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2016年10月30日 (日)

白子川を歩く

2016年10月20日

 『白子川を歩く』に記載

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2016年10月26日 (水)

佐原・香取街道③

2016年10月18日

佐原駅(JR成田線)・・・佐原町道路元標・・佐原の町並み・・忠敬橋(小野川)・・樋橋・・伊能忠敬旧宅・・伊能忠敬記念館・・・第二小野川踏切(JR成田線)・・・小野川水門・利根川・・・忠敬橋・・八坂神社・・・(県道55号)・・香取神宮鳥居・・・香取神宮・・要石・・奥の宮・・飯篠長威斉の墓・・雨乞塚・・・道祖神・・・香取交差点(県道253号)・・・神道山古墳群・・・境界標?・・・桝原稲荷神社・・・香取神宮表参道董橋・道標道祖神・・・神宮踏切(JR成田線)・・・忍男神社(東の宮)・・沖宮神社・・・津宮河岸(利根川)・香取宮常夜燈・一の鳥居(浜鳥居)・与謝野晶子歌碑・・・小社?・・・香取駅(JR成田線)

 「小江戸」と呼ばれた佐原の町並みを散策した後に、香取神宮へ向かう。神宮からは旧表参道を通り、一の鳥居の立つ津宮河岸まで行く。

  *参考:『小江戸めぐり』マップ・『佐原の町並み

  【ル-ト地図

Img_0501東薫酒造

Img_0494佐原町道路元標 《地図

右の電柱脇

Img_0457小堀屋本店(そば屋・右)・福新呉服店(左)

どちらも『重要伝統的建造物』、「黒切そば」は売り切れだった。

Img_0456正文堂(重伝建)

Img_0488忠敬橋から中村屋商店(重伝建)・正文堂 《地図

ここから東側が本宿、西側が新宿。

Img_0408説明板

Img_0466小野川

忠敬橋から上流に向かう。

Img_0472樋橋(とよはし・ジャージャー橋)

もとは灌漑用水を渡すための懸樋の橋だった。樋から漏れた水が川へジャージャーと落ちた。
右が伊能忠敬旧宅。

Img_0480説明板

Img_0482今でも観光用に30分おきに水をジャージャーと落としているようだ。

Img_0474伊能忠敬旧宅内を流れる農業用水路跡

これが樋橋を渡っていた。

Img_0473説明板

忠敬橋から北へ、下流の利根川合流地点まで行く。

Img_0451旧油惣商店(重伝建)

Img_0447正上(重伝建)

Img_0446木の下旅館

小野川沿いの明治34年創業という旅館

Img_0443小野川沿いの家並み

Img_0439小野川水門・小野川排水機場 《地図

Img_0435小野川水門から利根川

忠敬橋まで戻る。

Img_0404植田屋金物店

Img_0401中村屋乾物店(重伝建)

Img_0398「あぶり餅」の花冠

Img_0392素顔屋(すっぴんや)

Img_0390蜷川家具店

Img_0394三菱館(重伝建)

Img_0380?店

Img_0375爛漫

Img_0377八坂神社地図

本宿の鎮守。新宿の鎮守は前回訪れた諏訪神社。

Img_0376由緒

香取神宮交差点を横切り、佐原宿を過ぎて香取神宮へ向かう。

Img_0371香取神宮鳥居 《地図

ここから香取神宮はかなり離れている。

Img_0364香取神宮参道入口

東国三社の一社

Img_0356参道

Img_0358説明板

Img_0346楼門

Img_0348拝殿

Img_0349神前結婚が神妙におごそかに執り行われている。

「どうか末永く お幸せに」

Img_0343要石

地震を鎮めた石にしては小さいが、これは頭部分で地下深くに埋まっているとか。

Img_0360説明板

Img_0335奥宮参道

Img_0337ひっそりと佇んで祀られている。

Img_0333飯篠長威斉

Img_0334説明板

Img_0332雨乞い塚

聖武天皇天平4年(732)の大干ばつの時、ここに祭壇を設け雨乞いをしたと伝える。

香取神宮の北西側を通り、(旧)一の鳥居の立つ利根川の津宮河岸に向かう。

Img_0326境内と違い参拝客は通らない静かな通りだ。

Img_0321湧き水に鳥居

Img_0318道沿いの旧家

Img_0316この先で車道へ出て香取交差点を横切って行く。

Img_0311神道山古墳標柱

Img_0307境界標

「従是南千葉縣香取郡香取町」

Img_0306桝原稲荷神社 《地図

鳥居をくぐって遥拝のみ。

Img_0299董橋(ただすばし)

香取神宮の旧表参道に架かる橋で、通称「じょんぬきばし」。

Img_0293香取神宮表参道董橋竣工記念碑(右)・道祖神(左)

道祖神(安永8年(1779))は道標を兼ねている。

Img_0294香取市の道標』によれば、「南はかんと里 西は島居可し」・「東は中かし」だそうだ。香取・鳥居河岸・中河岸だろう。

Img_0284忍男神社 《地図

Img_0286説明板

Img_0283沖宮神社(忍男神社の斜め向かい側)

Img_0268津宮河岸の香取神宮一の鳥居(浜鳥居)・常夜燈・与謝野晶子歌碑(左端) 《地図

歌碑「かきつばた 香取の神の 津の宮の 宿屋に上る 板の仮橋」で、ここには宿屋もあったのだ。
与謝野晶子の生家跡は堺市の紀州街道沿いにある。

Img_0267説明板

Img_0271利根川は悠々、ゆったりと流れている。

かつては利根川水系の河川や運河を利用して東国三社参りが行われていた。
ここを佐原・香取街道の終点とし、香取駅に向かった。

Img_0260香取駅

香取神宮への下車駅にしては意外と小さな駅で気に入った。

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2016年10月22日 (土)

佐原・香取街道②

2016年10月14日

京成成田駅 バス→大栄支所バス停・・馬洗城址・・道標地蔵①・・琴平神社・・道標地蔵②・・・馬洗橋(大須賀川)・・・国道51号・・・伊能バス停・・伊能地区・・道標・・大須賀神社・・・国道51号・・・長興院・・・南敷第2橋(東関道)・・・熊野神社・・・金比羅神社・・・(香取市)・・・道標地蔵③・二十三夜供養塔・・・道標地蔵④・・・旧道・・・雷神社・・・観音堂・・・法界寺・・・遍照院大師堂・・常照寺・・・諏訪神社・・佐原公園・・菅谷不動尊・・・伊能忠敬銅像・・・諏訪神社鳥居・・・水源橋(両総用水)・両総第一揚水機場・・・佐原駅(JR成田線)

  【ル-ト地図

Img_9435馬洗(まあらい)城址 《地図

大栄支所あたり一帯の大須賀氏の城跡で、国道を挟んだ向かい側にあった松子城の出城の役割だったようだ。(『余湖君のホームページ』による)
旧道は城の崖下を回って行く。

Img_9634道標地蔵①(文政10年(1827)) 《地図

右の草むらに隠れるように立っている。すり減っていて読めないが、『成田市の道標』によれば、「西 きちおか なり田」・「東 いのう さはら」・「 うすく里 ひとつぼた まいはやし道」だそうだ。吉岡・成田・伊能・佐原・臼作・一坪田・前林だろう。

Img_9638琴平神社

南側の高台は「ふれあいの丘街区公園」になっている。馬洗城址の案内板などを探したが見当たらなかった。

Img_9639長屋門

Img_9640道標地蔵② 《地図

これは読める。

Img_9641「きちおか なりた」・「いのふ さはら」・「など かうざ起 阿ば」で、吉岡・成田・伊能・佐原・奈土・神崎・阿波のようだ。

Img_9652馬洗橋(大須賀川)から松子城址方向

成田空港建設で城址は削平されて城の遺構も痕跡もないようだ。

国道51号に出て、伊能バス停から伊能地区に寄る。伊能忠敬の養子先の佐原の伊能家の祖地で、戦国時代には大須賀氏に属していたが、後に佐原に帰農したそうだ

Img_9447旧家

Img_9441道標(明治?年)

「北 かうさ起 阿ば つちうら道 さハらてうし道」・ 「南 きちおか なりた とう京道」(『成田市の道標』による)
正面奥が大須賀神社

Img_9445大須賀神社地図

伊能歌舞伎が奉納される。

国道51号に戻る。

Img_9654長興院山門

Img_9667熊野神社 《地図

Img_9669金比羅神社

鳥居の奥に石祠がポツンと寂しげな境内になっている。

Img_9671香取市に入る。

単調な国道歩きが続く。

Img_9672道標地蔵③・二十三夜供養塔(鳥羽中央バス停手前左側)

Img_9673「左 なりたミち 右 たこみち」か?

東方を多古街道が通っている。

Img_9683大木の根元に石祠

Img_9686道標地蔵④ 《地図》あたり

Img_9688子育延命地蔵の左右に、「さわら みち」・「江とみち」か? 自信はないが。

Img_9700右へ旧国道へ入って行く。 《地図

Img_9706雷神社 《地図

元禄14年(1701)建立。赤穂浪士の討入りの年だ。

Img_9716上宿台バス停あたりから佐原の町に下る坂。《地図

けっこう長い坂だ。自転車を押して上って来るおじさんに坂名はあるか聞いたが分からなかった。

Img_9721観音堂(坂の途中の右側)

右に「南無阿弥陀仏供養塔」・「??観世音」碑・馬頭観音などが立っている。

Img_9718観音堂内

子安観音だろう。赤子を抱いている。

Img_9725法界寺

Img_9728由来

Img_9729徳川家光尊前灯籠

家光の諡号の「大猷院殿・・尊前」と刻まれている。

Img_9733朝鮮灯篭

Img_9736遍上院大師堂(右)・常照寺(奥)

Img_9740常照寺

雨戸は閉められ今は無住の寺か。

Img_9741縁起碑

Img_9748諏訪神社

佐原を南北に流れる小野川の西側の新宿の鎮守。東側の本宿の鎮守は八坂神社。
125段くらいある急な石段を上る。

Img_9763社殿脇の大クスノキ?

Img_9772中央奥に小野川と利根川の合流点がうっすらと見える。次回はあそこまで行って見るつもりだ。

この先の佐原公園の展望台からは木々にふさがれて眺望はきかない。

Img_9769菅谷不動(荘厳寺)

Img_9777伊能忠敬銅像

Img_9780説明板

Img_9782諏訪神社鳥居 《地図

左に両総用水に向かう。

Img_9784大野機械店

歴史を感じる現役の機械の店

Img_9797両総第一揚水機場 《地図

Img_9793両総用水

現在地から九十九里浜へと農業用水路が続く。

Img_9799水源橋(両総用水)から利根川方向

まだ2時半頃だが、国道歩きで気分的に疲れた。佐原の町並み歩きは次回の楽しみとして佐原駅に向かった。

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2016年10月19日 (水)

佐原・香取街道①

2016年10月7日

成田駅(JR成田線)・・成田街道・・・成田山新勝寺・・寺台宿・・大日如来堂・永興寺・・保目神社・・寺台城址・・・吾妻橋(根木名川)・・寺台交差点・国道51号・・・円融寺・・・東金山橋(取香川)・・・(成田スカイアクセス線)・・・旧道・・・東陽寺跡・・神光寺廃寺・・鎮守皇神社・・・国道51号・・・野毛平工業団地・・・小社・・・野馬土手跡?・・・十余三第1橋(東関道)・・・稲荷社・・・道標・・・香取神社・・東雲の丘・・十余三トンネル(成田空港B滑走路)・・・十余三第2大橋(東関道)・・・小社・・・(圏央道)・・・稲荷神社・・・吉岡十字路・・・大栄町歴史の森公園標識・・旧道・・庚申塔・・・浅間神社・・・大慈恩寺・・・国道51号・吉岡宿並交差点・・八坂神社・・・長屋門①~④・・・大栄支所バス停→京成成田駅

 成田街道の続きとして、舟運で栄えて「江戸まさり」とも称され、古い町並みが残り、伊能忠敬ゆかりの地でもある佐原宿から香取神宮へ向かう。

  【ル-ト地図

Img_9291大日如来・庚申堂(左)・延命地蔵堂(永興寺門前) 《地図

Img_9282説明板①

Img_9286説明板②

享保15年の銘があるのは大日如来か庚申塔か?

Img_9292永興寺(ようこうじ)

天正18年(1590)の秀吉の小田原征伐の際の寺台合戦(土屋合戦)で徳川軍に敗れ討ち死にしたという寺台城主の馬場勝政が葬られたという。小野派一刀流開祖の小野忠明の墓もあるそうだ。

Img_9293寺台宿の家並み

成田街道の終点、佐原街道の起点で成田方から下宿・中宿・上宿から成っていた。北側の高台には千葉氏の家臣・馬場氏の寺台城があり、当初は城下町として形づくられたようだ。上宿の東側を流れる根木名川に寺台河岸があり、銚子・江戸方面との舟運で発展した。今は城下町、宿場の面影は全くなく、成田山の東参道だが人通りは少ない。

Img_9294保目(ほうめ)神社

Img_9295説明板

Img_9300寺台城址 《地図

千葉氏の族臣・馬場氏累代の居城跡。天正18年、馬場伊勢守勝正の時に亡び、海保甲斐守三吉が徳川家康からこの城を賜ったという。右後ろが「海保甲斐守三吉之遺址碑」(標柱の説明文による)
もともと海保氏が城主だったという説もある。
その右は地蔵?の小祠か。

Img_9306城址から

Img_9309吾妻橋から根木名川 《地図

3つあった寺台河岸の「黒川河岸」あたりで、下流に「山小河(やまこが)河岸」、「山六河岸」があったそうだ。
利根川への水運・舟運で栄えた頃は、川幅も広く、水深もあったのだろう。
成田山への舟で参拝者たちはここで舟を降り、寺台宿の東参道を通り新勝寺へと向かった。

寺台交差点で国道51号に出る。

Img_9322成田スカイアクセス線をくぐる。

Img_9325左の旧道に上る。《地図》(乃どりの先)

ここから鎮守皇神社の先で国道51号に出るまでの道筋は、墓地・廃墟のようなラブホテル・荒れた廃寺・時の流れが止まり忘れ去られた感じの神社などが並ぶ一風変わった空間になっている。

Img_9328ホテルk&k(左下)

営業しているのだろうか? どうでもいいが。

Img_9330壊れかけた小祠と題目塔(享保?年)

題目塔の左側面に「明照山東陽寺」とある。ここが東陽寺跡で、この先の神光寺と同様に廃寺となってしまったのか? 堂らしい建物(跡)はなかったように思うが。
このあたりは、『成田に吹く風』の「東陽寺」・「神光寺」・「鎮守皇神社」に詳しい。

Img_9336小祠内の赤子を抱えた子安観音か七面天女像か?

Img_9338庚申塔(小祠の後ろの塚上)

Img_9340神光寺廃寺

もとは鎮守皇神社の別当寺だったそうだ。右の地蔵(元文3年(1736))は欠けた頭を後から継ぎ足している。台座には「十五夜念佛開眼 八月吉日 施主二十一人」と刻まれている。280年前の8月15日の十五夜には、このあたりは賑わったのだろう。今では荒れて寂しい空間になっている。

Img_9345鎮守皇神社

両側の大木は根元から朽ち果ててきている。

国道51号に出ると現実の世界に戻った感じだ。

Img_9351野毛工業団地(左側)

交差点に「小泉館址2km 脇鷹(そばたか)神社2km」の標識が立つ。
左の樹林の中に小社がある。

Img_9353小社 《地図

ここで小休止

Img_9357野馬(除)土手跡か?

十余三(とよみ)地区は、江戸幕府直轄の馬牧跡で、明治になって旧下級武士の失業・窮民対策の開墾事業が行われた。開墾された新しい土地には数字のつく縁起のいい名がつけられた。「初富・二和・三咲・豊四季・五香・六実・七栄・八街・九美上・十倉・十余一・十余二・十余三」と9市にもまたがるのだから、その広さが分かる。

十余三第1橋(東関道)を渡る。

Img_9361稲荷社 《地図

Img_9362地蔵の右は、「左なりた道」のようにも見えるが?

左には?

Img_9364東小学校交差点 《地図

右の電柱の所に道標

Img_9368「西 野毛平成田道」・「東 長田堀之内道」・北に向かうのだが「北・・・・」が読めない。「北 吉岡 佐原道」と勝手な想像。

Img_9370香取神社

成田空港の建設で当地に遷座した。

Img_9372遷座記念碑

Img_9374十余三トンネル(右)・東雲の丘(左) 《地図

小学校の生徒が考えた名称。

Img_9379東雲の丘からJAL機がB滑走路へ着陸

Img_9383PIA機(パキスタン航空)

Img_9385十余三トンネル手前からJAL機?

わずか15分位の間に、気づいただけで5~6機の飛行機が着陸した。JR山手線・京浜東北線以上だ。

十余三トンネルを抜ける。

Img_9391やっと秋らしくなってきた。

十余三第2大橋(東関道)を渡る。

Img_9393?社

Img_9396圏央道をくぐって行く。

Img_9398稲荷神社 《地図

吉岡十字路を過ぎる。

Img_9403この先を左に入って行く。《地図

Img_9404庚申塔(寛政5年(1793))

案内板の向かい側の道沿い。

Img_9407周辺図

今日は休工日で浅間神社から大慈恩寺への道は通れた。

Img_9409浅間神社

参道は雑草に覆われている。上に社殿はあるのだろうか?

Img_9410のどかな道を行く。

Img_9416大慈恩寺勅使門、山門(右)

鑑真の開基で、鎌倉時代以降は、千葉氏一族の大須賀氏の保護を受け繁栄した。明徳2年(1391)に後小松天皇から「大」の字を賜り、大慈恩寺と号するようになったという。
大慈恩寺宝物類

Img_9412説明板①

Img_9420説明板②

Img_9423本堂

Img_9425吉岡宿並交差点で国道51号に戻る。

Img_9427八坂神社・愛宕神社(右奥)

吉岡の祇園まつり

吉岡の昭栄郵便局あたりには、吉岡宿を感じさせる長屋門が並んでいる。

Img_9429長屋門①

Img_9430

Img_9433

Img_9434

成田市役所大栄支所あたりが馬洗城址で、旧道は城の縁を回っていたようだ。そこからは次回とし大栄支所バス停から京成成田駅に戻った。

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2016年10月18日 (火)

東久留米市の坂

2016年10月16日

東久留米駅(西武池袋線)・・・門前大橋(黒目川)・金山坂・・氷川神社①・・庚申塔・・・厳島神社・・・氷川神社②・・・神宝大橋(黒目川)・野猿坂・・庚申塔・・・神山堂公園・堂坂①・・・稲荷社?・・・宝泉寺・・・昭和橋(黒目川)・・・度胸坂・・・庚申塔・・・落合橋(落合川)・燈火坂・・・廻国供養塔・・・地蔵・馬頭観音・・宮前橋(立野川)・・浅間神社・殿山坂・・・落合橋・・・不動橋(落合川)・・不動堂・・・不動坂・・・小沢橋(立野川)・小沢坂・・・(西武池袋線踏切)・・・ひばりヶ丘団地・・・庚申塔・笠松坂・・笠松橋(立野川)・・稲荷社・・・宮前橋(南沢湧水)・・氷川神社③・・南沢水辺公園・・・宮下橋(落合川)・・・毘沙門橋(落合川)・・共立学校跡・・多聞寺・・・(いなり山緑地(黒目川旧流路))・・・曲橋(黒目川)・・・大圓寺・・・子ノ神社・・馬坂・・・堂坂②・・御嶽神社・・石橋供養塔・・中橋(黒目川)・・・落馬橋・陵坂・・・(小金井街道)・・・(新小金井街道)・押出し橋(野火止用水)・・おんだしの坂・・・降馬橋(黒目川)・新小金井街道・・・(下里本邑通り)・・・所沢街道・・くらやみ坂・・・大橋(黒目川)・(下里本邑通り)・・下里の坂・・(出水川(跡))・・界橋(野火止用水)・・・下里六丁目バス停→清瀬駅(西武池袋線)

  【ル-ト地図

Img_9814金山坂(坂上方向) 《地図

門前大橋(黒目川)から北方向に上る坂。坂の東側が金山町。左に氷川神社①

Img_9824氷川神社

Img_9816坂上方向

右に庚申塔(享保19年(1734))

Img_9817説明板

Img_9820坂下方向

Img_9830厳島神社 

Img_9843氷川神社② 《地図

Img_9846野猿坂(坂上方向) 《地図

東久留米市と新座市の境を北方向に上る坂。昔は野猿が出るほどさびしい坂だったと思っていたが、坂下近くにある庚塔の申(猿)による坂名だとか。右に庚申塔の祠がある。

Img_9847三猿の庚申塔

Img_9850坂上方向

Img_9855堂坂①(坂下方向) 《地図

公園の西側を南方向に下る急坂。昔、薬師堂(今は宝泉寺にある?)があったという。

Img_9858坂下方向

Img_9860坂上方向

Img_9862宝泉寺

堂坂①にあったという薬師堂を探すも見当たらず。
東久留米七福神の弁財天

Img_9864石憧六地蔵(右)

子育地蔵(左)には子どもが3人すがりついている。

Img_9863説明板

昭和橋で黒目川を渡る。

Img_0010度胸坂(坂上方向) 《地図

南方向に上る坂。昔はこの坂を大八車で下りられる人とか、夜一人で通れる人は度胸があるといわれたという。今は短く傾斜もゆるく、坂ともいえないような道になっている。

Img_0018庚申塔(文久3年(1863)・祠内の右) 《地図

Img_0014説明板

Img_0016邪鬼というより、いたずらをしてこらしめられている悪ガキ(餓鬼)のようだ。

Img_0022落合橋から落合川

Img_0023燈火坂 《地図

落合橋から南西方向へ上る坂。この坂を通る狐の嫁入りの行列の提灯の火がチラチラしてたので燈火坂とか。昔は木々に覆われてさびしい、狐狸妖怪の出るような坂だったのだろう。

Img_0025坂下方向

Img_0027廻国供養塔(宝暦13年(1763)) 《地図

讃州(香川県)からの六部が建立した供養塔。

Img_0028説明板

Img_0031地蔵と馬頭観音 《地図

地蔵は宝暦8年の建立で、廻国供養塔より以前の造立だ。馬頭観音には?化9年の銘がある。

Img_0039浅間神社

旧落合村(浅間町)の鎮守

Img_0043殿山坂 《地図

浅間神社の東側を南方向に上る坂。殿様(小野氏)の山へ上る坂。

Img_0045坂上方向

Img_0049坂下方向

落合橋まで戻り、上流の不動橋まで行く。

Img_0060不動堂(不動坂の北側)

右が文政9年(1826)の不動明王

Img_0061説明板

Img_0064不動坂(坂上方向) 《地図

不動橋から南方向に上る坂。

Img_0066坂上方向

Img_0069坂下方向

Img_0082小沢橋から立野川(下流方向)

Img_0083小沢坂(坂上方向) 《地図

小沢橋から南西、南東に上る坂。

Img_0085坂下方向

Img_0086坂上方向

Img_0094西武池袋線の踏切を渡る。

Img_0098学園町の通り

木々に覆われ気分のいい道だ。

Img_0100ひょろりと伸びた松

このあたりには松の大木が多い。

ひばりヶ丘団地の北側を進む。

Img_0106笠松坂上 《地図

3代目の笠懸松と庚申堂。在原業平が東下りの折に、笠を懸けた松という。
業平伝承の地は、落語『千早振る』で。

Img_0108庚申塔(元禄7年(1694))

Img_0107説明板

Img_0116笠松坂(坂下方向)

笠松坂交差点から北方向に下る坂。

Img_0119坂上方向

Img_0124笠松橋から立野川(下流方向) 《地図

立野川は小沢橋から浅間神社の東側を流れ、落合川に注いでいる。

Img_0132氷川神社③

宮前橋(南沢湧水)から 《地図

Img_0134南沢湧水からの流れ

Img_0137説明板

Img_0141氷川神社③

旧南沢村の鎮守

Img_0154毘沙門橋から落合川下流方向 《地図

Img_0157共立学校跡

多聞寺前

Img_0156説明板

Img_0166多聞寺山門

東久留米七福神の「毘沙門天」

Img_0163説明板

Img_0170いなり山緑地 《地図

黒目川の旧流路跡

曲橋で黒目川を渡る。大圓寺・子ノ神社は『黒目川を歩く』に記載

Img_0177馬坂(坂上方向) 《地図

小山1丁目と2丁目の間を北に上る。坂の途中に「ねの坂西駐車場」がある。「子(ね)の坂」とも呼ばれているかも。

Img_0179坂下方向

坂上に地頭の矢部藤九郎の屋敷があったという。

Img_9610矢部藤九郎の墓

大圓寺境内

Img_0186堂坂②(坂下方向) 《地図

中橋(黒目川)から北方向に上る坂。薬師堂?があったのか?

Img_0193御嶽神社

坂の途中の東側

Img_9586坂上方向

坂下に石橋供養塔・力石がある。『黒目川を歩く』に記載

Img_0203陵坂(坂上方向) 《地図

落馬橋(黒目川)から北方向に上る坂。途中の東側に共同墓地がある。

Img_0205坂下方向

Img_0212野火止用水(押出し橋あたり)《地図

Img_0221おんだしの坂(坂下方向) 《地図

降馬橋(黒目川)から北方向に、野火止用水の「押出し橋」あたりまで上る坂。

Img_0225坂上方向

降馬橋(黒目川)から新小金井街道へ進み、所沢街道(県道4号)に入る。

Img_0234くらやみ坂(坂上方向) 《地図

下里1丁目と2丁目の間を上り下りする坂で、昔は木々が覆いかぶさる暗い坂だったという。今は明るいただの車道で傾斜もゆるい。

Img_0239坂下方向

Img_0245下里の坂(坂上方向) 《地図

大橋(黒目川)から北西方向に、野火止用水に上る所沢街道の坂だが、この坂もゆるやかな坂になっている。

Img_0248出水川(暗渠) 《地図

本邑橋(新小金井街道)手前で黒目川に合流する。

Img_0254坂下方向

坂上から下里六丁目バス停に出て清瀬駅に向かった。

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2016年10月17日 (月)

黒目川を歩く

2016年10月13日・15日

 『黒目川を歩く』に記載

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