玉川上水を歩く⑤
2017年4月30日
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【ル-ト地図】
少しの区間だけ流れが現れる。
この橋は鎌倉街道(中の道)で通った。
縦割り行政か、区の独自性を尊重か、まあどうでもいいが。
北澤橋で再び渋谷区に入り、玉川上水旧水路緑道となって新宿駅の手前まで続いている。《地図》
日曜でも訓練(授業?)に励んでいる。
古い橋が残っている。
このあたりの2つの字(あざ)地に架かる橋か。
新町・初台・山谷に架かる橋ということのようだ。
明治神宮西参道を横切る。 《地図》
正春寺(しょうしゅんじ)
向こうに見えるのは何の建物か?
「木造聖徳太子立像」(渋谷区有形文化財)
天神橋跡 《地図》
銀杏天満宮(天神)による橋名。
ここから緑道を離れ、銀杏天神から甲州街道を渡り、都庁などの新宿副都心のビル街になっている淀橋浄水場跡に向かう。
樹齢200年以上、玉川上水によって育てられてきた大木。小さな銀杏天満宮が根元に守られている。
甲州街道を横切る。
水の橋 《地図》
玉川上水の現在の和泉給水所の地(前回記載)からの導水路跡
新宿中央公園(淀橋浄水場跡地)に入る。
淀橋給水場の屋上
淀橋浄水場の洋風四阿(あずまや)
紀州出身の中野長者・鈴木九郎によってに創建されたと伝える新宿の総鎮守。
太田南畝の書による銘文
中央公園を出る。
四角錐?の井戸のモニュメント。
家康が鷹狩の帰りにむち(策)を洗ったという井戸跡。
淀橋浄水場跡碑(正門跡・策の井の左方)
明治31年12月から昭和40年3月まで玉川上水の水はここへ通水され、新宿・千代田区・中央区・港区などに給水されていた。
新宿住友ビルの一画に展示してある給水管の蝶型弁を見たかったが工事中で近づけなかった。
天神橋跡(代々木緑道)に戻る。
バイエルン女神像(文化学園前)
ドイツのバイエルン地方の理想の女神像として語り継がれているクニグンデ皇后像で、左手に抱く書物は叡智を、右手で差し出す硬貨は慈愛を象徴している。ドイツの姉妹校との縁で設置されたそうだ。
明治時代に新宿駅構内の地下に設けられた玉川上水の煉瓦造りの暗渠をモチーフとし、当時のレンガを一部使用し、ほぼ原寸大で復元。
この手前に勿来(なこそ)橋碑が立っているようだが見逃した。
千駄ヶ谷橋跡 《地図》
左折し甲州街道に出て、新宿駅南口を横切って行く。
ウィンズ(場外馬券売場)前の低くなっている道が玉川上水の流路跡のようだ。《地図》
源義家と白狐の伝承がある。
天龍寺には江戸三名鐘の一つとされる「時の鐘」がある。『青梅街道①』
玉川上水を越えた下水の石樋(いしどい)・旭橋の親柱(新宿高校内)
甲州街道と青梅街道の追分一帯の下水を御苑内の池に落とすため、玉川上水を越える上に架けられた。 寛政7年(1795)に、木樋から石樋に変えられ、大正末から昭和の初めの上水の暗渠化で撤去された。
天龍寺橋の下流の旭橋の所に架かっていたのだろう。旭橋のそばにあった内藤新宿での心中者や溺死者を供養する旭地蔵は、今は成覚寺にある。『甲州街道(日本橋→新宿追分)』に記載。
「内藤新宿千駄ヶ谷絵図」(江戸切絵図) (右が北、右上から右下に流れるのが玉川上水。天龍寺・高札・追分・内藤新宿上町などが見える)
新宿御苑を少し散策・休憩する。
連休中の日曜で苑内は家族連れなどで賑わっていた。ここも外国人観光客が多かった。
さっき正春寺から見た建物が見える。何だろうか?
玉川上水内藤新宿散歩道を水番所跡、四谷大木戸跡に向かう。 《地図》
最後に水の流れに出会えて気分がいい。玉川上水の水ではなく、国道20号の新宿御苑トンネルに湧出した地下水を流しているのだが。
「玉川堤の花」(歌川広重の『名所江戸百景』)
この当時には堤沿いにこれほどの桜並木はなかったそうだ。左は高遠藩主内藤家下屋敷で、今の新宿御苑。右は甲州街道の最初の宿場、内藤新宿の岡場所(遊女屋・女郎屋)
水道碑記(すいどうのいしぶみのき)・右)・四谷大木戸跡碑(左) 《地図》
ここを玉川上水歩きの終点とし、甲州街道を四谷三丁目駅に向かった。
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