志木街道①
2018年4月19日
東大和市駅(西武拝島線)・・・青梅橋跡(野火止用水)・(東大和市)・・・旧青梅街道分岐地点・現青梅街道・・奈良橋庚申塚交差点(新青梅街道)・・・庚申橋(空堀川)・・新庚申橋(空堀川)・・・奈良橋交差点・・・(奈良橋川)・・・雲性寺・・・奈良橋交差点・・・日月橋(奈良橋川)・・・高木神社・塩釜神社・・松っこごれ地蔵・・・円乗院・・・神明社跡・・・・狭山神社・・・伝兵衛地蔵・・・清水神社・・・清水観音堂・石橋供養塔・・本村橋(前川)・・・武蔵大和駅(西武多摩湖線)・(東村山市)・・・宝珠稲荷神社・・・宝珠禅寺・・・廻田不動尊・・・金山神社・・・大善院・・・(前川)・・・東村山駅(西武国分寺線)・・百万遍供養塔道標・・府中街道・・鎌倉街道(上の道)分岐地点・・・地蔵祠・・・天王森不動尊・・・地蔵祠・・・久米川辻・・・阿弥陀堂・・熊野神社・・・梅岩寺・・・所沢街道合流地点・・所沢街道分岐地点・・・JR武蔵野線跨線橋・・・(清瀬市)・・・野塩橋(空堀川)・・・国立看護大学校・・芝山立体交差(西武池袋線)・・・小金井街道交差地点・・・清瀬駅(西武池袋線)
青梅街道の青梅橋跡から現青梅街道を北上して奈良橋交差点から東へ、新河岸川の舟運で栄えた引又宿(志木市)へ通ずる志木街道を行く。(小平市)→東大和市→東村山市→清瀬市→新座市→志木市と進む。
【ル-ト地図】
青梅街道が野火止用水を渡る橋だった。木の下の小祠に庚申塔道標、その左に青梅橋の橋柱の一部がある。西武拝島線をくぐると小平市から東大和市に入る。旧青梅街道分岐点を過ぎ、現青梅街道を奈良橋交差点まで北上する。
昭和27年の写真
奈良橋庚申塚交差点 《地図》
ここにあった庚申塔は昭和42年に雲性寺の山門下に移設された。
すぐ北側に新庚申橋が架かっている。両方とも空堀川。
奈良橋交差点から北西の雲性寺に寄る。
左下に奈良橋庚申塚から移設された庚申塔
箱根本陣の一の門を移設
奈良橋交差点に戻り、東へ志木街道を進む。
南東方向に流れて空堀川に合流する。
この先で都道128号から離れて右の道に入った。
ここに高木村外五ヶ村連合戸長役場があった。
高木神社の境内社
松っこごれ地蔵の祠 《地図》
外にも石地蔵が並ぶ。祠のそばの由緒碑には、「・・・今から二百八十五年前に・・・志木街道の傍に建立され・・・イボ地蔵さまと・・・」とある。
この地蔵は「いぼとり地蔵」として信仰を集めていた。いぼを取ってもらった人は、お礼に「松っこごれ」(松かさ)を木綿の糸でつなぎ、首や手に掛けてあげた。いつも松っこごれで飾られているので、いつしか「松っこごれ地蔵」といわれるようになり、親しまれてきた。
根来寺の「錐鑽(きりもみ)不動尊」像を写して当山の本尊としたとされるそうだ。
右の掲示板の前に石碑が立つ。現在、御神体は現狭山神社に合祀されている。
古くは天狗大明神と称していた。
伝兵衛地蔵の祠 《地図》
伝兵衛地蔵さんも大切にされているようだ。
清水観音堂に移設されている。
これも清水観音堂に移設
西武多摩湖線をくぐって行く。
東村山市に入る。
当地は金山神社の境外地?
廻田(めぐりた)不動尊(光明院不動堂) 《地図》
左端が木造薬師如来立像(東村山市指定有形文化財)の薬師堂。
大善院(野口不動尊)
工事中の東村山駅の東側に出る。
庚申塔(右)・馬頭観音(中) 《地図》
左の百万遍供養塔(明和3年)は道標になっているのを帰ってから気づいた。
写真が欠けてしまったが、下部に「右西山口? 右北川越 左東江戸? 同東大山?」のように読める?
志木街道は右の府中街道を進む。
石灯籠と地蔵の祠 《地図》
阿弥陀堂 《地図》
梅岩寺の境外仏堂
大ケヤキ(左)・大カヤ(右)
市内最古の庚申塔(延宝5年(1677)・東村山市文化財)もある。
清瀬市に入る。
野塩橋から空堀川(上流方向) 《地図》
野塩橋を渡った所。文字がかすれていて読めない。
右は国立看護大学校
すぐ先で芝山立体交差(西武池袋線)をくぐる。
郵便局前交差点 《地図》
ここ小金井街道との交差地点までとし、右折して小金井街道を清瀬駅に向かった。
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