野火止用水を歩く②
2017年5月3日
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【ル-ト地図】
御成橋交差点で清戸道と交差する。清戸道は尾張藩の鷹場御殿への御成りの道でもある。
正面に小祠
ここで本流・平林寺堀・陣屋堀に分かれていた。
睡足軒の森が野火止陣屋跡
本多緑道に入る。《地図》
春は桜、初夏の新緑、秋には虫の音と雑木林の紅葉が楽しめるという。
石祠も新しそうだ。何と読むのか? 由緒なども分からず。
本多緑道を出る。
用水は野火止水路橋で関越道を越える。《地図》
人間は右方の向橋に迂回する。
伊豆殿橋下の流れ 《地図》
伊豆殿は野火止用水を作らせた松平信綱
本流から離れ、広大な敷地の平林寺の南側を進み正門に向かう。
平林寺半僧門
境内を一巡する。「境内林案内図」
本堂まで一直線に並ぶ、四天王寺式伽藍配置?
「平林寺大門」(『江戸名所図会』)
もとは一対だった地蔵の「片割れ」を祀ったという。
総面積13万坪(東京ドーム約9個分)だそうだ。
「平林寺」(『江戸名所図会』)
島原の乱供養塔
原城を訪れたのは40年以上も前のこと。当時は整備されてなく荒れた城址から茫々たる海をしばし眺めていたことを覚えている。
史跡公園の分岐点から引かれた野火止用水の分水路
ここも野火の見張り台で、東下りの業平に結び付けたようだ。業平ゆかりの地は、落語『千早振る』で。
野火止陣屋跡
平林寺の北側沿いに野火止用水に戻る。
山下橋で野火止用水に出る。《地図》
右は野火止公園
野火止用水緑道橋で川越街道(国道254号)を越える。
新しい公園内を通って行く。《地図》
右折し公園を抜けて左折して行く。
正面は小さな八雲神社
新座中央通りを横切る。
右に歩道が続いている。《地図》
この先は流路跡はたどれない。《地図》
『志木市内の野火止用水分水路跡」の地図の4をたどる。
上の水車・里程標 《地図》
左側の歩道が水路跡のようだ。下の水車は市場坂交差点の右側あたりにあった。(説明板のみ)
野火止用水ではなく、「玉川上水筋」としてある。
市場坂を下る。
野火止用水は新河岸川へ注ぐ流れと、いろは樋で新河岸川を越えて宗岡地区へと続く流れがあった。
(『志木市内の野火止用水分水路跡」の地図の5)
左が大桝
水を大桝に溜め、正面右の管(下り竜)から勢いをつけ樋に送り出した。
このあたりの引又河岸・引又宿は、『新河岸川を歩く④』・『志木市の坂』に記載。
右から柳瀬川が合流する。
ここを野火止用水歩きの終点とし、寄り道しながら志木駅に向かった。
栄橋(柳瀬川)の手前で西から流れて来る水路がある。《地図》
馬頭観音の祠 《地図》
右は馬頭観音石橋供養塔で、野火止用水に架かっていた橋だろうか?
左は延宝6年(1678)の銘がある。
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