東京散歩(杉並区①)
2017年4月20日
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2017年4月6日
石神井公園駅(西武池袋線)・・・富士街道・一里塚改築記念碑・庚申塔・・・石神井池・・・禅定院・・・道場寺・・・三宝寺・・・釈迦本寺・・・氷川神社・・・石神井城跡・・三宝寺池・・水神社・・穴弁天(宇賀神社)・・厳島神社・・殿塚・・姫塚・・石神井松の風文化公園・・・富士街道・・・沼辺地蔵・・・庚申塚バス停・庚申塔祠・・・富士街道・・・地蔵祠・・・田柄用水跡・けやき憩いの森・・・牟礼道合流地点・・・高塚交差点・(西東京市)・・・牟礼道分岐地点・・・(かえで通り)・・・(新青梅街道)・・・(伏見通り)・・・庚申堂・・・深大寺道合流地点・六角地蔵石憧・・・青梅街道合流地点・・・西武柳沢駅(西武新宿線)
【ル-ト地図】
一里塚改築記念碑 《地図》
庚申塔(延享3年(1746))の左後ろ。昨日訪れた一里塚子育地蔵からちょうど1里だ。
三宝寺池から周辺の田んぼに水を引いていた水路を、人工的にせき止めた人工池。
「練馬の名木 57」
池畔に戻る。
好天で桜もまだ見頃。
「練馬の名木 61」
再び池から離れ、南側の寺社を巡る。
昨日は愛染院の参道で、「練馬大根の碑」を見た。一昔前まで練馬区は農村だったのだ。
武蔵野三十三観音の第2番
三宝寺山門(御成門)
将軍家光が鷹狩の休憩で立ち寄ってくぐった門。
武蔵野三十三観音の第3番
もとは勝海舟邸にあった門だそうだ。
もとは御成門の近くにあったもの。
石燈籠の「左側のものは火袋が失われ・・・」とあるが、火袋はある。
石神井城の城主豊島氏の創建?
三宝寺池底より発見された蛇体の女神弁財天の宇賀神(厳島神社の祭神の狭依毘売命(さよりひめのみこと)=市杵嶋姫命の配下神)を祀るそうだ。
鍵が掛かっていて入れず、蛇体の宇賀神は拝めず。
石神井城主豊島泰経は平塚城(東京都北区)→小机城(横浜市)へと逃走したというのが史実のようだが。平塚城には蝉坂、小机城には城坂(跡)があった。
豊島泰経の二女の照姫の墓(塚)
富士街道に戻る。
沼辺地蔵の祠(左) 《地図》
右に庚申塔などの祠
右端の石燈籠(元文5年(1740))は、「南ハ多かいどミち 北ハひさおりみち」と刻むというが確認できず。(高井戸と膝折)
青面金剛庚申塔は元禄5年(1692)の造立
地蔵祠 《地図》
右は旧早稲田通り
けやき憩いの森 《地図》
田柄用水跡(けやき憩いの森内)
富士街道に沿って流れ、石神井町付近で北上し、昨日横切った田柄川(緑道)に平行して流れ、板橋区桜川で石神井川と合流する用水だった。
高塚交差点で富士街道は直進し、牟礼道は左折して行く。
西東京市に入り、かえで通り~新青梅街道~伏見通りを横切って行く。
庚申塔の祠 《地図》
柳沢庚申講の旗が立っている。
左は六十六部廻国供養塔(享保?年)
青梅街道合流地点
左端に弘法大師供養塔の祠、向かい側右端の青梅街道沿いに笠付きの柳沢庚申塔。
この先、大山まではいくつもの道筋があったろうが、その一つとして、深大寺道→甲州街道→鎌倉街道上の道→関戸の渡し(多摩川)→小野路宿→大山街道→大山が考えられる。
ここを終点とし、西武柳沢駅に向かった。
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2017年4月5日
東武練馬駅(東武東上線)・・・川越街道・北町観音堂・・・浅間神社・・・環八通り交差地点・大山道道標・・・(田柄川緑道)・・・地蔵祠・・・金乗院・・・須賀神社・・・庚申塔道標・環八通り・・・陸上自衛隊練馬駐屯地・・・最勝寺・・・(平和台駅・地下鉄有楽町線)・・・本寿院・・・一里塚子育地蔵・・・富士街道分岐点・・・愛染院・・・(練馬春日町駅・都営大江戸線)・・・地蔵祠・・・若原稲荷神社・・・庚申塔祠・・・御嶽神社・・・庚申塔祠・・・谷原延命地蔵・・・馬頭観音?・・・谷原交差点・清戸道交差地点・笹目通り・・・氷川神社・・・長命寺・・・(西武池袋線)・・・和田堀公園・・・和田稲荷神社・・・石神井公園駅(西武池袋線)
川越街道下練馬宿の環八通りとの交差地点に立つ大山道の道標から、田無の青梅街道との合流地点まで、ふじ大山道(富士街道)沿いを寄り道しながら2日間で行く。
【ル-ト地図】
川越街道下練馬宿
北一商店街を東に向かう。
東高野山道標(左):「左東高野山道」 《地図》
元の位置から8m西に移設された。
東高野山の長命寺にも今日の最後に寄る。
説明板(ふじ大山道)
街道の所々に立っている。
環八沿いを少し進み、左に入り金乗院へ向かう。
将軍家光がくぐった門、家光の手植えというイチョウの大木。
環八通りに戻る。
庚申塔道標(文政4年(1821)) 《地図》
右側面に「ふじ大山道」
まさに馬頭だ。
一里塚子育地蔵の祠・「ふじ大山道」の新しい標石 《地図》
左側が古い地蔵で、中央の新しい地蔵は赤子を抱いている。
中山道の志村の一里塚からは1里以上あるし、川越街道の大山道道標からでは短すぎるが?
環八通りから分かれ右へ富士街道へ入る。 《地図》
愛染院参道
左は「練馬大根の碑」
梵鐘(元禄14年(1701)銘)は木村将監安継の作。
敷石供養塔(左)
地蔵祠 《地図》
由緒などは分からず。
服部半蔵奉納の仁王像
もとは富士街道沿いにあった高松寺(こうしょうじ)に寄進されたもの。
ここは民家の敷地内
明治時代の造立で形もはっきりしている。
富士街道に戻る。
谷原延命地蔵 《地図》
富士街道は直進
台石側面に「左 たなし道 大山道 二里」・「みぎ はしど道」と刻むそうだ。
左の木の下は文字の馬頭観音か? 表面がすり減っていてよく分からず。
清戸道との交差地点
笹目通りを進み、東高野山の長命寺に向かう。
氷川神社 《地図》
谷原村鎮守、長命寺の別当寺だった。
長命寺参道
これも小振りの仁王門だ。
ここは境内で、最初の川越街道との分岐にあった道標「左東高野山道」のように参詣路沿いにあったものか。ここから奥の院に向かう。
手前方向が奥の院
高野山奥の院は御廟橋から先は撮影禁止だ。
覗き込んだが顔は写らず。まあ長いことないだろう。
四国17番の井戸寺の井戸でも顔は写らなかった。でもまだしぶとく?、だらだらと生きてはいる。
長命寺(『江戸名所図会』)
見所の多かった長命寺を後にして、石神井公園駅に向かう。
和田堀公園 《地図》
南方には石神井川の山下橋が近い。
和田稲荷神社(伝五郎稲荷)
練馬区内では3基のみという、笠木と柱の間に台輪(だいわ)という円形の保護材をつけた台輪鳥居。
区内でも最大級というシラカシがそびえている。
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