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2018年5月31日 (木)

二ヶ領用水を歩く②

2018年5月25日

久地駅(JR南武線)・・・鷹匠橋・・・堰前橋・・・久地の横土手跡・・・久地橋・・久地の里公園・・・平瀬川伏越地点・久地円筒分水・・・久地神社・・・久地不動尊・・・(国道246号)・・・法泉坊橋・・・浜田橋・・・西浦橋・・・大石橋・大山街道交差地点・・・曙橋・・・(東急田園都市線)・・・新雁追橋・・・二子南橋・・・弁慶島跡あたり・・・平成橋・・・二子塚橋・・・錦橋・・・坂戸橋跡・石橋供養塔・二子坂戸緑道・・境橋・・・(第三京浜道路)・・・井田堀取水口・・・竹橋・・・宮内七号橋・・・木月堀取水口あたり・・・大ヶ谷戸橋・・・上家内橋・・・薬師橋・・・白田橋・・・神地橋・中原街道交差地点・・・今井上町緑道・・松尾橋・・今井神社・・・山王橋・・・今井上橋・・・(JR南武線))・・・今井仲橋・・・渋川分岐地点・・大乗院・・・今市橋・ほうせい通り・・・(東急東横線)・・・綱島街道・・・川崎市中原平和公園・・・鹿島田堰取水口・・・昭和橋・・・(東海道新幹線)・・・御幸跨線橋(JR横須賀線)・・・大鹿橋・・・朱印橋・・・鹿島田橋(府中街道)・・・川崎堀踏切(JR南武線)・・・大師堀、町田堀分岐地点・工場用水取水口跡・・平間配水場・・・大師堀緑道・・・鹿島田駅(JR南武線)

  【ル-ト地図

Img_6488鷹匠橋から下流方向 《地図

Img_6485説明板

Img_6495横土手跡 《地図

水を巡る争いは絶えることなしか。

Img_6494説明板

Img_6501久地の里公園

地下は雨水貯留池になっていて、緊急用の給水タンクも埋まっている。

Img_6506平瀬川伏越地点 《地図

二ヶ領用水(正面・上流方向)は平瀬川(左)を伏せ越して(下をくぐる)、久地円筒分水へと流れ込む。余剰となった水は平瀬川経由で多摩川へと流している。(写真)

Img_6507平瀬川トンネル出口(上流方向) 《地図

溝口の街を流れていた平瀬川を多摩川へ直接放流するため、隧道として築造された。「トンネル内の写真

Img_6512久地神社

車で来た団体さんがお経を上げていた。神仏習合か、ご利益があれば・・・。

Img_6511説明板

Img_6830弁天池と弁財天堂(久地不動尊への参道の途中)

「私有地につき立入禁止」になっている。

Img_6832久地不動尊

Img_6521久地円筒分水地図

平瀬川の下を潜った二ヶ領用水がサイホンの原理で溢れ出て、川崎堀などの四つの用水堀に分水される。
二郷半領用水』には3支流に分水する金野井円筒分水工(2003年完成)がある。

Img_6520
平面図

ここで分水された二ヶ領用水の川崎堀(右端)沿いを進んで行く。

Img_6531説明板

Img_6515久地分量樋

明治43年の写真

Img_6534円筒分水から流れ出た川崎堀

Img_6535川崎堀(下流方向)

Img_6536国道246号(厚木街道)を跨線橋で越える。

円筒分水から幼稚園児たちの散歩?と一緒だ。

Img_6546浜田橋から下流方向

濱田庄司は幼少の頃にニヶ領用水で泳いだ。橋の改修に際して「濱田橋」と名付けられた。水遊びはともかく泳ぐなんてのは今は考えられない流れだが。

Img_6549大石橋で大山街道と交差する。

江戸時代は文字どおり大きな石橋があり、大山街道の「溝の口・二子宿」として繁栄していた。

東急田園都市線をくぐって行く。

Img_6559弁慶島跡あたり?(二子南橋の右岸近く)

旧川崎堀と旧平瀬川の合流地点は埋め立てられ柿畑になっているそうだ。「弁慶島」の名前の由来は不明という。

Img_6565二子塚橋から下流方向

近くに「二子」の地名由来となった二子塚(前方後円墳?)があったとか。北方の公園(地図)に「二子塚碑」が立っているそうだ。次回の府中街道を歩く時に寄るとしよう。

Img_6568二子坂戸緑道 《地図

旧川崎堀の流路跡の緑道

Img_6573石橋供養塔(寛政5年(1793))

旧川崎堀に架かっていた坂戸橋で、江戸時代には村人が用水を渡って二子方面へ行く唯一の橋だった。後方に「坂戸橋改築記念碑」も立っている。
今の川崎堀には境橋が架かっている。《地図

Img_6580旧川崎堀跡は一般道となって続いている。

第三京浜道路をくぐって行く。

Img_6586独りが好きなのカモ

Img_6588井田堀取水口(竹橋上流)

中原街道を横切り、下小田中から井田方面に通じ、同地域を潤していた。

Img_6600白田橋から下流方向

右は世田谷領主吉良氏の菩堤寺泉澤寺

Img_6604神地橋で中原街道と交差する。 《地図

Img_6607今井上町緑道を進む。

左が川崎堀

Img_6610今井神社

横を今井堀が流れている(いた?)というが分からず。今井堀は今井神社から南武線高架下を通り、渋川へ落ちていたようだ。

南武線をくぐる。

Img_6616渋川分岐地点(右) 《地図

Img_6619説明板

Img_6629今市橋で「ほうせい通り」を横切る。

近くに法政大学などは見当たらないが。

東急東横線をくぐり、綱島街道を横切って平和公園内を通って行く。

Img_6637

右は川崎平和館

Img_6642鹿島田堰取水口

昭和橋手前の右岸

Img_6646昭和橋の蛍の欄干

Img_6645蛍はいそうもないが。

東海道新幹線(正面)をくぐる。

Img_6651この先は両岸とも行き止まりで右へ迂回し、御幸跨線橋でJR横須賀線を越える。

Img_6661横須賀線をくぐって来た川崎堀(上流方向) 《地図

Img_6668朱印橋

浄蓮寺に水戸光圀(黄門)からの朱印状がこの橋を渡って届けられたとか。

Img_6670鹿島田橋で府中街道をくぐる。《地図

川崎堀沿いは歩けず府中街道に迂回する。

Img_6673その名も「川崎堀踏切」

Img_6680南武線をくぐって来た川崎堀の終点で、町田堀と大師堀に分岐する。

Img_6683説明板

Img_6687町田堀(右)と大師堀(左)

上部は石鳥居のような形だ。

Img_6691説明板

Img_6684流路

Img_6688平間配水場(元平間浄水場)

川崎堀から取水し、工業用水として工業地帯へ供給された。

Img_6675説明板

Img_6699大師堀跡の緑道

水路は工事整備中なのか水は流れていない。

Img_6754町田堀跡の緑道 《地図

Img_6755説明板

Img_6704大師堀跡の緑道は民家の間の路地のような所を抜けて行く。

Img_6707大師堀緑道水路の終点 《地図》あたり

この先、大師堀は東海道を横切り川崎大師の方へと続いていた。ここを二ヶ領用水歩きの終点として鹿島田駅に向かった。

 

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2018年5月29日 (火)

二ヶ領用水を歩く①

2018年5月24日

稲田堤駅(JR南武線)・・・多摩川・・二ヶ領上河原堰堤・取水口・二ヶ領本川上河原線(用水)・・・三沢川伏越地点・・・ふだっこ橋・・・草堰・・・(JR南武線)・・・中の島橋・・・田村橋・・・沖川原橋・旧三沢川合流地点・三澤川橋・・・新川橋・・・橋本橋・・・一本圦橋・・・紺屋橋・・紺屋前の堰跡あたり・・台和橋・山下川合流地点・・・新川橋(世田谷通り))・・・小泉橋(榎戸橋・津久井道)・・・稲生跨線橋(小田急線)・・南橋・・五ヶ村堀の取水口・・五反田川合流地点・追分橋(五反田川)・・・稲生橋・・五ヶ村堀緑地・ばら苑アクセスロード・・・本村橋・・・(ばら苑)・・・新開橋・・・藤子不二雄ミュージアム・・・長尾橋・・・喜津根坂下・・・長芝橋・・(東名高速道路)・・・二ヶ領用水本川宿河原線合流地点・・出会い橋・・・(東名高速道路)・(旧府中街道)・・宿河原橋・・東名下公園・・・徒然草第百十五段碑・・中宿地蔵・・・稲荷神社・・稲荷橋・・・新明国上教会・・・中村橋・・・高橋・・・川崎市緑化センター・・宿之島橋・・・五ヶ村堀交差地点・・・八幡下橋・・八幡下圦樋記念碑・・・仲乃橋・・・宿河原橋・桜並木・・・北村橋・・・(JR南武線)・・・新船島橋・・・船島橋・・・(多摩川沿線道路)・・船島稲荷神社・・・多摩川・二ヶ領宿河原取水口・宿河原堰堤・・二ヶ領せせらぎ館・・・登戸駅(JR南武線)

 小泉次大夫が村人たちと協働し、多摩川左岸の六郷用水と並行して右岸に開削した二ヶ領(稲毛領と川崎領)用水を歩く。今日は上河原堰の取水口から宿河原堰の取水口からの宿河原線(用水)までの合流地点まで行き、宿河原線を取水口まで遡る。

  参考:『二ヶ領用水の史跡・見どころ』・『多摩川の見どころ 二ヶ領用水

  【ル-ト地図

Img_6260二ヶ領上河原堰

Img_6265二ヶ領用水取水口 《地図

ここから二ヶ領本川上河原線(用水)沿いを下流に向かう。

Img_6271釣り人もいる。

小さな鮒(ふな)がけっこう釣れていた。

この先で二ヶ領用水は三沢川を伏せ越す(下をくぐる)。 《地図

Img_6275三沢川(下流方向)

Img_6278三沢川を伏せ越した二ヶ領用水の流れ

Img_6290草堰

流れに杭を打って石・土・草などで築く工法で、自然豊かな川づくりなっている。

Img_6283鴨たちはスイスイと涼しげだ。大きな鯉もいる。

JR南武線をくぐって行く。

Img_6303沖川原橋から下流方向 

右の三澤川橋下から旧三沢川が合流する。《地図

Img_6318遊歩道もあるが蒸し暑い。

Img_6324紺屋橋から下流方向

少し下流に「紺屋前の堰」があった。

Img_6329説明板

Img_6332台和橋 《地図

東生田自然遊歩道に沿って流れる山下川(正面)が流れ込み、橋には小泉次大夫のレリーフ(右)。

Img_6331好好爺風の次大夫さん

Img_6339小泉橋 《地図

小泉次大夫とは関係がない。

Img_6341説明板

Img_6348稲生跨線橋で小田急線を越えた南橋から上流方向

黄色の除塵ロープ?の右側が五ヶ村堀の取水口のようだ。

Img_6349五反田川が右から合流する。《地図

Img_6355二ヶ領用水(右)・五反田川(左)上流方向

左は五反田川の追分橋

Img_6356五ヶ村堀は二ヶ領用水の北側に沿って流れている。

Img_6359稲生橋から下流方向

左は暗渠の五ヶ村堀緑地

Img_6360五ヶ村堀緑地

ここは暗渠の五ヶ村堀の上の向ヶ丘遊園までのモノレールの線路跡

Img_6365ばら苑アクセスロード」(旧向ヶ丘遊園のばら苑)にもなっている。

Img_6371藤子・F・不二雄ミュージアム(正面・新開橋から下流方向)

父が買ってくれた「週刊少年サンデー 」の1創刊号(1959年)の「海の王子」を夢中で読んだっけ。サイズも装丁も今の週刊誌と同じで、それまでは月刊誌の「少年」・「少年画報」だったが、週刊誌はちょっと大人になったような気分がしたことを覚えている。

Img_6375喜津根坂下 《地図

この坂と「あじさい寺」の妙楽寺などは『川崎市の坂③』に記載。

東名高速をくぐって行く。

Img_6382二ヶ領用水宿河原線合流地点の「落合」(正面は南武線) 《地図

ここから宿河原線を二ヶ領宿河原堰・取水口まで遡る。

Img_6386出会い橋から上流方向

Img_6387旧府中街道・東名高速をくぐる。

Img_6391徒然草第百十五段碑 《地図

「宿河原といふところにて・・・」

Img_6395説明板

Img_6396中宿地蔵(右)・不動明王石像(明治9年)

Img_6404稲荷神社 《地図

Img_6407稲荷橋から上流方向

Img_6413新明国上教会

Img_6412説明板

Img_6427川崎市緑化センター内を流れている。

Img_6429五ヶ村堀立体交差地点の掛樋(渡井)

Img_6431説明板

「堰」は北東方向の地名で堰稲荷神社がある。北原白秋の『多摩川音頭

Img_6440八幡下圦樋記念碑

Img_6448鯉がウヨウヨと群れている。

Img_6452宿河原の桜並木

Img_6449説明板

Img_6461南武線をくぐる。

まさに「頭上注意」だ。

Img_6473多摩川(正面)へと続いている。《地図》(このあたりから)

晴れているのに大粒の雨が降り出した。今日は雹(ひょう)が降った所もあったようだ。日傘を雨傘にして進んだ。

Img_6474船島稲荷神社 《地図

藁沓(わらぐつ)に願いを掛けて奉納したことから「沓(くつ)稲荷」・「沓掛稲荷」と呼ばれている。

Img_6478二ヶ領宿河原線取水口

Img_6477宿河原堰堤

Img_6479二ヶ領せせらぎ館

見学、雨宿りして登戸駅に向かった。明日は合流地点そばの久地駅から下流へ向かう。

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2018年5月21日 (月)

柳瀬川を歩く

2018年5月4・17日

西武球場前駅(西武狭山線)・・メットライフドーム(西武球場)・・・金乗院(山口観音)・・・狭山不動尊・・・県立狭山自然公園・・・狭山湖(村山貯水池)・・・柳瀬川・・大鐘橋・・・八王橋・・・川辺橋・・・高橋・・・中氷川神社・・・城上公園・・・藤森稲荷神社・・・(西武狭山線踏切)・・・児泉橋・・山口民俗資料館・・・桜渕地蔵・桜渕橋・・・西ヶ谷戸橋・・・関地蔵・・・本村橋・・・川島田橋・・・山王橋・・・永源寺・・・弁財天堂・・・十人坂下・・・樋の坪橋・・・共開橋・・・所沢郷土美術館・・・吾妻橋・・・勢揃橋・(鎌倉街道上の道)・・・里橋・・・二瀬橋・北川合流地点・・・(西武新宿線)・・・二柳橋(所沢街道)・・・柳瀬橋(旧所沢街道)・・・北秋津富士塚・・・日月神社・・・伏見稲荷社・・・秋津橋・・・よもぎ橋・・・淵の森緑地・・・(西武池袋線)・・・上安松地蔵尊・・松戸橋・・・新秋津駅(JR武蔵野線)・・(5/17日)・・・松戸橋・・・(JR武蔵野線)・・・日向橋・・・新清瀬橋・・空堀川合流地点・・清瀬橋・・・松柳橋・・・清瀬金山緑地公園・・金山橋・・・金山調節池・・・城前橋・・滝の城址公園・・・(武蔵野線)・・・城橋(関越自動車道)・・・城下橋(東川)・・・東川合流地点・・清柳橋・・・清瀬水再生センター・・・大和田運動場・・・英橋・川越街道交差地点・・・柳瀬川ふれあい橋・・・志木大橋・・・(東武東上線)・・・富士見橋・・・高橋・・・栄橋・・・新河岸川合流地点・・・志木駅(東武東上線)

  狭山湖の東岸近くを起点として柳瀬川を新河岸川との合流地点まで歩く。

  【ル-ト地図

Img_5746西武球場

山口観音(金乗院)の変わった五重塔を眺め、日本各地から文化財をかき集めた狭山不動尊の奇妙な空間を抜けて行く。詳しくは『狭山不動尊と山口観音はB級スポット!?

Img_5706山口観音仁王門

Img_5729五重塔

Img_5678狭山不動尊

Img_5702勅額門

Img_5700説明板

Img_5686第一多宝塔

Img_5680説明板

Img_5684総門・本堂

Img_5683説明板

Img_5671弁天堂

Img_5670説明板

Img_5668羅漢堂

Img_5667説明板

Img_5622狭山湖(山口貯水池

この景色を見てほっとする。正面には雪を被った富士山もうっすらと見える。

Img_5623説明板

Img_5647柳瀬川

正面は狭山湖の土手で、ここを起点として歩く。《地図

Img_5649下流方向に向かう。

正面は大鐘橋

Img_5651大鐘橋から下流方向 《地図

蛇行しながら流れて行く。八王橋、川辺橋あたりも川沿いは歩けない。

Img_6138川辺橋から下流方向 《地図

Img_6147中氷川神社

Img_6150城上公園 《地図

山口城址前」交差点付近が本丸だったと推測されているそうだ。

Img_6151藤森稲荷神社 《地図

Img_6155児泉橋から下流方向 《地図

橋の南側沿いに山口民俗資料館がある。

Img_6161桜渕延命地蔵堂 《地図

Img_6162桜渕地蔵

Img_6164桜渕橋から下流方向

Img_6171関地蔵堂 《地図

Img_6172関地蔵

子育ての地蔵さんとして近郷近在の信仰を集めているそうだ。

Img_6179川島田橋から下流方向 《地図

少しだけ川沿いが歩ける。

永源寺、弁財天堂、十人坂は『所沢市の坂③』に記載。

Img_6193十人坂下 《地図

Img_6196共開橋(人道橋)

Img_6204所沢郷土美術館

Img_6202吾妻橋の北側の三叉路の真ん中に立っていたという馬頭観音。元の位置の《地図

吾妻橋を渡って右岸近くを進む。

Img_6212勢揃橋 《地図

鎌倉街道(上の道)の道筋で新田義貞が鎌倉街道を攻め下る時に、倒幕軍の軍勢をここで勢揃いさせたという伝承の橋だが説明板などはない。このあたりの史跡は『所沢市の坂②』に記載。

Img_6218里橋から下流方向

Img_6220北川(左)との合流地点(二瀬橋から上流方向) 《地図

Img_6221二瀬橋から下流方向

西部新宿線をくぐって行く。

二柳橋(所沢街道)を渡って左岸近くを進む。

Img_6226北秋津富士塚地図

Img_6225説明板

Img_6227日月神社

Img_6230神木の槻の木

無残な姿になってしまったが、蜻蛉(とんぼ・あきつ)の宿生木が我儘な殿様を懲らしめたという伝説がある。ここ北秋津の地名の由来も蜻蛉(あきつ)からとも。

Img_6229伝説

Img_6234秋津橋から下流方向 《地図

Img_6236光あまねしの碑(秋津橋右岸)

Img_6235説明板

Img_6242よもぎ橋から下流方向 《地図

Img_6245淵の森緑地

Img_6248西武池袋線(上)をくぐると大きく右に曲がって行く。

川沿いは歩けず北のガードに迂回する。

Img_6075上安松地蔵堂 《地図

昭和42年には道路は未舗装だったようだ。

Img_6073地蔵と馬頭観音

Img_6256松戸橋から下流方向

Img_6257下流には釣り人がけっこういたが何が釣れるのか聞けばよかった。

今回はここまでとし新秋津駅に向かった。

Img_6087空堀川合流地点あたり(清瀬橋から) 《地図》(くるまや橋の上流)

右から流れ込むのも柳瀬川の支川だろう。

Img_6091清瀬橋の下流あたり。

水はきれいだ。アユもいるかも?

Img_6096このあたりはいい景観だ。

Img_6105清瀬金山緑地公園

Img_6107三春の滝しだれ桜

Img_6118城前橋から滝の城址公園方向 《地図

滝の城まつり」の旗が並んでいる。

関越自動車道にぶつかり、左に跨線橋の城橋に迂回する。城下橋(東川)を渡って川沿いに進むと柳瀬川との合流地点に出る。《地図

Img_6128清柳(せいりゅう)橋から上流方向

右から東川が合流する。

清柳橋を渡って右岸を進む。

Img_6017清瀬水再生センター

Img_6019再生処理された下水が柳瀬川に放流されている。

 

Img_6027英橋から下流方向

川越街道との交差地点。橋を渡って左岸を行く。

Img_6029柳瀬川ふれあい橋(前方)を渡って右岸を進む。《地図

Img_6041東上線をくぐる。

Img_6043富士見橋から下流方向 《地図

Img_6053栄橋から下流方向 《地図

すぐ先で新河岸川に合流する。

Img_6056新河岸川(正面)合流地点

このあたりの引又河岸、引又宿などは『志木市の坂』・『新河岸川を歩く④・⑤』・『野火止用水を歩く②』に記載。

市場坂を上って志木駅に向かった。

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2018年5月20日 (日)

東川を歩く

2018年5月5日・13日

小手指駅(西武池袋線)→大日堂バス停・・・東川源流地点あたり・・・箙(えびら)の梅・・・下田橋(県道179号)・東川管理起点標石・・・石橋供養塔・馬頭観音・狭山湖橋・・・稲荷坂交差点・・・北野総合運動場・・・泉橋・・・場北稲荷・・・北野天神社・・・宮後公園・・・石橋供養塔・・・大沢橋・・・石橋供養塔・庚申塔・・・山下橋・上新井調節池・・・大六天橋・・・西裏橋・・・六所神社・・・(西武池袋線)・・・弘法大師堂・三つ井戸・弘法橋①・・・鎌倉街道交差地点・新光寺・・開明橋・峰の坂下・・・新生橋・・・琴平橋・・・秋田家住宅・・・盃横丁・・・坂稲荷神社・・ファルマン通交差点・・・飛行機新道・・・旭橋・・・(西武新宿線)・・東川桜通り・・・西新井不動尊・熊野神社・宮前橋・・・所沢航空記念公園・・・松井橋・・・学校橋・精華の梅・・・新東橋・・・境橋・庚申塔・・・牛沼橋・・・加美橋・・・牛沼市民の森・神明社・・・長栄橋・・長栄寺・・・川端橋・・・弘法橋②・・・松郷橋・・・松郷工業団地・・松郷工業橋・・・新日比田橋・・・東所沢駅(JR武蔵野線)・・(5/13日)・・新日比田橋・・・日比田橋・・・稲荷橋・・・亀ヶ谷神社・・・御嶽神社・・柳瀬民俗資料館・・・柳瀬橋・・にこにこ橋・・・(関越自動車道)・・・塚越地蔵・・・城下橋・・・柳瀬川合流地点・・清柳橋(柳瀬川)・・・新座駅(JR武蔵野線)

  狭山湖(山口貯水池)の北側から東に所沢市内を流れて柳瀬川に合流する東川を歩く。

  【ル-ト地図

Img_5615東川上流方向 《地図》あたり

源流はまだ先だが水が流れていないここを起点として歩く。近くに三ヶ島八幡神社があり、『所沢市の坂④』で訪れたことがあるがすっかり忘れている。

Img_5616下流方向

この先で一般道に出る。

Img_5609箙(えびら)の梅 《地図

このあたりに多い小手指原の戦の伝承話の一つ。

Img_5607説明板

「昭和の初期には東川沿いに三十本の梅樹が点々とありましたが・・・」とある。

Img_5602下田橋から下流方向 《地図

左に「一級河川東川起点」標石が立つ。

Img_5600石橋供養塔(右)・馬頭観音(狭山湖橋手前)

Img_5599狭山湖橋から下流方向

Img_5587北野総合運動場(右)の北側を流れて行く。《地図

Img_5581北野総合運動場の東側で泉橋をくぐる。《地図

Img_5579泉橋から下流方向

Img_5576場北稲荷?

ここは民家の敷地内。屋敷神様だろう。

Img_5558北野天神社

Img_5560説明板

Img_5563宗良親王遺跡

小手指原の戦での陣所という。

Img_5573大納言梅

前田利家は菅原道真の後裔? 家紋は天神様の梅鉢だが。

Img_5574説明板

Img_5568文子天神社

女神の文子さんを祀っている。

Img_5567説明板

Img_5553石橋供養塔(左の木下) 《地図

Img_5084石橋供養塔(左・寛政5年(1793)) 《地図

庚申塔(右・安永6年(1777))

Img_5090すぐ南の橋から下流方向

Img_5095山下橋から下流方向

右は上新井調節池

Img_5100大六天橋から下流方向

Img_5107つるべ井戸

もう使われていないようだ。

Img_5108旧家の土蔵

Img_5114六所神社地図

Img_5121西武池袋線をくぐる。

Img_5126弘法大師堂(右前方)・弘法の三ツ井戸 《地図

Img_5133弘法の三ツ井戸

Img_5132説明板

Img_5137弘法の湯の煙突

Img_5138東川地下河川流入施設

洪水・氾濫防止のため地下の施設に流し込むようだ。

Img_5142鎌倉街道(上の道)交差地点 《地図

このあたりは『鎌倉街道(上の道⑥)』・『所沢市の坂②』に記載。

Img_5146開明橋から下流方向

ここは峰の坂下

Img_5157和田家住宅地図

Img_5160盃横丁

まだちょっと早いか。

Img_5169ファルマン交差点

明治44年、所沢飛行場でわが国で初飛行した、「アンリ・ファルマン機」にちなむ通り。

Img_5161坂稲荷神社

社殿装飾絵

Img_5166子抱き狐

Img_5163説明板

飛行機新道を旭橋へと進む。 《地図

Img_5175旭橋

昭和5年当時はモダンなデザインで、今はレトロか。

Img_5174説明板

Img_5179西武新宿線をくぐる。

Img_5183ここにも地下河川流入施設

東川は大雨が降るとすぐに水位が上がるのだろう。

Img_5185西新井不動 《地図

Img_5188不動像

Img_5193熊野神社

Img_5194説明板

Img_5204日本一長いケヤキ並木

所沢航空記念公園前の国道463号

Img_5203説明板

松井橋で東川に戻る。

Img_5213精華の梅・学校橋

Img_5211説明板

Img_5218庚申塔(寛政10年(1798))

境橋のたもと

Img_5222牛沼橋を渡る。《地図

左からの水路の橋で、右の東川に流れ込む。牛沼はこのあたりの地名・かつては沼があったのだろか?

Img_5224水路

国道の先で途切れるようだ。

Img_5227このあたりはいい景観の流れだ。

Img_5231牛沼市民の森

この中に神明社がある。

Img_5234神明社地図

ヒノキ林の間の参道

Img_5235神明造りの社殿

Img_5243長栄寺

閻魔像

Img_5244身投げ桜?

Img_5252背泳ぎ鯉?

Img_5255弘法橋② 《地図

ここにも大師の逸話があるのか?

松郷工業団地沿いを通り、新日比田橋を渡って東所沢駅に向かった。

Img_5987稲荷橋から下流方向 《地図

もとは稲荷社だった亀ヶ谷神社による橋名。

Img_5983亀ヶ谷神社

Img_5989御嶽神社

Img_5990柳瀬民俗資料館

磯谷有技の石碑が立っている。

Img_5997にこにこ橋から下流方向 《地図

柳瀬小・中学校への通学の橋。

この先は川沿いを歩けそうにないので、北に一般道に迂回して関越自動車をくぐった。

Img_6002塚越地蔵(享保18年(1733))? 《地図

台座は道標になっている。

Img_6003道標

「左 ちくまざわみち 中 とめ みち 右 かめやつみち」か?

竹間沢(三芳町)、(上・中・下)富(三芳町)、亀ヶ谷のことか? 左右の方向が違うが。他所から移設されたのだろうか?

Img_6006城下橋から下流方向 《地図

Img_6010柳瀬川(正面)に合流

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2018年5月14日 (月)

古隅田川・旧古隅田川(埼玉県)を歩く

2018年5月12日

春日部駅(東武伊勢崎線)・・日光街道粕壁宿・・・古隅田川河口(古利根川との合流地点)・・・十文橋・・・(東武伊勢崎線)・・・梅田橋・・・北部浄水場・・・八幡公園・・春日部稲荷神社・・春日部八幡神社・・・浜川戸橋・・・古隅田橋(国道16号)・・雷電社・・・栄橋・・・古隅田川緑道・・・城殿宮橋・・・古隅田公園・・・満蔵寺・・・古隅田公園・・・上院落合流地点・・・古隅田公園・・・矢島橋・・旧古隅田川合流地点・・・上院調節池・・・友愛橋・・・豊春橋・・・花積橋・・・(東武野田線)・・・古隅田川管理起点標石・・・旧古隅田川・・・香取神社・・・道順川戸橋・・・業平橋・・・(東武野田線)・・・川面橋・・・上豊川合流地点・・・古隅田川合流地点・・・豊春駅(東武野田線)

 春日部市の古利根川との合流地点から古隅田川を遡る。中世以前は反対に古利根川から古隅田川(埼玉県)→元荒川→中川→古隅田川(東京都)→隅田川と流れていたと考えられている。
 この古隅田川も武蔵国と下総国の境を画する大河だった時代があり、業平橋、都鳥の碑、梅若塚などが残っていて隅田川の故地であることを主張している。

  【ル-ト地図

Img_3566古隅田川(左)が古利根川(葛西用水・右)に合流 《地図

Img_5761右が古利根川(上流方向)

ここから古隅田川(左)を遡る。

Img_5763十文橋 《地図

昔は十文の銭を取った賃取り橋だった。

Img_5771対岸の女体神社だが近くに橋がないので遥拝のみ。女体を眺めるだけとは情けない。

Img_5775東武伊勢崎線をデッキのような遊歩道でくぐる。

Img_5781八幡公園

浜川戸砂丘が残っている。

Img_5791説明板

Img_5790春日部稲荷神社

社殿は浜川戸砂丘上にある。

Img_5785説明板

Img_5793春日部八幡神社

春日部重行が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したという。最勝院に重行を葬ったと伝わる塚がある。『日光街道(越谷宿→粕壁宿)

Img_5800都鳥の碑(左)・八幡神社道標石

在原業平の東下りの隅田川はこの地?

Img_5799説明板

Img_5805浜川戸橋(現在工事中) 《地図

波の模様の高欄

Img_5808能「隅田川」のイメージ

梅若伝説もこの隅田川か?

Img_5814古隅田橋(国道16号)から上流方向

正面は栄橋

Img_5817雷電社両部鳥居

Img_5838古隅田川緑道 《地図

旧流路跡で暗渠の地下は治水施設になっている。東側は工業団地で西側はずっと木の生垣になっていて満蔵寺の方には行けない。ちょっと荒れて寂れた緑道で歩いている人もいない。かなり進んで引き返した。

Img_5842城殿宮橋 《地図

右から黒沼笠原沼用水の余水が排水されている。

Img_5849城殿宮橋から上流方向 

春日部市(下総国葛飾郡)とさいたま市岩槻区(武蔵国埼玉郡)の境となっている。川沿いは歩けない。満蔵寺に寄って迂回する。

Img_5854古隅田公園 《地図

古隅田川の堤防跡を利用した細長い公園(遊歩道)が途切れながら、約1.5kmほど上流方向(南)に続いている。

Img_5857満蔵寺

Img_5859梅若塚

後ろに盛られた土塚だろう。ここが隅田川の梅若伝説の地という。

Img_5858説明板

Img_5861お葉付きイチョウ

Img_5862説明板

Img_5866古隅田公園 《地図

一段高くなった堤防跡が続いている。

Img_5871上院落が合流する。《地図

Img_5874下流方向

正面右は宮川小学校

Img_5881やじま橋(古隅田公園に保存)

元文2年(1737)に構築された埼玉県内でも最古の石橋の一つ。古隅田川と旧古隅田川の合流点の上流に架かっていたようだ。(現在の矢島橋の所)

Img_5877しっかりどっしり石橋だ。現役の橋ではないが300年近く前に造られたとは思えない。

Img_5882説明板(一部)

Img_5887旧古隅田川(この川)との合流地点(正面・矢島橋から下流方向) 《地図

草に覆われた洲へ左から古隅田川が流れて来る。

Img_5889古隅田川が正面で合流する。

Img_5898上院調節池 《地図

自然の低湿地帯という感じだ。東側は古隅田川の旧堤防(新方領囲堤)で少し高くなっている。古隅田公園となっている堤防との間は200~300mもある。 古隅田川が大河だった頃の川幅が偲ばれる。

Img_5909花積橋(上流方向)

東武野田線をくぐる。古隅田川の源流は近い。

Img_5916古隅田川管理起点標石(左) 《地図

ここから直角方向に曲がって東武野田線の方へ流れが続いている。山城堀というようだ。

Img_5920山城堀(上流方向) 《地図

Img_5917馬頭観音・右も頭の欠けた馬頭観音

後ろは山城堀

Img_5923管理標石から下流方向

ここから旧古隅田川の源流近くに向かうのだがかなり迷った。

Img_5928廃寺か?(下蛭田の県道2号沿い)

Img_5929右端は正徳4年(1714)の青面金剛三猿庚申塔

Img_5938旧古隅田川の源流近く(上流方向) 《地図

この先は歩けず。古隅田川の管理標石あたりまで続いているか? ここは春日部市とさいたま市岩槻区の境だ。もとはこの流れが元荒川へ繋がり、中川から古隅田川(東京)を経て現在の隅田川へと繋がっていたのだろう。むろん今とは比較にならない大河であったろうが。

Img_5941下流に向かう。

川沿いは住宅街で歩けない所が多い。

Img_5949下流方向

Img_5950香取神社 《地図

春日部市は下総国葛飾郡で、ここも下総一の宮の香取神社を祀っている。

Img_5957道順川戸橋から下流方向 《地図

Img_5959業平橋 《地図

何の風情もなく、説明板などもない。

Img_5961業平橋から下流方向

Img_5966川面橋から下流方向 《地図

Img_5967「旧古隅田川」バス停の橋から下流方向 《地図》 

この先で左から上豊川が合流し、その先の矢島橋のすぐ先で古隅田川に合流する。

 

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2018年5月 4日 (金)

古隅田川(東京都)を歩く

2018年5月2日

亀有駅(JR常磐線)・・・香取神社・・・中川・古隅田川分岐地点・・・ザ・レジデンス東京・・・庚申塔・・・「玄恵井の碑」説明板・・・(常磐線)・・・見性寺・・・隅田子育地蔵尊・・善応寺・・・(環七通り)・・・「田光り観音」説明板・・・葛西用水交差地点・北三谷橋・「蒲原村宿駅伝説」説明板・・・北三谷一号橋・・・庚申塔・・・北三谷二号橋・・・北三谷稲荷橋・・「梅若丸と北三谷」説明板・・・宝蔵寺橋・・・宝蔵寺・稲荷神社・・・北三谷三号橋・・・郷乃一之橋・・・郷乃二之橋・・・東隅田橋・・・(常磐線)・・水戸街道・・(常磐線)・・・隅田橋・・下河原公園・・・西隅田橋・・・宿添橋・・・(常磐線)・・・境四橋・・・南新橋・・・境三橋・・・普賢寺公園・・・「上千葉遺跡と普賢寺」説明板・・・境一橋・・・入圦橋・・・随喜稲荷神社・(川の手通り)・・昌栄稲荷神社・・・蓮昌寺・・・元隅田橋・・・境田橋・・・富士見橋・・・袋橋公園・・・養福寺・・・北野神社・・・(綾瀬駅)・・・(綾瀬駅)・・・白鷺公園・青空橋・・・古川橋・・・「小菅の風太郎」説明板・・・陸前橋・・・鵜乃森橋・・・大六天排水場・・・綾瀬川・・水戸橋(綾瀬川)・・・小菅八幡社・・・裏門堰排水場・裏門堰親水水路・・・五反野親水緑道・・下山総裁追憶碑・・・小菅万葉公園・・荒川合流地点あたり・・・小菅御殿跡(東京拘置所)・・小菅御殿石灯籠・・・小菅稲荷神社・・・小菅銭座跡・・・伊藤谷橋(綾瀬川)・・・綾瀬神社・・・綾瀬駅(JR常磐線)

 かつては利根川の流末一つで、下総国葛飾郡と武蔵国足立郡の境を流れ、現在は葛飾区と足立区の境となっている古隅田川を中川から西に歩く。

  【ル-ト地図

Img_5277香取神社 《地図

ちょうど足立区との境にある。「出会いの川・古隅田川」には「・・・足立区側は武蔵一の宮の氷川神社を勧請して氏神とし、葛飾区側は下総一の宮の香取神社を氏神として祭り、その形態は今日まで及んでいる。・・・」とある。鎌倉時代には亀有の地は下総国御厨亀無郷と呼ばれ、香取神宮の神領だった。

Img_5370「出会いの川・古隅田川」

Img_5288中川(下流方向の中川橋) 《地図

古隅田川分岐地点あたりで、ここを起点として歩く。古隅田川流路地図①の右中央の長門排水場(跡)あたり。

Img_5289ここから古隅田川の流路(正面の道)をたどる。

Img_5337古隅田川流路地図①

葛西用水との交差地点の北三谷橋(跡)に設置の案内板。

Img_5338

Img_5340

Img_5371手書きの地図(北三谷三号橋の案内板)

右の中川から蛇行しながら流れて柳原村(左下)から現在の隅田川へと続いていた。

Img_5294ザ・レジデンス東京内を流れていた。

ここに古隅田川が流れていたとはマンションの住民は知っているだろうか?

Img_5297庚申塔(承応2年(1653)) 《地図

Img_5298説明板

Img_5300玄恵井の碑」説明板 《地図

碑はここではなく、香取神社に建てられ、井戸は亀有二丁目の鳥見屋敷に残っているそうだ。

Img_5306古隅田川跡の足立(右)・葛飾(左)区界を行く。《地図

Img_5310JR常磐線の高架をくぐって行く。

見性寺・・隅田子育地蔵尊・・善応寺は『東京散歩(足立区④)』に記載。

隅田子育地蔵のそばで西に流れを変え、環七通りを横切って行く。

Img_5326「田光り観音」説明板

長右衛門新田を馬で耕作していると、馬がある場所まで来て必ず止まってしまう。作男は不思議に思ってそのところを掘り返すと、中から大きな自然木が出て来た。それから毎晩、作男の夢枕に観音様が立ち、その姿が自然木に似ているので、田に行ってこれを洗ってみると、夢の観音様と同じであった。この観音様を西光院に安置したという。

Img_5324田光り観音西光院に安置

Img_5328葛西用水交差地点 《地図

北三谷橋(跡)で、「古隅田川総合案内・地図」「宿駅伝説」説明板が設置してある。

Img_5335説明板

Img_5346「蒲原村宿駅伝説」説明板

在原業平が東下りした時に、「名にしおはばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人は有りやなしやと」と詠んだのは、墨田区の言問橋あたりではなくこのあたり?

Img_5347北三谷橋から区界の流路を進む。

Img_5356庚申堂 《地図

Img_5361親水水路だがバルブの故障で水は流れていない。早く直してよ。

北三谷稲荷橋の北方に稲荷神社がある。(『東京散歩(足立区④)』) その隣の宝蔵寺は梅若丸の母の四人の従者の創建という。

Img_5366「梅若と北三谷」説明板(宝蔵橋の手前)

梅若伝説と北三谷(さんや)の地名由来

Img_5383常磐線をくぐる。《地図

Img_5387水戸街道(右)を進む。《地図

このあたりを大曲と呼んだようだ。

Img_5393再び常磐線をくぐった隅田橋・下河原公園 《地図

Img_5404都立葛飾ろう学校の北側を回り込み、また常磐線の高架下をくぐって行く。

Img_5407境四橋から流れが始まった。

Img_5413普賢寺公園

Img_5417「上千葉遺跡と普賢寺」説明板

Img_5418宝篋印塔普賢寺

Img_5435随喜稲荷神社 《地図

Img_5434昌栄稲荷神社

蓮昌寺は『水戸街道』・『東京散歩(足立区⑤)』に記載

古隅田川は白鷺公園の手前で区界の流路跡を北上する。

Img_5437元隅田橋の手前

養福寺・北野神社は『東京散歩(足立区⑤)』に記載。

Img_5443流路跡は駐輪場になっている。《地図

Img_5453綾瀬駅の下をくぐって北側のイトーヨーカドーのあたりを流れ、南に向きを変えて綾瀬駅をくぐって区界を白鷺公園の北西角に南下していたようだ。

Img_5463白鷺公園(右)の北側の流れ

Img_5470陸前橋 《地図

レンガのめがね橋風だ。

Img_5471「小菅の風太郎」

つまらない話だ。

Img_5478鵜乃森橋から 《地図

綾瀬川は近い。南側に水戸街道が通っている。

Img_5481大六天排水場 《地図

この先が綾瀬川合流地点。近くに大六天の祠でもあるのか?

Img_5489水戸橋から綾瀬川上流方向

Img_5492小菅八幡神社? 《地図

やけにさっぱり、こじんまりとなってしまった?

Img_5493説明板

Img_5538裏門堰排水場 《地図

Img_5536裏門堰親水水路

綾瀬川の開削で分断された古隅田川の旧流路跡

Img_5528五反野親水緑道

Img_5529下山総裁追憶碑(左) 《地図

Img_5522東京拘置所北側(裏側)の古隅田川の水路

Img_5516小菅万葉公園内 《地図

万葉の時代には小菅は入江で、「古須気(こすけ)ろの 浦吹く風の あどすすか 愛(かな)しけ児ろを 思いを過さむ」(巻14-3564)と詠まれた歌があるそうだ。

東京拘置所を一周して綾瀬駅に向かう。小菅御殿石灯籠、小菅稲荷神社、小菅銭座跡などは『水戸街道』に記載。

Img_5503小菅御殿跡(東京拘置所

江戸時代には関東代官伊奈氏の邸宅があり、将軍家鷹狩り時の休憩所の小菅御殿が併設されていた。

Img_5505説明板

Img_5542伊藤谷橋から綾瀬川上流方向 《地図

Img_5545

 綾瀬神社

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