古隅田川(東京都)を歩く
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かつては利根川の流末一つで、下総国葛飾郡と武蔵国足立郡の境を流れ、現在は葛飾区と足立区の境となっている古隅田川を中川から西に歩く。
【ル-ト地図】
ちょうど足立区との境にある。「出会いの川・古隅田川」には「・・・足立区側は武蔵一の宮の氷川神社を勧請して氏神とし、葛飾区側は下総一の宮の香取神社を氏神として祭り、その形態は今日まで及んでいる。・・・」とある。鎌倉時代には亀有の地は下総国御厨亀無郷と呼ばれ、香取神宮の神領だった。
中川(下流方向の中川橋) 《地図》
古隅田川分岐地点あたりで、ここを起点として歩く。古隅田川流路地図①の右中央の長門排水場(跡)あたり。
葛西用水との交差地点の北三谷橋(跡)に設置の案内板。
右の中川から蛇行しながら流れて柳原村(左下)から現在の隅田川へと続いていた。
ここに古隅田川が流れていたとはマンションの住民は知っているだろうか?
庚申塔(承応2年(1653)) 《地図》
碑はここではなく、香取神社に建てられ、井戸は亀有二丁目の鳥見屋敷に残っているそうだ。
古隅田川跡の足立(右)・葛飾(左)区界を行く。《地図》
見性寺・・隅田子育地蔵尊・・善応寺は『東京散歩(足立区④)』に記載。
隅田子育地蔵のそばで西に流れを変え、環七通りを横切って行く。
長右衛門新田を馬で耕作していると、馬がある場所まで来て必ず止まってしまう。作男は不思議に思ってそのところを掘り返すと、中から大きな自然木が出て来た。それから毎晩、作男の夢枕に観音様が立ち、その姿が自然木に似ているので、田に行ってこれを洗ってみると、夢の観音様と同じであった。この観音様を西光院に安置したという。
北三谷橋(跡)で、「古隅田川総合案内・地図」「宿駅伝説」説明板が設置してある。
在原業平が東下りした時に、「名にしおはばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人は有りやなしやと」と詠んだのは、墨田区の言問橋あたりではなくこのあたり?
庚申堂 《地図》
北三谷稲荷橋の北方に稲荷神社がある。(『東京散歩(足立区④)』) その隣の宝蔵寺は梅若丸の母の四人の従者の創建という。
梅若伝説と北三谷(さんや)の地名由来
常磐線をくぐる。《地図》
このあたりを大曲と呼んだようだ。
再び常磐線をくぐった隅田橋・下河原公園 《地図》
都立葛飾ろう学校の北側を回り込み、また常磐線の高架下をくぐって行く。
随喜稲荷神社 《地図》
古隅田川は白鷺公園の手前で区界の流路跡を北上する。
養福寺・北野神社は『東京散歩(足立区⑤)』に記載。
流路跡は駐輪場になっている。《地図》
綾瀬駅の下をくぐって北側のイトーヨーカドーのあたりを流れ、南に向きを変えて綾瀬駅をくぐって区界を白鷺公園の北西角に南下していたようだ。
陸前橋 《地図》
レンガのめがね橋風だ。
つまらない話だ。
鵜乃森橋から 《地図》
綾瀬川は近い。南側に水戸街道が通っている。
大六天排水場 《地図》
この先が綾瀬川合流地点。近くに大六天の祠でもあるのか?
小菅八幡神社? 《地図》
やけにさっぱり、こじんまりとなってしまった?
裏門堰排水場 《地図》
綾瀬川の開削で分断された古隅田川の旧流路跡
万葉の時代には小菅は入江で、「古須気(こすけ)ろの 浦吹く風の あどすすか 愛(かな)しけ児ろを 思いを過さむ」(巻14-3564)と詠まれた歌があるそうだ。
東京拘置所を一周して綾瀬駅に向かう。小菅御殿石灯籠、小菅稲荷神社、小菅銭座跡などは『水戸街道』に記載。
小菅御殿跡(東京拘置所)
江戸時代には関東代官伊奈氏の邸宅があり、将軍家鷹狩り時の休憩所の小菅御殿が併設されていた。
伊藤谷橋から綾瀬川上流方向 《地図》
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コメント
今回歩かれた辺りは私が子供のころ住んでいた辺りで子供心に何でこんなんところに墨田川が流れていたのかと思っていました。今は住宅がびっしりと立っていますが昔は田んぼと畑で葛飾郡というのがぴったりの土地でした。
投稿: 狸上人 | 2018年5月10日 (木) 10:42