ほうろく(焙烙)街道
2016年9月14日
車道駅(地下鉄桜通線)・・・高針街道交差地点・筒井小学校・・東海高校・吉田小路・・・百人町交差点・・・法恩寺・・弘法堂・・松軒橋(JR中央線)・・・大和公園・・・都通1交差点(名古屋環状線)・・・千種公園・・・愛工大名電高校・・・張振甫墓所・・・四観音道交差地点・道標・・天満通り(県道30号)・・・日泰寺墓地・・・瑞専寺・・北山共同墓地・・・自由ヶ丘駅(地下鉄名城線)
猿投山山麓や三河の山間部で焼かれた「焙烙」を、名古屋へ売り歩いていた人たちが通った道。起点も終点もはっきりした道ではなく、東海高校の正門(昔は建中寺)付近→百人町→松軒→振甫町→自由ヶ丘→猪子石からさらに東に向かっていた。
また明治30年に三明火葬場ができてからは、火葬場に向かう人々の、「法六句(南無阿弥陀仏)街道」だったという。
東海高校前の吉田小路から北山共同墓地まで行く。
*参考:『なごやの古道・街道を歩く』(池田誠一)
【ル-ト地図】
吉田小路 《地図》
右側面には「→百人町」、このあたりの大地主の吉田家が土地を提供してできた小路のようだ。
弘法堂 《地図》
堂内には弘法大師像・観音菩薩像・地蔵菩薩像が並んでいる。
松軒橋からJR中央線 《地図》
松軒(しょうけん)は、尾張藩の家老、成瀬正軒(松軒)の隠居宅があったことからついた地名。
イチローの母校だ。この前に道標があるというが見当たらなかった。
奥に石仏が並んでいるが入れない。「振甫町」にその名が残る。
四観音道交差地点 《地図》
ほうろく街道は直進して天満通り(府道30号)を横切る。四観音道は右(南)から来て左(北)へ進むが、右は水道局の敷地で途切れている。
左角に道標で、「南 あつた かさでら」・「北 せと りゅうせんじ」・「東 やごと ひらばり」・ 「西 なごや かち川」
天満通り(県道30号)を横切り、向こう正面の道へ進むのだが、配水池の工事中で歩道橋は通行止めで渡れず、左右の交差点はかなり離れている。ちょっと危ないが真ん中にガードレールのある車道を突っ切る。
日泰寺墓地沿いを行く。
北山共同墓地 《地図》
戦前に三明火葬場に併設してつくられたそうだ。
ほうろく街道歩きはここまでとし、自由ヶ丘駅に出て大曽根駅から名鉄瀬戸線で尾張瀬戸駅に向かい、瀬戸物の町「尾張瀬戸」を散策した。それは『尾張瀬戸散歩』として別途記載する。
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コメント
志段味は死荼毘の当て字昭和17年5月日本で2番目の空襲を受けた高蔵寺弾薬庫を守る為軍はこのちを弾薬庫のダミーにし金城山に6門の高射砲陣地を造っただから死体を荼毘に臥すほど犠牲者が出たそもそも俸禄街道は武士の給料を運ぶ道それを盗賊が狙い殺された役人の怨みが渦巻く場所役人の後輩の公務員がこのち人だけ異常に感情的になりやすい原因だと
投稿: | 2021年10月 9日 (土) 08:00
ほうろく街道にはどんな言い伝えがあるのか?守山大森シダミという地名は余りに不自然大きな森がるから大森なら何故木をみっつかく森山でないのか?龍泉寺と笠寺観音の近くに高射砲陣地を造ったわけは?南北の結界がまじわる広小路で異常に交通事故が多いのは?広い小路?
投稿: | 2018年11月30日 (金) 09:02