野火止用水を歩く①
2017年5月2日
玉川上水駅(多摩都市モノレール)・・清願院橋(玉川上水)・・・小平監視所・・野火止用水分岐地点・・・一宮神社・・・薬用植物園・・青梅橋跡・庚申塔祠・青梅街道交差地点・・・(西部拝島線)・・・野火止橋①・・・ふれあい橋・・・東野火止橋・・・どんぐり橋・・・ほのぼの橋・・・さいわい橋・・・土橋・・・富士見橋・・・ライシャワー館(明治学院中学校内)・・・中宿公園・・中宿橋・・・(西武国分寺線)・・・九道の辻公園・・九道の辻(鎌倉街道(上の道)交差地点))・馬頭観音・石橋供養塔・・・八坂駅(西武多摩湖線)・・・乃びとめ橋(野火止橋②)?・・・東村山教会・・・富士見橋②・・・(西武新宿線)・・・伊豆殿堀歩道橋(新青梅街道)・・・第二恩多橋・・第三恩多橋・・第四恩多橋・・・稲荷橋・・恩多稲荷児童公園・・大岱稲荷神社・・恩多野火止水車苑・・・中橋・・・万年橋・大ケヤキ・馬頭観音祠・・・菊水橋・・・ふれあい小橋・石橋・・・ぐみのき橋・・・稲荷社・・・界橋・下里の坂上・・・浅間神社・・・押出し橋交差点・押出しの坂上・新小金井街道・・・東久留米市野火止遊園・・・(小金井街道)・水道道路・・・松原橋・・・野火止橋③・・・(小金井街道)・・・清瀬駅(西武池袋線)
玉川上水の小平監視所から分かれ、青梅橋で青梅街道、九道の辻で鎌倉街道、さらに川越街道を横切って、志木市の引又河岸で新河岸川に注ぎ、いろは樋で新河岸川を越えて、宗岡地区の田畑を潤していた野火止用水跡を歩く。
【ル-ト地図】
清願院がどこにあるのか(あったのか)分からず。
正面に「野火止用水歴史環境保全地域」の案内板が立っている。
右は小平監視所で、羽村で多摩川から取水された玉川上水の水は、ここから導水路(砂川線)で東村山浄水場まで送られる。
ここから下流の玉川上水・野火止用水は、「清流復活事業」で昭島市の多摩川上流水再生センターから送水された再生処理水が流されている。
再生処理水の給水施設か?
一宮神社 《地図》
水が地下に吸い込まれたのは、玉川上水の「水喰土」と同じだが、野火止用水は通水祈願で大雨が降り、清流が流れたとか。玉川上水では北側に新しい堀を掘り直したのに比べると、神のお蔭とは随分と軽い、現実味に乏しい話と思うが。宮崎主馬とは阿豆佐味天神社の神主のようだ。
ここにも給水塔か? 都水道局立川給水所の貼り紙がしてある。
薬用植物園に寄る。
「有毒植物区」もある。
目の保養・「薬用」だ。
青梅橋跡 《地図》
青梅街道が渡っていた橋で、東大和市駅は昭和54年3月までは青梅橋駅だった。木の根元に庚申塔の祠と青梅橋の親柱がある。
昭和27年の写真
庚申塔道標(安永5年(1776))・青梅橋の親柱(昭和のもの)
庚申塔の右側面に「西 おうめみち 北山くちみち」・左側面に「東 江戸 南 八王子 道」とあるそうだ。
野火止用水の流れが始まる。 《地図》
水が流れるのに3年も待ったという。先ほどの一宮神社の話とはかなりニュアンスが違う。
安松金右衛門は玉川上水の開削にも携わっている。
右は都営住宅
ライシャワー元駐日アメリカ大使の生家の宣教師館(港区白金台から移築・復元)
用水沿いの同じ敷地に、「リストランテMON」と「草門去来荘」 《地図》
イタリアンレストランと懐石料理? まあ、こちとらには無縁だが。
この辻は鎌倉へ18里、前橋へ18里の鎌倉街道の中間点。江戸道・引股道・宮寺道・秩父道・御窪道・清戸道・奥州街道・大山街道・鎌倉街道の9本の道が分岐していた。(標柱裏面の説明文)
馬頭観音(明治44年)と石橋供養塔(元文5年(1740)) 《地図》
ここに石橋が架かっていたのだろう。
流れが見える。
新青梅街道の伊豆殿堀歩道橋の先で流れが現れる。 《地図》
伊豆殿堀は野火止用水を作らせた川越藩主松平信綱にちなむ名。
旧大岱村(恩多町)の鎮守
「春の例大祭」
もとの水車とは違っている。「東村山30景」の一つ
レンガ造り風だ。
万年橋の大ケヤキ 《地図》
右は寛政6年(1794))の造立
界橋交差点で、下里の坂の坂上 《地図》
ここからおんだしの(押出し)の坂上あたりまでは、『東久留米市の坂』で歩いている。
「三角山」がどこか気になっていたが。
浅間神社 《地図》
ここが三角山だった。標高は10mもないか。人工の塚だろうか?
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