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2017年4月30日 (日)

東京散歩(杉並区①)

2017年4月20日

  『東京散歩(杉並区①)

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2017年4月25日 (火)

千川上水を歩く②

2017年4月14日

  『千川上水を歩く②

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2017年4月20日 (木)

千川上水を歩く①

2017年4月13日

  『千川上水を歩く①

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2017年4月15日 (土)

東京散歩(谷端川跡)

2017年4月10日・12日

  『東京散歩(谷端川跡)

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2017年4月13日 (木)

大山街道(青山道・矢倉沢往還ルート)

赤坂御門跡・・・牛鳴坂・・・宮益坂・・・道玄坂・・・大坂①・・・道標(上目黒氷川神社)・・・大橋(目黒川)・・・ 三軒茶屋交差点・追分(新道・旧道)道標・・・(弦巻の追分)・・・大山旅人像・蛇崩川洗い場跡・・・用賀の追分(旧道・新道合流地点)・・・ 延命地蔵堂(旧道・新道追分)・・・慈眼寺坂・・・治大夫橋(次大夫堀)・・・二子の渡し跡碑・・・二子橋(多摩川)・・・(川崎市)・二子の渡し跡入口標柱・二子宿・・(府中街道との交差点)・・・大石橋(ニケ領用水)・・ 溝口宿・・ 大山街道ふるさと館・・・片町庚申塔(道標)・・・ねもじり坂 ・・・庚申坂・・・八幡坂①・・・小台坂・・・八幡坂②・・・(馬頭観音道標跡)・・・うとう坂・・・鍜治橋・・・荏田下宿庚申塔・・・高札場跡・・・(荏田城址)・・・市ヶ尾竹下地蔵堂・・・布引橋・・・猿田坂 ・・・川間橋(三文橋・鶴見川)・・・ さいかち坂(再勝坂)・・・(石塔坂)・・・(恩田川)・・・(岩川)・・・長津田下宿常夜燈・・・ 旧道・・・長坂・・・馬の背・・・町田市辻・浜街道(絹の道)交差地点・・・(鎌倉道交差地点)・・・ 五貫目道祖神・・・鶴瀬橋(境川)・・・観音寺・(鎌倉街道上の道交差地点)(下鶴間宿)・・・赤坂・・・南坂・・・目久尻橋(目久尻川)・・・国分の辻(堂坂下)・・・厚木の渡し跡・・相模大橋(相模川)・・厚木宿・・・新宿橋(玉川)・・・酒井の道標・・・玉川橋・・・愛甲宿の道標・・・庚申塔道標・・・大坂②・・・ 歌川橋(歌川)・・・糟屋宿道灌橋(渋田川)・・・丸山城址公園・・・咳止地蔵尊・・・ せきど橋(渋田川)・・・市米橋交差点(矢倉沢往還分岐地点)・・・東〆引の道標・・・台の道標・・・山王橋(千石堰用水)・・・這子坂・・・諏訪坂 ・・・阿夫利神社三の鳥居・・・二つ橋・・・新玉橋(鈴川)・・・加寿美橋(鈴川)・・・あたご(愛宕坂)・・・とうふ(豆腐)坂・・・千代見橋・・・こま参道入口・もみじ坂 ・こま参道・・・雲井川(鈴川)・・・女坂・・・本坂・・・ヤビツ峠分岐・・・大山山頂(1252m)・大山阿夫利神社本社(奥の院)・・・広沢寺温泉分岐・・・女坂分岐点・男坂・・・追分社(女坂合流地点)・・・こま参道・・・大山ケーブルバス停

  【ル-ト地図

 坂を中心にしてダイジェスト版にした。

Img_0169  赤坂御門跡 《地図

ここが大山街道(青山道)の起点

 

 

 

 

Img_0165 説明板

 

 

 

 

 

Img_0166

 

 

 

 



Img_0176 牛鳴坂を上る。《地図

赤坂から青山へ抜ける厚木通り(大山道)で、路面が悪く車をひく牛が苦しんだため。さいかち坂ともいう。

 

 

 

 

Img_0208 宮益坂(右)を下る。《地図

古くは富士見坂といい、矢倉沢往還(大山街道)の最初の坂。正徳3年(1716)に坂の途中にある千代田稲荷(現在の御嶽神社)にあやかって、町名を渋谷宮益町に変えたためこの坂名になった。





 

Img_0216 道玄坂を上る途中の古そうな建物。《地図

①江戸時代、和田義盛の残党、大和田太郎道玄が、渋谷氏滅亡後にこの坂に出没し、山賊野盗の振舞いをしたところから命名された。②「天正日記」によると、道玄庵という寺の庵主が、徳川家康に由緒書を出していることからこの名がついたという説もある。道玄庵は松見坂(目黒区)の近くにあったらしく、世田谷街道に入って松見坂までを道玄坂と呼んでいたらしい。『渋谷の坂』・『道玄坂の歴史





Img_0222 大坂①を下る。《地図



 

 



Img_0221 説明板




 

 

 

Img_0230 大山道道標(天保13年(1842)・上目黒氷川神社前)

正面に「大山道 せたがや通 玉川通」
右側面に「ひろう めぐろ 池がみ 品川 みち」
左側面に「青山 あざぶみち」

 

 

 

  Img_0253 大山道道標(三軒茶屋交差点)

旧道は右へ新道は左へ、分岐に不動尊道標が立つ。昭和44年までは玉川電車もここで分岐し、左路線は二子玉川駅まで通じていた。ここに田中屋、信楽(後に石橋楼)、角屋の3軒の茶屋があり、大山参りの旅人の休憩所となっていた。






Img_0254 説明板

 

 

 

 

 

Img_255 大山道道標(延享3年(1746))

弦巻の追分(弦巻5-16)に立っていたが、世田谷区立郷土資料館に移設・展示

 

 

 

 

Img_256 説明板

 

 

 

 

 

Img_0285 大山旅人像《地図

ここは蛇崩川の洗い場跡。

 

 

 

 

Img_0296 用賀追分(旧道・新道合流地点)《地図

古い道標(文政10年(1827))は、「右 江戸道 左 世田谷 四谷道」は郷土資料館に移設保存。

 

 

 

 

Img_0315 延命地蔵堂(新道・旧道追分)《地図

安永6年(1777)に用賀村の女念仏講中が建立。直進は新道で、この先で左に入り行善寺坂を下って多摩川堤へ出る。

 

 

 

Img_0324慈眼寺坂を下る。《地図

 

 

 

 

 

Img_0342 二子渡し跡標柱 《地図

寛文9年(1669)、大山街道の継立村となった対岸の二子村が請け負っていたが、天明7年(1787)、瀬田村にも渡し船の許可が下りた。ここは瀬田村にあった2ヶ所の発着所の一つ。大正14年(1925)二子橋が完成し、その役目を終えた。

 

 

 

Img_343 ありし日の渡し船

 

 

 

 

 

Img_350二子の渡し跡あたりの多摩川

東急田園都市線の下あたり。

 

 

 

 

Img_0356二子の渡し入口標柱(川崎側)《地図

 

 

 

 

 

Image490 大山街道ふるさと館(高津区溝口3-13)

 

 

 

 

 

Image498庚申塔道標

「西大山道 東江戸道 南加奈川道」

 

 

 

 

Image503ねもじり坂を上る。《地図

「ねもじり」の由来は不明とするが、『かながわ 坂のある風景』には、「武蔵風土記稿は根もちり坂、字松安寺より笹原へ出る山丘の根通りを上がるさなり、・・・・」とあって、ねもじり坂の名が丘の根通りを登るところからついたとする。」とあります。明治の中頃まではもっと狭く急坂で、牛車や荷車は後押しがなければ登れないほどだったので、別名「はらへり坂」ともいう。
江戸時代、相模原のアユを運ぶ鮎かつぎは溝口の亀屋を人足の中継所としていました。大山道を夜中に走ってきた鮎かつぎ人夫は、朝方ねもじり坂にさしかかると歌を歌って亀屋に合図を送り、近所の人たちはこの歌が聞こえると朝のしたくをはじめたそうです。『大山道歴史ウオッチングガイド』(大山街道ふるさと館発行) この歌は、「鮎は瀬に棲む 蝉や木に止まる 人は情けの下に住む・・・」『かながわ 坂のある風景』
Image502 説明板

 

 

 

 

 

Img_584 庚申坂を下る。《地図

 

 

 

 

 

Img_585説明板

 

 

 

 

 

Img_593 八幡坂①を下る。《地図

 

 

 

 

 

Image602 小台坂を上る。《地図

 

 

 

 

 

Image616 八幡坂②を下る。《地図

 

 

 

 

 

Image623 馬頭観音道標(有馬9丁目の国道246号の鷺沼2交差点の南側そば)

文化2年(1805)11月の銘。かつては上有馬と牛久保の境近くにあった。左側面に「大山道」・右側面に「王禅寺道」と刻字があった。大山道から分岐して保木の薬師堂を経て王禅寺に至たる道標として貴重。(現在は移設されてここにはないそうだ。)

 

 

 

Image628 うとう坂を下る。《地図

坂下は字牢場谷戸といい、昔は牢屋があったという。ここを通ったある藩主が籠の中から処刑を見て「うといものを見てしまった・・・」といったのが坂名の起こりだと伝える。『かながわ 坂のある風景』とあるが、どうもこじつけの感じがある。うとう坂は各地にあり、いろんな字を当てている。「うとう」は「烏頭」で、善知鳥(うとう)の「くちばし」に似たような地形、すなわち、山や海浜の出崎を言ったのであろう。『江戸の坂東京の坂』の説の方がいいのでは。「うとう坂」については『白河市(福島県)の坂』の善知鳥坂の所を参照。『うとう坂表

 

Img_0409 荏田宿庚申塔「説明板

荏田宿は江戸から7里、長津田宿へ2里で、下宿・中宿・上宿に分かれていた。街道沿いに3軒の旅籠と商店の27軒が軒を連ねていた。天保2年(1831)渡辺崋山は枡屋に泊まった。(『游相日記』)明治27年の大火で壊滅的な打撃を受け、今は宿場の面影はなく住宅街になっている。

 

 

 

荏田交差点(国道246号)を渡った先の辻が高札場跡。国道246号と東名高速の間あたりが荏田城址地図

Image256 市ヶ尾地蔵堂(青葉区市ヶ尾町の地蔵堂下交差点そば。市が尾駅の北側の旧大山街道沿い)

江戸中期頃の建立。地蔵堂前の一番左は道標庚申塔で、両足の外側に「大山みち」・「江戸みち」と彫ってある。もとは猿田坂にあったものだろう。

 

 

 

 

Image266 猿田坂を下る。《地図

現在、市ヶ尾地蔵堂にある庚申塔などがあったため名づけられた。猿は去るに通じるとして、嫁入り行列はこの坂を避けたとされる。坂下には旅籠綿屋、石橋屋、小石橋屋があった。

 

 

 

Image280 さいかち坂を下って上る。《地図

「さいかち」は皀(さいかち)の木のことだろうか?それとも「再勝」でこのあたりに戦の伝承でもあるのか?  バス停は「再勝坂」だ。

 

 

 

Image360

長津田宿常夜灯(長津田5-9の旧大山街道沿い) 

大山講中が文化14年(1817)に建立。長津田十景の「下宿晴嵐」
長津田宿は江戸から9里、荏田宿から2里、鶴間宿へ1里で幕末の頃は約50軒の家数だった。中心は中宿で長津田駅付近にあった。昭和28年の大火で往時の面影はなく、幾つか残る屋号に名残りを留めるのみ。

 

 

Image361 説明板

 

 

 

 

 

Image363 旧道(長津田小学校の南川沿い)

ここも長坂の一部。長津田十景「長坂夜雨」

 

 

 

 

Image364 長坂を下る。《地図

 

この先は、
大山街道(長津田駅→愛甲石田駅)』・
大山街道(愛甲石田駅→こま参道入口)』・
大山街道(女坂→大山山頂→男坂)』へ続く。

 

 

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2017年4月12日 (水)

大山道(中山道志村宿→川越街道下練馬宿・ふじ大山道起点)

志村坂上駅(都営三田線)--中山道--清水坂上-大山道標・大山道分岐地点--志村城跡碑--熊野神社-志村城山公園--(首都高5号)-庚申塔道標(志村第二公園)--南坂--庚申塔道標-中台稲荷神社--延命寺--かみなか庚申塔--(東武東上線)-馬頭観音道標-川越街道下練馬宿-大山不動道標・ふじ大山道(富士街道)→青梅街道合流地点→深大寺道甲州街道大山街道(八王子道)→→→大山

ル-ト地図】(志村坂上駅から大山不動道標まで)

 

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2017年4月11日 (火)

富士街道(ふじ大山道)②

2017年4月6日

 石神井公園駅(西武池袋線)・・・富士街道・一里塚改築記念碑・庚申塔・・・石神井池・・・禅定院・・・道場寺・・・三宝寺・・・釈迦本寺・・・氷川神社・・・石神井城跡・・三宝寺池・・水神社・・穴弁天(宇賀神社)・・厳島神社・・殿塚・・姫塚・・石神井松の風文化公園・・・富士街道・・・沼辺地蔵・・・庚申塚バス停・庚申塔祠・・・富士街道・・・地蔵祠・・・田柄用水跡・けやき憩いの森・・・牟礼道合流地点・・・高塚交差点・(西東京市)・・・牟礼道分岐地点・・・(かえで通り)・・・(新青梅街道)・・・(伏見通り)・・・庚申堂・・・深大寺道合流地点・六角地蔵石憧・・・青梅街道合流地点・・・西武柳沢駅(西武新宿線)

  【ル-ト地図

Img_8350一里塚改築記念碑 《地図

庚申塔(延享3年(1746))の左後ろ。昨日訪れた一里塚子育地蔵からちょうど1里だ。

富士街道から離れ石神井公園に向かう。「園内マップ

Img_8358石神井池

三宝寺池から周辺の田んぼに水を引いていた水路を、人工的にせき止めた人工池。

Img_8377禅定院

Img_8375説明板

Img_8373茅葺きの鐘楼・宝篋印塔

Img_8372ヒヨクヒバ

練馬の名木 57」

Img_8364キリシタン灯籠(寛文13年(1673))

Img_8368いぼ神地蔵

池畔に戻る。

Img_8382石神井池

好天で桜もまだ見頃。

Img_8388ラクウショウ(ヌマスギ・中央)

「練馬の名木 61」

再び池から離れ、南側の寺社を巡る。

Img_8395甘藍(きゃべつ)の碑

昨日は愛染院の参道で、「練馬大根の碑」を見た。一昔前まで練馬区は農村だったのだ。

Img_8401道場寺

武蔵野三十三観音の第2番

Img_8406三重塔

Img_8399説明板

Img_8422三宝寺山門(御成門)

将軍家光が鷹狩の休憩で立ち寄ってくぐった門。

武蔵野三十三観音の第3番

Img_8418説明板

Img_8417長屋門

もとは勝海舟邸にあった門だそうだ。

Img_8414鐘楼

Img_8416説明板

Img_8438宝篋印塔(天明元年(1781))

もとは御成門の近くにあったもの。

Img_8433根本大塔

Img_8435奥の院(大師堂)

Img_8437説明板

Img_8443氷川神社参道

Img_8448氷川神社

Img_8447石燈籠

Img_8445説明板

石燈籠の「左側のものは火袋が失われ・・・」とあるが、火袋はある。

Img_8461石神井城址

Img_8460説明板

Img_8451主郭あたりの土塁跡

Img_8454説明板

Img_8471水神社

Img_8476穴弁天(宇賀神社)

石神井城の城主豊島氏の創建?
三宝寺池底より発見された蛇体の女神弁財天の宇賀神(厳島神社の祭神の狭依毘売命(さよりひめのみこと)=市杵嶋姫命の配下神)を祀るそうだ。
鍵が掛かっていて入れず、蛇体の宇賀神は拝めず。

Img_8475何やら蛇体らしきような物が見える?

Img_8477厳島神社

Img_8483三宝寺池・厳島神社

Img_8478説明板

Img_8487殿塚

石神井城主豊島泰経平塚城(東京都北区)→小机城(横浜市)へと逃走したというのが史実のようだが。平塚城には蝉坂、小机城には城坂(跡)があった。

Img_8488由来

Img_8492姫塚

豊島泰経の二女の照姫の墓(塚)

Img_8490由来

Img_8496石神井松の風文化公園

富士街道に戻る。

Img_8499沼辺地蔵の祠(左) 《地図

Img_8501沼辺地蔵

Img_8504庚申塚交差点

右に庚申塔などの祠

Img_8511右端の石燈籠(元文5年(1740))は、「南ハ多かいどミち 北ハひさおりみち」と刻むというが確認できず。(高井戸と膝折)
青面金剛庚申塔は元禄5年(1692)の造立

Img_8514地蔵祠 《地図

右は旧早稲田通り

Img_8516地蔵(宝永3年(1706))

Img_8517けやき憩いの森 《地図

Img_8526田柄用水跡(けやき憩いの森内)

富士街道に沿って流れ、石神井町付近で北上し、昨日横切った田柄川(緑道)に平行して流れ、板橋区桜川で石神井川と合流する用水だった。

Img_8522説明板

Img_8528牟礼道が右(北)から合流する。《地図

高塚交差点で富士街道は直進し、牟礼道は左折して行く。

西東京市に入り、かえで通り~新青梅街道~伏見通りを横切って行く。

Img_8539庚申塔の祠 《地図

柳沢庚申講の旗が立っている。

Img_8541庚申塔(宝永6年(1709))

左は六十六部廻国供養塔(享保?年)

Img_8544北からの深大寺道と合流し、青梅街道に向かう。《地図

桜の下に六角地蔵石憧説明板)の祠

Img_8550青梅街道合流地点

左端に弘法大師供養塔の祠、向かい側右端の青梅街道沿いに笠付きの柳沢庚申塔。

この先、大山まではいくつもの道筋があったろうが、その一つとして、深大寺道甲州街道鎌倉街道上の道→関戸の渡し(多摩川)→小野路宿大山街道→大山が考えられる。
ここを終点とし、西武柳沢駅に向かった。

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2017年4月 9日 (日)

富士街道(ふじ大山道)①

2017年4月5日

 東武練馬駅(東武東上線)・・・川越街道・北町観音堂・・・浅間神社・・・環八通り交差地点・大山道道標・・・(田柄川緑道)・・・地蔵祠・・・金乗院・・・須賀神社・・・庚申塔道標・環八通り・・・陸上自衛隊練馬駐屯地・・・最勝寺・・・(平和台駅・地下鉄有楽町線)・・・本寿院・・・一里塚子育地蔵・・・富士街道分岐点・・・愛染院・・・(練馬春日町駅・都営大江戸線)・・・地蔵祠・・・若原稲荷神社・・・庚申塔祠・・・御嶽神社・・・庚申塔祠・・・谷原延命地蔵・・・馬頭観音?・・・谷原交差点・清戸道交差地点・笹目通り・・・氷川神社・・・長命寺・・・(西武池袋線)・・・和田堀公園・・・和田稲荷神社・・・石神井公園駅(西武池袋線)

 川越街道下練馬宿の環八通りとの交差地点に立つ大山道の道標から、田無の青梅街道との合流地点まで、ふじ大山道(富士街道)沿いを寄り道しながら2日間で行く。

  【ル-ト地図

Img_8187川越街道下練馬宿

北一商店街を東に向かう。

Img_8194大山道道標(「従是大山道」・宝暦3年(1753))

東高野山道標(左):「左東高野山道」 《地図

元の位置から8m西に移設された。
東高野山の長命寺にも今日の最後に寄る。

Img_8189説明板

Img_8218説明板(ふじ大山道

街道の所々に立っている。

 環八沿いを少し進み、左に入り金乗院へ向かう。

Img_8198田柄川緑道を横切る。《地図

Img_8200地蔵の祠

Img_8201地蔵さん

Img_8212金乗院

将軍家光がくぐった門、家光の手植えというイチョウの大木。

Img_8203説明板

Img_8209一石六地蔵(月待供養塔・明暦2年(1656))

Img_8205下練馬道標石(参道前)

Img_8204説明板

Img_8214須賀神社

環八通りに戻る。

Img_8217庚申塔道標(文政4年(1821)) 《地図

右側面に「ふじ大山道」

Img_8226陸上自衛隊練馬駐屯地沿いを進み、平和台駅前を過ぎる。

Img_8228本寿院 《地図

Img_8229説明板

Img_8231僧形馬頭観音(文政6年(1823))

まさに馬頭だ。

Img_8240一里塚子育地蔵の祠・「ふじ大山道」の新しい標石 《地図

左側が古い地蔵で、中央の新しい地蔵は赤子を抱いている。
中山道の志村の一里塚からは1里以上あるし、川越街道の大山道道標からでは短すぎるが?

Img_8237一里塚子育地蔵の奉納額(祠内)

Img_8241環八通りから分かれ右へ富士街道へ入る。 《地図

Img_8264愛染院参道

左は「練馬大根の碑」

Img_8262説明板

Img_8259山門

Img_8243長屋門

Img_8244説明板

Img_8247鐘楼

梵鐘(元禄14年(1701)銘)は木村将監安継の作。

Img_8249弘法大師一千年供養塔(天保5年(1834)・右)

敷石供養塔(左)

Img_8272地蔵祠 《地図

Img_8273地蔵(安永3年(1774))

Img_8277若原稲荷神社

由緒などは分からず。

Img_8283庚申塔祠(向こう側の右角)

Img_8285庚申塔(元禄5年?)

Img_8291御嶽神社 《地図

Img_8289服部半蔵奉納の仁王像

もとは富士街道沿いにあった高松寺(こうしょうじ)に寄進されたもの。

Img_8287説明板

Img_8292庚申塔祠

ここは民家の敷地内

Img_8293庚申塔

明治時代の造立で形もはっきりしている。

富士街道に戻る。

Img_8295谷原延命地蔵 《地図

富士街道は直進

Img_8297説明板

Img_8299延命地蔵(安永4年(1775))

台石側面に「左 たなし道 大山道 二里」・「みぎ はしど道」と刻むそうだ。

Img_8300_2左の木の下は文字の馬頭観音か? 表面がすり減っていてよく分からず。

Img_8303谷原交差点

清戸道との交差地点

笹目通りを進み、東高野山の長命寺に向かう。

Img_8307氷川神社 《地図

谷原村鎮守、長命寺の別当寺だった。

Img_8310長命寺参道

Img_8322南大門(仁王門)

Img_8314山門?

これも小振りの仁王門だ。

Img_8325鐘楼の梵鐘は慶安3年(1650)の銘

Img_8339道標「右高野山道」

ここは境内で、最初の川越街道との分岐にあった道標「左東高野山道」のように参詣路沿いにあったものか。ここから奥の院に向かう。

Img_8328御廟橋

手前方向が奥の院

Img_8329奥の院(御影堂)参道

高野山奥の院は御廟橋から先は撮影禁止だ。

Img_8336説明板

Img_8333姿見の井戸(奥の院参道の手前左側)

覗き込んだが顔は写らず。まあ長いことないだろう。

Img_8330説明板

四国17番の井戸寺の井戸でも顔は写らなかった。でもまだしぶとく?、だらだらと生きてはいる。

長命寺(『江戸名所図会』)

見所の多かった長命寺を後にして、石神井公園駅に向かう。

Img_8341和田堀公園 《地図

南方には石神井川の山下橋が近い。

Img_8342和田稲荷神社(伝五郎稲荷)

練馬区内では3基のみという、笠木と柱の間に台輪(だいわ)という円形の保護材をつけた台輪鳥居
区内でも最大級というシラカシがそびえている。

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2017年4月 5日 (水)

東京散歩(弦巻川跡)

2017年4月3日

  『東京散歩(弦巻川跡)

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