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2017年5月12日 (金)

野火止用水を歩く①

2017年5月2日

玉川上水駅(多摩都市モノレール)・・清願院橋(玉川上水)・・・小平監視所・・野火止用水分岐地点・・・一宮神社・・・薬用植物園・・青梅橋跡・庚申塔祠・青梅街道交差地点・・・(西部拝島線)・・・野火止橋①・・・ふれあい橋・・・東野火止橋・・・どんぐり橋・・・ほのぼの橋・・・さいわい橋・・・土橋・・・富士見橋・・・ライシャワー館(明治学院中学校内)・・・中宿公園・・中宿橋・・・(西武国分寺線)・・・九道の辻公園・・九道の辻(鎌倉街道(上の道)交差地点))・馬頭観音・石橋供養塔・・・八坂駅(西武多摩湖線)・・・乃びとめ橋(野火止橋②)?・・・東村山教会・・・富士見橋②・・・(西武新宿線)・・・伊豆殿堀歩道橋(新青梅街道)・・・第二恩多橋・・第三恩多橋・・第四恩多橋・・・稲荷橋・・恩多稲荷児童公園・・大岱稲荷神社・・恩多野火止水車苑・・・中橋・・・万年橋・大ケヤキ・馬頭観音祠・・・菊水橋・・・ふれあい小橋・石橋・・・ぐみのき橋・・・稲荷社・・・界橋・下里の坂上・・・浅間神社・・・押出し橋交差点・押出しの坂上・新小金井街道・・・東久留米市野火止遊園・・・(小金井街道)・水道道路・・・松原橋・・・野火止橋③・・・(小金井街道)・・・清瀬駅(西武池袋線)

 玉川上水の小平監視所から分かれ、青梅橋で青梅街道、九道の辻で鎌倉街道、さらに川越街道を横切って、志木市の引又河岸で新河岸川に注ぎ、いろは樋で新河岸川を越えて、宗岡地区の田畑を潤していた野火止用水跡を歩く。

  【ル-ト地図

Img_0742玉川上水駅

Img_0743清願院橋から玉川上水下流方向 《地図

清願院がどこにあるのか(あったのか)分からず。

Img_9938野火止用水分岐地点 《地図

正面に「野火止用水歴史環境保全地域」の案内板が立っている。
右は小平監視所で、羽村で多摩川から取水された玉川上水の水は、ここから導水路(砂川線)で東村山浄水場まで送られる。
ここから下流の玉川上水・野火止用水は、「清流復活事業」で昭島市の多摩川上流水再生センターから送水された再生処理水が流されている。

Img_0754都水道局の?塔

再生処理水の給水施設か?

Img_0757西武拝島線沿いの緑道を進む。

Img_0758一宮神社 《地図

Img_0760説明板

水が地下に吸い込まれたのは、玉川上水の「水喰土」と同じだが、野火止用水は通水祈願で大雨が降り、清流が流れたとか。玉川上水では北側に新しい堀を掘り直したのに比べると、神のお蔭とは随分と軽い、現実味に乏しい話と思うが。宮崎主馬とは阿豆佐味天神社の神主のようだ。

Img_0764武蔵野の雑木林が残っている。

Img_0768青梅橋跡の手前

ここにも給水塔か? 都水道局立川給水所の貼り紙がしてある。

薬用植物園に寄る。

Img_0774薬用植物園

「有毒植物区」もある。

Img_0773藤とつつじが見頃だ。

目の保養・「薬用」だ。

Img_0779青梅橋跡 《地図

青梅街道が渡っていた橋で、東大和市駅は昭和54年3月までは青梅橋駅だった。木の根元に庚申塔の祠と青梅橋の親柱がある。

Img_0781青梅橋(石の欄干)と庚申塔の祠(左端)

昭和27年の写真

Img_0783庚申塔道標(安永5年(1776))・青梅橋の親柱(昭和のもの)

庚申塔の右側面に「西 おうめみち 北山くちみち」・左側面に「東 江戸 南 八王子 道」とあるそうだ。

Img_0780説明板

Img_0788野火止用水の流れが始まる。 《地図

Img_0796水は澄んでいる。子供たちがザリガニを獲っていた。

Img_0798ホタルが「住んでいる」とは愉快だ。

Img_0803清流復活の碑

Img_0804右下が野火止用水

Img_0807素掘りの崖が残っている。

Img_0816用水工夫像

Img_0815水が流れるのに3年も待ったという。先ほどの一宮神社の話とはかなりニュアンスが違う。
安松金右衛門は玉川上水の開削にも携わっている。

Img_0844左側が野火止用水

右は都営住宅

Img_0849ライシャワー館(明治学院中学校内) 《地図

ライシャワー元駐日アメリカ大使の生家の宣教師館(港区白金台から移築・復元)

Img_0857説明板

Img_0868鴨も泳いでいる。

Img_0873用水沿いの同じ敷地に、「リストランテMON」と「草門去来荘」 《地図

イタリアンレストランと懐石料理? まあ、こちとらには無縁だが。

Img_0874西武国分寺線をくぐって流れて行く。

Img_0883九道の辻公園

Img_0884九道の辻(八坂交差点)

この辻は鎌倉へ18里、前橋へ18里の鎌倉街道の中間点。江戸道・引股道・宮寺道・秩父道・御窪道・清戸道・奥州街道・大山街道・鎌倉街道の9本の道が分岐していた。(標柱裏面の説明文)

Img_0894馬頭観音(明治44年)と石橋供養塔(元文5年(1740)) 《地図

ここに石橋が架かっていたのだろう。

Img_0896八坂駅(西武多摩湖線)の下を流れる。

Img_0899乃びとめばし?

Img_0902この先で暗渠となる。

Img_0911富士見橋の親柱が残る。

Img_0914西武新宿線の手前

流れが見える。

Img_0921新青梅街道の伊豆殿堀歩道橋の先で流れが現れる。 《地図

伊豆殿堀は野火止用水を作らせた川越藩主松平信綱にちなむ名。

Img_0937大岱(おんた)稲荷神社 《地図

旧大岱村(恩多町)の鎮守
春の例大祭

Img_0944水車

もとの水車とは違っている。「東村山30景」の一つ

Img_0945説明板

Img_0954_2中橋

レンガ造り風だ。

Img_0962万年橋の大ケヤキ 《地図

Img_0964説明板

Img_0967根が用水をまたいで守っているようだ。

Img_0971馬頭観音(万年橋脇)

右は寛政6年(1794))の造立

Img_0976右方にカーブして行く。

Img_0997右岸の武蔵野の雑木林の間を進む。

Img_1003小さな稲荷社の向こうは界橋交差点 

Img_1006界橋交差点で、下里の坂の坂上 《地図

ここからおんだしの(押出し)の坂上あたりまでは、『東久留米市の坂』で歩いている。

Img_1013三角山バス停

「三角山」がどこか気になっていたが。

Img_1014浅間神社 《地図

ここが三角山だった。標高は10mもないか。人工の塚だろうか?

Img_1015三角山(下里富士?)の頂上の浅間神社

Img_1017押出し橋交差点から新小金井街道となる。

Img_1022用水沿いに歩道がついている。

Img_1024東久留米市野火止遊園

Img_1029小金井街道を横切り、水道道路に入る。

Img_1032野火止用水説明板①(新座市)

Img_1033

Img_1037正面は松原橋だが、松は見当たらない。

Img_1040野火止橋までとし、左折して清瀬駅に向かった。

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