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2018年5月14日 (月)

古隅田川・旧古隅田川(埼玉県)を歩く

2018年5月12日

春日部駅(東武伊勢崎線)・・日光街道粕壁宿・・・古隅田川河口(古利根川との合流地点)・・・十文橋・・・(東武伊勢崎線)・・・梅田橋・・・北部浄水場・・・八幡公園・・春日部稲荷神社・・春日部八幡神社・・・浜川戸橋・・・古隅田橋(国道16号)・・雷電社・・・栄橋・・・古隅田川緑道・・・城殿宮橋・・・古隅田公園・・・満蔵寺・・・古隅田公園・・・上院落合流地点・・・古隅田公園・・・矢島橋・・旧古隅田川合流地点・・・上院調節池・・・友愛橋・・・豊春橋・・・花積橋・・・(東武野田線)・・・古隅田川管理起点標石・・・旧古隅田川・・・香取神社・・・道順川戸橋・・・業平橋・・・(東武野田線)・・・川面橋・・・上豊川合流地点・・・古隅田川合流地点・・・豊春駅(東武野田線)

 春日部市の古利根川との合流地点から古隅田川を遡る。中世以前は反対に古利根川から古隅田川(埼玉県)→元荒川→中川→古隅田川(東京都)→隅田川と流れていたと考えられている。
 この古隅田川も武蔵国と下総国の境を画する大河だった時代があり、業平橋、都鳥の碑、梅若塚などが残っていて隅田川の故地であることを主張している。

  【ル-ト地図

Img_3566古隅田川(左)が古利根川(葛西用水・右)に合流 《地図

Img_5761右が古利根川(上流方向)

ここから古隅田川(左)を遡る。

Img_5763十文橋 《地図

昔は十文の銭を取った賃取り橋だった。

Img_5771対岸の女体神社だが近くに橋がないので遥拝のみ。女体を眺めるだけとは情けない。

Img_5775東武伊勢崎線をデッキのような遊歩道でくぐる。

Img_5781八幡公園

浜川戸砂丘が残っている。

Img_5791説明板

Img_5790春日部稲荷神社

社殿は浜川戸砂丘上にある。

Img_5785説明板

Img_5793春日部八幡神社

春日部重行が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したという。最勝院に重行を葬ったと伝わる塚がある。『日光街道(越谷宿→粕壁宿)

Img_5800都鳥の碑(左)・八幡神社道標石

在原業平の東下りの隅田川はこの地?

Img_5799説明板

Img_5805浜川戸橋(現在工事中) 《地図

波の模様の高欄

Img_5808能「隅田川」のイメージ

梅若伝説もこの隅田川か?

Img_5814古隅田橋(国道16号)から上流方向

正面は栄橋

Img_5817雷電社両部鳥居

Img_5838古隅田川緑道 《地図

旧流路跡で暗渠の地下は治水施設になっている。東側は工業団地で西側はずっと木の生垣になっていて満蔵寺の方には行けない。ちょっと荒れて寂れた緑道で歩いている人もいない。かなり進んで引き返した。

Img_5842城殿宮橋 《地図

右から黒沼笠原沼用水の余水が排水されている。

Img_5849城殿宮橋から上流方向 

春日部市(下総国葛飾郡)とさいたま市岩槻区(武蔵国埼玉郡)の境となっている。川沿いは歩けない。満蔵寺に寄って迂回する。

Img_5854古隅田公園 《地図

古隅田川の堤防跡を利用した細長い公園(遊歩道)が途切れながら、約1.5kmほど上流方向(南)に続いている。

Img_5857満蔵寺

Img_5859梅若塚

後ろに盛られた土塚だろう。ここが隅田川の梅若伝説の地という。

Img_5858説明板

Img_5861お葉付きイチョウ

Img_5862説明板

Img_5866古隅田公園 《地図

一段高くなった堤防跡が続いている。

Img_5871上院落が合流する。《地図

Img_5874下流方向

正面右は宮川小学校

Img_5881やじま橋(古隅田公園に保存)

元文2年(1737)に構築された埼玉県内でも最古の石橋の一つ。古隅田川と旧古隅田川の合流点の上流に架かっていたようだ。(現在の矢島橋の所)

Img_5877しっかりどっしり石橋だ。現役の橋ではないが300年近く前に造られたとは思えない。

Img_5882説明板(一部)

Img_5887旧古隅田川(この川)との合流地点(正面・矢島橋から下流方向) 《地図

草に覆われた洲へ左から古隅田川が流れて来る。

Img_5889古隅田川が正面で合流する。

Img_5898上院調節池 《地図

自然の低湿地帯という感じだ。東側は古隅田川の旧堤防(新方領囲堤)で少し高くなっている。古隅田公園となっている堤防との間は200~300mもある。 古隅田川が大河だった頃の川幅が偲ばれる。

Img_5909花積橋(上流方向)

東武野田線をくぐる。古隅田川の源流は近い。

Img_5916古隅田川管理起点標石(左) 《地図

ここから直角方向に曲がって東武野田線の方へ流れが続いている。山城堀というようだ。

Img_5920山城堀(上流方向) 《地図

Img_5917馬頭観音・右も頭の欠けた馬頭観音

後ろは山城堀

Img_5923管理標石から下流方向

ここから旧古隅田川の源流近くに向かうのだがかなり迷った。

Img_5928廃寺か?(下蛭田の県道2号沿い)

Img_5929右端は正徳4年(1714)の青面金剛三猿庚申塔

Img_5938旧古隅田川の源流近く(上流方向) 《地図

この先は歩けず。古隅田川の管理標石あたりまで続いているか? ここは春日部市とさいたま市岩槻区の境だ。もとはこの流れが元荒川へ繋がり、中川から古隅田川(東京)を経て現在の隅田川へと繋がっていたのだろう。むろん今とは比較にならない大河であったろうが。

Img_5941下流に向かう。

川沿いは住宅街で歩けない所が多い。

Img_5949下流方向

Img_5950香取神社 《地図

春日部市は下総国葛飾郡で、ここも下総一の宮の香取神社を祀っている。

Img_5957道順川戸橋から下流方向 《地図

Img_5959業平橋 《地図

何の風情もなく、説明板などもない。

Img_5961業平橋から下流方向

Img_5966川面橋から下流方向 《地図

Img_5967「旧古隅田川」バス停の橋から下流方向 《地図》 

この先で左から上豊川が合流し、その先の矢島橋のすぐ先で古隅田川に合流する。

 

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コメント

はじめまして、下蛭田の『廃寺』の墓地に先祖の墓を持つ者です。
ココはかつて真言宗智山派のお寺だったのですが、明治初期に廃仏毀釈に巻き込まれて廃寺になってしまいました(現在は同じ宗派の岩槻のお寺が管理してます)。
私の先祖の墓に室町時代の墓石が現存しているので、少なくともその頃にはお寺があった様です。
また、古隅田川と旧古隅田川の合流地点近くの豊春中学校では、校歌の2番の歌詞に『水は隅田の都鳥 今もゆかしく言問えば』と歌われています。

投稿: Mc63901 | 2023年1月 9日 (月) 14:11

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