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2017年5月 7日 (日)

玉川上水を歩く④

2017年4月28日

三鷹駅(JR中央線)・・三鷹橋・・太宰治入水地点あたり・・むらさき橋・・・万助橋・・井の頭公園・・・ほたる橋・・牟礼分水口跡・・・幸橋・・ナザレ修女会・・・新橋・・・松影橋・・・井の頭橋(牟礼道交差地点)・・・若草橋・・・宮下橋・・・東橋・・・長兵衛橋・・・どんどん橋(旧牟礼橋)・石橋供養塔・・牟礼橋(人見街道交差地点)・大ケヤキ・・・兵庫橋・・・岩崎橋・・烏山分水口跡・北沢分水口跡・・・浅間橋・・中央自動車道・・・昌栄橋交差点・・・天神橋跡・天神社・・・中の橋交差点(環八通り)・・・東京身代り不動尊・・・玉川上水第二公園・・旭橋(鎌倉街道)・・(荒玉水道道路)・・第三公園・・小菊橋・・龍泉寺・・永泉寺坂上・・玉川上水永泉寺緑地・・・築地本願寺和田堀廟所・・・明治大学和泉校舎・・明大橋・・・(井の頭線)・・玉川上水公園・・九右衛門橋・・都水道局和泉給水所・・・大原稲荷神社・・・玉川上水緑道・・(京王線)・・ゆずり橋・・向岸地蔵尊・・(環七横断地下道)・・大原橋跡・・・稲荷橋・・・笹塚駅(京王線)

  【ル-ト地図

Img_0256三鷹駅南口の歩道橋から

木の茂っている下が玉川上水

Img_0258三鷹橋

電車の下から玉川上水が流れて来る。

Img_1324旧三鷹橋

Img_0261玉川上水(三鷹橋から下流方向)

むらさき橋との間が太宰治が入水心中したあたりという。当時は水深もあり、流れも早かったのだろう。

Img_0267鯉が泳ぎ、深くはないがゆるゆると流れている。

Img_0263つつじも見頃だ。

Img_1320太宰治が入水したあたりのポケットパーク

Img_1308「四月なかば・・・両岸の桜は、もう葉桜・・・」だから今日のような感じか。

入水心中したのは昭和23年6月13日。

Img_1312玉鹿石(太宰の故郷の石)

水死体が発見されたのは、ここから約1.3km下流の新橋あたりのようだ。玉鹿石は上部が欠けたかのか小さくなっているそうだ。

Img_1311太宰の墓は六郷田無道沿いの禅林寺にある。『太宰治と三鷹』(三鷹市)

奥州街道の津軽でも太宰のゆかりの地にいくつか立ち寄った。

Img_0268万助橋から井の頭公園内を流れて行く。

Img_0270説明板

「水量も豊かで流れも早く」とある。江戸時代の話だが。

Img_0272井の頭公園内

Img_0283ナザレ修女会 《地図

建物は奥の方か?

Img_0285新橋から下流方向 《地図

Img_0295井の頭橋で牟礼道と交差する。《地図

Img_0304宮下橋から下流方向

「宮」は牟礼神明社だろう。

Img_0324どんどん橋(旧牟礼橋) 《地図

玉川上水の流れの音がどんどんと響くので、子ども達はこう呼んでいたという。かつての水量の豊かさ、流れの早さがここでも分かる。

Img_0319右の「どんどん橋」碑は道標になっていて、右側面に「右 ふちうみち」(府中)とある。
左の石橋供養塔(宝暦7年(1757))には、左側面に寛政9年(1797)と嘉永2年(1849)に架け替えられたと追刻がある。(説明板

牟礼橋で人見街道と交差する。

Img_0325大ケヤキ

根元に庚申塔(元禄13年(1700))の祠があるのだが、道路橋梁下部工事中で近づけない。以前にも伐採されそうになったようだ。黙っていると行政は伐採なんて朝飯前の屁の河童だ。

Img_0346烏山分水口跡 《地図

岩崎橋のすぐ下流右岸

Img_0347北沢分水口跡

いずれも烏山川・北沢川の源流の一つ。

Img_0350浅間橋 《地図

ここから暗渠となり、中央自動車道下沿いを行く。

昌栄橋交差点を過ぎる。

Img_0375天神社 《地図

狛犬は明和8年銘

参道で帽子の上へばさっと何か落ちてきた。枯れ枝かなと思ったらカラスが止まったのだ。すぐに飛び立ち近くの枝に止まってこちらを見ている。しゃくにさわったので、石でもぶつけようとあたりを見回したが落葉ばかりで、小石の一つも見つからない。これを見ていたカラスは高らかに「アホー、アホー」と笑った。どうせカラスにも笑われる人生よと、すごすごと立ち去った。😢

Img_0372説明板

中の橋交差点で環八通りを横切ったあたりで、今度は大きな野ネズミが前を横切って行った。今日は(今日もか)ろくなものに会わないようだ。

Img_0380東京身代り不動尊 《地図

敷地は広く、建物も新しい。

Img_0387玉川上水第二公園に入る。《地図

上流から玉川上水第二公園~第三公園~玉川上水永泉寺緑地~玉川上水公園と約2km続いている。

Img_0389玉川上水変遷碑

「・・・その流れは清く 水に映す桜の花の姿は美しく、長いあいだ江戸の人びとに親しまれ愛されてきました・・・」などと刻まれている。

旭橋を南北に横切る道は、鎌倉街道の一つの道筋。南の甲州街道には鎌倉街道入口交差点、北の神田川には鎌倉橋、三年坂の坂上近くの五日市街道には鎌倉街道バス停がある。 

Img_0398人工水路に通水することもあるようだが。

Img_0401少女の抱いている可愛い仔猫では、さっきの野ネズミにはかなわないだろう。逆に食い殺されてしまいそうだ。

Img_0409小菊橋 《地図

ここは玉川上水第三公園

Img_0417永泉寺坂上 《地図

昔、永泉寺がここにあり、後に永昌寺と合併した。そこで永昌寺と龍泉寺の間の坂をこの名で呼ぶ。

坂の東側には江戸市中から移転してきた寺院が並んでいる。このあたりは『甲州街道(新宿追分→武蔵野台駅)』に記載。

Img_0420玉川上水永泉寺緑地を進む。

Img_0431築地本願寺和田堀廟所

ここと隣の明大和泉校舎あたり一帯は、江戸幕府の塩硝蔵(鉄砲弾薬の貯蔵庫)だった。

Img_0437明大橋 《地図

Img_0441井の頭線の上を越えて行く。

Img_0444下を通る井の頭線

Img_0445玉川上水公園に入って行く。

Img_0446水車風遊具(玉川上水公園)

千川上水沿いの上石千川児童遊園にもあった。

Img_0447九右衛門橋

ここで玉川上水公園は終わる。明治31年、正面奥の都水道局和泉給水所(水圧調整所)地点から、淀橋浄水場まで一直線の新水路が開削された。

甲州街道沿いを進み、大原稲荷神社に寄る。京王線の南側に和田堀給水所がある。

Img_0461甲州街道をくぐって流れが出て来る。

Img_0459下流方向

この先で京王線の下を流れて行く。

Img_0464この上の「ゆずり橋」から暗渠となり、玉川上水緑道となる。

Img_0470ゆずり橋

Img_0467説明板

Img_0476向岸地蔵尊

「向岸」は人の名

Img_0478由来①

Img_0480

Img_0481玉川上水緑道の環七横断地下道をくぐる。

Img_0486稲荷橋

古い橋が残っている。

Img_0488稲荷橋から下流方向

ここは水がある。

Img_0495緑道となって笹塚駅手前で方向を変えるが、今日はここまでとした。

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