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2018年5月 4日 (金)

古隅田川(東京都)を歩く

2018年5月2日

亀有駅(JR常磐線)・・・香取神社・・・中川・古隅田川分岐地点・・・ザ・レジデンス東京・・・庚申塔・・・「玄恵井の碑」説明板・・・(常磐線)・・・見性寺・・・隅田子育地蔵尊・・善応寺・・・(環七通り)・・・「田光り観音」説明板・・・葛西用水交差地点・北三谷橋・「蒲原村宿駅伝説」説明板・・・北三谷一号橋・・・庚申塔・・・北三谷二号橋・・・北三谷稲荷橋・・「梅若丸と北三谷」説明板・・・宝蔵寺橋・・・宝蔵寺・稲荷神社・・・北三谷三号橋・・・郷乃一之橋・・・郷乃二之橋・・・東隅田橋・・・(常磐線)・・水戸街道・・(常磐線)・・・隅田橋・・下河原公園・・・西隅田橋・・・宿添橋・・・(常磐線)・・・境四橋・・・南新橋・・・境三橋・・・普賢寺公園・・・「上千葉遺跡と普賢寺」説明板・・・境一橋・・・入圦橋・・・随喜稲荷神社・(川の手通り)・・昌栄稲荷神社・・・蓮昌寺・・・元隅田橋・・・境田橋・・・富士見橋・・・袋橋公園・・・養福寺・・・北野神社・・・(綾瀬駅)・・・(綾瀬駅)・・・白鷺公園・青空橋・・・古川橋・・・「小菅の風太郎」説明板・・・陸前橋・・・鵜乃森橋・・・大六天排水場・・・綾瀬川・・水戸橋(綾瀬川)・・・小菅八幡社・・・裏門堰排水場・裏門堰親水水路・・・五反野親水緑道・・下山総裁追憶碑・・・小菅万葉公園・・荒川合流地点あたり・・・小菅御殿跡(東京拘置所)・・小菅御殿石灯籠・・・小菅稲荷神社・・・小菅銭座跡・・・伊藤谷橋(綾瀬川)・・・綾瀬神社・・・綾瀬駅(JR常磐線)

 かつては利根川の流末一つで、下総国葛飾郡と武蔵国足立郡の境を流れ、現在は葛飾区と足立区の境となっている古隅田川を中川から西に歩く。

  【ル-ト地図

Img_5277香取神社 《地図

ちょうど足立区との境にある。「出会いの川・古隅田川」には「・・・足立区側は武蔵一の宮の氷川神社を勧請して氏神とし、葛飾区側は下総一の宮の香取神社を氏神として祭り、その形態は今日まで及んでいる。・・・」とある。鎌倉時代には亀有の地は下総国御厨亀無郷と呼ばれ、香取神宮の神領だった。

Img_5370「出会いの川・古隅田川」

Img_5288中川(下流方向の中川橋) 《地図

古隅田川分岐地点あたりで、ここを起点として歩く。古隅田川流路地図①の右中央の長門排水場(跡)あたり。

Img_5289ここから古隅田川の流路(正面の道)をたどる。

Img_5337古隅田川流路地図①

葛西用水との交差地点の北三谷橋(跡)に設置の案内板。

Img_5338

Img_5340

Img_5371手書きの地図(北三谷三号橋の案内板)

右の中川から蛇行しながら流れて柳原村(左下)から現在の隅田川へと続いていた。

Img_5294ザ・レジデンス東京内を流れていた。

ここに古隅田川が流れていたとはマンションの住民は知っているだろうか?

Img_5297庚申塔(承応2年(1653)) 《地図

Img_5298説明板

Img_5300玄恵井の碑」説明板 《地図

碑はここではなく、香取神社に建てられ、井戸は亀有二丁目の鳥見屋敷に残っているそうだ。

Img_5306古隅田川跡の足立(右)・葛飾(左)区界を行く。《地図

Img_5310JR常磐線の高架をくぐって行く。

見性寺・・隅田子育地蔵尊・・善応寺は『東京散歩(足立区④)』に記載。

隅田子育地蔵のそばで西に流れを変え、環七通りを横切って行く。

Img_5326「田光り観音」説明板

長右衛門新田を馬で耕作していると、馬がある場所まで来て必ず止まってしまう。作男は不思議に思ってそのところを掘り返すと、中から大きな自然木が出て来た。それから毎晩、作男の夢枕に観音様が立ち、その姿が自然木に似ているので、田に行ってこれを洗ってみると、夢の観音様と同じであった。この観音様を西光院に安置したという。

Img_5324田光り観音西光院に安置

Img_5328葛西用水交差地点 《地図

北三谷橋(跡)で、「古隅田川総合案内・地図」「宿駅伝説」説明板が設置してある。

Img_5335説明板

Img_5346「蒲原村宿駅伝説」説明板

在原業平が東下りした時に、「名にしおはばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人は有りやなしやと」と詠んだのは、墨田区の言問橋あたりではなくこのあたり?

Img_5347北三谷橋から区界の流路を進む。

Img_5356庚申堂 《地図

Img_5361親水水路だがバルブの故障で水は流れていない。早く直してよ。

北三谷稲荷橋の北方に稲荷神社がある。(『東京散歩(足立区④)』) その隣の宝蔵寺は梅若丸の母の四人の従者の創建という。

Img_5366「梅若と北三谷」説明板(宝蔵橋の手前)

梅若伝説と北三谷(さんや)の地名由来

Img_5383常磐線をくぐる。《地図

Img_5387水戸街道(右)を進む。《地図

このあたりを大曲と呼んだようだ。

Img_5393再び常磐線をくぐった隅田橋・下河原公園 《地図

Img_5404都立葛飾ろう学校の北側を回り込み、また常磐線の高架下をくぐって行く。

Img_5407境四橋から流れが始まった。

Img_5413普賢寺公園

Img_5417「上千葉遺跡と普賢寺」説明板

Img_5418宝篋印塔普賢寺

Img_5435随喜稲荷神社 《地図

Img_5434昌栄稲荷神社

蓮昌寺は『水戸街道』・『東京散歩(足立区⑤)』に記載

古隅田川は白鷺公園の手前で区界の流路跡を北上する。

Img_5437元隅田橋の手前

養福寺・北野神社は『東京散歩(足立区⑤)』に記載。

Img_5443流路跡は駐輪場になっている。《地図

Img_5453綾瀬駅の下をくぐって北側のイトーヨーカドーのあたりを流れ、南に向きを変えて綾瀬駅をくぐって区界を白鷺公園の北西角に南下していたようだ。

Img_5463白鷺公園(右)の北側の流れ

Img_5470陸前橋 《地図

レンガのめがね橋風だ。

Img_5471「小菅の風太郎」

つまらない話だ。

Img_5478鵜乃森橋から 《地図

綾瀬川は近い。南側に水戸街道が通っている。

Img_5481大六天排水場 《地図

この先が綾瀬川合流地点。近くに大六天の祠でもあるのか?

Img_5489水戸橋から綾瀬川上流方向

Img_5492小菅八幡神社? 《地図

やけにさっぱり、こじんまりとなってしまった?

Img_5493説明板

Img_5538裏門堰排水場 《地図

Img_5536裏門堰親水水路

綾瀬川の開削で分断された古隅田川の旧流路跡

Img_5528五反野親水緑道

Img_5529下山総裁追憶碑(左) 《地図

Img_5522東京拘置所北側(裏側)の古隅田川の水路

Img_5516小菅万葉公園内 《地図

万葉の時代には小菅は入江で、「古須気(こすけ)ろの 浦吹く風の あどすすか 愛(かな)しけ児ろを 思いを過さむ」(巻14-3564)と詠まれた歌があるそうだ。

東京拘置所を一周して綾瀬駅に向かう。小菅御殿石灯籠、小菅稲荷神社、小菅銭座跡などは『水戸街道』に記載。

Img_5503小菅御殿跡(東京拘置所

江戸時代には関東代官伊奈氏の邸宅があり、将軍家鷹狩り時の休憩所の小菅御殿が併設されていた。

Img_5505説明板

Img_5542伊藤谷橋から綾瀬川上流方向 《地図

Img_5545

 綾瀬神社

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コメント

今回歩かれた辺りは私が子供のころ住んでいた辺りで子供心に何でこんなんところに墨田川が流れていたのかと思っていました。今は住宅がびっしりと立っていますが昔は田んぼと畑で葛飾郡というのがぴったりの土地でした。

投稿: 狸上人 | 2018年5月10日 (木) 10:42

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