佐原・香取街道②
2016年10月14日
京成成田駅 バス→大栄支所バス停・・馬洗城址・・道標地蔵①・・琴平神社・・道標地蔵②・・・馬洗橋(大須賀川)・・・国道51号・・・伊能バス停・・伊能地区・・道標・・大須賀神社・・・国道51号・・・長興院・・・南敷第2橋(東関道)・・・熊野神社・・・金比羅神社・・・(香取市)・・・道標地蔵③・二十三夜供養塔・・・道標地蔵④・・・旧道・・・雷神社・・・観音堂・・・法界寺・・・遍照院大師堂・・常照寺・・・諏訪神社・・佐原公園・・菅谷不動尊・・・伊能忠敬銅像・・・諏訪神社鳥居・・・水源橋(両総用水)・両総第一揚水機場・・・佐原駅(JR成田線)
【ル-ト地図】
馬洗(まあらい)城址 《地図》
大栄支所あたり一帯の大須賀氏の城跡で、国道を挟んだ向かい側にあった松子城の出城の役割だったようだ。(『余湖君のホームページ』による)
旧道は城の崖下を回って行く。
道標地蔵①(文政10年(1827)) 《地図》
右の草むらに隠れるように立っている。すり減っていて読めないが、『成田市の道標』によれば、「西 きちおか なり田」・「東 いのう さはら」・「東 うすく里 ひとつぼた まいはやし道」だそうだ。吉岡・成田・伊能・佐原・臼作・一坪田・前林だろう。
南側の高台は「ふれあいの丘街区公園」になっている。馬洗城址の案内板などを探したが見当たらなかった。
道標地蔵② 《地図》
これは読める。
「きちおか なりた」・「いのふ さはら」・「など かうざ起 阿ば」で、吉岡・成田・伊能・佐原・奈土・神崎・阿波のようだ。
馬洗橋(大須賀川)から松子城址方向
成田空港建設で城址は削平されて城の遺構も痕跡もないようだ。
国道51号に出て、伊能バス停から伊能地区に寄る。伊能忠敬の養子先の佐原の伊能家の祖地で、戦国時代には大須賀氏に属していたが、後に佐原に帰農したそうだ。
「北 かうさ起 阿ば つちうら道 さハらてうし道」・ 「南 きちおか なりた とう京道」(『成田市の道標』による)
正面奥が大須賀神社
伊能歌舞伎が奉納される。
国道51号に戻る。
鳥居の奥に石祠がポツンと寂しげな境内になっている。
単調な国道歩きが続く。
東方を多古街道が通っている。
道標地蔵④ 《地図》あたり
子育延命地蔵の左右に、「さわら みち」・「江とみち」か? 自信はないが。
右へ旧国道へ入って行く。 《地図》
雷神社 《地図》
元禄14年(1701)建立。赤穂浪士の討入りの年だ。
上宿台バス停あたりから佐原の町に下る坂。《地図》
けっこう長い坂だ。自転車を押して上って来るおじさんに坂名はあるか聞いたが分からなかった。
右に「南無阿弥陀仏供養塔」・「??観世音」碑・馬頭観音などが立っている。
子安観音だろう。赤子を抱いている。
家光の諡号の「大猷院殿・・尊前」と刻まれている。
雨戸は閉められ今は無住の寺か。
佐原を南北に流れる小野川の西側の新宿の鎮守。東側の本宿の鎮守は八坂神社。
125段くらいある急な石段を上る。
中央奥に小野川と利根川の合流点がうっすらと見える。次回はあそこまで行って見るつもりだ。
この先の佐原公園の展望台からは木々にふさがれて眺望はきかない。
諏訪神社鳥居 《地図》
左に両総用水に向かう。
歴史を感じる現役の機械の店
両総第一揚水機場 《地図》
両総用水路
現在地から九十九里浜へと農業用水路が続く。
まだ2時半頃だが、国道歩きで気分的に疲れた。佐原の町並み歩きは次回の楽しみとして佐原駅に向かった。
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