江島道
2016年9月17日
藤沢駅(JR東海道線)・・・遊行寺橋(旧大鋸橋・境川)・江島弁財天大鳥居跡・道印石(江の島弁財天道標)①・江島道起点(東海道分岐地点)・・・砂山観音堂・鼻黒稲荷・・・白山宮・・・蔵まえギャラリー・・・道印石②・・・庚申堂・・・地下道(藤沢駅)・・・道印石③(砥上公園)・・・石上神社・・・上山本橋(境川)・石上の渡し跡・・・庚申塔道標・・・馬喰橋(立石堀)・・・岩屋不動尊・・・片瀬小学校・庚申塔・双体道祖神・・道印石④・・泉蔵寺・・・庚申塔・・・上諏訪神社・・密蔵寺・道標・・・道印石⑤・庚申塔・・・本蓮寺・・・片瀬市民センター・道印石⑥・・西行戻り松・道印石⑦・・・庚申塔・常立寺・伝元使塚・・・道印石⑧・・・湘南海岸公園6号踏切(江ノ電・江ノ島駅)・・・道印石⑨・・・江の島弁天橋・・・江の島(青銅の鳥居・・弁財天仲見世通り・・瑞心門・・道印石⑩・・辺津宮(江島神社)・・江島弁天堂(江島神社奉安殿)・・中津宮・・江の島大師・・奥津宮・・龍宮・・稚児ヶ淵・・江の島岩屋・・杉山検校の墓)・・・江の島弁天橋・・・片瀬江ノ島駅(小田急線)
東海道藤沢宿の遊行寺橋を渡って左へ、江の島弁財天の大鳥居跡から道印石をたどりながら、江島道を江の島に向かう。
久々の好天で土曜日、江の島ではかなりの人出を予想はしていたが、観光客にポケモン探しの連中も加わり、島から人が溢れ出しそうだった。
【ル-ト地図】
遊行寺橋(旧大鋸橋(だいぎりばし)) 《地図》
橋を渡って右に高札場、左に江の島弁財天の大鳥居があった。
左の蔵造りの建物は、「藤沢橋自動車排出ガス測定局」。遊行寺橋と合わせて東海道(藤沢宿)にふさわしい造りにしたのか。
『昭和初期の写真』
「江嶋弁天大鳥居」と「江嶋道印石」(江の島弁財天道標)がある。
道印石① 《地図》
杉山検校(和一)が寄進したという、江の島弁財天道標。
東京の墨田区には、江島杉山神社がある。『東京散歩(竪川(元佐倉道))を歩く』に記載。
弁財天の表す梵字の下に、「ゑのしま道」・右側面に、「一切衆生」・左側面に、「二世安楽」
以前訪れた時には、「鼻黒稲荷大明神」の幟が立っていたのだが。「鼻黒」の由来が分からない。
道印石② 《地図》
庚申堂 《地図》
堂内の庚申塔は見えず。
庚申堂の左脇
地下道をくぐって藤沢駅の南側に出る。
道印石③(砥上公園) 《地図》
上本橋から境川 《地図》
石上の渡し跡あたり
庚申塔(享保15年(1730)) 《地図》
「従是左ふじさはみち」・「従是右かまくらみち」と刻まれているそうだが、はっきりしなかった。
馬喰橋(うまくらばし) 《地図》(流れの標示はない。右は境川)
源頼朝の馬鞍橋や、この橋を渡ると馬が死ぬという馬殺橋の伝承がある。
岩屋不動道標 《地図》
岩屋内の不動明王はストロボが発光せず撮れず。壁に電灯のスイッチがあるようだ。
江島道に戻る。
道印石④ 《地図》
上諏訪神社 《地図》
江島道を挟んだ西方に諏訪神社がある。
正面に「弘法大師道」・右側面に「向 江之嶋道」・左側面に「密蔵寺 十丁半」・「泉蔵寺 八丁」らしい。他所から移設されたものだろう。
愛染明王を祀る本堂前に「愛染かつら」が植えられているようだ。
道印石⑤・庚申塔 《地図》
道印石⑥ 《地図》
埼玉県秩父市の「西行戻しの坂」と同じ伝承だ。そこでは、「冬ほきて 夏枯れ草を 刈に行く」となっている。『秩父の坂(秩父巡礼道①)』
「西行もどり松」と刻む。
伝元使塚(題目碑前の青い布を巻かれた五輪塔)
平成17年に朝青龍や白鵬などのモンゴル人力士が参拝し、モンゴルで英雄を意味する「青い布」を五輪塔に巻いたそうだ。
道印石⑧ 《地図》
「左龍口道」・「従是右江嶋道」、別面に「願主 江戸糀町」で、左は元使が処刑されたという龍ノ口刑場跡あたりの龍口寺への道。
江ノ電の踏切を渡る。
道印石⑨ 《地図》?
平成11年に道路工事中に地下から発見された。上部が欠けている。
もう営業はしていないようだ。往時は江の島観光客・参拝客で賑わったのだろう。
明治24年に木橋が架かるまでは片瀬浜から江の島に渡るには舟か人足の背負いに頼っていたという。正面の塔は展望灯台の「江の島シーキャンドル」
江の島内は『江の島歴史散策マップ』(みゆねっと藤沢)で。
延享4年(1747)創建で、文政4年(1821)に再建。奉納者は江戸を中心に関東各地の250名を数え、当時の江島弁財天信仰の隆盛を伝えている。
道印石は江島道沿いから移設されたものだろう。福石は杉山検校の管鍼術考案ゆかりの石。(左端に一部しか写っていない石で、奥の福石と白く書かれているのは寛政4年(1792)建立の庚申供養塔)
江島神社・辺津宮
近江・竹生島、安芸の宮島と並ぶ「日本三大弁財天」のひとつ。辺津宮、中津宮、奥津宮の三宮から成っている。江戸時代には、江戸から大山詣でと合わせた物見遊山が盛んだった。
堂内の撮影はできない。
妙音弁財天(裸弁財天)の白くふくよかな裸体の実像は肉感的だ。拝観料あり。
昭和39年(1964)に東京オリンピックのヨット競技場として整備された。2020年の東京オリンピックでも使われるのだろうか。
波の浸食でできた自然の洞窟で、寿永元年(1182)には源頼朝が文覚上人を招いて戦勝祈願をしたという。
杉山検校は生前には見えなかったこの光景を、いつも眺めていることだろう。
ここを江島道歩きの終点とし、ポケモン探し、昼時でさらにごった返している仲見世通りを下り、江の島弁天橋を渡って片瀬江ノ島駅に向かった。
片瀬江ノ島駅(小田急線)
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