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2017年5月14日 (日)

野火止用水を歩く②

2017年5月3日

清瀬駅(西武池袋線)・・・野火止橋・・・(西武池袋線)・・・野火止用水碑・・・新堀交差点・新堀八軒回し堀跡あたり・・・御成橋・清戸道交差地点・・庚申塔祠・深大寺道交差地点・・・史跡公園・平林寺堀・陣屋堀跡分岐地点・・・本多緑道・・百笊稲荷神社・・・野火止水路橋(関越道)・・向橋(関越道)・・・伊豆殿橋・地蔵・・・平林寺境内(平林寺堀・野火止塚・松平信綱墓・業平塚)・・野火止陣屋跡(睡足軒の森)・・・野火止緑地総合公園(野鳥の森)・・・山下橋(野火止用水)・・・野火止緑道憩いの森・・野火止公園・・野火止用水緑道橋(川越街道(国道254号)・・公園・・・旧川越街道・八雲神社・・・第二中学校・・・野火止配水場・・(新座中央通り)・・・地下歩道(東武東上線)・・・上の水車跡・里程標・・市場坂・・かっぱふれあい館・・あさひ薬局・里程標・・下の水車跡・・西川家潜り門・・いろは樋復元模型・・・栄橋(柳瀬川)・・いろは橋(新河岸川)・・・志木駅(東武東上線)

  【ル-ト地図

Img_1046西武池袋線をくぐって行く。

Img_1063新堀八軒回し堀跡(新堀交差点あたり)

Img_1062説明板

Img_1074御成橋あたり

御成橋交差点で清戸道と交差する。清戸道は尾張藩の鷹場御殿への御成りの道でもある。

Img_1078深大寺道(馬喰橋通り)と交差する。 《地図

正面に小祠

Img_1080庚申塔・馬頭観音

Img_1082史跡公園

ここで本流・平林寺堀・陣屋堀に分かれていた。

Img_1052地図

睡足軒の森が野火止陣屋跡

Img_1085野火止用水本流(左)・平林寺堀(右)

Img_1091本流沿いを進む。

Img_1095本多緑道に入る。《地図

春は桜、初夏の新緑、秋には虫の音と雑木林の紅葉が楽しめるという。

Img_1101武蔵野の雑木林が広がる。

Img_1103百笊稲荷神社(左)

石祠も新しそうだ。何と読むのか? 由緒なども分からず。

本多緑道を出る。

Img_1118用水は野火止水路橋で関越道を越える。《地図

人間は右方の向橋に迂回する。

Img_1119これが水路とは、下を通る連中は知るまい。

Img_1129伊豆殿橋下の流れ 《地図

伊豆殿は野火止用水を作らせた松平信綱

Img_1125橋のたもとの地蔵(享保3年(1718))

本流から離れ、広大な敷地の平林寺の南側を進み正門に向かう。

Img_1132平林寺半僧門

境内を一巡する。「境内林案内図

Img_1135総門

本堂まで一直線に並ぶ、四天王寺式伽藍配置

平林寺大門」(『江戸名所図会』)

Img_1139山門

Img_1143仏殿

Img_1144中門

Img_1145本堂

Img_1148片割れ地蔵

もとは一対だった地蔵の「片割れ」を祀ったという。

Img_1151境内林の中を行く。

総面積13万坪(東京ドーム約9個分)だそうだ。

平林寺」(『江戸名所図会』)

Img_1153島原の乱供養塔

原城を訪れたのは40年以上も前のこと。当時は整備されてなく荒れた城址から茫々たる海をしばし眺めていたことを覚えている。

Img_1152説明板

Img_1163平林寺堀が流れている。

史跡公園の分岐点から引かれた野火止用水の分水路

Img_1167野火止塚

Img_1168説明板

Img_1171業平塚

ここも野火の見張り台で、東下りの業平に結び付けたようだ。業平ゆかりの地は、落語『千早振る』で。

Img_1170説明板

Img_1180睡足軒の森

野火止陣屋跡

Img_1176説明板

Img_1179紅葉亭(旧座禅堂)

平林寺の北側沿いに野火止用水に戻る。

Img_1185野鳥の森を抜けようとしたら行き止まりになってしまった。

山下橋で野火止用水に出る。《地図

Img_1190野火止緑道憩いの森

右は野火止公園

野火止用水緑道橋で川越街道(国道254号)を越える。

Img_1201新しい公園内を通って行く。《地図

右折し公園を抜けて左折して行く。

Img_1210この先で遊歩道が終わる。

Img_1211旧川越街道と交差する。《地図

正面は小さな八雲神社

Img_1215武蔵野線をくぐる。

Img_1225第二中学校沿いの歩道を行く。

Img_1228野火止配水場

新座中央通りを横切る。

Img_1234右に歩道が続いている。《地図

Img_1239この先は流路跡はたどれない。《地図

Img_1245東武東上線をくぐって志木駅の北側に出る。

志木市内の野火止用水分水路跡」の地図の4をたどる。

Img_1256上の水車・里程標 《地図

左側の歩道が水路跡のようだ。下の水車は市場坂交差点の右側あたりにあった。(説明板のみ)

Img_1251説明板

野火止用水ではなく、「玉川上水筋」としてある。

市場坂を下る。

Img_1263河童像

そばに『かっぱふれあい館』もある。
志木市のカッパ伝説

野火止用水は新河岸川へ注ぐ流れと、いろは樋で新河岸川を越えて宗岡地区へと続く流れがあった。
(『志木市内の野火止用水分水路跡」の地図の5)

Img_1270「いろは樋」の復元模型(説明板) 《地図

左が大桝

Oomasu大桝

(2007年11月撮影)

水を大桝に溜め、正面右の管(下り竜)から勢いをつけ樋に送り出した。

Irohahi新河岸川を渡るいろは樋

このあたりの引又河岸・引又宿は、『新河岸川を歩く④』・『志木市の坂』に記載。

Img_2136いろは橋から新河岸川下流方向

右から柳瀬川が合流する。

ここを野火止用水歩きの終点とし、寄り道しながら志木駅に向かった。

Img_1279栄橋(柳瀬川)の手前で西から流れて来る水路がある。《地図

Img_1281栄橋下の水門から流れ出て来る。

Img_1285少し水路の上流へ行ってみる。

Img_1286馬頭観音の祠 《地図

右は馬頭観音石橋供養塔で、野火止用水に架かっていた橋だろうか?
左は延宝6年(1678)の銘がある。

Img_1302旧家の前を通り、市場坂に出て志木駅に向かった。

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