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2017年4月11日 (火)

富士街道(ふじ大山道)②

2017年4月6日

 石神井公園駅(西武池袋線)・・・富士街道・一里塚改築記念碑・庚申塔・・・石神井池・・・禅定院・・・道場寺・・・三宝寺・・・釈迦本寺・・・氷川神社・・・石神井城跡・・三宝寺池・・水神社・・穴弁天(宇賀神社)・・厳島神社・・殿塚・・姫塚・・石神井松の風文化公園・・・富士街道・・・沼辺地蔵・・・庚申塚バス停・庚申塔祠・・・富士街道・・・地蔵祠・・・田柄用水跡・けやき憩いの森・・・牟礼道合流地点・・・高塚交差点・(西東京市)・・・牟礼道分岐地点・・・(かえで通り)・・・(新青梅街道)・・・(伏見通り)・・・庚申堂・・・深大寺道合流地点・六角地蔵石憧・・・青梅街道合流地点・・・西武柳沢駅(西武新宿線)

  【ル-ト地図

Img_8350一里塚改築記念碑 《地図

庚申塔(延享3年(1746))の左後ろ。昨日訪れた一里塚子育地蔵からちょうど1里だ。

富士街道から離れ石神井公園に向かう。「園内マップ

Img_8358石神井池

三宝寺池から周辺の田んぼに水を引いていた水路を、人工的にせき止めた人工池。

Img_8377禅定院

Img_8375説明板

Img_8373茅葺きの鐘楼・宝篋印塔

Img_8372ヒヨクヒバ

練馬の名木 57」

Img_8364キリシタン灯籠(寛文13年(1673))

Img_8368いぼ神地蔵

池畔に戻る。

Img_8382石神井池

好天で桜もまだ見頃。

Img_8388ラクウショウ(ヌマスギ・中央)

「練馬の名木 61」

再び池から離れ、南側の寺社を巡る。

Img_8395甘藍(きゃべつ)の碑

昨日は愛染院の参道で、「練馬大根の碑」を見た。一昔前まで練馬区は農村だったのだ。

Img_8401道場寺

武蔵野三十三観音の第2番

Img_8406三重塔

Img_8399説明板

Img_8422三宝寺山門(御成門)

将軍家光が鷹狩の休憩で立ち寄ってくぐった門。

武蔵野三十三観音の第3番

Img_8418説明板

Img_8417長屋門

もとは勝海舟邸にあった門だそうだ。

Img_8414鐘楼

Img_8416説明板

Img_8438宝篋印塔(天明元年(1781))

もとは御成門の近くにあったもの。

Img_8433根本大塔

Img_8435奥の院(大師堂)

Img_8437説明板

Img_8443氷川神社参道

Img_8448氷川神社

Img_8447石燈籠

Img_8445説明板

石燈籠の「左側のものは火袋が失われ・・・」とあるが、火袋はある。

Img_8461石神井城址

Img_8460説明板

Img_8451主郭あたりの土塁跡

Img_8454説明板

Img_8471水神社

Img_8476穴弁天(宇賀神社)

石神井城の城主豊島氏の創建?
三宝寺池底より発見された蛇体の女神弁財天の宇賀神(厳島神社の祭神の狭依毘売命(さよりひめのみこと)=市杵嶋姫命の配下神)を祀るそうだ。
鍵が掛かっていて入れず、蛇体の宇賀神は拝めず。

Img_8475何やら蛇体らしきような物が見える?

Img_8477厳島神社

Img_8483三宝寺池・厳島神社

Img_8478説明板

Img_8487殿塚

石神井城主豊島泰経平塚城(東京都北区)→小机城(横浜市)へと逃走したというのが史実のようだが。平塚城には蝉坂、小机城には城坂(跡)があった。

Img_8488由来

Img_8492姫塚

豊島泰経の二女の照姫の墓(塚)

Img_8490由来

Img_8496石神井松の風文化公園

富士街道に戻る。

Img_8499沼辺地蔵の祠(左) 《地図

Img_8501沼辺地蔵

Img_8504庚申塚交差点

右に庚申塔などの祠

Img_8511右端の石燈籠(元文5年(1740))は、「南ハ多かいどミち 北ハひさおりみち」と刻むというが確認できず。(高井戸と膝折)
青面金剛庚申塔は元禄5年(1692)の造立

Img_8514地蔵祠 《地図

右は旧早稲田通り

Img_8516地蔵(宝永3年(1706))

Img_8517けやき憩いの森 《地図

Img_8526田柄用水跡(けやき憩いの森内)

富士街道に沿って流れ、石神井町付近で北上し、昨日、横切った田柄川(緑道)に平行して流れ、板橋区桜川で石神井川と合流する用水だった。

Img_8522説明板

Img_8528牟礼道が右(北)から合流する。《地図

高塚交差点で富士街道は直進し、牟礼道は左折して行く。

西東京市に入り、かえで通り~新青梅街道~伏見通りを横切って行く。

Img_8539庚申塔の祠 《地図

柳沢庚申講の旗が立っている。

Img_8541庚申塔(宝永6年(1709))

左は六十六部廻国供養塔(享保?年)

Img_8544北からの深大寺道と合流し、青梅街道に向かう。《地図

桜の下に六角地蔵石憧説明板)の祠

Img_8550青梅街道合流地点

左端に弘法大師供養塔の祠、向かい側右端の青梅街道沿いに笠付きの柳沢庚申塔。

この先、大山まではいくつもの道筋があったろうが、その一つとして、深大寺道甲州街道鎌倉街道上の道→関戸の渡し(多摩川)→小野路宿大山街道→大山が考えられる。
ここを終点とし、西武柳沢駅に向かった。

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