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2018年4月21日 (土)

志木街道①

2018年4月19日

東大和市駅(西武拝島線)・・・青梅橋跡(野火止用水)・(東大和市)・・・旧青梅街道分岐地点・現青梅街道・・奈良橋庚申塚交差点(新青梅街道)・・・庚申橋(空堀川)・・新庚申橋(空堀川)・・・奈良橋交差点・・・(奈良橋川)・・・雲性寺・・・奈良橋交差点・・・日月橋(奈良橋川)・・・高木神社・塩釜神社・・松っこごれ地蔵・・・円乗院・・・神明社跡・・・・狭山神社・・・伝兵衛地蔵・・・清水神社・・・清水観音堂・石橋供養塔・・本村橋(前川)・・・武蔵大和駅(西武多摩湖線)・(東村山市)・・・宝珠稲荷神社・・・宝珠禅寺・・・廻田不動尊・・・金山神社・・・大善院・・・(前川)・・・東村山駅(西武国分寺線)・・百万遍供養塔道標・・府中街道・・鎌倉街道(上の道)分岐地点・・・地蔵祠・・・天王森不動尊・・・地蔵祠・・・久米川辻・・・阿弥陀堂・・熊野神社・・・梅岩寺・・・所沢街道合流地点・・所沢街道分岐地点・・・JR武蔵野線跨線橋・・・(清瀬市)・・・野塩橋(空堀川)・・・国立看護大学校・・芝山立体交差(西武池袋線)・・・小金井街道交差地点・・・清瀬駅(西武池袋線)

 青梅街道の青梅橋跡から現青梅街道を北上して奈良橋交差点から東へ、新河岸川の舟運で栄えた引又宿(志木市)へ通ずる志木街道を行く。(小平市)→東大和市→東村山市→清瀬市→新座市→志木市と進む。

  【ル-ト地図

Img_4443青梅橋跡 「説明板」 《地図

青梅街道野火止用水を渡る橋だった。木の下の小祠に庚申塔道標、その左に青梅橋の橋柱の一部がある。西武拝島線をくぐると小平市から東大和市に入る。旧青梅街道分岐点を過ぎ、現青梅街道を奈良橋交差点まで北上する。

Img_0781青梅橋(石の欄干)と庚申塔の祠(左端)

昭和27年の写真

Img_4056奈良橋庚申塚交差点 《地図

ここにあった庚申塔は昭和42年に雲性寺の山門下に移設された。

Img_4058庚申橋から空堀川(下流方向) 《地図

すぐ北側に新庚申橋が架かっている。両方とも空堀川。

奈良橋交差点から北西の雲性寺に寄る。

Img_4064旧家の前を流れる奈良橋川

Img_4066雲性寺

左下に奈良橋庚申塚から移設された庚申塔

Img_4071説明板

Img_4074山門

箱根本陣の一の門を移設

Img_4068奈良橋庚申塚にあった庚申塔(中央)

Img_4067この庚申塔は本堂に安置

奈良橋交差点に戻り、東へ志木街道を進む。

Img_4077日月橋から奈良橋川(下流方向) 《地図

南東方向に流れて空堀川に合流する。

この先で都道128号から離れて右の道に入った。

Img_4082高木神社

ここに高木村外五ヶ村連合戸長役場があった。

Img_4083説明板

Img_4084塩釜神社

高木神社の境内社

Img_4090松っこごれ地蔵の祠 《地図

外にも石地蔵が並ぶ。祠のそばの由緒碑には、「・・・今から二百八十五年前に・・・志木街道の傍に建立され・・・イボ地蔵さまと・・・」とある。

Img_4093松ぼっくりを首から胸に掛けている。

この地蔵は「いぼとり地蔵」として信仰を集めていた。いぼを取ってもらった人は、お礼に「松っこごれ」(松かさ)を木綿の糸でつなぎ、首や手に掛けてあげた。いつも松っこごれで飾られているので、いつしか「松っこごれ地蔵」といわれるようになり、親しまれてきた。

Img_4105円乗院

根来寺の「錐鑽(きりもみ)不動尊」像を写して当山の本尊としたとされるそうだ。

Img_4099説明板

Img_4102説明板(板碑)

Img_4109神明社跡地図

右の掲示板の前に石碑が立つ。現在、御神体は現狭山神社に合祀されている。

Img_4113狭山神社

古くは天狗大明神と称していた。

Img_4116伝兵衛地蔵の祠 《地図

Img_4117伝兵衛地蔵さんも大切にされているようだ。

Img_4122清水神社

Img_4126清水観音堂

Img_4127説明板

Img_4129本村橋から前川 《地図

Img_4132本村橋の石橋供養塔

清水観音堂に移設されている。

Img_4131説明板

Img_4134砂の橋(空堀川)の石橋供養塔(中央)

これも清水観音堂に移設

Img_4133説明板

Img_4138西武多摩湖線をくぐって行く。

東村山市に入る。

Img_4140宝珠稲荷神社地図

当地は金山神社の境外地?

Img_4143宝珠禅寺

Img_4145説明板

Img_4147石造延命地蔵立像?

Img_4146説明板

Img_4155廻田(めぐりた)不動尊(光明院不動堂) 《地図

左端が木造薬師如来立像(東村山市指定有形文化財)の薬師堂。

Img_4161説明板

Img_4160応永の板碑

Img_4158説明板

Img_4157廻田安産地蔵

Img_4165説明板

Img_4166金山神社

Img_4167説明板

Img_4173大善院(野口不動尊)

Img_4174説明板

工事中の東村山駅の東側に出る。
Img_4180庚申塔(右)・馬頭観音(中) 《地図

左の百万遍供養塔(明和3年)は道標になっているのを帰ってから気づいた。

Img_4178写真が欠けてしまったが、下部に「右西山口? 右北川越 左東江戸? 同東大山?」のように読める?

Img_4185鎌倉街道(上の道)分岐地点 《地図

志木街道は右の府中街道を進む。

Img_4187地蔵・庚申塔(宝暦10年?)の祠

Img_4190天王森不動尊(久米川不動堂) 《地図

Img_4195石灯籠と地蔵の祠 《地図

Img_4198阿弥陀堂 《地図

梅岩寺の境外仏堂

Img_4200熊野神社

Img_4202説明板

Img_4206梅岩寺

大ケヤキ(左)・大カヤ(右)

Img_4207説明板(ケヤキ)

Img_4211説明板(カヤ)

市内最古の庚申塔(延宝5年(1677)・東村山市文化財)もある。

Img_4221JR武蔵野線跨線橋

清瀬市に入る。

Img_4225野塩橋から空堀川(上流方向) 《地図

Img_4227道標?

野塩橋を渡った所。文字がかすれていて読めない。

Img_4230右は国立看護大学校

すぐ先で芝山立体交差(西武池袋線)をくぐる。

Img_4232芝山立体交差

Img_4236郵便局前交差点 《地図

ここ小金井街道との交差地点までとし、右折して小金井街道を清瀬駅に向かった。

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