府中街道②
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【ル-ト地図】
神体は女体で安産守護の神。このあたりの地名は「堰」
毎月末にここへ帰るという一夜地蔵は今日は不在か?
本村橋で二ヶ領用水沿いとなり、稲生跨線橋で小田急線を越える。
このあたりは「枡形」という地名で、街道の名残を感じさせる。
下流で二ヶ領用水に流入する。
かなり風化している。
この川も二ヶ領用水に合流する。
出店地蔵の祠(三沢川の新三沢橋の手前) 《地図》
「第四地蔵」とはどういう意味か?
三沢川(下流方向)
下流で二ヶ領用水が伏せ越して(くぐって)交差している。その先で多摩川に注いでいる。
京王相模原線をくぐる。
どうも東京都という気がしない。
大丸(おおまる)用水の菅堀 《地図》
正面に銀杏の木と地蔵祠と石橋供養塔。ここは矢野口の渡しからの渡船場道と川崎街道が交差する交通の要衝だった。
地蔵(正徳3年(1713))の祠と銀杏の木・右端に石橋供養塔
鶴川街道を横切る。
旧川崎街道(右)に入る。《地図》
右は大丸用水
「東 河崎道」・左側面に「西八王子道」
ここにも自然石の道標 《地図》
津島神社 《地図》
但馬稲荷神社 《地図》
由緒など分からず。但馬は地名か?
大丸交差点で川崎街道に出る。《地図》
あとは是政橋で多摩川を渡るだけだが、寄り道する。
名前も難しいが石段もけっこう急だ。
南側の城山公園は城跡ではないそうだ。
新大丸交差点から府中街道となって北に向かう。
左は水路(大丸用水?)跡のようだ。
全長401mの斜張橋
村の農夫が田の代かきをしようとしたが、馬は暴れて動かずに途方に暮れていた。すると何処からか一人の小僧が現れ、暴れ馬の鼻取りをしてくれて、すぐに代かきが終わった。翌日、農夫が西蔵院の地蔵をお参りに行くと、地蔵さんの腰の周りが泥だらけだった。それ以来、この地蔵さんは鼻取り地蔵と呼ばれるようになったという。
板橋区の西光寺にも「代かき地蔵」がある。『板橋区の坂⑤』
短い矢崎緑道を進んで府中街道に戻った。《地図》
熊野神社 《地図》
右は東京競馬場で監視塔がそびえている。ここは第4コーナーあたりだ。昨日はダービーのざわめき、どよめき、歓声、怒号、罵声が聞こえたか?
このあたりは『府中市の坂③』に記載
大國魂神社西参道
札の辻 《地図》
高札場跡(左・復元) 「説明板」
このあたりは『甲州街道(府中宿→八王子宿)』に記載。ここを府中街道歩きの終点とし、府中本町駅へ向かった。
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