスは開かず、山門には近づけない。

Img_8453説明板

このあたりは四観音道東、四観音道西という地名だ。

Img_8457東山給水塔

Img_8458ほうろく(ほうろく)街道に出て右折して坂を上ると北側に張振甫墓所、その先に道標がある。

Img_8464道標:「南 あつた かさでら」・「北 せと りゅうせんじ」・「東 やごと ひらばり」・ 「西 なごや かち川」 《地図

ここがほうろく街道との交差地点だった。左折して直進し、斜めに天満通りを横切るのだが信号はなく、前方の歩道橋を渡るのだが東山配水場工事中で渡れず、昨日同様、天満通りを突っ切る。

Img_8478五号配水池

昭和9年に整備された配水池

Img_8484水の歴史資料館

Img_8485右に入って赤坂公園沿いを進む。

金森明神・・・弘法堂・・・(出来町通り)・・・旧茶屋ヶ坂・山口街道合流地点・・三十番神社・茶屋が坂交差点・・・東海病院の先で山口街道を分れ北上する。

Img_8499千代田橋から矢田川 《地図

名鉄瀬戸線の踏切を渡り、瀬戸街道と合流して東へ進み、小幡駅前の交差点で瀬戸街道と分かれ左折して北上する。

Img_8510道標(宝暦13年(1763)) 《地図

四観音道の道標で、瀬戸街道との分岐地点あたりにあったものか。

Img_8508説明板

Img_8519_2見返ヶ池

Img_8521小幡緑地

Img_8522ゆとりーとラインの専用軌道

高速道路かモノレールのように見える。

Img_8532小幡緑地駅から恐竜の尻尾のように伸びたバス専用軌道。

ここから専用軌道が始まる。写真を撮っていたら危険だから速やかに敷地内から出ろと警告された。

Img_8543龍泉寺 仁王門・多宝塔

Img_8545右奥は龍泉寺城の模擬天守で宝物館になっている。

今日は開館してなかった。

Img_8549庄内川と春日井市街の眺め(鐘楼から)

奥に展望台もある。

ここから四観音道を行く巡礼者たちは瀬戸街道に出て、名古屋城の西側で美濃路に入り、清州(清須)から甚目寺に向かっていたのだろうか。俄か巡礼者はバスと電車を乗り継いで甚目寺から荒子観音寺に向かう。

Img_8556ゆとりーとラインバスで大曽根駅に出る。

大曽根駅(JR中央線)→名古屋駅・・名鉄名古屋駅(名鉄本線)→須ヶ口駅(名鉄津島線)→甚目寺駅で、やっぱり文明の利器?は早い。

Img_8600龍鳳堂(甚目寺参道)

Img_8603米屋

Img_8599甚目寺東門(国重文) 《地図

Img_8563説明板

Img_8571南大門(国重文)

Img_8575上街道道標(安政3年(1856)・南大門前)

北面に「→右 つしまみち」、
東面は「左 さ屋まじま道」で、信長街道(柳街道・岩倉街道)を経て間島(大治町)へ、さらにそこから旧佐屋街道(下街道)を経て佐屋(愛西市)に至るそうだ。
西面に「門内なこやへ通りぬけ」

Img_8570_2そばにもう一基の道標があり、「従是右津しま海道」・「従是左さや海道」のようだ。

Img_8592三重塔(国重文)

Img_8594本堂

Img_8590塗部神社

甚目寺の鎮守

甚目寺駅→名鉄名古屋駅・・名古屋駅(地下鉄東山線)→高畑駅

Img_8389天満天神社(荒子城跡) 《地図

Img_8390説明板

Img_8394前田利家誕生地碑

Img_8393説明板

Img_8399荒子観音(浄海山円龍院観音寺)

多宝塔(左)

Img_8400説明板

Img_8411荒子東公園・あおなみ線 《地図

このあたりは荒子村小城跡(池田恒利屋敷跡)という。

Img_8410説明板

荒子駅からあおなみ線で名古屋駅に戻った。

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2016年9月29日 (木)

尾張瀬戸散歩

2016年9月14日

尾張瀬戸駅(名鉄瀬戸線)・・・窯神神社・・・無風庵・・・小狭間坂・・・掘出地蔵・霊代・・・法雲寺・・・深川神社・深川神社古墳・・陶彦神社・・・陶祖公園・・・公園橋(瀬戸川)・洞街道・・宝泉寺・・窯垣の小径・・・窯垣の小径ギャラリー・・窯垣の小径資料館・・えぶた坂・・えのき坂・・・城見山・・・末広町商店街・・・石神社・・・蛭子橋(一里塚川)・・・せと末広商店街・・・案内処「らくちん」(旧蔵所交番跡)・・・記念橋(瀬戸川)・・・窯神橋・・・パルティせと・・尾張瀬戸駅

 『瀬戸街道』歩きの終点とした、「せともの」の町・尾張瀬戸の散歩です。

  *参考:『瀬戸散策絵図

  【ル-ト地図

Img_8681窯神神社

磁器の製法を瀬戸に伝えた、磁祖・加藤民吉を祀る。登り窯の形をしている。

Img_8679説明板

Img_8689窯垣の家

Img_8693無風庵 《地図

Img_8692説明板

Img_8703小狭間坂(こばさまざか) 《地図

「小狭間坂ポケットパーク」から坂下方向

Img_8708坂上方向

Img_8710旧家

Img_8713掘出地蔵(右)・霊代(みたましろ・左)

Img_8717掘出地蔵

Img_8716由来

Img_8714由来

Img_8720法雲寺

Img_8718陶製の鐘

戦時中に供出された梵鐘の代用品

Img_8719説明板

Img_8725深川神社

陶製狛犬切支丹燈篭(織部燈籠)

Img_8726説明板

Img_8729深川神社古墳

Img_8728説明板

Img_8730陶彦(すえひこ)神社

文政7年(1824)の創建で、陶祖(瀬戸の焼き物の祖)・加藤四郎左衛門景正(藤四郎)を祀る。毎年4月に神事の陶祖祭が開催される。

Img_8738この狛犬も陶製だろう。

Img_8740陶祖公園への陶の階段 《地図

Img_8746階段上から宝泉寺多宝塔

Img_8749_2六角陶碑

陶祖・加藤四郎左衛門景正の伝記が克明に刻まれている。

Img_8747説明板

Img_8751説明板

Img_8757陶祖公園から瀬戸市

公園は人影もなく、少し荒れた感じで寂しげだった。

Img_8760公園橋を渡って洞街道へ進む。《地図

Img_8761宝泉寺

尾張三十三観音の第26番

市指定文化財の「陶製十六羅漢塑像」・「本堂の天井画」

Img_8766窯垣の小径

起伏ある道を歩いていると「常滑焼の町」の坂を思い出した。

Img_8767

Img_8771

Img_8775窯垣の小径ギャラリー

Img_8776説明板

Img_8782窯垣の小径資料館

Img_8780えぶた坂 《地図

「えぶた」の由来は?

Img_8785坂上方向

Img_8787坂上方向

Img_8795えのき坂(坂下方向) 《地図

「榎」なのか?

Img_8796坂下方向

Img_8806城見山方向

昔は名古屋城が見えたそうだ。かなり蒸し暑く、ここまで随分とやぶ蚊に食われたので登らなかった。

Img_8808陶生町の家並み

Img_8811中央は水路跡か?

Img_8812陶器店

Img_8815末広町商店街

「シャッター通り商店街」なのは、何処も同じか。

Img_8817石神社 《地図

Img_8816説明板

Img_8819一里塚川(蛭子橋)

瀬戸川の支流で、川沿いに一里塚町もある。一里塚があったのだろうか?

Img_8824せと末広商店街

ここも寂しげな通りだ。

Img_8827せと末広亭

ここは盛況か?

Img_8833案内処「らくちん」(旧蔵所交番跡) 《地図

Img_8835説明板

Img_8764蔵所橋

南側に旧蔵所交番のあったようだ。

Img_8837瀬戸川饅頭店(川村屋賀栄

Img_8842陶器の丸一国府商店

Img_8857窯神橋 《地図

瀬戸川は両岸をコンクリで固められ風情がない流れになっている。

Img_8840パルティせと内の台湾料理店で休憩、腹ごしらえをして名鉄瀬戸線で名古屋に戻った。

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2016年9月28日 (水)

ほうろく(焙烙)街道

2016年9月14日

車道駅(地下鉄桜通線)・・・高針街道交差地点・筒井小学校・・東海高校・吉田小路・・・百人町交差点・・・法恩寺・・弘法堂・・松軒橋(JR中央線)・・・大和公園・・・都通1交差点(名古屋環状線)・・・千種公園・・・愛工大名電高校・・・張振甫墓所・・・四観音道交差地点・道標・・天満通り(県道30号)・・・日泰寺墓地・・・瑞専寺・・北山共同墓地・・・自由ヶ丘駅(地下鉄名城線)

 猿投山山麓や三河の山間部で焼かれた「焙烙」を、名古屋へ売り歩いていた人たちが通った道。起点も終点もはっきりした道ではなく、東海高校の正門(昔は建中寺)付近→百人町→松軒→振甫町→自由ヶ丘→猪子石からさらに東に向かっていた。
 また明治30年に三明火葬場ができてからは、火葬場に向かう人々の
、「法六句(南無阿弥陀仏)街道」だったという。
 
東海高校前の吉田小路から北山共同墓地まで行く。

 参考:『なごやの古道・街道を歩く』(池田誠一)

  【ル-ト地図

Img_8608吉田小路 《地図

右側面には「→百人町」、このあたりの大地主の吉田家が土地を提供してできた小路のようだ。

Img_8617百人町の家並み

Img_8623弘法堂 《地図

堂内には弘法大師像・観音菩薩像・地蔵菩薩像が並んでいる。

Img_8629松軒橋からJR中央線 《地図

松軒(しょうけん)は、尾張藩の家老、成瀬正軒(松軒)の隠居宅があったことからついた地名。

Img_8637_2千種公園の北側を進む。

Img_8641愛工大名電高校

イチローの母校だ。この前に道標があるというが見当たらなかった。

 

Img_8645張振甫(ちょうしんぽ)墓所 《地図

奥に石仏が並んでいるが入れない。「振甫町」にその名が残る。

Img_8461説明板

Img_8464四観音道交差地点 《地図

ほうろく街道は直進して天満通り(府道30号)を横切る。四観音道は右(南)から来て左(北)へ進むが、右は水道局の敷地で途切れている。
左角に道標で、「南 あつた かさでら」・「北 せと りゅうせんじ」・「東 やごと ひらばり」・ 「西 なごや かち川」

Img_8468「西 なごや かち川 」・「南 あつた かさでら」

Img_8648東山配水塔

Img_8471天満通り(県道30号)を横切り、向こう正面の道へ進むのだが、配水池の工事中で歩道橋は通行止めで渡れず、左右の交差点はかなり離れている。ちょっと危ないが真ん中にガードレールのある車道を突っ切る。

Img_8650日泰寺墓地沿いを行く。

Img_8660覚王山八十八霊場

ミニ四国八十八所になっている。高野山苅萱堂(右)もある。

Img_8670北山共同墓地 《地図

戦前に三明火葬場に併設してつくられたそうだ。

ほうろく街道歩きはここまでとし、自由ヶ丘駅に出て大曽根駅から名鉄瀬戸線で尾張瀬戸駅に向かい、瀬戸物の町「尾張瀬戸」を散策した。それは『尾張瀬戸散歩』として別途記載する。

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2016年9月25日 (日)

山口街道

2016年9月13日

東大手駅(名鉄瀬戸線)・・・清水橋・・・稲置街道分岐地点・・・清水口交差点・・・心海寺・・善光寺街道交差地点・赤塚交差点・神明社・・・山口町交差点・・・徳源寺・・・徳川園・・・新出来町交差点…出来町橋(JR中央線)・・・東界寺・・・須佐之男神社・・・古出来町交差点・ごまたまご歩道橋・・・塩付街道交差地点・・・愛宕神社・・・明山交差点・・・晴明神社・・・永弘院・・・弘法大師堂・・・長養寺・・・上野天満宮・・・弘法堂・・・金森明神・・・(出来町通り)・・・四観音道合流地点・旧茶屋ヶ坂・・三十番神社・・・茶屋が坂交差点・・・ちょろちょろ弘法・・・東海病院・・四観音道分岐地点・・・横堤・・・長福寺・・・香流橋(香流川)・馬頭観音・・・竹越バス停

 名古屋城下と瀬戸、長久手方面を結ぶ道で、巡見使の巡見道にも使われたという山口街道を、香流橋まで行く。

  【ル-ト地図

Img_8120清水橋(名古屋城方向)

名古屋城の外堀(空濠)に架かる橋で、東の大手門だった清水口。かつてこの堀の中を名鉄瀬戸線が走っていた。現在は地下を通っている。
ここを山口街道歩きの起点として東へ向かう。

清水口交差点の手前で、稲置街道が北に分かれて行く。赤塚交差点あたりで善光寺街道(下街道)と交差する。

Img_8130山口町バス停

名古屋市電が走っていた道路の真ん中にバス停がある。

Img_8139徳源寺地図

Img_8138説明板

Img_8142徳川園

出来町橋でJR中央線を越える。

Img_8151東界寺

名古屋二十一大師第7番札所

Img_8152ごまたまご歩道橋(古出来町交差点) 《地図

名古屋市の「歩道橋ネーミングライツパートナー事業」による命名で、「ごまたまご」の宣伝効果も大いにあるようだ。

Img_8156塩付街道交差地点 《地図

Img_8159愛宕神社

上野城主下方貞清が弘治2年(1556)に創建。尾張藩の塩硝蔵がこの付近に建てられ、その守護神としての役目という説もある。

明山交差点から北に晴明神社に向かう。

Img_8163晴明神社

陰陽師の安倍晴明が、一時この上野に住んでいたといわれる跡に建てられた神社。
熊野街道沿いの安倍晴明神社は『熊野古道(紀伊路①)』、信太森葛葉稲荷神社(大阪府和泉市)は『熊野古道(紀伊路②)』に記載。

Img_8161説明板

Img_8165永弘院(ようこういん) 《地図

天文7年(1538)、上野城主下方貞清が建立した寺で、戦での勝利をもたらすとされる、勝軍地蔵を安置する。

Img_8166上野城址碑

Img_8173弘法大師堂

「名古屋 八十八ヶ所」の標石が立ち、21番札所らしいが境内は荒れている。

Img_8174長養寺

名古屋城築城の折に城の安全を祈願して四方に置かれた石の一つの「青竜石」があるというが、境内はあまり整備されてなく、どれか分からず。「天満幼稚園」の看板がかかり、「願書配布」の貼り紙がしてある。

Img_8181上野天満宮(名古屋天神)

山口街道と民俗史跡めぐり』・『説明詳細

Img_8185弘法堂 《地図

廿日弘法ともいわれ、毎月20、21日に地域の人が集まり、「お待夜(おたいや)」を行う。堂内には四体の石仏があり、その内一番大きい地蔵像は道標仏で、「右 みなみかさでら道 左 坂を下って左へりゅうせんじ道」、だそうだが扉は閉まっていて見えず。「笠寺」・「龍泉寺」で、四観音道沿いにあった道標だろう。

Img_8488金森明神 《地図

別名「景清さま」と呼ばれ、眼病に霊験があるという。 落語『景清

出来町通りを横切り鍋屋上野浄水場そばの墓地にある吉見幸和の墓を探したが、吉見家の墓は多かったがどれか分からず。四観音道と合流して旧茶屋ヶ坂を下る。

Img_8191旧茶屋ヶ坂

傾斜はゆるい。

Img_8193三十番神社 《地図

陰暦の1日から30日までの毎日を交替して、法華経を守る神を三十番神といい、その神々を祀った社だという。30もの神を祀るにしては小さな社で見過ごしそうになった。

Img_8195茶屋が坂交差点

茶屋ヶ坂と赤坂(正面)の坂下。このあたりは『名古屋の坂①』で歩いている。

Img_8198ちょろちょろ弘法 《地図

堂の脇からちょろちょろと清水(弘法清水)がわき出ていたことから、こう呼ばれている。
「第八番弘法大師」の標石が立っている。

東海病院の先で四観音道は北に分かれて行く。

Img_8204横堤 《地図

香流川の治水対策として、あふれた水をくい止め、矢田川に導くために幕末に築かれた土堤。今は下に猫ヶ洞池からの排水路が通っている。

Img_8212長福寺

丸窓の中国風の造りの黄檗宗の寺

Img_8209たたり石

小牧・長久手の戦いの戦死者を葬っ た時に使われた石で、もとは畑の真ん中にあった。この石をいじったりすると祟りがあると、村人は恐れていた。
山口街道は長久手街道ともいう。

Img_8214香流川

前方は香流橋

Img_8215馬頭観音(香流橋のたもと) 《地図

右が安永9年(1780)の建立で、戦時中に行方不明になったが、昭和44年の区画整理中に発見された。左は平成10年の建立。

竹越バス停から大津橋に出た。

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2016年9月21日 (水)

百曲街道と番割観音巡り

2016年9月12日

神宮西駅(地下鉄名城線)・・・全隆寺・・・弥勒院・・・白鳥橋(堀川)・・・梅萼院・・・一番割観音・・・一番一丁目交差点・・・八剱社①・・・番神堂・・・熱田社・・二.番・三番割観音(慈教寺)・・・四番町神明社①・・・四番・五番割観音・・・六番・七番割観音・江川跡・(東海道新幹線)・・・専光寺・・・八番・九番割観音・・・(東臨港線)・・・十番・十一番割観音・・・八剱社②・・・昭和橋(中川運河)・・・小碓橋(小碓運河交差地点)・南郊公園・・・十二番・十三番割観音・・・スサノオ神社・・・愛知県武道館・・・十四番・十五番・十六番割観音(天年寺)・・・神明社②・・・十七番割観音・・・十八番・十九番割観音・神明社③・・・正徳公園・・・二十番割観音・神明社④・・・(あおなみ線)・・・二十一番・二十二番・二十三番割観音・・・荒子橋(荒子川)・・・空雲寺・・・二十五番割観音・・・二十六番・二十七番・二十八番割観音・・・小碓神明社⑤・・・二十四番割観音・・・西亥橋(稲葉地井筋)・・・二十九番~三十三番割観音・神明社⑥・・・白山社・・・百曲街道終点・正徳橋(庄内川)・・・下之一色魚市場・漁港跡・・・浅間社・・・みよどめ観音(三十三番割観音堂)・・・地蔵堂・・・青峯堂跡あたり・・・下之一色城址碑(正色小学校)・・・青峯堂(共愛の里内)・・・国道1号・・・権野バス停→高畑駅(地下鉄東山線)

 百曲街道は、江戸時代初期の熱田新田開拓に伴い、その北側に既にすでに干拓されていた中野外新田・中島新田の干拓堤防の上にできた道筋で、多くの屈曲があったのでこう呼ばれた。
 番割観音は熱田新田を干拓した際に工事の無事を祈り、番割と呼ばれた区画ごとに西国三十三観音を模して33か所に観音堂を祀ったもので、現在も複数の観音を1ヶ所に集めたりして受け継がれている。

  参考:『百曲街道と番割観音めぐり

  【ル-ト地図

Img_8223弥勒院

名古屋二十一大師霊場の第13番

Img_8228白鳥橋から堀川(上流方向)

Img_8229一番割観音堂 《地図

左は交通安全の「身代わり地蔵」

すぐ西側が「一番一丁目」交差点で、一番町から十一番町まで「番割」の名残りの地名が残っている。

Img_8236八剱社①

一番町の氏神社

Img_8237番神堂

熱田新田開拓当初に熱田・定徳寺の三十番神を迎えて開いた由緒ある寺というが、民家風の建物は廃屋のようになっている。定徳寺(じょうとくじ)は熱田区ではなく中村区にあり、番神堂もあるようだ。
番割観音とは関係はないのだろう。

Img_8242熱田社(正面の鳥居)

右端の山門が二.番・三番割観音(慈教寺)

Img_8244第二番・第三番観音堂 《地図

Img_8246四番町神明社(四番と五番割の氏神) 《地図

寛永3年(1626)、村民が集まり熱田新田干拓工事の安全を祈願した。

Img_8247由緒

Img_8249四番・五番割観音堂

Img_8251千手観音像と弘法大師像

Img_8252六番・七番割観音堂 《地図

Img_8254六番と七番割の観音像と西国三十三観音の六番(南法華寺)七番(岡寺)と同じ御詠歌

Img_8253観音堂前あたりを流れていた江川に架かっていた大矢橋の親柱

東海道新幹線をくぐって行く。

Img_8262八番・九番割観音堂

堂前に道標がある。

Img_8259「あつた なごや」

方向が逆で、この北の旧道分岐点から移設されたようだ。

Img_8261八番・九番観音像

東臨港線をくぐって行く。

Img_8269十番・十一番割観音堂

Img_8270街道沿いの家並み

Img_8274八剱社②の鳥居

旧道はここを通っていた。

Img_8271八剱社② 《地図

ここは「八剱町」

Img_8275昭和橋から中川運河

熱田新田は中間を流れる流れる中川(上流は笈瀬川)を境に、西組と東組に分かれていた。昭和7年、中川を開削して中川運河が完成する。両岸は工業地帯となり、最盛期には250艘の船が行き交った。町名は西側を○船町、東側を○川町とし、○の部分には縁起のいい同じ漢字を当てて両岸が対比した町名となった。(福船町・福川町、玉船町・玉川町など)

Img_8277中川運河と南郊運河・小碓(おうす)運河交差地点(小碓橋から) 《地図

南郊・小碓運河ともすぐに行き止まりで、流れは続いていないようだ。

Img_8283十二番・十三番割観音堂

民家風な建物に別部屋に祀られている。

Img_8284十二番観音像

Img_8286十三番観音像

Img_8287スサノオ神社 《地図

Img_8290愛知県武道館

Img_8292十四番・十五番・十六番割観音堂(天年寺) 《地図

Img_8293神明社② 《地図

Img_8296十七番割観音堂

Img_8294十七番割観音像

十一面観音

Img_8297神明社③ 《地図

Img_8298十八番・十九番割観音堂

Img_8299十八番・十九番割観音像

Img_8301二十番割観音堂・神明社④ 《地図

Img_8302二十番割観音像

Img_8306二十一番・二十二番・二十三番割観音堂

Img_8307二十一番・二十二番・二十三番割観音像と御詠歌

Img_8313荒子橋から荒子川(上流方向) 《地図

北に尾張四観音の荒子観音があるが、「四観音道」を歩く時に訪れよう。

Img_8314空雲寺(くううんじ)

熱田新田などを開拓した鬼頭勘兵衛景義の開基で、墓碑と木像がある。

Img_8315説明板

Img_8317二十五番割観音堂 《地図

Img_8319千手観音と弘法大師像

Img_8323二十六番・二十七番・二十八番割観音堂

Img_8322観音像

Img_8320説明板

Img_8324小碓神明社⑤ 《地図

Img_8326「熱田新田廿八番割」とある。

Img_8325説明板

Img_8332二十四番割観音堂 《地図

25~28番より西にある。

Img_8333堂内

Img_8336西亥橋(せいいばし・稲葉地用水) 《地図

中島新田が完成したのが寛永12年(1635)乙亥の年。新田の中で最も西にある橋。橋の標石には「稲葉地井筋」とある。水は流れている。

Img_8342往時の百曲街道を偲ばせるくねった道。

Img_8343二十九番~三十三番割観音 《地図

隣は明正一丁目神明社⑥

Img_8344説明板

Img_8345堂内

Img_8353白山社前の旧家

Img_8350白山社 《地図

この地は前田氏の東起(ひがしおこし)城跡という。また尾張藩徳川義直が鷹狩りをした時、休息した場所ともいう。

正徳橋(庄内川)の手前で百曲街道は終わる。

Img_8356正徳橋から庄内川 《地図

正徳橋を渡って漁業で栄えた下之一色(しものいっしき)町へ入る。

Img_8362漁村独特の閑所(かんしょ)と呼ばれる細い道。 《地図

漁港の施設が廃墟となって並んでいる。右の銭湯「新元湯」は今も営業しているのだろうか?

Img_8360新元湯

大正時代の建物で、名古屋市の「登録地域建造物資産」。最盛期には小さな下之一色の町に8軒もの銭湯があったそうだ。

Img_8368下之一色魚市場(下之一色漁港跡)

下之一色は庄内川と新川が合流する三角州にあり、昔から漁業が盛んで、大正から昭和にかけても名古屋の台所を支える魚市場として栄えていた。だが太平洋戦争や伊勢湾台風の影響で漁業はすたれてしまった。

Img_8367説明板

Img_8366浅間神社鳥居から漁港の寂れた建物

Img_8365浅間神社 《地図

創立年代は不詳だが、湯立神事等の伝承があることから、かなり古くからこの地に鎮座しているものと思われる。

Img_8373みよどめ観音(三十三番割観音堂) 《地図》(中ノ切観音堂と標示)

干拓工事の最後となる堤防の締切りを「みよどめ(澪止め)」という。
熱田新田の最後、三十三番割工事の責任者・鬼頭景義は成功を祈願して三十三番割(港区当知町)に観音堂を造った。その後、庄内川の川筋を変えた時、ここの新川堤防に移された。慶応2年(1866)に御堂を再建し、阿弥陀如来・釈迦如来と33体の観音像を安置した。

Img_8378青峯堂跡・下之一色城址あたり

嘉永3年(1850)、下之一色の漁師は、志摩半島にある船乗りや漁師の信仰が篤い青峰山正福寺から勧請して新川の堤防上に青峰堂を建てた。
明治10年、下之一色漁業組合が堂を改修して管理することになった。下之一色城址碑も境内にあったが、青峰堂は老人福祉施設の「共愛の里」に、下之一色城址碑は正色小学校門前に移された。

Img_8379下之一色城址碑(正色小学校前)

城跡は天明年間(1781~88)の新川開削の時に川底になった。「正色」の正は下ノ一を組み合わせたもの。

Img_8382青峯堂 《地図

「共愛の里」内の新しい堂

国道1号に出て、権野(ごんの)バス停から高畑駅に出た。

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