羽田道・大師道
2018年6月27日
平和島駅(京急本線)・・(第一京浜国道)・・東海道・・・(環七通り)・・・美原(三原)通り・・・内川橋(内川)・羽田道標柱・するがや通り・・・厳正寺・・・漁業記念碑・・・三輪厳島神社・・・呑川橋(旧呑川緑地)・・・羽田道標石・・・浦守稲荷神社・・・末広橋(呑川)・・・権助橋跡(浜竹用水)・羽田道標柱・・・産業道路・・・自性院・・羽田神社・・正蔵院・道標・・(産業道路)・・・龍王院・・・(首都高羽田線)・・・羽田道標柱・鷗稲荷神社・・・玉川羽田弁財天・・・白魚稲荷神社・・・弁天橋(海老取川)・大師道・・・(首都高羽田線)・・羽田の渡し跡碑・・・大師橋(多摩川)・・・大師の渡し跡碑・・・千蔵寺・・・(東門前駅(京急大師線))・・・仲見世・・川崎大師(平間寺)・・・若宮八幡宮・・・医王寺・・・(川崎競馬場)・・徳泉寺・・・六郷の渡し跡・・東海道・・・本町交差点(府中街道分岐地点)・・・幸福寺・・久遠寺・・稲毛神社・・稲毛公園・・・砂子交差点(東海道)・・・川崎駅(JR京浜東北線)
東海道の大森の三原通りの内川橋から分かれて羽田へ至る羽田道を行く。羽田弁財天、穴守稲荷神社などへの参詣の道、羽田で獲れた魚などを江戸に運ぶ道でもあった。羽田の渡しから川崎大師への大師道としても利用された。
【ル-ト地図】
昔は駿河屋という旅宿があり、「するがや橋」と呼ばれていた。橋を渡った左側に羽田道の標柱が立つ。東海道から別れ、左に「するがや通り」に入って行くのが羽田道。
幕末、江戸湾防備のための大筒や小銃の稽古所の大森町打ち場が、東京ガス大森工場のあった所に設置された。(大森東3-28付近) 長州藩が警備を命じられ桂小五郎ら藩士師弟も動員された。現在その隣には大森ふるさとの浜辺公園がある。『大田区の観光』より
木の左に「水止舞の寺」の標柱が立つ。
浅草海苔の由来の一説の野口六郎左衛門のことなどが書かれているようだ。近くに古くからの海苔屋が二軒あったがどちらも写真を撮りづらい状況だった。
大森・海苔乾し(昭和大東京百図絵版画・昭和12年)
19日に歩いたばかりだ。
ここも右へ行く。
弁天神社は三輪厳島神社のこと。
権助橋跡(浜竹用水跡交差地点)・羽田道標柱(左の木の下) 《地図》
ここも19日に通った。
寂しげな商店街を抜け、大鳥居交差点を渡って産業道路の西側沿いを進む。
羽田村、羽田猟師町(漁師ではない)の鎮守だった。
ここも羽田村、羽田猟師町の鎮守だった。
「羽田街道」・「右 三原 東海道」
大師橋の下をくぐって羽田弁財天(下の宮・現在の玉川羽田弁財天)から弁天橋に向かう。
羽田弁財天の上の宮
右に羽田道標柱
神社前の道は「羽田七曲り」の一つ。
龍王院が別当寺となっていた上の宮に対し、要島(羽田空港の地)の新田開発に伴い、下の宮として弁天社が創建、祀られていた。昭和20年9月連合軍の強制立退命令により、下の宮(現玉川羽田弁財天)を水神社のある当地に遷した。
「日本三弁天」(だった?)とは畏れいった。
鷗・白魚、海と川の匂いのする名前だ。
弁天橋から海老取川河口・多摩川・穴守稲荷神社の旧社地にあった鳥居。
要島の羽田弁財天も近くにあったのだろう。
「羽田弁財天社」(『江戸名所図会』)
「羽田弁財天社」(『江戸土産』)
「羽田の渡し 弁天の社」(『名所江戸百景』)
ここを羽田道歩きの終点とし、大師橋手前の羽田の渡し跡から川崎大師へと大師道を行く。
赤レンガ積みの低い防潮堤跡? 《地図》
内側にも民家が並んでいるが、今は洪水の恐れはないのだろう。
羽田の渡し碑 《地図》
『多摩川の渡し』
江戸の末には東海道の六郷の渡しを渡った川崎宿から川崎大師に参詣するメインの大師道よりも、羽田道を通り羽田の渡しを渡る方が多く利用され、川崎宿からこの渡しの通行を禁止して欲しいとの願いが幕府に出されたという。「説明板」より。
昭和14年に大師橋(前方)が開通して渡しは廃止された。ちなみに六郷の渡しが廃止されたのは明治6年だから、その後も30年以上もここの渡しは現役だった。
大師橋を渡った川崎側の小公園にも保存されている。
内側に人家は無い。
後ろは大師橋、前は高潮時緊急避難用の船溜まり。
大師橋(多摩川)
前方からの強風、突風にあおられながら、帽子を手に持って前かがみで渡った。こんな日には渡し船は出なかったかも。
右岸の大師の渡し跡から東参道、仲見世を通って川崎大師へと進み、表参道から大師道を前方の六郷橋(東海道六郷の渡し跡)まで行くのだ。
今は使われていないようだ。
大師の渡し跡 《地図》
昭和14年まで続いた。(上流の二子の渡し(大山街道)にも馬に見送られて対岸(川崎)に渡る舟の写真を掲載)
「鬼を祀る寺」
説明板(川崎歴史ガイド 東海道と大師道)
小学生の絵が描かれている。絵は汚れるがブロック塀のように地震で倒れないから安全だ。
浅草観音の仲見世の雑踏とは大違いで歩きやすい。
川崎大師境内図
大本堂に大本坊、わざわざ「大」をつけることもあるまい。大師だけで十分だ。
落語『大師の杵』
しょうづかの婆さん(奪衣婆)(寛文11年(1671))
品川の台場から移って来たようだ。地蔵婆さん風だ。歯と健脚の願を掛けた。
表参道から大師道を六郷橋へ向かう。
大師河原酒合戦三百五十年記念碑
『水鳥の祭』
「水鳥(すいちょう)」の「酒」へのこじつけが何とも・・・。
イトーヨーカ堂の前あたり
手前の扉も閉まっていて入れず。「塩どけ地蔵」と「蟹塚」の伝説がある。
地蔵と「レコード製造の始まり」(川崎歴史ガイド) 《地図》
「日米蓄音機製造株式会社」は日本コロンビアの前身で、明治42年5月に川崎区港町の工場で国産第一号の円盤レコードを製造・発売した。(「川崎区の宝物シート」より)
最後に来たのは何時だったか。ずいぶんと綺麗になったもんだ。JRAのマークは場内にウインズ川崎があるから。
徳泉寺前の道に入る。
羽田山徳泉寺で羽田村から移転
六郷橋脇・六郷の渡し跡(東海道川崎宿)
川崎大師石灯籠(右端)
斜張りの大師橋がうっすらと見える。
本町交差点 《地図》
右に府中街道が分岐する。まだこの先も幸町交番交差点までは大師道と呼ばれているが。
左折して東海道から離れる。
堀之内のソープランド街を通って行く。真っ昼間でも客引きが多い。蒸し暑い中、ご苦労なこった。《地図》
境内に東海道の小土呂橋の遺構が保存されている。
川崎駅に向かう。
東海道は直進する。少し先に小土呂橋交差点がある。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2023年11月~)追加分(2023.12.14)
- 「歩いた坂」追加分(2023.12.10)
- JR京浜東北線を歩く①(2022.10.22)
- 大落古利根川・中川を歩く(2023.11.22)
- 柴又街道②(2023.11.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント