府中街道①
2018年5月26日
六郷土手駅(京浜急行)・・・東海道・・・多摩川・六郷の渡し跡(六郷橋)・・・(京急大師線)・・川崎宿・・本町交差点(府中街道起点)・大師道・・・(京急大師線)・・川崎市六郷ポンプ場・・(京急本線)・・・(JR東海道線・京浜東北線)・・・幸町交差点・府中街道(国道409号)・・・明治天皇御幸蹟碑・・・女体神社・・・幸区役所入口交差点・旧道・・・長屋門(石井家)・・・称名寺・・・法安寺・・・天満天神社・・・大師堀緑道・町田堀緑道(二ヶ領用水)・・川崎堀踏切(JR南武線)・・・鹿島田橋(二ヶ領用水)・・・平間銚子塚・・・市ノ坪跨線橋(JR横須賀線)・・・旧道・・・(東海道新幹線)・・・(綱島街道)・・・東福寺・・・(東急東横線)・・・市ノ坪神社・・・(JR南武線)・・・小杉十字路(中原街道交差地点)・・・等々力緑地・・・旧道・・・薬師如来道標・・・春日神社・・常楽寺(まんが寺)・・・旧道・・・・・(第三京浜道路)・・・道標・・・正福寺・・・白髭神社・・・(国道409号)・・・二子塚碑(二子塚公園)・・・(東急田園都市線)・・・大山街道交差地点・・・(国道246号)・・・鷹匠橋(二ヶ領用水)・・久地駅(JR南武線)
東海道の六郷の渡し(多摩川)を渡った川崎宿から北西に、甲州街道府中宿の札の辻まで歩く。甲州街道の八王子へと続く八王子道でもある。
【ル-ト地図】
本町交差点 《地図》
東海道は直進、府中街道(ここは大師道)は右折して行く。このあたりは川崎宿の「新宿」と呼ばれていた。ここを府中街道歩きの起点とする。
京急本線、JR東海道線、京浜東北線をくぐって行く。
ずっと上流の是政橋で多摩川を渡ることになる。
幸町交差点から府中街道となる。
明治天皇御幸蹟碑 《地図》
明治17年(1884)の明治天皇の行幸の経路となった幸町2丁目の府中街道沿いの人々によって昭和15年(1940)に建立。左は小さな石地蔵(宝永4年(1707))と子供たちの遊ぶ姿のレリーフ。
南武線の貨物支線の線路跡だそうだ。終点は川崎河岸駅
幸区役所入口交差点で左に旧道に入る。
石井家長屋門(文政3年(1820)の再建) 《地図》
古川村の名主家
称名寺(赤穂浪士ゆかりの寺)
大師堀緑道、町田堀緑道が横切っている。ここは昨日渡ったばかり。『二ヶ領用水を歩く②』
鹿島田橋で二ヶ領用水を渡る。
銚子塚(平間駅の西側裏)
ここも赤穂浪士の逸話がある。前方後円墳らしい。
旧道(左)に入り東海道新幹線をくぐる。《地図》
綱島街道を横切る。
東横線をくぐる。
南武線をくぐる。
小杉十字路で中原街道と交差する。
多摩川対岸の世田谷区にも「等々力」がある。
薬師如来道標(文政7年(1824)) 《地図》?
正面に「行基菩薩御作 藥師如來 春日山」・左側面に「左 みそのくち 八王じ」・右側面に「右 小春ぎ 川左起」のようだ。常楽寺の薬師如来と、溝の口・八王子、小杉・川崎のこと。左(西)に行けば甲州街道からさらに八王子へとつながって行く。
鰐口(応永十年(1403)銘)
常楽寺薬師堂
昭和43年(1968)におこなわれた解体修理の時に、本堂の襖(ふすま)などに「まんが」の絵を描いたことから「まんが寺」と呼ばれるようになった。
「文化財の写真」
第三京浜道路をくぐる。
道標(左端)・地神塔など 《地図》
ここの道標も八王子道と川崎道を示している。
二子塚碑(二子塚公園内) 《地図》
二子の地名の由来になった二子塚古墳(前方後円墳)があったとか。昨日、『二ヶ領用水を歩く②』で二子塚橋を通ったばかりだ。公園内には川崎市営トロリーバスも保存されている。
東急田園都市線をくぐる。
「大山街道コース」の「I.民権運動と上田家」
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