富士街道(ふじ大山道)②
2017年4月6日
石神井公園駅(西武池袋線)・・・富士街道・一里塚改築記念碑・庚申塔・・・石神井池・・・禅定院・・・道場寺・・・三宝寺・・・釈迦本寺・・・氷川神社・・・石神井城跡・・三宝寺池・・水神社・・穴弁天(宇賀神社)・・厳島神社・・殿塚・・姫塚・・石神井松の風文化公園・・・富士街道・・・沼辺地蔵・・・庚申塚バス停・庚申塔祠・・・富士街道・・・地蔵祠・・・田柄用水跡・けやき憩いの森・・・牟礼道合流地点・・・高塚交差点・(西東京市)・・・牟礼道分岐地点・・・(かえで通り)・・・(新青梅街道)・・・(伏見通り)・・・庚申堂・・・深大寺道合流地点・六角地蔵石憧・・・青梅街道合流地点・・・西武柳沢駅(西武新宿線)
【ル-ト地図】
一里塚改築記念碑 《地図》
庚申塔(延享3年(1746))の左後ろ。昨日訪れた一里塚子育地蔵からちょうど1里だ。
三宝寺池から周辺の田んぼに水を引いていた水路を、人工的にせき止めた人工池。
「練馬の名木 57」
池畔に戻る。
好天で桜もまだ見頃。
「練馬の名木 61」
再び池から離れ、南側の寺社を巡る。
昨日は愛染院の参道で、「練馬大根の碑」を見た。一昔前まで練馬区は農村だったのだ。
武蔵野三十三観音の第2番
三宝寺山門(御成門)
将軍家光が鷹狩の休憩で立ち寄ってくぐった門。
武蔵野三十三観音の第3番
もとは勝海舟邸にあった門だそうだ。
もとは御成門の近くにあったもの。
石燈籠の「左側のものは火袋が失われ・・・」とあるが、火袋はある。
石神井城の城主豊島氏の創建?
三宝寺池底より発見された蛇体の女神弁財天の宇賀神(厳島神社の祭神の狭依毘売命(さよりひめのみこと)=市杵嶋姫命の配下神)を祀るそうだ。
鍵が掛かっていて入れず、蛇体の宇賀神は拝めず。
石神井城主豊島泰経は平塚城(東京都北区)→小机城(横浜市)へと逃走したというのが史実のようだが。平塚城には蝉坂、小机城には城坂(跡)があった。
豊島泰経の二女の照姫の墓(塚)
富士街道に戻る。
沼辺地蔵の祠(左) 《地図》
右に庚申塔などの祠
右端の石燈籠(元文5年(1740))は、「南ハ多かいどミち 北ハひさおりみち」と刻むというが確認できず。(高井戸と膝折)
青面金剛庚申塔は元禄5年(1692)の造立
地蔵祠 《地図》
右は旧早稲田通り
けやき憩いの森 《地図》
田柄用水跡(けやき憩いの森内)
富士街道に沿って流れ、石神井町付近で北上し、昨日、横切った田柄川(緑道)に平行して流れ、板橋区桜川で石神井川と合流する用水だった。
高塚交差点で富士街道は直進し、牟礼道は左折して行く。
西東京市に入り、かえで通り~新青梅街道~伏見通りを横切って行く。
庚申塔の祠 《地図》
柳沢庚申講の旗が立っている。
左は六十六部廻国供養塔(享保?年)
青梅街道合流地点
左端に弘法大師供養塔の祠、向かい側右端の青梅街道沿いに笠付きの柳沢庚申塔。
この先、大山まではいくつもの道筋があったろうが、その一つとして、深大寺道→甲州街道→鎌倉街道上の道→関戸の渡し(多摩川)→小野路宿→大山街道→大山が考えられる。
ここを終点とし、西武柳沢駅に向かった。
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