百曲街道と番割観音巡り
2016年9月12日
神宮西駅(地下鉄名城線)・・・全隆寺・・・弥勒院・・・白鳥橋(堀川)・・・梅萼院・・・一番割観音・・・一番一丁目交差点・・・八剱社①・・・番神堂・・・熱田社・・二.番・三番割観音(慈教寺)・・・四番町神明社①・・・四番・五番割観音・・・六番・七番割観音・江川跡・(東海道新幹線)・・・専光寺・・・八番・九番割観音・・・(東臨港線)・・・十番・十一番割観音・・・八剱社②・・・昭和橋(中川運河)・・・小碓橋(小碓運河交差地点)・南郊公園・・・十二番・十三番割観音・・・スサノオ神社・・・愛知県武道館・・・十四番・十五番・十六番割観音(天年寺)・・・神明社②・・・十七番割観音・・・十八番・十九番割観音・神明社③・・・正徳公園・・・二十番割観音・神明社④・・・(あおなみ線)・・・二十一番・二十二番・二十三番割観音・・・荒子橋(荒子川)・・・空雲寺・・・二十五番割観音・・・二十六番・二十七番・二十八番割観音・・・小碓神明社⑤・・・二十四番割観音・・・西亥橋(稲葉地井筋)・・・二十九番~三十三番割観音・神明社⑥・・・白山社・・・百曲街道終点・正徳橋(庄内川)・・・下之一色魚市場・漁港跡・・・浅間社・・・みよどめ観音(三十三番割観音堂)・・・地蔵堂・・・青峯堂跡あたり・・・下之一色城址碑(正色小学校)・・・青峯堂(共愛の里内)・・・国道1号・・・権野バス停→高畑駅(地下鉄東山線)
百曲街道は、江戸時代初期の熱田新田開拓に伴い、その北側に既にすでに干拓されていた中野外新田・中島新田の干拓堤防の上にできた道筋で、多くの屈曲があったのでこう呼ばれた。
番割観音は熱田新田を干拓した際に工事の無事を祈り、番割と呼ばれた区画ごとに西国三十三観音を模して33か所に観音堂を祀ったもので、現在も複数の観音を1ヶ所に集めたりして受け継がれている。
*参考:『百曲街道と番割観音めぐり』
【ル-ト地図】
名古屋二十一大師霊場の第13番
白鳥橋から堀川(上流方向)
一番割観音堂 《地図》
左は交通安全の「身代わり地蔵」
すぐ西側が「一番一丁目」交差点で、一番町から十一番町まで「番割」の名残りの地名が残っている。
一番町の氏神社
熱田新田開拓当初に熱田・定徳寺の三十番神を迎えて開いた由緒ある寺というが、民家風の建物は廃屋のようになっている。定徳寺(じょうとくじ)は熱田区ではなく中村区にあり、番神堂もあるようだ。
番割観音とは関係はないのだろう。
今でもここに三十番神は祀られているそうです。(下記にコメントあり)
右端の山門が二.番・三番割観音(慈教寺)
第二番・第三番観音堂 《地図》
四番町神明社(四番と五番割の氏神) 《地図》
寛永3年(1626)、村民が集まり熱田新田干拓工事の安全を祈願した。
六番・七番割観音堂 《地図》
六番と七番割の観音像と西国三十三観音の六番(南法華寺)・七番(岡寺)と同じ御詠歌
東海道新幹線をくぐって行く。
堂前に道標がある。
方向が逆で、この北の旧道分岐点から移設されたようだ。
東臨港線をくぐって行く。
旧道はここを通っていた。
八剱社② 《地図》
ここは「八剱町」
昭和橋から中川運河
熱田新田は中間を流れる流れる中川(上流は笈瀬川)を境に、西組と東組に分かれていた。昭和7年、中川を開削して中川運河が完成する。両岸は工業地帯となり、最盛期には250艘の船が行き交った。町名は西側を○船町、東側を○川町とし、○の部分には縁起のいい同じ漢字を当てて両岸が対比した町名となった。(福船町・福川町、玉船町・玉川町など)
中川運河と南郊運河・小碓(おうす)運河交差地点(小碓橋から) 《地図》
南郊・小碓運河ともすぐに行き止まりで、流れは続いていないようだ。
民家風な建物に別部屋に祀られている。
スサノオ神社 《地図》
十四番・十五番・十六番割観音堂(天年寺) 《地図》
神明社② 《地図》
十一面観音
神明社③ 《地図》
二十番割観音堂・神明社④ 《地図》
荒子橋から荒子川(上流方向) 《地図》
北に尾張四観音の荒子観音があるが、「四観音道」を歩く時に訪れよう。
熱田新田などを開拓した鬼頭勘兵衛景義の開基で、墓碑と木像がある。
二十五番割観音堂 《地図》
小碓神明社⑤ 《地図》
二十四番割観音堂 《地図》
25~28番より西にある。
西亥橋(せいいばし・稲葉地用水) 《地図》
中島新田が完成したのが寛永12年(1635)乙亥の年。新田の中で最も西にある橋。橋の標石には「稲葉地井筋」とある。水は流れている。
二十九番~三十三番割観音 《地図》
隣は明正一丁目神明社⑥
白山社 《地図》
この地は前田氏の東起(ひがしおこし)城跡という。また尾張藩徳川義直が鷹狩りをした時、休息した場所ともいう。
正徳橋(庄内川)の手前で百曲街道は終わる。
正徳橋から庄内川 《地図》
正徳橋を渡って漁業で栄えた下之一色(しものいっしき)町へ入る。
漁村独特の閑所(かんしょ)と呼ばれる細い道。 《地図》
漁港の施設が廃墟となって並んでいる。右の銭湯「新元湯」は今も営業しているのだろうか?
大正時代の建物で、名古屋市の「登録地域建造物資産」。最盛期には小さな下之一色の町に8軒もの銭湯があったそうだ。
下之一色は庄内川と新川が合流する三角州にあり、昔から漁業が盛んで、大正から昭和にかけても名古屋の台所を支える魚市場として栄えていた。だが太平洋戦争や伊勢湾台風の影響で漁業はすたれてしまった。
浅間神社 《地図》
創立年代は不詳だが、湯立神事等の伝承があることから、かなり古くからこの地に鎮座しているものと思われる。
みよどめ観音(三十三番割観音堂) 《地図》(中ノ切観音堂と標示)
干拓工事の最後となる堤防の締切りを「みよどめ(澪止め)」という。
熱田新田の最後、三十三番割工事の責任者・鬼頭景義は成功を祈願して三十三番割(港区当知町)に観音堂を造った。その後、庄内川の川筋を変えた時、ここの新川堤防に移された。慶応2年(1866)に御堂を再建し、阿弥陀如来・釈迦如来と33体の観音像を安置した。
嘉永3年(1850)、下之一色の漁師は、志摩半島にある船乗りや漁師の信仰が篤い青峰山正福寺から勧請して新川の堤防上に青峰堂を建てた。
明治10年、下之一色漁業組合が堂を改修して管理することになった。下之一色城址碑も境内にあったが、青峰堂は老人福祉施設の「共愛の里」に、下之一色城址碑は正色小学校門前に移された。
下之一色城址碑(正色小学校前)
城跡は天明年間(1781~88)の新川開削の時に川底になった。「正色」の正は下ノ一を組み合わせたもの。
青峯堂 《地図》
「共愛の里」内の新しい堂
国道1号に出て、権野(ごんの)バス停から高畑駅に出た。
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コメント
↑上の「番神堂」に三十番神は祀ってあります。見学コースにも入っていました。今後はどうなるか分かりませんが…
投稿: | 2017年9月 7日 (木) 00:06