« 玉川上水を歩く④ | トップページ | 野火止用水を歩く① »

2017年5月 9日 (火)

玉川上水を歩く⑤

2017年4月30日

笹塚駅(京王線)・・・第三号橋(玉川上水)・・・笹塚橋・・・(都道420号)・北澤橋・玉川上水旧水路緑道・・・四條橋・・・五條橋・・・六條橋・・・常盤橋・・・都消防訓練所・・・相生橋・・・代々幡橋・・・山下橋・・・美寿々橋・・・二字橋・・・西代々木橋・・・新台橋・・・代右衛門橋・・・改正橋・・・伊東小橋・・・(山手通り)・・・三字橋・・・(首都高4号・西参道)・・・正春寺・・諦聴寺・・・天神橋跡・・箒銀杏・銀杏天神・・(甲州街道)・・・水の橋・・新宿中央公園(淀橋給水場・六角堂・熊野神社・白糸の滝)・・公園北歩道橋・・・策の井跡・・淀橋浄水場跡碑・・・天神橋跡(玉川上水旧水路代々木緑道)・・・文化学園・・勿来橋跡・・玉川上水暗渠モニュメント・・代々木二丁目あおい公園・・千駄ヶ谷橋跡・・あおい通り・・葵橋跡・・甲州街道・・(新宿駅)・・・ウィンズ・・雷電稲荷神社・・新宿高校・・・新宿御苑・・玉川上水内藤新宿散歩道・・・新宿御苑大木戸門・・都水道局新宿営業所・水道碑記・四谷大木戸跡碑・・四谷大木戸跡・水番所跡(四谷四丁目交差点)・・・四谷三丁目駅(地下鉄丸ノ内線)

  【ル-ト地図

Img_0505笹塚駅前から右へカーブして行く。

Img_0510第三号橋から下流方向

少しの区間だけ流れが現れる。

Img_0508説明板(渋谷区)

Img_0512笹塚橋の下流で暗渠の緑道になる。

この橋は鎌倉街道(中の道)で通った。

Img_0516舗装が違うのは渋谷区から世田谷区になるため。

縦割り行政か、区の独自性を尊重か、まあどうでもいいが。

Img_0522北澤橋で再び渋谷区に入り、玉川上水旧水路緑道となって新宿駅の手前まで続いている。《地図

Img_0526四條橋・五條橋・六條橋・常盤橋と過ぎて行く。

Img_0541都消防訓練所

日曜でも訓練(授業?)に励んでいる。

Img_0544相生橋

古い橋が残っている。

Img_0551山下橋は水車をデザイン

Img_0560二字(ふたあざ)橋

このあたりの2つの字(あざ)地に架かる橋か。

Img_0575代右衛門橋(だいえもんばし)

Img_0585三字(みあざ)橋

新町・初台・山谷に架かる橋ということのようだ。

Img_0589明治神宮西参道を横切る。 《地図

Img_0593正春寺(しょうしゅんじ)

向こうに見えるのは何の建物か?

Img_0598諦聴寺

木造聖徳太子立像」(渋谷区有形文化財)

Img_0601天神橋跡 《地図

銀杏天満宮(天神)による橋名。

ここから緑道を離れ、銀杏天神から甲州街道を渡り、都庁などの新宿副都心のビル街になっている淀橋浄水場跡に向かう。

Img_0609箒(ほうき)銀杏

樹齢200年以上、玉川上水によって育てられてきた大木。小さな銀杏天満宮が根元に守られている。

Img_0605説明板

甲州街道を横切る。

Img_0616水の橋 《地図

玉川上水の現在の和泉給水所の地(前回記載)からの導水路跡

新宿中央公園(淀橋浄水場跡地)に入る。

Img_0622淀橋給水場の屋上

Img_0632六角堂

淀橋浄水場の洋風四阿(あずまや)

Img_0629説明板

Img_0634写真工業発祥の地

Img_0637熊野神社

紀州出身の中野長者・鈴木九郎によってに創建されたと伝える新宿の総鎮守。

Img_0640水鉢

太田南畝の書による銘文

Img_0639説明板

Img_0645公園内から都庁第一庁舎

Img_0646涼しげな光景で暑さも一息

中央公園を出る。

Img_0653何ビルか?

Img_0654策(むち)の井跡(説明板) 《地図

四角錐?の井戸のモニュメント。
家康が鷹狩の帰りにむち(策)を洗ったという井戸跡。

Img_0656淀橋浄水場跡碑(正門跡・策の井の左方)

明治31年12月から昭和40年3月まで玉川上水の水はここへ通水され、新宿・千代田区・中央区・港区などに給水されていた。

新宿住友ビルの一画に展示してある給水管の蝶型弁を見たかったが工事中で近づけなかった。

天神橋跡(代々木緑道)に戻る。

Img_0659文化学園沿いの緑道

Img_0660バイエルン女神像(文化学園前)

ドイツのバイエルン地方の理想の女神像として語り継がれているクニグンデ皇后像で、左手に抱く書物は叡智を、右手で差し出す硬貨は慈愛を象徴している。ドイツの姉妹校との縁で設置されたそうだ。

Img_0669レンガ造りの暗渠のモニュメント

明治時代に新宿駅構内の地下に設けられた玉川上水の煉瓦造りの暗渠をモチーフとし、当時のレンガを一部使用し、ほぼ原寸大で復元。

この手前に勿来(なこそ)橋碑が立っているようだが見逃した。

Img_0676千駄ヶ谷橋跡 《地図

Img_0681葵橋跡

左折し甲州街道に出て、新宿駅南口を横切って行く。

ウィンズ(場外馬券売場)前の低くなっている道が玉川上水の流路跡のようだ。《地図

Img_0683雷電稲荷神社地図

源義家と白狐の伝承がある。

天龍寺には江戸三名鐘の一つとされる「時の鐘」がある。『青梅街道①

Img_0684玉川上水を越えた下水の石樋(いしどい)・旭橋の親柱(新宿高校内)

甲州街道と青梅街道の追分一帯の下水を御苑内の池に落とすため、玉川上水を越える上に架けられた。 寛政7年(1795)に、木樋から石樋に変えられ、大正末から昭和の初めの上水の暗渠化で撤去された。
天龍寺橋の下流の旭橋の所に架かっていたのだろう。旭橋のそばにあった内藤新宿での心中者や溺死者を供養する旭地蔵は、今は成覚寺にある。『甲州街道(日本橋→新宿追分)』に記載。

内藤新宿千駄ヶ谷絵図」(江戸切絵図) (右が北、右上から右下に流れるのが玉川上水。天龍寺・高札・追分・内藤新宿上町などが見える)

Img_0686新宿御苑を少し散策・休憩する。

連休中の日曜で苑内は家族連れなどで賑わっていた。ここも外国人観光客が多かった。
さっき正春寺から見た建物が見える。何だろうか?

Img_0690洋館

Img_0692温室

Img_0723玉川上水内藤新宿散歩道を水番所跡、四谷大木戸跡に向かう。 《地図

最後に水の流れに出会えて気分がいい。玉川上水の水ではなく、国道20号の新宿御苑トンネルに湧出した地下水を流しているのだが。

Img_0726上流方向

Tamagawa「玉川堤の花」(歌川広重の『名所江戸百景』)

この当時には堤沿いにこれほどの桜並木はなかったそうだ。左は高遠藩主内藤家下屋敷で、今の新宿御苑。右は甲州街道の最初の宿場、内藤新宿の岡場所(遊女屋・女郎屋)

Img_0732水道碑記(すいどうのいしぶみのき)・右)・四谷大木戸跡碑(左) 《地図

Img_0730説明板

Img_0736四谷大木戸跡・水番所跡(四谷四丁目交差点)

Img_0737交差点の向かい側の四谷大木戸跡碑と石灯籠

ここを玉川上水歩きの終点とし、甲州街道を四谷三丁目駅に向かった。

|

« 玉川上水を歩く④ | トップページ | 野火止用水を歩く① »

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/161343/65257319

この記事へのトラックバック一覧です: 玉川上水を歩く⑤:

« 玉川上水を歩く④ | トップページ | 野火止用水を歩く① »