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2017年5月29日 (月)

伊南房州通往還⑧

2017年5月21日

太海駅(JR内房線)・・県道217号・・・薬師堂・・・地蔵祠・・・一つ地蔵・・・旧道・・・西院の河原地蔵・・・西徳寺・・四社神社・・・天面漁港・・・江一号踏切(内房線)・・・山生の入江・・・(出世不動尊)・・・(内房線)・・・回国供養塔・牛頭観音・・・道標・・(内房線)・・波切不動尊・・・(内房線)・・・名馬橋(名馬川)・・・薬師堂・・・道祖神・・・薬王院・・・観音寺墓地・・・洲貝川橋(洲貝川)・・・(南房総市)・・・諏訪神社・・・長香寺・・・長者川橋(長者川)・・・六地蔵・・・和一号踏切(内房線)・・・地蔵祠・・・和田浦駅・・・南一号踏切・・・観音堂・・・熊野神社・・普門寺・・・小浦踏切(内房線)・・上野観音堂・・・(真浦川)・・・三界万霊塔・・・地蔵祠・・・和田サーフ橋・・旭橋(三原川)・・・(温石川)・・・正運寺・・・南三原駅(JR内房線)

  【ル-ト地図

Img_2226太海駅から県道217号を進む。

Img_2229薬師堂 《地図

Img_2233地蔵祠

中央は延享2年(1745)に浜波太村の女念仏講中15人の造立。

Img_2236一つ地蔵(左) 《地図

右は昭和30年代に、このあたりの大きく湾曲していた入江を埋め立てて道路を改修した時の殉職者供養の地蔵。

Img_2239今日も快晴で海も穏やかだ。

Img_2241右へ旧道へ入る。

Img_2242西院の河原地蔵堂(右) 《地図

昔はこのあたりは絶壁が続く、波太村と天面村の間の難所だった。海岸には石がゴロゴロしていて、「賽の河原に似ている所からこう呼ばれるようになったようだ。

Img_2244幼児や若くして亡くなった人の霊が祀られ、11月3日の御施餓鬼には近郷近在から多くの人が訪れるという。

Img_2248浅間宮石灯籠(嘉永2年(1849))

右はツナツリ(綱吊り)で、昔はここに大きな「綱吊りの松」があり、天面村への悪病・悪霊などの侵入を防いでいたという。塞神・道祖神と同類だろう。浅間宮は北西の浅間山にあるという。

Img_2250西徳寺

善光寺式三尊像の銅造阿弥陀如来及び両脇侍立像が安置

Img_2253四社神社

土地の人は「ウチカンサマ」と呼ぶ天面村の鎮守

Img_2258天面漁港

Img_2263山生の入り江 《地図

かつては50~60トンの舟も入ったそうだ。

Img_2268出世不動?

Img_2274日本回国供養塔(文化2年(1805))・地蔵・牛頭観音(右端)・その後ろが庚申塔(延宝8年(1680))だろう。

国道を横切り、岩屋山波切不動尊に向かう。

Img_2283波切不動参道 《地図

右の草むらに倒れかけて立つのが道標か?
「右ハはまみち 左ハきよすみ道四里」・「右ハなこ道六り 左ハはまみち」だそうだが摩滅していて読めず。

Img_2284内房線の線路を横切る。

踏切などはないが致し方なし。「危険」の標識はあるが「横断禁止」とはなっていない。

アクセスが悪いせいか参拝客などは見当たらない。境内も荒れた感じだ。

Img_2297百体観音

寛政から享和にかけて太夫崎村や前原町の人々が奉納したものという。

Img_2290不動堂

Img_2289不動の滝

水は流れ落ちているのだが写真だと分からない。
滝の向こう側には「駒穴」と呼ばれる洞窟があり、源義経が一の谷の合戦の時、鵯越の坂落しで活躍した名馬の太夫黒が出た洞窟という伝説がある。嶺岡山地は古くから馬の放牧が行われ、江戸時代には嶺岡牧が置かれた。太夫黒伝説が生まれたこととも関連があるか。
「太夫」はこのあたりの太夫崎からきている。『源頼朝と鴨川

Img_2300名馬橋(名馬川)を渡って国道に出る。《地図

名馬「太夫黒」に由来する名だ。

Img_2305東覚寺薬師堂 《地図

鎌倉末期の板碑が保存されているそうだ。

Img_2310内房線が近くなる。

Img_2313道祖猿田彦大神(嘉永4年(1851)) 《地図

Img_2317薬王院

Img_2318左に祠

Img_2319地蔵と観音?

Img_2320観音寺墓地 《地図

左は延命地蔵の廻国供養塔(享保6年(1721))
右は廻国供養塔(享保11年(1726))

Img_2325洲貝川橋(洲貝川)から内房線

鴨川市から南房総市に入る。

Img_2341諏訪神社 《地図

右に手水鉢(慶應4年(1868)正月の銘)

Img_2337力士が持ち上げている。

花園村出身の「外の海」のようだ。

Img_2348長香寺

Img_2349向西坊供養塔(享保17年(1732))

赤穂藩士片岡源五右衛門の下男で、四十七士の菩提を弔いながらこの地に巡錫し、長者川上流の不動ヶ滝の窟で入定したという。

Img_2353花嫁街道ハイキングコース分岐地点

Img_2356槙の生垣

防風・防潮・防砂・防暑・防寒などの多彩の役割。

Img_2364長者川橋 《地図

ここにも藁の大蛇の「つなつり」(綱吊り)で、悪疫退散「無病息災」だ。

Img_2361反対側にはなぜか船が置かれている。

Img_2371六体地蔵

Img_2372ここも槙の生垣が続いている。

Img_2376大量祈願の地蔵さんで大漁旗がたなびいていたそうだ。

和一号踏切で内房線を横切る。

Img_2377和田浦駅

ここで一休みした。

南一号踏切で再び内房線を横切る。

Img_2381観音堂

Img_2384静かというか寂れた感じの通りだ。

この手前の千葉銀行の所が和田町役場跡。

Img_2386熊野神社 《地図

Img_2388上野観音堂?

Img_2394三界万霊塔(天保2年(1831)) 《地図

ここを右に入って行く。

Img_2398国道と内房線の間の道を行く。

Img_2401地蔵の石祠など

Img_2415和田サーフ橋 《地図

Img_2411サーファーもちらほら見える。

Img_2417三原川を渡る内房線

旭橋から

Img_2423大乗妙典塔(万延2年(1861))など

海雲寺の前あたり?

この先の右側にも地蔵の祠が2つある。

Img_2430正運寺

Img_2437南三原(みなみはら)駅

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